おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

スケルトンの中の光景 ― もう1つの世界

2010-04-30 | Weblog
「ベストドライブ九州」「九州ベストガイド…温泉・郷土料理・歴史遺産」「九州温泉&やど」。ガイドブックに目を通すのをやめた。どの温泉も、料理も、宿も魅力の頂点に至らない。外に向けた視線には退屈しか映らない。そうであれば内側に目を向けてみようか。内なる宇宙、頭蓋骨の内部世界を探訪してみた。




                              

           自己を表現すること。これこそが人生の奥義である。


                  ↓  ↓  ↓

                    ↓  ↓
                     

                      ↓



      ひと皮むいてみると、肉塊が消えて骨だけの「無の世界」がある。



   
      それでは骨がない世界を再構築すると、以下のごとく「有の姿」となる。

                  ↓




                  ↓

         白く透き通った世界、それは北海道の冬景色。



                  
             道があれば、線路でも引いてみるか。

     


 線路があれば、列車を走らせよう。あったかそうなオレンジ色の列車!

                   

                  乗降客がいなくても一応停車はする。


              
雪原を列車は音もなく走り出す。


 白い世界を動き回るのは列車だけではない。


                    

                              ??????????

                    



                         おれ、おれ、おれだよ!




                    

                         いくらなんでも、もう分かっただろう。




                    

                   心臓麻痺を起こすから冷水にいきなり飛び込むなよ。




                    

             ゴールデンウイークは稼ぎどきだから忙しいんよ。そんじゃ、良い週末を。あばよ!





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十期十会 寸評録

2010-04-23 | Weblog
10・村上春樹「1Q84」Book3

ハルキワールドにはどうしても惚れこめない。テーマは面白いと思うけど、表現がわたしの嗜好にどうしてもそぐわない。人にはそれぞれお気に入りの顔つき、目つき、鼻筋、唇の形、歯並び、顎の形というものがあるものなのだよ。

9・黒川温泉

ネットで宿の案内を見ていく。部屋の造り、露天・半露天の風呂、和牛あり刺身ありの料理、作務衣を着た若い仲居たちが写真で紹介されている。どうも触手が動かないな。泊まろうという気がわいてこない。温泉地は冬場がやはり旬なのだろうか。

8・小曽根真「クバノ・チャント」

テレビ番組でやっていたのをたまたま視聴する。演奏者よりも曲の方が風格がある。ジャズの風になって、わたしはあなたを見守るよ。

7・レオナルド・ディカプリオ「シャッターアイランド」

力みすぎだよ。作品としてこの種の発想はままある内容だ。この手のものではブルース・ウィリスの『シックス・センス』(The Sixth Sense)が抜きんでている。

6・開脚前屈

ブラボー! 床の上で両足を開き、上半身を少しずつ前へ倒していき額や腹が床につくようになった。2年越しのストレッチの成果は心身の志向を変える。柔軟なものへの敬意と愛着が芽生える。柔軟な思考、柔軟な体、柔軟な生き方に関心がいく。わたしにとって素敵な女性とは、柔らかな体を持ち、笑みを浮かべて開脚前屈を優雅にできる人である。これぞセクシーというものだ。この意味において浅田真央には真っ黄色の声援を送らなくては。

5・宇宙から帰還した山崎直子飛行士

報道で紹介された山崎飛行士の宇宙での活動は、これまでの日本人飛行士の中で最もほほえましかった。先輩の野口飛行士とのツーショットでそれを感じた。ともに楽器を演奏したり、寿司を握って寿司屋さんごっこみたいなことをしたり、野口飛行士の散髪をしてあげたり、野口さんの側で逆さまになったりと、なにかしら男性を引きつけるものがあった。それは色っぽさというものではなくて、多分家庭的なものだ。地球には夫がいて一人娘の母でもあるから、山崎飛行士が家庭的なのは当然と言えば当然なのだが、狭い意味での家庭的ではなく、もっと広い意味での家庭的だ。無重力と暗黒世界の宇宙空間に伍しても遜色ないような概念、それは博愛だ。男が女と一緒にいて安堵する思い。女も同じで、男と一緒にいて安楽となる思い。

4・エンゼルメイク

知り合いの税理士の葬儀・告別式に参列した。80の半ばを超えた方だった。顔の血色もよく、苦労人ながらそうしたものを払しょくした笑顔をいつも見せていた。まだまだ長生きする方だなと思っていたら心不全で突然死された。お棺の中で午睡でもしているかのような穏やかな表情をしていた。肌も生きているような色合いだった。鼻孔に綿の詰め物がしてあるのが亡くなったことを示している。この光景はこれまでに何度も見たはずだった。ここにきて異議を申し立てたくなった。死者への尊厳に対して、この詰め物は逆説的な意味で「画竜点睛を欠く」。いろいろと調べてみたが、鼻孔の詰め物はほとんど要らないな。死者は生前同様、眠るようにしてあげなくては。詰め物なんかしたら苦しくて眠れないじゃないか。

3・バイオリニスト―キアラ・バンキーニ

4月10日付の朝日新聞で紹介されていた。見出しは「脱・商業主義 古楽で」。前文の中の一文に目がいった。「古楽界の第一人者たちに認められながらも、商業ベースから一線を画して活動するバイオリニストがいる」。本文を読み進む。「かつては現代楽器を手にしていたが、お決まりの名曲ばかりを押しつけられることにうんざりしていた。『皆と同じ、均質な演奏家になってしまう』との危機感が募った」。さらに読み進んでいく。「人間の声のように楽器で歌う方法を徹底的に探った。それはそのまま、見てくれの華やかさや超絶技巧によるカタルシスを喧伝する商業主義への反発でもあった」。バンキーニの言葉を拾い読みする。「自分の裁量で自由に弾く。これが古楽の特徴であり、音楽の本来あるべき姿だと思うから」「芸術に携わる人間が、安易さに満足するのは間違っている」。久々のいい記事だ。最後はこう締めてある。「自分が自分であるために、情報に流されない努力をする必要がある時代。だからこそ、私は意識的に不器用に生きているんです」

2・PREMIUM LEON

カード会社から情報誌が送ってきた。ドラマな旅にドラマな道具、定番こそSEXYの極み、ワイルド&ラグジュアリーな旅は宿選びから。売らんかなのコピーが表紙を彩る。なかなかしびれるような、べたなコピーじゃないか。ページを繰る。「エルメネジルド ゼニア」のネイビージャケット、24万450円。チーフ、1万3650円。端数が気に入らない。ページを繰っていくが、コンセプトは推して知るべしだから文章は飛ばしていく。唯一収穫の情報はグランドキャニオンの中にあるホテル・アマンギリの紹介か。ホテルの敷地243ヘクタール。アコーディオン形に大きく開く部屋の窓からは、何万年もかけてつくりあげられたダイナミックな断崖が広がります。ふーん。最近はそこそこの商業主義にはびくともしなくなっているだけに、これぐらいのスケールがないと文章も読む気がしない。

1・クリュッググランドキュヴェハーフ

375ml。1人だと3杯、2人だと1杯半。ふくよかで力強い味わい。好きなものにはえこひいきするから文句はなし。はやる心をじっと抑えて悠然と乾杯いたしましょう。


            
               1本で足りるわけないもんね。





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よみがえれ鶴岡八幡宮大銀杏

2010-04-07 | Weblog
巨木が好きである。仰ぎ見る大きな存在、逞しい生命体、年輪を重ねた風格は感動的だ。大いなる姿を見るために、かつて屋久島に縄文杉を訪ね、北大のポプラ並木を歩き、日光の杉林を目指した。縄文杉は今と違って幹に触れることができた時代だったし、北大のポプラ並木は平成16年9月の台風で倒木する前だったから映画第三の男のラストシーンよろしく並木道を自由に散策できた。そして鎌倉詣での際、鶴岡八幡宮のご神木、大銀杏を必ず目にしていた。

樹齢800年以上ともいうご神木が倒れたとの突然のニュースには驚いた。栄え茂り元気だった姿しか印象にないものだから、落葉し幹と枝ばかりの姿が横たわった不条理さ、釈迦入滅の涅槃図のような光景に無常感を味わった。できれば見たくなかった現実の姿がそこにあった。

再生への試みは哀しみを希望へと上書きする。切断した根元の移植をはじめ、地中に残った根に新しい土を入れて若芽を育てようとしたり、先端部の枝100本を挿し木で根付けしようとしている。倒れる前とは姿や形は違うが、大銀杏の生命体そのものを生かし、育て、継承するために八幡宮は力を尽くしている。

もの言わぬ瀕死の古木を救済しようとする善なる意志に気持が安らぐ。これから新緑の季節がやってくる。山々で若葉が生命賛歌のモザイク画を描いていく。巨木大観と併せ、緑の風を存分に吸い込んで体の隅々の細胞にさらなる元気を与えよう。
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これにて読了 暗夜行路

2010-04-04 | Weblog
志賀直哉が26年もの歳月をかけて完成させた長編暗夜行路を読み終えた。岩波書店発行の志賀直哉全集第5巻、前篇後篇仕立てで4部構成の大作だけに読む方も気力、体力、根気が求められた。長編を読むのは山登りにも似ている。なだらかな高原もあれば、急峻そそり立つ岩場もある。トレッキングあり、フリークライミングありだ。読み続ける時間をつくりだす仕切り技も要る。でないと途中放棄か永遠の休息となり、本は閉じられたまま再び読まれることはない。

暗夜行路は性愛小説である。ラヴ&セクスの物語である。しかも頭に禁断の、が付く。暗夜とは禁断、禁忌とも言える。どういうことか? 主人公の小説家、時任謙作は祖父と母の間に生まれ、祖父の妾と同居し、その妾に結婚を申し込んだり、人生仕切り直しで新妻を得たものの、その新妻が従兄と間違いを起こす。これらが大きな行路として、この小説を貫いている。

ラブ&セクスの本流から、東京、広島・尾道、京都、京城(ソウル)、山陰・大山が舞台となる支流が広がり、支流につながる渓流として犬や子猫、トカゲの描写がある。本流のおどろおどろしい展開に比べ、支流の風景描写や渓流の動物描写は簡にして要を得て淡麗なる文章で、志賀直哉の本領とも言うべき表現に満ちている。美しい所作と同じ意味で美しい文章だ。
  
志賀直哉はなぜ暗夜行路を書いたのだろう。志賀の断り書きがある。「長篇は自分の柄でない気もするが、短いものばかり書いていると、時々は長い物にも手がつけて見たくなる。それに暗夜行路も話としてはまだ大分先があり、或る機会にそれだけ書き上げて置かないと、何時までもそれにつきまとはれさうで清々(せいせい)出来ない」。小説家として長篇をものしたかった。ただそれだけだ。

謙作。その名前は市井の普通人っぽいが、取り巻く性愛環境は普通ではない。暗夜行路に関する作者の言葉がある。「此小説の主人公を作者自身であると思ふ人があり、批評でもさういふ見方で批評したものもあるが、何処まで作者自身で、何処からそれを出た人物かを説明するのは困難だ。謙作の出生にからまる事実は総て架空の想像であり、謙作の祖父、兄の信行、お栄などには遂にモデルを見出す事が出来ず了ひになった」。主人公の境遇は虚実相半ばするし、一部の登場人物にはモデルはいない。逆の見方で言えば、主人公のある部分は真実だし、登場人物の一部はモデルがいる!

小説家は真実を虚構めかし、虚構を真実めかして書く。衝撃的な展開で世評を引きつけ、作者がしゃしゃり出て来て真顔で創作余談として作品を援護する。「これは実話を基にしているのですか?」。小説家冥利に尽きる質問じゃないか。「はい、そうです」。傑作をものする小説家はこんな返事はしないだろう。日本の性愛小説の最高峰は源氏物語だろうが、暗夜行路もいいとこいってるよ。
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