おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

臍下丹田3丁目1番地

2012-10-31 | Weblog
軽佻浮薄を退け、まずはどっしりと構えること。面構えは大事である。

風が吹こうが、雷が鳴ろうが、堂々としていること。微動だにしない胆力を養っておくべし。

素人剣術にようにやたら振り回さないこと。場数ではなく、場の質を高める。

時宜を得て刀身を鞘から取り出し、錆ついていないかを確かめて新鮮な空気に触れさせる。

縦に振り下ろし、横に真一文字に空を切って、機能に落ち度がないか探る。

清潔第一、整理整頓を旨とすべし。秘すれば花であるが、その花は美しくなくてはいけない。

いざという時、この日のためにという機会に備えて、常在戦場の気概を持っておくこと。

他人の振り見て、わが振り直せ。他山の軽石を眺めて、わが身を重石にすべし。

顔と同じように風格があること。加えて品格も大事である。風格はあるが品格がないは失格。

自らを慈しみ、相手も慈しむ。和をもって尊しである。

動かざること山の如くだけでは、休火山となってしまう。忘れない程度に噴火すべし。

名刀の主であることをひけらかさない。慎みが評価を高める。

名刀は貸借対照表に似ている。それは始まりとしての資本であり、生まれいずる負債でもある。大事なのは、資本と負債から生じる子供である資産の中身だ。

蓼食う虫も好き好き、というのもある。主である君だけでも家来を見捨ててはいけない。

時折、謀反を企てたりするが、君に一生お供する家来はどこを探してもほかにはいないだろう。





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BOSSが挑む家庭料理

2012-10-28 | Weblog
ただいまと言えば お帰りと応える 君がいる

上着を脱ぎ ネクタイを緩め ベルトを外す

部屋には家庭の空気が満ちている

寝床の枕 豚毛のブラシ 下着が入った籐家具

手と顔を洗い うがいをし タオルで口元をぬぐう

背伸びをし 首を回し 湯呑に緑茶をそそぐ 

一服しながら 外の景色を眺める 

樹木を見て連想する 男子厨房に入るべし

初冬に備えて鍋料理をつくろう

心身ともに ほのぼの そんな家庭料理に挑もう

ストロガノフ 薄切り牛肉とマッシュルームでいこうか

ボルシチもいい 角切り牛肉に玉ねぎ にんじん じゃがいも キャベツ 野菜たっぶりで

ロシア料理があれば フランス料理もあり ソーセージと野菜でつくるポトフ

煮込み用スパイスは ローレル ブラックペッパー ローズマリー

月曜はストロガノフ 火曜はボルシチ 水曜はポトフ

木曜は和食で湯豆腐 金曜も和食でおでん こんにゃく だいこん がんもどき

土曜は週末気分を味わおう 魚介類と野菜でつくるパエリア

魚介類は海老に烏賊とあさり 野菜は玉ねぎとトマト 

煮込み用スパイスは ローレル ブラックペッパー ローズマリーが再登場

玉ねぎは1㎝角 鶏肉と烏賊は1口大 トマトは湯むきしてくし型 あさりは砂抜き

頭で描き 舌で味わい 胃袋で満足する

1週間を日替わりで生きるのが愉しくなる

日曜日はブランチで こんがり狐色の食パンにぬるめの豆乳とゴマドレをかけたレタス

食パンを塗り絵みたいに 無塩バターに蜂蜜を垂らす 蜂蜜にシナモンシュガーを振りかける

オリーブオイルにシナモンシュガーを振りかける オレンジマーマレードをたっぷりと塗り付ける

まだある よくこねた納豆を乗せる いずれも今日のブランチで試したものばかり

日替わり料理に合わせて赤ワイン 選ぶのはワインエキスパートの君 テイスティングの仕草はタキシード姿の君を想わせる

料理の隠し味は愛 ワイングラスを寄せ合って 君の唇に乾杯 







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武道から書道へ

2012-10-19 | Weblog
10代から20代にかけての春秋に富んだ頃は武道にいそしんだ。吉川英治の宮本武蔵を読めば、剣道の世界へ。竹刀、木刀の千本素振りに励み、剣士気分に浸った。真剣のずしりとした重さは人を殺傷する武具の凄みが伝わってきた。剣や棒などの武具がなくても、身の周りの物を武具にすることができることも教わった。爪楊枝、箸、箒、鉛筆、ボールペン、大根、人参、じゃがいも……と台所は凶器がいっぱいだ。柄の長い箒は棒術としての活用大である。柄の先端は槍となり、ごみを掃く部分は顔面への目打ちとなる。

ブルース・リーがクンフー映画で披露して一躍知られるようになったヌンチャクも、一度は試してみたい武具の1つだ。練習にはヘルメットを被ったり(打撃後に跳ね返って来て自らの頭部に当たったりする)、コンクリート製電柱を人に見立てて練習していた猛者もいた。トンファーとかサイといった武具もあるが、これは写真でしか見たことがない。こんなのを街中で持ち歩いていたら、確実に職務質問の対象となるだろう。

武具を使った武道の最大の弱みは、武具が手元にないときの対応である。素手で戦う自信がなければ、36計逃げるに如かず。背中の方から「逃げるのか、いくじなし」「腰ぬけ」と罵詈雑言を浴びても、とにかく逃げること。身を守る最大の術はまんず逃げるというのは動物界の鉄則であり、人間もまた同じだ。台風、地震、津波の直撃に遭いそうになったら愛用の剣や竹刀、棒、ヌンチャクを打ち捨てて体1つで走り去ろう。

素手で戦う自信がなければ、自信をつけようというのが武道の次の段階だ。拳法、空手、拳闘、柔術、合気といったように自らの手足、胴体が武具となる。見せるための演武があれば、実戦形式の乱捕りや寸止めなしの組み手があったりする。鼻血を出し、頸椎がずれ、鼻骨がゆがみ、拳の軟骨が飛び出してくる。もちろん胸の骨にひびが入ったり、手や足の指の骨折、捻挫は当たり前の世界となる。最近はあまり聞かないが、過去には集団リンチでなぶり殺されたりする事件も起きた。稽古で頭を強打して帰らぬ人となることもある。

少々のことは素手で対応できる段階の次は、武道を使う必要のない世界である。肩で風切り、居丈高なたたずまいは、相手に武具を使うように教えているようなものだ。武道の心得が十分ある一方で、武道をたしなんでいるようには見えないことが大事だ。小柄なかわいこちゃんが一撃必殺の武術の主にはどう見ても見えないというのがいい。武術をたしなんで、その武術を使う必要がない日々を送る。肉体や武具を使った争いをすることがない人生を過ごすことこそ、武道の奥義である。誰かの息の根を止めた者は、誰かに息の根を止められる。人を殺めてはならない簡単な理由でもある。

武道の世界を突き抜けた果てに何が待っているのだろうか。そこには1日24時間という時の流れを愉しむ術が広がっている。一撃必殺の思いも要らないし、板やブロック、瓦を割ることもない。剣や棒を振り回すこともしない。諍いに近づくこともない。日々の中の不快は著しく減少し、気の持ちようでは限りなくゼロとなる。今、もっとも気分を落ち着かせるもの。それは書を書くこと。NHKの書の番組は見ていて参考になる。書家が墨痕鮮やかに漢字をしたためる。楷書、行書、草書、隷書の字体が美しい。毛筆でなくてもいい。ボールペンや鉛筆でチラシの裏に自らの名前を漢字の縦書き、横書きで書いてみる。アルファベットを使ってみる。字体に変化をつけて独自の書き方をしてみる。武道で始まり、書道で終わる。ペンは剣よりも強しは、やはり真実である。


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味噌田楽で天下の秋を知る

2012-10-08 | Weblog
紅葉の下見を兼ねたロケハンで長崎は島原半島の雲仙を画家とともに目指す。1990年11月に198年ぶりに噴火した雲仙・普賢岳はマグマを噴きだし平成新山を誕生させた。雲仙は避暑地としても有名だが、紅葉や霧氷の名所としても知られている。グリーンロードという国道並みに整備、舗装された農道をロケハン車で走る。休日でありながら渋滞はなく、貸切状態の運転となる。青空の下、黄色く色づいた稲穂の風景が広がり、実りの秋を実感させてくれる。

昼時となり、腹ごしらえをしようと道路沿いの一軒家の食事処に立ち寄る。車から降りると、秋風が吹いている。月日が進むと寒い風になるのだろうが、今はここちよい風となっている。秋風に乗って周りに広がる風景の香りがした。乗用タイプの農機を使って収穫をしている。香りの主は刈り取られた稲穂だった。この食事処、外観からはあまり感じないが、中に入ると実に巨大な空間が広がっている。床面積は200坪は軽くありそうだ。床の広さに加え、高さ8メートルほどの天井は大きな梁組みを見えるようにしてあることで、悠然とした雰囲気を作り出している。中央部分のカウンター席を囲むように座敷がしつらえてあり、食卓は囲炉裏にして掘りごたつ式となっている。

広さと高さのある空間に身を置くと気持がのびのびとなってくる。生きることは食べること。画家と意見が一致し、地産地消で味噌田楽を注文する。「出てくるのに時間がかかりますよ」と仲居に念を押されたが、車窓から豊かな田園風景を眺めてきて鷹揚となった気持ちから「そいで、よかよか」と応じる。注文から5分、10分、15分と時間が過ぎても、腹も気分も落ち着いている。囲炉裏に付きものの灰や自在鍵を眺めたり、窓の外の柿を話題にしたりと談論風発である。収穫をする農機が後進するときの警告音、ピーピーピーが不定期に窓の網戸から店内に入って来るが、それもまた田園のBGMと思えば気にもならない。

火を起こして真っ赤になった炭が10個ほど運ばれてきて囲炉裏の中にある五徳の内側に焚火をするかのように円錐状に置かれた。炭火の穏やかにして、静かなる熱気と赤色。まもなくして竹串に刺された食材が運ばれてきた。塩焼きにするための鮎、椎茸、里芋、茄子、ししとう、こんにゃく、がんもどき、焼き豆腐。田楽の食材とは別に御膳が目の前に置かれた。揚げ出し豆腐に手作り豆腐、新鮮サラダ、旬の付き出し、香の物。のちほどご飯と豚汁。田楽の味噌は柚子味噌と大葉味噌の2種類が配膳された。

五徳の上の金網に田楽の食材を置いていく。炭火でじっくりと炙る。寿司屋で炙りサーモンを注文すると、火炎放射器ごっこよろしくバーナーで瞬時に焼いて「へい、お待ち!」というのとは訳が違う。画家が言う。「炙るっていうのは、こんな風に炭火でゆっくりと丁寧にやることだよね」。じっくりと焼き上がる合間に会話を交わし、食材の焼き加減を見ながら裏に返したり、表に戻したりを何度となく繰り返す。

ぬるぬると滑らかだった鮎が塩焼きとなり、表面がぱりぱりとなって、焦げや膨らみを見せると串ごと取り皿に移す。箸で身を起こして口元へ。焼き魚の香りを味わい、口中で鮎の白身と塩焼けした表皮の旨みが広がる。唾液も歓喜して鮎に絡みついている。がんもどきも外はぱりぱりと焼け、中身はほかほかで柔らかい。味噌をつけた焼き豆腐も、手前味噌だが豆腐がこんなにも旨かったかと思えるほどの絶品だ。網の焼き目を付けたこんにゃくも、味噌の味とこりこり感の組み合わせが絶妙である。

体操競技のフィニッシュとなる着地に当たるのが、締めの珈琲である。注文から食べ終えるまでに約2時間半。悠然と待ち、鷹揚に構え、丁寧にゆっくりと食し、出された食材を1つずつ吟味し味わい尽くす。食べながら会話し、会話しながら食べる。この2つの行為を何度も繰り返して食材は消えていき、食器は空となっていく。稲穂はのどかに垂れ、風ものどかに吹き、雲ものどかに流れる。のどかに腹ごしらえをしたわれわれも「そろそろ行きますか」「そうしましょう」。店を出ると、隣接の長屋が野菜売り場となっている。「入ってみましょうか」「そうしましょう」。寄り道も人生も悠然と構えると味わいがにじみ出るものである。





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ゲッティング・ビンラディン

2012-10-03 | Weblog
新刊のノンフィクション新世紀(河出書房新社)の中に、アルカイダの頭目オサマ・ビンラディンの隠れ家を米海軍特殊部隊が急襲し、殺害に至るまでの様子を再現した作品が日本語訳で掲載されている。作品は暗殺から3カ月後の2011年8月、ニコラス・シュミドルが雑誌ニューヨーカーに執筆し、WEB版でGetting Bin Ladenを原文で読むことができる。

ビンラディン殺害後、新聞やテレビなどのメディアがエッセンスを紹介していたのを思い出す。「胸と左目の上に銃弾を撃ち込んだ」「ジェロニモ、E.K.I.A.」。ジェロニモはビンラディンを指す隠語であり、E.K.I.A.はエネミー・キルド・イン・アクションの頭文字を取った略語で、作戦中に敵を殺害の意だ。ホワイトハウスで殺害を聞いたオバマ大統領が口走った「We got him(やつを仕留めたぞ)」も新聞で読んだ。2001年9月11日の同時多発テロから9年と7カ月と27日、米国の諜報機関と軍が総力を挙げて1人の男を追いかけて探し出し、その人生を終わらせた感慨が端的に出た表現だ。

作品はハリウッドのサスペンスドラマ仕立ての読み物となっている。映画かなにかを見ているような感じで頁が進んでいく。流れは大きく3つに分かれる。隠れ家とほぼ見定めてから、殺害方法を検討する部分。隠れ家を急襲し殺害に至る部分、そして殺害後の遺体の搬送と水葬、オバマ大統領の対応部分。攻撃は空爆、地下トンネル、ヘリによる急襲の3案が検討され、より確実で手際がよい方法としてヘリ急襲が決定される。

作戦の関係者が語る。「特殊作戦とは相手が予測できないことを行うのであって、この場合はヘリがやってきて、男たちを屋根の上に下し、庭に着陸するというのが、おそらくそれにあたるのです」。夜間、暗視ゴーグルを付けて武装した特殊部隊が急襲する方法はアフガニスンでは常習化しており、効果が検証されている作戦らしい。国防省の高官いわく、「この数年間、夜毎に実行されてきたニ千近い作戦の一つにすぎなかったのです」

隠れ家を急襲した特殊部隊員たちは、事前に何度もやった模擬訓練通りに室内を探索しながら、暗闇の中で護衛を殺害し、ビンラディンが潜んでいた寝室に辿り着く。2人いた妻が盾となって立ちふさがったが、1人の妻のふくらはぎを撃った後、妻たちを抱きしめて脇に押しやった。固まったビンラディンの胸に銃の赤外線レーザーを向けて発砲、倒れた直後にとどめの銃弾を左目の上に撃ち込んだ。特殊作戦の関係者は語る。「拘束や確保という考えはありませんでした―とっさの判断ではありません。拘束なんか誰も求めていませんでした」

衛生兵が遺体に注射針を刺して骨髄のサンプルを取り、綿棒でDNAを採取した。遺体はヘリでパキスタンからアフガニスタンに運ばれた後、航空機オスプレイの貨物室に載せられてアラビア海で航行していた原子力空母カール・ヴィンソンへ。遺体は洗われ、白い埋葬布で包まれて重しをつけられ、さらに袋に納められて海に投下された。9・11テロ後に続いた長い潜伏劇の最後の場面である。

刺激的な事実で構成されたノンフィクション作品だった。特殊部隊にとっては9・11テロへの復讐譚であり、米国という国家にとってはテロリストの息の根を止めるまで戦い抜くという意思表示である。映画であればエンドマークが出て劇場の外の現実に戻れるが、ビンラディン殺害というエンドマークの後、戻るべき現実への出口が見つからない。作品を埋め尽くした文章の世界は、読み手の世界に切れ目なく繋がっている。9・11テロのときと同じように、憎悪がもたらす暴力や災厄、不毛が現実を覆い、そこから立ち上がる不穏と不快の中に読後感は漂っている。



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