おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

王様の野菜づくり

2011-02-27 | Weblog
野菜をつくろう。わたしの好奇心もとうとうここまで来てしまった。肉食中心から野菜中心の食卓が日常生活となって早数年。肉の生命力は瞬発力があるが太くて短い。野菜の生命力は持続力があり細くて長い。野菜は地中に根を張り、土を下から蹴破って芽を出し、葉を太陽にさらし、酸素を吐き出す。こんな生命力を持った野菜がわたしの体に入り込み、消化されて血と肉となる。

肉食とは異なった体付きが出来上がりつつある。とりあえずヴェジタブルマンと仮称しておく。キャベツ、レタス、トマト、タマネギ、ニンジン、グリーンピース、コーン、ニンニク、ピーマン、キュウリ、長芋、ショウガ、バナナ、リンゴ、米、麦の生命力を胃と腸が目いっぱい吸収し五体に行き渡らせる。潤滑油役はエキストラヴァージンオリーブオイルとカベルネ・ソーヴィニヨン種の赤ワインが任じる。首から下がミケランジェロのダビデ像状態だ。首から上はダビデ像とはまったくの別人ではあるが。

ヴェジタブルとストレッチとウオーキングが生み出した体付きとなった今、農業人のひと言が心に残った。「自分でつくる野菜はもっとうまいよ。それに野菜と会話できるようになる。面白いよー」。そうだな。自分でつくってもいいんだよな。つくってみようかな。

指南を受ける。名言が頭に入っていく。野菜づくりは土づくりだ。耕して土中に酸素を入れるんだ。土を弱アルカリ性に保つ。石灰を畑に入れるんだが、粉よりは顆粒の方が固まらずにいい。連作障害を防ぐために作付する場所を毎年変える。初級者が育てやすいものとしてはシュンギク、フダンソウ、ホウレンソウ、などなど。話を聞いているだけで栽培意欲が増してくる。

さっそく庭の一角で鍬を土に打ち込んで畑をつくっていく。いにしえから農耕民族であったというDNAが覚醒したようだ。土が掘り起こされて腹を太陽にさらしているのを見て気分が高揚する。杵でもちをついたり、ナタで薪を割ったりするのと共通する快感がある。体のいろんな筋肉を使って鍬を振るう。時折、土の中の石に鍬が当たって、カチーンと痛そうな金属音が響く。10坪ほど土起こしをして初日を終える。

野良仕事の醍醐味は生命力を育てることにある。誰かに売るためではなく、わたし自身が食べるためにつくる。出来がよければおすそ分けもしよう。ど素人だから天候に泣かされるだろう。たくさんの失敗もあるだろう。たくさんの虫や病気に襲われるだろう。手間暇かかるだろう。それでも、わたしは自分でつくったものを食べてみたい。相当先のことになるのだろうが、野心をかすかだけど持っている。それは葡萄の木を栽培し赤ワインを自分でつくること。カベルネ・ソーヴィニヨン種でできるかな? いちおう酸化防止剤無添加を目指しているんだがね。



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革命の終わり

2011-02-16 | Weblog
脱官僚・政治主導を掲げて2009年9月に誕生した民主党政権は日ごとにその魅力と実行力が色褪せてきている。マニフェストにあった政策も財源の裏付けが乏しかったため、先細りと見直しの波に洗われている。政権交代で自民党政権よりましな政治、ましな政策、ましな経済、ましな展望、ましな外交、そして良き変化を期待した有権者は多かったはずだが、大方、失望と落胆の渦中にあるのではなかろうか。

政権の求心力の低下は前職、現職ともに首相の言葉の軽さにある。自信とは最もかけ離れた、力の無い目つき、疲れた冴えない表情が憂鬱と不快をまき散らしている。力強い言葉と自信に満ちた表情がポスターの中だけでは困るんだ。法案を通すためとは言え、管政権の野党への右顧左眄ぶりは、政治力や交渉術の底の浅さが浮き彫りになっている。

尖閣諸島問題で中国が、北方領土問題でロシアがそれぞれ勢いづいたような発言をしているのは、民主党政権の脆弱さを見透かした上でのこととしか思えないほどだ。自国と国民の財産と利益をこの政権は守ってくれるのだろうか。そんな胆力はあるんだろうか。消費税による増税と年金支給の繰り下げの論理構成で頭がいっぱいという状態で、国民の生活が一番という政策を継続して実行できるのだろうか。

政権交代時の期待が大きかっただけに、現状は疑問、懸念、不安が先行する状態だ。このまま行けば、春の統一地方選挙で民主党は大敗を喫するだろうとの予測は当事者も分かっているに違いない。金も知恵も回らない政権はどうなっていくのか。革命は頓挫し、政権が崩壊していく様をニュースが伝える日々となるのだろうか。政治的に国民は漂流することになるんだろうか。冗談抜きでサーフィンとかヨットの操作を習っておいた方がいいんだろうか。

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食欲の暴走 カンブリア紀的爆発

2011-02-07 | Weblog
監督オリバー・ストーン、主演マイケル・ダグラスの「ウォール・ストリート Money Never Sleeps」には、投資とお金にまつわる気の利いたセリフやナレーションが幾つもあった。その中で印象に残ったのが、5億数千万年前に起きた生物の進化の大爆発となるカンブリア紀の話。多種多様な生物が突如として一気に出現したのだが、なぜなのかを説明できないとして神の謎と言い回ししていた。バブル経済を説明する道具立てとしてカンブリア紀を援用し、バブルが膨らみ、弾けて、投資家の淘汰があり、このサイクルが繰り返されると結んでいた。映画ではシャボン玉が象徴として使われ、空高く舞い上がる場面や投資による富がもたらす賑いを彩る場面があった。

経済にバブルが起きるのは、金に対する天井知らずの強欲だと思えば分かりやすい。金と食はまとわりついて離れないものだが、食にバブルが起きるのはどういう理由だからだろうか。映画を見る15分ほど前にマクドナルドのハンバーガーとコーヒーを胃袋におさめていた。映画を見終えてすんなり帰宅して夕食を取るはずだった。異変の端緒は車を運転して自宅に戻る道すがら、なぜか、チリワインの赤を呑みたくなったことだ。カベルネ・ソーヴィニヨン/メルロ。ワイングラスに赤ワインが注がれ、右手で持って飲み干す情景が頭に浮かぶ。ワインの鮮やかな赤色が3Dとなって網膜に勝手に浮かび上がる。なんでチリワインなんだ? どうして今なの? 疑問を呈しながらチリワインを並べている店を探している。

店を見つけ、チリワイン1本を買おうと勢いつけて店に入った。店を出るとき、チリワインの他に、炭火焼き鳥(もも、皮、つくね)、焼きすなぎも、カスタードホイップふんわりワッフル、マカロン(ショコラ、ストロベリー)、ブドウ味ナタデココ入りゼリーを手にしていた。食欲のカンブリア紀的爆発が起きたらしい。なぜ、こんな取り合わせに? 尋ねられても分かりませんとしか答えられない。神の謎と言うか、食欲の謎としか言えない。

帰宅後、頭に描いた通りの情景となった。ワイングラスにチリワインが注がれ、鮮やかな赤色に見入る。チリワインの価格の10倍ぐらいの幸福感が漂う。憑かれたようにワインを呑み、温かい焼き鳥を1本ずつ丁寧に食し、こりこりとしたすなぎもをたいらげ、作り置きの野菜カレーをぺろり、ワッフル、マカロンを飢えた獣のように食べ尽くし、大ぶりのマグカップの抹茶オレで締めくくった。突如として日ごろの健康的な食し方を根底から覆したが、無秩序ながら妙に満足のいく展開となった。

食欲が暴走するには理由があるはずだ。その通り! わたしもそう思う。でも、自分がやったことながら、自分で説明できないのである。それに全然情けなくなることがないのが、また不思議なのである。なぜかは分からないのだけれどもね。
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南南東に進路を取れ 

2011-02-03 | Weblog
内海に面した街を訪れて海岸を巡る。沿岸伝いに渡れる小島が見えた。こんもりとした松林に覆われている。「龍神を祀っている小島があるということですが、あれですかね」。案内人が小島を指差して言った。岸から小島まで防波堤を兼ねた小道が続いている。最初の鳥居に差しかかる。市杵島神社と刻まれた石の額が掲げられている。小高い丘のようになった小島には細い階段が丘の上まで延びている。案内人とともに登っていく。鳥居をいくつもくぐって行く。

階段を上がっていくと松林の中に入る。風雪に耐えて幹をくねらせた松は龍の姿にも見え、樹皮は鱗のようだ。階段が終わると小道が真っ直ぐに続き、途切れた所に石組みの台座がある。台座の上に祠がある。「龍神が祀ってあるのかな」「そうですね」。案内人と短いやりとりをして、わたしは台座の階段を上がる。石造りの祠は扉が開かれており、本尊が据え置かれている。まずは賽銭を上げ、合掌して祈念する。本尊をじっと覗きこむ。龍の頭のようにわたしの頭が祠の中に入り込む。「大丈夫ですか」。案内人がか細い声で尋ねる。返事もせずに本尊に見入る。案内人の緊張が後頭部に伝わってくる。「弁財天だ。もう一度祈念しておいたらいいよ。ずっしりと財を成すかもしれない」。案内人はわたしの言葉を真に受けて弁財天に再び合掌、祈念した。

弁財天を祀った祠のそばに小ぶりの台座が並んでいる。そちらの台座の階段を上がり祠に見入る。鉄製の扉が閉じてある。台座や祠の周りには何も刻まれていない。「うーん、こちらには何が祀ってあるんだろう」「何でしょうね」。案内人が気の無い相槌を打った。2つの台座の周りを巡っていると、見計らったかのようにつば付きの帽子にジャンパー、長靴姿の初老の男性が現れた。小島のそばには船だまりがあったから漁師か、市杵島神社の管理人なのかもしれない。すかさず尋ねる。「左の祠は弁財天が祀ってありますが、右側はなんでしょうか」。間を置く間もなく男性が答えた。「龍神だよ」。わたしは案内人に向かって声を掛けた。「やっぱり龍神を祀っていたんだ」。案内人は役目を果たしたように安堵の表情をした。

「島の南側には夫婦岩があるよ。階段を下って島を一周する小道から見える」。われわれが不審人物ではないと分かったのか、男性は島の名所を教えてくれた。「夫婦岩? 注連縄で結んであるようなものです?」「いいや、標識代わりに石柱が立っているよ」。案内人とともに夫婦岩を見に行く。磯の香り、潮の香り、引き潮で露出した砂地の香りが漂う。「ほら、鳥がいる。オシドリ」「ほんとだ。つがいでいいねえ。夫婦岩にオシドリ2羽か」。石柱が目印の夫婦岩は岸から10メートルほど先にあった。幅2メートルに充たない岩が連れ添うように並んでいる。男性の助言がなければ、海面に突き出た岩場としか映らない。

島を一周する小道は100メートルあるか、ないかだ。回り始めの場所に戻ると、わたしは案内人に会う前のことをふいに言いたくなった。「きょうのお昼前のことだけど、飛行船が海上を飛んでいるのを見てきたよ。距離にして300メートルほどだったから結構でかかった。東京でも見たことがあるが、地方で見るのは初めてだった」。夫婦岩、つがいのオシドリと続いたので、吉兆のつもりで飛行船の目撃談をしたが、案内人は関心を示さなかった。わたしの意図が分からなかったらしい。まあ、いいや。わたしだけが分かる吉兆3題だから。

市杵島神社を離れて車中の人となる。案内人に尋ねる。「この街においしいたこ焼きか、お好み焼きはある?」。答えがすぐ返って来た。「ありますよ」。案内人に促す。「よし、腹ごしらえだ」。昼食には遅すぎで、夕食には早すぎる時間帯だったから、お好み焼き屋に客はいなかった。「お勧めを注文するよ」。案内人は「じゃ、ネギ納豆玉でいきますか」「なに、それ?」「関西風お好み焼きに納豆が入っているんですよ」「おいしい?」「おいしいです。たこ焼きもいけますよ」「じゃ、それも頼もう」。従業員が熱々の鉄板皿に乗ったネギ納豆のお好み焼きを運んできた。案内人が切れ目を入れる。箸で一つまみして頬張る。もちもちした中に納豆のぬるぬるした感触がいい。どうも、ぬるぬる、とろとろ、ぱりぱり系の食感には弱いようだ。たこ焼きが運ばれてきた。丸じゃない! 熱々の鉄板皿の上にある姿はお好み焼きそのものだ。平べったいたこ焼きか。虚を突いた形に軍配を上げる。味はたこ焼きそのものだが、タコが大きいのがいい。

「きょうは節分ですよね。恵方巻きで行きますか」。案内人は別れ際にお土産と言って巻き寿司を2本手渡した。パッケージのラベルには「おいしく楽しく福を呼ぼう!」のキャッチフレーズがあり、ほうほうの体で逃げる鬼の漫画が描いてある。節分は豆まきの方に親しみがあるが、案内人の好意に報いよう。食卓で赤ワインのつまみに恵方巻きを南南東に向かって頬張る。もぐもぐしながら頭の中でつぶやく。「きみの瞳に乾杯!」





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