おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

手袋による手話で回想する2016年

2016-12-29 | Weblog
平成28年、西暦2016年もあと3日お寝んねすれば新年を迎える。1年365日のゴールを間近にして、今年を振り返ろう。スティーブ・ジョブズ式で直感的に分かるやり方で示してみる。

―総合運と言うか、全般的にどんな年だった?


なるほど。おおむね良好な1年だったということだね。


―健康運と言うか、体調はどうだったの?


ばっちグーということか。風邪ひとつひかず、入院するような事態もなし。日頃の体調管理のなせる技だった訳だ。


―仕事運と言うか、経営の具合は?


増収増益、黒字決算の見込みかい。そりゃ、いいねえ。バブル期を上回る売上高に、営業利益、経常利益、並びに当期純利益、いずれも過去最高だなんて、羨ましい限り。アベノミクスの恩恵が無い中での営業努力が実を結んだんだね。


―恋愛運はどうだったのかい?


質問に対してブーイングなんだね。失礼な聞き方をした当方が悪かった。まるで浮気運はどうだったみたいに取られてしまって申し訳ない。意中の人といい仲にある人に対して非礼な質問だった。


―こう聞けばいいかな。意中の人との仲はどうなの?


のりのり、絶好調か! いやあ、ハワイ式でウキウキの1年間だったんだなあ。


―金運と言うか、金回りはいかがでしたかな?


もっと頂戴なのか。金銭的に困ることがなかったというだけで良しとすべきなんだね。地に足を付けた上で、くれるものは頂こうという手堅い金銭哲学に敬意を表すよ。


―閑話休題と言うか、ブレイクタイムと言うか、なんか手品でもやってみてよ。


うん、なんだ? ハワイ式のウキウキじゃないよね。


―直感的に分かるようにしてみてよ。


ははーん、日本人ならピンとくるやつだな。キツネ? えっ、違うの?


―直感力より鈍感力が勝っているのかな。何なの? 動物だよね?


なんだろうなあ。親指と人差し指と中指だとは分かるんだけど。


―次のヒントを下さいな。


ワワーンと吠える動物ということか。朝の散歩の途中で出会う、あの柴犬のパチ公だったのか。


―良好な人間関係を維持している秘訣は?


陰気、愚痴、陰口、無責任、見栄っ張り、信用なし。こういった方々との出会いをきっぱりとノーという意志を持って遮断してしまうってことですね。


―世の中の不正、不正義、戦争、暴力、テロに対してはどう考える?


断固反対。まったく同感です。


―新年の抱負を簡潔に。


まずは健康が1番ですね。ごもっとも。













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地球に移住した君へ

2016-12-27 | Weblog
どうだい、住み心地は? 君は長所というか、いい所しか見ないたちだからね。まあ、われわれ地球人は誰にでも短所や嫌な所があるんだということを分かっているんだろうね。短所を見過ごして、長所を見出して、人や物事をプラス評価していく。君は凄いよ。人が感情的もしくは生理的な理由から、誰かを仲間外れにしたり、嫌みな物言いをしたり、或いは憎悪や妬みから相手をいたぶり、追い詰めたりする人物がいるのも知っているよね。かと思えば、自業自得のような人物たちに救済と立ち直りの手を差し伸べようとする人物がいるのも知っている。地獄と天国を地上に創り出している地球人のことを本当はどう思っているのかな。まあ、こう尋ねても、ほほ笑んで答えずというのが君のやり方だからな。

1個の頭の表に目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、耳が2つ、眉毛が2本。わたしたちは見慣れているけど、君から見れば、なんともけったいな頭蓋骨を持った生き物だと思うだろうね。しかも、その両目ときたら、眼球の中に感情の発生装置がはめ込まれているみたいに、怒りや嬉しさ、誘惑、いたずら、嫉妬を表現するからね。猛獣の殺意が漲った目も怖いけど、笑いを見せた目の裏側で、悪意ある魂胆を潜ませた人間も怖いんだよ。目は口ほどに物を言いだよね。そうか、君も目でもって相手の思いを見透かしてしまうんだよね。本意、真意を知られてしまうと思うと、君と対面して言葉を交わすのは、ちょっと怖い気もするよね。隠し事が通用しない状況も、わたしたちには辛いものがあるんだよ。すべてがあからさまにされるというのは、どうなんだろう。感情の逃げ場、本意や真意の隠れ家が要るみたいだよ、わたしたちは。それは、わたしたちのどこかに、あるいは、ある事情から、嘘、偽り、欺瞞、裏切り、見え、虚栄の世界にわざわざ足を突っ込ん押し歩くことが人生のうち何回かあるんだろうねえ。正直さを告白できない弱さなんだろうなあ。

毎日、飯を食うのにも驚いているだろうね。1日2食か3食は胃袋に食べ物を運び込んでいるからね。君からすれば、原始的な生体維持構造を持った生き物だろうな。飯の種が喧嘩の種になっていることを君はよく分かっているよ。資源とか、権益とか、領土とかをめぐる争奪や諍いは、結局のところ食いぶちをめぐる争いが根源なんだよ。だって食べないと生きていけないんだもん、わたしたちは。AIみたいに食事不要だったら喧嘩は起きないんだろうけど。もっともAIも電源をめぐる争いが起きるかもしれないけどもさ。わたしたちが1カ月に1食で過ごすことができるようになったら、世界は平和になるだろうか。争いはなくなるだろうか。君はどう思う?

飯の問題が片付いたら、今度は欲しがる病が蔓延するんじゃないかって言うんだね。欲しがる病か、よく言ったもんだな。あれも、これも欲しい。彼の心、彼女の心を欲しい。権力が欲しい。金が欲しい。地位が欲しい。贅沢が欲しい。なんだろう、これ? 病気が欲しい。不健康が欲しい。貧乏が欲しい。頭が2つに口が4つ、目が3つに耳が6つ欲しい。なんてことは言わないもんな。これらはマズローの欲求ピラミッドの、どの階層にも属していないな。病気、不健康、貧乏は生きることとは真逆に向かう欲求、すなわちマイナス指向の欲求なのだろうね。

君はよく言ってたもんな。犬が犬であるように、猫が猫であるように、人間は人間を演じているんだと。戦争を仕掛ける。平和を愛する。お金が増えると気が大きくなる。地位が上がると偉くなったような気になる。安い服より高い服を着るようになる。狭い家から広い家に住むようになる。徒歩から軽自動車になり、排気量3500CCを超える車に乗るようになる。戒名の文字数が増える。お布施が高額になる。墓石が大理石になる。当人たちは大真面目だが、君からすれば爆笑すべき滑稽譚だろうね。でもねえ、わたしは人間だから、あえて弁護すればね、この滑稽さが人間ならではだし、この馬鹿さ加減が、神の遙か下々にいる人間だということなんだ。君みたいに絶対的存在に出来上がっていないんだよ、わたしたちは。途上なんだよ。しかも頂上に近づいただけ、頂上がさらに伸び上がるんだからね。絶対に到達、登頂できないんだよ。そうなりゃ、馬鹿な気を起こしたり、滑稽に走るのもでてくるさ。君から見れば、救われない衆生でいっぱいなんだよ、この地球は。

君に文句のひとつも言いたいね。滑稽な人生を送り、終わるわたしたちを眺めて愉しんでいるんだろう? そりゃないよ。途上にあり続けるわたしたちを少しは手助けしてみてはどうなんだい。われわれの世界じゃ、そういうのを薄情って言うんだけどもね。こんなことを、ぶつぶつ言うのを、また愉しんでいるんだろう? 君とわたしたちとは同じ地球に住んでいながら、お互いに相入れ合う関係にはならないかもしれないなあ。絶対と相対、神と人、永遠に並行なままだ。神は人にならないし、人は神になれない。神になった気になっている人はいるがね。君に死はないから生は永遠だ。わたしたちには死があるから生は期限付きだ。そんな関係だけど、君とわたしたちは戦争をしたことがない。戦争をするのはわたしたち同士だ。わたしたちは滑稽をことあるごとに演じ、君はことあるごとに滑稽を見守りほほ笑むだけだ。永遠に交わり合うことのない、君とわたしたちの関係は、地球がある限り永遠に続くのだろうね。万世一系、世代交代なしの君は、世代が入れ替わりながら存在を継承していく地球型生き方をいいと思わないか? 1度ぐらい試してみたいとか、どう? えっ、まったく思わないって。やっぱり、永遠に並行関係だな。でも、お互いに不可侵というのは、関係が長続きする秘訣かもしれないなあ。まあ、一緒にあの世に行ってみないか? 嫌だってか。いつか絶対的な存在に飽きがくると思うけどもねえ。えっ、思わないって。そうだろうな、君らしい。

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火星に移住する君へ

2016-12-22 | Weblog
 そうか、とうとう行くことにしたのか。君が決めたことだから、ぼくが止めても気持ちは変わらないのだろうね。地球での暮らしに嫌気がさしたのには、ぼくもよく理解できるよ。新聞、テレビのニュースを見ても、ろくな話題はないしさ。朝からどうでもいい情報なんて知りたいとも思わないしね。テレビ番組だってそうだね。刹那的でちっとも面白くないもん。作り手だけが面白がっているやつだよ。

 1年365日、春夏秋冬、毎年似たようなことの繰り返しだもんな。刺激のある日々なんて年を取るたびに減っていくし、好奇心を満たすことで1日1日が愉しかった子ども時代以上の印象的な時間はめっきり少なくなっているからね。若い日日に高まっていた異性への関心も薄れてきたし、何かを集めても、いつかは手放すことになるし、心ならずも誰かに譲り渡すか、託すことになるからね。コレクションをあの世に持っていけないからなあ。

 年齢を積み重ねると、頑張ることに倦んでくるというか、もういいやとなっちゃうからなあ。よく言えば諦観の年頃だし、悪く言や、飽きっぽくなっちまったんだろうなあ。誰かの目や評価を気にすることもなくなるしね。やりたいことはたくさんあっても、できることは限られているしな。大金持ちでもないし、気ごころの知れた友人がたくさんいるわけでもない。友は友でそれぞれの人生を歩み、交流は日々疎くなってくるしね。

 病気で寝込んではないが、絶好調の体調でもない。元気じゃないことはないが、かと言って活動的でもない。世の中への関心にしても、お好きなようにやってちょうだいねっていう感覚になっているしな。社会に目を向け、世界の動きに関心を寄せていた時期もあったけど、もうそんなことを卒業した気分になってるんだね。余計な好奇心を持ちたいとも思わなくなったし、友人もごく限られた、数人でいいって感じだもんなあ。

 欲しい物も子ども時代みたいに、あれこれ、いらないし。高級時計や高級車、豪邸なんて、そんなものどうしたって感じだしさ。暮らしていければいいやって感じで日々を過ごしがちになるねえ。食べていけりゃいいんじゃないのって感じだよね。行列のできるレストランで食事なんかしたいとも思わないしね。わざわざ並んで、高い金を払ってまで食べようなんて、どうなんだよって感じだしさ。

 もったいない、ものを大事にっていう声がある一方で、あきんどたちは消費を煽るからね。ハロウィン、ブラックフライデー、クリスマス、歳末大売り出し、新年初売りだ。年から年中、買った、買った、買ったのチラシ、ダイレクトメール、コマーシャルが日常生活の中に溢れまくってるもんね。流行の仕掛け人がしてやったりとにんまり、ほくそ笑むのに飽き飽きしたんだよね。したり顔のコメンテーターが世の中の事件事故を斬りまくるのにも、うんざりだもんな。

 資本主義社会の宿命で、信仰するのも金が要る、勉強するにも金が要る、運動するにも金が要る、旅行するにも金が要る。タックスヘイブンも株運用も不動産投資も外貨預金も、欲望のブラックホールだからね、悪人も善人も大なり小なり、引き込まれて行く。資産運用できない人は困窮していく仕組みになっているからなあ。チャーチルの言葉だったかなあ、資本主義は不公平に裕福を分配し、社会主義は公平に貧困を分配するからね。資本主義と社会主義に塗り分けられた地球に愛想を尽かしたわけだよね。

 地球で生まれて成長してきた君にまとわりついたものを捨てたいんだね。家系、出自、学歴、就職先、婚姻歴、離婚歴、病歴、性癖、通帳の残高、親族に少なくとも1人はいる変な奴、くじ運の無さ、いい人に出会えない交流会、つまらない立食パーティー、ペットロス、消えない首筋の皺とほうれい線、忍び寄る自律神経失調症と頸椎症並びに脊柱管狭窄症。あ~、もう嫌だ。そう思う君の気持がよく分かる。この地球とおさらばして、もう一度、新天地でやり直したいんだよな。人生をリセットして、もろもろの腐れ縁をすっきりと削除する決意なんだよね。いいじゃないか。ぼくは止めないよ。むしろ、そこまでの選択と決断に至った君に敬意と羨ましさを感じているよ。

 ぼくはいまだに、ろくでもない地球の住民のままだ。優柔不断で、1歩を踏み出す勇気がない。君の英断を知るにつけ、ぼくは実にちっぽけな人物だと分かるね。小さなサイコロみたいな奴だよ。6が出ては大喜びし、1が出てはしょげてしまう。1、2、3、4、5、6の6通りしかない人生を繰り返して一生を終えるんだよ。それにつけ、君はサイコロの世界を抜け出して、7、8、9、10という具合に歩みを進め、世界を広げていく。未知の世界に向かって人生を切り拓いて行く。君の行為は人類の歴史そのものだよ。然るべき人が然るべき人生と世界を造っていく。

 君が選んだ人生だ。止めないよ。でも、こうして君と会うのは、これが最後かもしれないね。遠くに行ってしまうんだもんなあ。地球に君がいなくなるなんて、ちょっと寂しくなるよな。夜空を見上げるたびに君のことを思いだすだろうなあ。こんな気持ちを味わうなんて、すごい時代になったもんだね。お互い元気でいようよ。向こうに行って落ち着いたら、連絡がほしいなあ。君みたいな友がいただけで、ぼくは幸せもんだよ。それじゃ、元気で。ぼくもなんとか、やっていくよ。
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冬至に獅子柚子湯につかる

2016-12-21 | Weblog
12月21日、冬至。待ちに待った日がやってきた。食器棚の中でワイングラスと並んでいた獅子柚子がいよいよ出番となる時だ。11月下旬、お隣さんから「柚子湯にでもいかが」と言われて頂いてから1カ月近くが経っていた。ごっつい赤ちゃんの頭ほどの大きさは、母親の視線に見入る、物静かな赤ちゃんの頭ほどにひと回りか、ふた回りほど小さくなっていた。武蔵坊弁慶の剛毅な顔立ちから、耳なし芳一の柔和な顔立ちに変わったかのようでもある。

湯船にはたっぷりと湯が張られ、湯煙が湯殿に立ち込めている。いい雰囲気だ。台所のまな板に獅子柚子を乗せる。自らの役割を自覚し、悟りきったように鎮座している。手を清め、ヘンケルの魚を捌くための包丁を右手に持つ。左手で頭を掴み横に倒す。横っ腹に包丁の切っ先で少しばかり切れ目を入れる。包丁の刃身を腹に当てて、切れ目を目印にしてゆっくりと押し切っていく。獅子柚子は、まあるい断面を左右に開いて、長方形のまな板の上に2つのお椀を置いた形となった。外形の大きさの割に果実は小さい。食用というよりは観賞に適しているみたいだ。さらに包丁を入れて全部で8片に切り分ける。末広がりの八である。

枝から切り取られてから1カ月近くは経っているから、香りはそれほどでもない。皮に鼻先を寄せると、確かに柚子の香りが漂っている。あえて言えば、柑橘系に共通する酸っぱさを感じさせる香りと言った方がいいかもしれない。目の細かいネットに8片の獅子柚子を入れる。ファスナーで閉じる。湯殿に赴き、ネットを湯船にゆっくりと入れる。浮き袋のように、ぷかりと浮いた。ネットの白色と柚子の黄色い皮が透明のお湯に彩をもたらす。

脱衣をして、湯船のそばに腰を下ろして掛け湯をする。心地よい温かさのお湯が首筋から胸板、引き締まった腹筋へと伝って流れ落ち、どっしりとした大殿筋や胴体を支えるに相応しい逞しい太腿を濡らして、タイルの床に飛び散った。足先から湯船に入り顎の下付近まで体を沈める。猫が飼い主にまとわりつくように、獅子柚子の袋が首付近にまとわりついてきた。ほのかな柚子の香りが漂う。わたしの体に臭い付けをしているみたいだ。

どちらかと言うと、長風呂はしないたちだが、今宵は冬至、しかも獅子柚子湯だ。たっぷりとつかろう。大きく成長し、縁あってわが家に転がり込み、裸の付き合いをすることになった。果実に成りきるまでに育んだ生命力と運気をわが体に沁み込ませよう。このまま獅子柚子とお付き合いしてたら頭がのぼせそうになりそうだ。体が芯まで温まったところで湯殿を出る。裸身の水気をバスタオルでぬぐい、暖房の効いた居間へ。ぽかぽか状態が続き、軽く汗が出てきた。体が少しばかり虚脱状態となっている。獅子柚子のエキスが体に回ったらしい。脱力感が血流によって全身を駆け巡る。なんだか眠くなってきた。寝床に背中を付けたら、そのままスーッと熟睡世界に引き込まれて行きそうだ。夢の中で獅子が添い寝してくれるかも。しかも8頭で。これもまた獅子柚子湯の効能だろうねえ……獅子が1頭……獅子が2頭……獅子が3頭……ZZZ。
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アリゾナのアンテロープキャニオンで感じたこと

2016-12-20 | Weblog
アンテロープキャニオンには、洪水に伴う鉄砲水が洞窟内に創りだした壁画がある。砂岩の壁を猛烈な勢いの水流が削りあげて出来上がった。天井部分に開いたわずかな隙間から光が差し込んで、赤茶けた砂岩の壁の模様を浮かび上がらせる。絵になる光景は数多の写真家の注目を集めて作品化され、その実景を見たいがために世界から人々を寄せ付け、洞窟内の探検へ導く。

発見のきっかけは、一帯に居留するネイティブインディアンのナバホ族が家畜として飼っていた羊だった。羊の群れのうち1頭が行方不明になった。大事な羊を飼い主が探していたところ、アンテロープキャニオンの洞窟に迷い込んでいたのを見つけた。と同時に自然が創り出した砂岩の流麗な模様が太陽光によって浮かび上がっていた。そこは、砂塵が舞う外の世界とは異なる神聖なる世界だった。

ナバホ族のガイドによるツアーに参加しなければ、そこを訪れ、中に入ることはできない。勝手な行動は許されない地である。なぜならナバホ族が居留する地だから。年の頃、60前後ぐらいのナバホ族の女性、ローリーの案内でわたしたち観光ツアーの面々はアンテロープキャニオンの洞窟を探訪することになった。言葉は不要、ただ眺め、見入るのみ。百聞は一見にしかずだ。


赤い砂地が広がる出発地に並ぶ4輪駆動のジープに乗って訪問者たちは洞窟の入り口へ。手前の3人はナバホ族の若者たちだ。彼らが受付などツアーのお手伝いをする。


砂塵を巻き上げて走るジープに5分ほど乗って到着。体はうっすらと砂塵まみれとなる。岩肌にぱっくりと開いた割れ目が入り口となる。


人はなぜ洞窟に入りたがるのか? それは、そこに穴があるからだ! 理屈は不要、本能なのだ。中はどうなっている? と思って人は入り込む。お先真っ暗の洞窟は好奇心を刺激し、探検したくなる気をそそる。


ひたすら眺めよう。


ほ~。


お~。


あちょ~。


う~ん。


うひょ~。


すべてフラッシュなしの画像である。この光景はどこかで見たことがあるなあ。そんな気持ちが湧き起こってきた。そうだ、そうだ。あれだよ、あれだよ。胃カメラで撮った、わたしの胃の内部だよ。パソコンの画面を見ながら健診の女医が説明してくれたよなあ。

「ああ、胃が荒れてますねえ。潰瘍の跡がいくつもあります。分かりますか?」

「荒れてますか? ワイングラス1杯の晩酌しかしないんですがねえ」

「ワイン1杯だけでは、こんな胃にはなりませんよ」

「そうか、そうか、ワイン1杯と言っても、テイスティング用の大き目のグラスでした。3、4杯分を晩酌で呑んでましたかね」

「規則正しいお食事とかされてましたか? 暴飲暴食はありませんでしたか? 生活の中でストレスを感じたりしませんでしたか?」

「不規則な食事、暴飲暴食、ストレスいっぱいの生活、すべて経験済みです!」

「ピロリ菌もいるかもしれませんね。この菌は胃がんの原因になりますよ。紹介状を書きますから、一度専門医に診てもらってください」

「御意」

案内役のローリーは撮影の要領と場所を指南する。ツアー客からそれぞれのカメラを都度都度借りて撮影の仕方を実演してくれる。わたしのカメラも何度かローリーに手渡したので、後日に画像を見ても、どれをわたしが撮り、どれがローリーの撮ったものか分からなくなってしまった。多分、見事に撮れているなと思えるものはローリーの作だろう。本来なら、光と砂岩と鉄砲水が織りなす神秘的な光景なのだろうが、わたしには潰瘍にこねくり回された胃袋にしか見えないんだな。ローリーに、これは胃カメラで撮ったわたしの胃の内部だよと言うと、洞窟内で高笑いした。ナバホ族の女性が快活に笑うのを生まれて初めて見た。この惚れ惚れするような笑顔、アンテロープキャニオンのどんな光景よりも素敵だった。ありがとう、マイフレンド、ローリー。



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横浜の猫カフェで考えたこと

2016-12-15 | Weblog
その猫カフェは横浜の中華街から歩いて1、2分のところにあった。JR石川町駅北口から野良猫よろしく、うろうろしながら歩き、ビルの階段を2階まで上がってたどり着いた。喫茶の部屋と猫がたむろする部屋とがガラス戸で仕切られている。ワンルームを2部屋に仕切って出来ていると想えばいいだろう。横浜で初めての猫カフェとして2008年に開店したという。訪れたとき、店内にはスタッフ以外は誰もおらず、最初の客として靴を脱いで上がり、座卓の席で珈琲を味わって、「ニャ~オ」と無言の猫なで声を出しながら、猫だらけの空間へ。

中では男性スタッフが餌やりや猫に異状がないか見守りをしていた。20畳ぐらいはあるだろうか。10数匹のいろんな毛並みをした猫たちが寝転がったり、餌にぱくついていたり、眠っていたり、放し飼いにされていた。猫好きにとって、どんな心境になるのか。自らを省みるための試みでもあった。

自身の飼い猫ではないから、室内の猫たちが走り寄って来て、足にすりすりをしたり、目の前で腹を見せて仰向けに寝転がるわけではない。見知らぬ変な奴が毎度毎度入り込んできて、なにやらにこりとしながら、自分たちを目で追っているな。そんなことを思わせる表情をすることもなく、猫たちは傍らに人無きが如くに自分たちの気の向くままに過ごしている。飼い猫でさえ、猫たちは食事を欲しがるときや、気まぐれに遊びたいときに猫なで声を出して擦り寄ってくるが、それ以外は寝ているか、室内を探索することで日がな1日を過ごしている。まして猫カフェの猫たちにとって、この闖入者は食事を用意するでもなし、取り立てて遊んでくれるわけでもない、実に退屈な存在にしかすぎないみたいだ。よって、人のことなどほったらかしにしておくか、となる。

試しにニャ~オと声を出してみた。反応なし。もう1度、ニャ~オ。再度反応なし。大の大人が猫男になりきって猫なで声を出しているのを耳にしている男性スタッフも反応なし。こんな光景は茶飯事となってるのだろうねえ。猫たちや男性スタッフから「また、やってるな~」という心中の想いがそこはかとなく漂ってくる。大あくびをしたり、幸せそうに眠っている猫たちの中で、1人することもなく、やるせなく、寂しそうに、腰を下ろし座りこんでいる男、ひとり、あり。

猫カフェというのは、これだけ猫に囲まれていながら、その中心に座していながら、猫部屋を貸し切り状態にしていながら、ちっとも愉しくないことが分かった。猫の部屋のガラス越しに喫茶の部屋に猫好きと思われるお客さんたちが数人入ってきたのが見えた。ちらりとわたしや猫たちの方を見つめている。なにやら動物園の檻の中にいる気分となる。ゴリラやオラウ―タンもこんな気持ちだろうか。じろじろ見ないでよ。落ち着かなくなるんだよ。

何人かが猫の部屋に入って来るのと入れ違いに喫茶室へ移る。猫カフェの効用はなんだろうか。銭湯に入って出て来ると、さっぱりした気分になるが、猫カフェはそうした爽快感はない。スポーツジムだったら体を動かして充実感を味わえるが、猫カフェはほとんど運動不足状態だから、充実感とは程遠い。茶室だったら作法を手順通り滞りなくすることで心の涵養を味わえるが、猫カフェは何も滞ることはないのに心が満たされることはない。禅道場だったら無念無想の境地の一端に触れられるが、猫カフェでは残念の一端に触れたような気になる。

取り立てて感動も感銘もなく、嬉しくもなく、かと言って猫たちに落ち度は何もない。実は、猫好きは自分の飼い猫こそが世界で1番好きなのだ、ということが分かった。飼い猫が表情と姿態で示すように、心と体の安住の地は飼い主がいる家にしかない。それは猫好きにとっても同じで、心やすらぐ場は猫カフェではなく、飼い猫がまったりと住まう、わが家なのだ。さあ、帰ろう、猫カフェの階段を下って、いざ、わが家へ。

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ゆっくりと歩む師走

2016-12-06 | Weblog
師が走っても、わたしは走らない。他の人たちが走り出したら、なおさらわたしは走らない。お先にどうぞ。そう思ってゆっくりと歩む。多くの人たちが走り去って静かになった道を1歩1歩進んでいく。空を見上げて雲が流れていくのを眺め、こんもりとした森の中で鳥たちがさえずりあうのを耳にしながら、日々の雑感を想い起こしていく。

16年間使っていた空調がお釈迦になった。シャープ製だった。製造元が傾くと、製品まで不調になるみたいだ。まあ、寿命だったのだろう。空調の専門メーカー・ダイキンの製品を電器工務店と量販店に合い見積もりする。同じ機能の空調でも、電器工務店仕様と量販店仕様があるのが分かった。自動お掃除機能付きを電器工務店に発注する。量販店より値段が安かったから。工務店の社長と作業員1人が3時間がかりで取り付けてくれた。外は冬の到来でもTシャツ、短パンのハワイスタイルで過ごすことができる。

空調が効いた暖かい部屋でいただく愉しみ、それはハーゲンダッツのアイスクリーム。これまでグリーンティー、ラムレーズンが食後のアイスクリームの定席を占めていたが、ことしはマカデミアナッツが参入し他の追随を許さない状態となっている。スーパーのハーゲンダッツコーナーでマカデミアナッツをごっそりと買い込むほどの入れ込みようである。グリーンティーは西の横綱から大関に陥落、ラムレーズンは東の横綱から西の横綱へ横滑りだ。海外旅行土産の定番でもあるマカデミアナッツチョコがお気に入りという素地はあったが、濃厚なアイスクリームとマカデミアナッツがこれほど相性がよく、旨さに相乗効果があるとは。やってくれたね、ハーゲンダッツ! やっぱりアイスクリームの王道を行っている。

夏は冷奴、冬は湯豆腐と型通りとなっていた豆腐料理。食器棚の抽斗の中にあった麻婆豆腐の液体調味料。AJINOMOTOの製品だ。四川式のものを買い置きしていたのをすっかり忘れていた。たまにはこんなのもいいかと思って作ってみることに。材料は豆腐、長ネギ、豚ひき肉、それに液体調味料。長ネギがなかったのでキャベツを細かく切って代用する。箱の裏に表示された作り方に従って調理する。10分ほどで出来上がる。さっそく試食だ。旨ーい! こくのある麻婆豆腐の中でキャベツのしゃきしゃきとした歯ごたえと味わいがいい。長ネギよりいいのではないかと思える旨さ。1週間に3回は確実にいける。広東式もある。四川式と交互に味わってみよう。朝からカレーというのがひと頃流行ったが、朝から麻婆豆腐で寒い冬を乗り切ろう。

机上に置いてあったオ―・ド・トワレの瓶を取り、手首にスプレーをする。言葉にできない香りが漂う。モンスーンの庭。頂き物である。どんな表現でもって、この香りを言い表すべきか分からなかったので、ネットでその道に詳しい人たちの言い回しを幾つか読んでみた。ざっと、こんな感じだ。

香調:シトラス・アロマティック。

テーマは「眩惑のインド」

雨によって息吹を取り戻したインドの自然を表現したフローラル、スパイシー、グリーンなフレグランス。

これだけで、はは~んと頷ける方は相当に通な方か、販売に携わっている方でしょう。実際に香りを味わってみると、日頃の生活の中では出会えない香りである。まさに瓶の中に詰まった別世界の香りであり、魔法と魅力を併せ持った水となる。随分と昔、パリに旅行に出かけた際、お土産にプワゾンを買った。同じツアーの母娘2人組からこんなことを言われた。「いいわねえ、そんなお土産を頂ける方は幸せだわ」。香水が女性を喜ばす神通力があることを、この時知った。すれ違いざまに魅惑の香りを残して行く、おしゃれで粋な女性にここのところ縁がない。都会に出向かないといけないのかな。当面、モンスーンの庭が代役を果たしてくれそうだ。ちょっと寂しくはあるが。


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