おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

散文的な とっても散文的な2023歳末光景

2023-12-31 | Weblog

太古の時より東から上がってくるお日様。人が黄金に惹かれるというのは朝陽の色合いに感銘してきたDNAのなせることなのかもしれない。なくてはならない電気の時代らしく、電柱と電線は身の周りの景色を遠慮なく、かつ忖度なく、目いっぱいに切り刻む。

 

猪がいるから畑が荒らされるのか、畑があるから猪が荒らすのか。人間の判定は猪がいるから、となる。猪からすれば、そこに食べ物があるから食べただけ、何がおかしい、となる。それで風景を分断するフェンスが各地の畑の周囲に延々と設置されていく。さて、猪はどんな手を打ってくるのだろうか。

 

夏の盛りに栄えた植物たちは冬の到来とともに寒さに凍えて命を終える。緑の葉を落として生命力の温存を図ることで春先に花を咲かせて命をつなぐ樹木がある。環境に適応できる生き物が生き残る。そんな生物の真理を感じる歳末でもある。枝に蕾を付けた梅の木の根元に枯れて引き抜かれた鶏頭が折り重なって横たわっていた。

 

寒くなれば人は暖房と防寒具で乗り切っていくが、水仙という植物はそんな寒さを物ともしないみたいに平然として緑の葉を伸ばし白い花を咲かせる。真冬の厳寒の中でもめげない。なぜなの、教えてと声を掛けたくなる。まあ、黙して語らず。その清々しさが答えみたいなのだが。

 

それをやらせる人間がすごいのか。それをやってしまう槇の木がすごいのか。どうして、こんな曲芸じみたことをさせるのか。その一方で、どうして、こんな曲芸みたいなことができてしまうのか。どっちもどっちだなあ、と想いながら、じっと見入る。

 

朝のウオーキングをしていると、背後から雀の一団が追い越して前方の生垣の上に一斉に並んだ。わたしが歩いてくるのを一団がじっと見ている。歩みが進み近づいて行くと、最初の1羽がすかさず逃げの羽ばたきを見せた。それに続くように2羽、3羽と飛び去る。それでも居残る組もいる。さらに近づいてスマホで撮ると、さっと一斉に飛び立った。少し先の電線の上に一団は居座り、高見からわたしが通り過ぎるの見守っていた。どうも、遊ばれたようだ。スマホ写真で青丸で囲んだのが居残り組の一部の雀たちだ。

 

今日の田園風景に欠かせなくなったものはと言えば、太陽光発電装置だ。後継者難などで利用されなくなった農地が変貌していく。作物ではなく、太陽光パネルが金を生み出す。この金の卵はどこまで田園に広がっていくのだろうか。

 

中学校の校門そばにある掲示板の前を通る。正月を踏まえた張り紙。生徒会の手書きだろうか。辰があり、富士山があり、達磨がありと賑やかで、正月気分を味わえる。

 

正月気分なら、これぞ決定版だろう。ご近所の門前に飾られた門松である。見るからに福が集まってきそうな良い気分になる。青竹の切り口が福笑いしているようだ。まさに笑う門に福来る。心地よい歳末で心地よい新年を迎えよう。

 

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クリスマスの後に 聖夜+1

2023-12-26 | Weblog

聖夜で洋風気分を味わった翌日は和風の気分へ。珈琲、紅茶も好きだけど、朝の目覚めの1杯の白湯に続いて頂くのが緑茶である。急須に湯を注ぎ、しばらく待って後、湯呑みにゆっくりと注いでいく。体が緩やかに目覚めを感じ、心は茶の湯を味わうひと時があることで落ち着いていく。1日の始まりが不快にして穏やかでない朝のニュース報道ではなく、澄んでいながら味わい深い茶葉であるのは、小さいけれど、とっても大切なし・あ・わ・せ時間である。

和風家屋の玄関を上がり、長い廊下の先には茶室に隣接する水屋がある。

心と息を整えながら廊下をゆっくりと進んでいく。

 

さまざまな茶器が置かれている。穏やかさと落ち着きという和のこころが感じられる。

 

右上隅の壺が目に入る。なにかしら絵が描かれている。さらに近づいてみる。

 

なんだろう、これは。なにやら、吸い寄せられるような気分になってくる。

 

なるほど、こうゆう仕掛けがあったとは。天空で舞う龍である。新年の干支がわたしを引き寄せたのか。ジングルベルの音色が収まった聖夜の翌日。わずか1日経過しただけで聖夜は遥か遠くなりにけり。除夜の鐘が鳴り始まるまで、あと少し。

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クリスマス当夜 聖夜0

2023-12-25 | Weblog

クリスマスの朝、知り合いの夫婦は夕食について語り合った。

夫が提案した。外は寒いだろうから出前のピザでもどう?

妻が返答した。クリスマスだから出前ピザには注文が殺到して大忙しでは? 外に出て食べた方がいいのでは。

納得した夫が思案の揚げ句に再提案する。外食でイタリアンか、もつ鍋でどう?

夫婦の想いが一致して結論が出た。もつ鍋にしよう!

夕刻になって夫婦は数年ぶりに訪れることになるもつ鍋屋で待ち合わせをした。1席だけ予約なしで座れる席がたまたまあって二人は店員に案内された。ラッキーなクリスマスである。あちこちの席からもつ鍋の香りが漂ってくる。食欲を高める香りは姿が見えないソムリエである。

箸付けは馬刺し3点セットである。中とろ、たてがみ、赤身。摺り下ろしたにんにくと生姜、しゃきしゃきの玉葱、刻まれた葱、紫蘇が脇を固める。タンパク質の塊である肉が持つ、とろりとした味わいが全身に広がっていく。

 

博多名物とされるもつ鍋の登場。丸腸、韮、豆腐、キャベツに唐辛子と勢ぞろいしたオールスターを味噌味が出迎える。交響曲にならえば、交響旨味となるだろうか。火を通すことによってそれぞれが持ち味を出し合いつつ、鍋ならではの混合された旨味が一体となって舌を絡めとる。胃袋も腸も大歓びして旨味を吸収しているのが分かるのである。

 

こってり感で満たされ高ぶった食欲を鎮めるために場所を変えて喫茶店へ。温かい珈琲とフルーツサンドにフルーツポンチである。食べるエネルギーを強力に使った後の体のクールダウンでもある。もつ鍋と比べると、とても慎ましい組み合わせに見えてくる。

聖夜の夕食をしっかりと堪能した後は、聖夜の雰囲気を味わおう。

赤と緑の玉で飾り付けれられたクリスマスツリー。今夜ばかりは店舗の主役となっている。どんな商品よりも輝いている。

 

屋外ではイルミネーションで彩られたクリスマスツリーが女王然として人々の関心の的となっていた。

 

富士に月見草が似合うように、聖夜の光には恋人たちがよく似合う。2人に幸せあれ。

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クリスマスの前に 聖夜-1

2023-12-24 | Weblog

令和5年こと2023年の歳末である。聖夜、仕事納め、大晦日と続く師走の役者たちがいつものように通り過ぎていく。コロナ禍が一段落したものの、政治、経済は冬空のように、先行きがどんよりとしている。年が改まることによって気分一新といきたいところだが、さてと辰年はどうなりますか。残り少ない歳末に想いを巡らしてみよう。

 

真っ赤に花を咲かせて燃え盛るような山茶花。氷点下になっても、この元気の良さ。どこから来るのだろう。この厳しい自然の中で生き抜く生命力の逞しさは。

 

こちらも燃え盛るという意味では山茶花に負けてはいない。蝋梅ことロウバイである。春先に黄色い、文字通り蝋細工のような可憐な花を付ける。今は固く閉じた蕾を枝のあちこちに点在させて開花の時期をじっと待っている。前座として緑だった葉はすっかり黄色の葉となって山茶花と姸を競っている。

 

雪が積もった山頂に夕陽が当たって燦然と輝いている。神々しい風景でもある。キリマンジャロの雪を連想する。男が死の間際にかかわった女性たちのことを甘く回想するヘミングウェイの短編である。人生に妙味があるとすれば、それは心に染み渡るような愉しい想い出の数々だ。それでサヨナラはGOODBYEとなる。人生とのお別れも、また然り。

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光ありて 朝な夕な夜に

2023-12-05 | Weblog

朝の光

♪もーにんぐ もーにんぐ きみのあさだよ もーにんぐ もーにんぐ きみのあさだよ

寝床から起きて鼻歌をしながらベランダに出ると、陽はけっこう上がっていた。あまりにも心地よい陽ざしだったので、スマホで今のひと時を空間から切り取ることにした。写真のボタンを押して画像の出来栄えを確かめる。そこに一筋の光が差し込んでいた。幾億万もの光の中から選抜され、使命を帯びたような光線が画像の中で一直線に突っ切っていた。

光線は肉眼ではまったく視界になかったが、スマホのカメラはしっかりと捉えていた。断わっておくが、画像の加工ソフトを使うでもなし、流行りの生成AIによる作画でもない。左脳はレンズのいたずらと想っているが、右脳は神の降臨だと固く信じている。

 

夕の光

夕食までもう少しという時間帯に窓の外を見ると、夕焼けがコマ落としのように変化していた。オーマイ、ガッデス! バルコニーに出て、スマホのカメラで数コマを撮り続ける。ほぼ1分間ほどの華麗なるスライドショーだった。

ラインの友人たちに画像を送信する。賛辞の返信が届く。「壮大なる夕景です!」「おお、すごいなこれは。2度と再演されない自然の大スペクタルだな。どんな曲を被せようか」。音楽通の友人が上げたのが、この曲。「これがいい。レイクエムより怒りの日・ヴェルディだ」。結構迫力ある曲である。実景を生で見たわたしが選ぶ曲は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章。夕焼けが始まる前の静寂の世界から、夕焼けの誕生と時々刻々の変容、そして消え去り暗くなって静寂の世界へと戻るまでの様子を第2楽章は奏でている。そんな想いだった。

 

夜の光

♪どんどん でぃんどん しゅび だどん 夜が来る どんどん でぃんどん しゅび だどん 灯りがつく あの街 この街 黄昏て 紫の夜が来る

車のハンドルを握って帰路に就く途中、信号待ちで交差点で停車した。フロントガラスの斜め前方へ視線を向けると、マクドナルドの灯りが目に入った。赤、黄、白の電飾が交差点の一角で浮かび上がっていた。自然は人口の光でできた景色の中に黄色い丸を描き添えていた。

変な位置にあるネオンだと想って、よく見たら、月だった。マックの黄色いMの文字に惹かれたのか。なにせMOONのMだからね。今夜食べるとしたらビッグマックよりは月見バーガーがお薦めだ。月を見ながらパクリとね。

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