おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

ジョジョと寅 笑いの中の哀愁

2020-01-30 | Weblog

戦後75年を迎える中、シリアスな戦争犯罪ゆえに正面切って笑えないナチズムをコメディー仕立てにしてあえて笑う。そんな映画を観た。ジョジョ・ラビット。米ソ両軍から挟撃され、敗戦濃厚になったナチスドイツを舞台に、ヒトラーユーゲントと呼ばれた少年兵ジョジョ10歳の男の子を主人公にした作品である。シリアスな戦争犯罪とは、ナチスが立案し実行したホロコースト、すなわちユダヤ人絶滅計画である。だから映画では、ヒトラーをはじめ、秘密警察ゲシュタポ、ヒトラーユーゲントの教官や少年たち、そしてユダヤ人少女が登場する。

コメディー仕立てと言ってもドタバタ劇ではない。ブラックユーモアと言った方がいいかもしれない。第一、登場するドイツ人たちはドイツ語ではなく英語をしゃべるのだから。これはハリウッド映画ならではの映画マジックというやつだ。英語圏の観客のためには英語をしゃべってもらわなければ理解できないよ、となるからね。この映画を見たドイツ人はナチスドイツが英語を話す訳ないだろうと首をまずはかしげるだろうが、わたしはそのうち映画の世界に引き込まれて気にならなくなる。ヒトラーユーゲントの少年たちはボーイスカウトみたいに野外で訓練に励む。テントを張ってアウトドアライフを愉しむためではなく、短剣を所持し手榴弾の扱いを学ぶ軍事訓練だ。ナチズムの意に沿わない書物をキャンプファイアーよろしく焼いてしまう焚書の体験学習もする。

ナチズムの小さな塊となったジョジョに対するブラックユーモアが、自宅の壁の裏側にユダヤ人少女が潜んでいるという設定だ。この作品はいろんな連想をもたらしてくれる。ナチズム非難はチャップリンの作品「独裁者」、少年ジョジョの風貌はギュンター・グラスの小説を映画化した「ブリキの太鼓」の主人公となる男の子、ユダヤ人少女は「アンネの日記」のアンネ・フランク、といった具合。ジョジョの話に戻ろう。なぜ、自宅にユダヤ人少女が隠れているのか? それはかくまう人がいるから。ジョジョはユダヤ人少女の存在に気づくのか? もちろん気付くさ。それでなければ話は進まないから。ジョジョはユダヤ人少女と言葉を交わすのか? 交わすさ。ユダヤ人を知るために。ジョジョはユダヤ人が自宅に潜んでいることを通報しようとするのか? しようとするさ。ヒトラーユーゲントの一員だから。それでユダヤ人少女はどうするのか? それは言えないさ。ナチズムっ子とユダヤ人少女の確執が始まるから。恐怖と滑稽、幻想と真実、思想と感性が、さまざまな形で2人を取り巻く中でナチズムは末期を迎える。2人はどうなったのか? 言えることは、多くのドイツ人たち、そして多くのユダヤ人たちが死んだということだ。なぜ、こんなことになったのか。そんな思いをこの映画はもたらしてくれる。

初回作品から50年が経ち、シリーズ50作目として上映されているのが男はつらいよ お帰り寅さんである。渥美清主演の映画フーテンの寅。当人は1996年に68歳で故人となっている。そんなに歳月が流れたのかという想いがある。毎回、旬の女優がマドンナ役となり寅といい仲になるが最後は失恋するという定番あらすじの映画ながら、作品が公開される毎に見に行くという寅ファンの女性がいたことを身近に知っている。わたしは過去何回か見たことはあるが、寅ファンというほどではない。今回見るきっかけとなったのは、知人の大学教授からの電話。話をする中で50作目を見てきたという流れになり、こんなことを言った。「いやあ、俺は泣いたね。2回も見たよ」。フーテンの寅を見て泣く? 涙もろくなる年齢でもない彼に尋ねた。「泣くってのもさめざめと泣くというのと、号泣するのがあるけど」。この問いに彼は直接答えずに、渥美清の口上―香具師による立て板に水の流れるような語りの世界―の素晴らしさなど名優の証を簡潔に語った。国民的美少女として芸能界にかつてデビューした後藤久美子も出演しているということで「彼女はどうだった」と尋ねると、「それは言わない方がいいだろう」と直言を控えた答えだった。

俺は泣いたね。それは言わない方がいいだろう。この2つの思わせぶり風な言葉がわたしを映画館へいざなうことになった。観客はわたしと見知らぬ中年夫婦の3人。がらがらの貸し切りである。初回から50年が経過して50作目とあって、過去の名場面が回想という形で差しはさまれて作品は展開していく。見ながら想う。ああ、これは渥美清と彼を取り巻く人々、そしてマドンナ女優たちへの山田洋次監督からのオマージュだ。渥美清の不変の風貌、語り口、失恋沙汰、茶の間での喜怒哀楽が繰り広げられる。家庭料理のように50年経っても飽きのこない、不思議なホームドラマだ。そうか、フーテンの寅は映画会社が松竹だったな。ここにはホームドラマの巨匠小津安二郎がいたなあ。ちょっと格式のある家庭の茶の間を舞台に原節子らが出演していた。片や山田洋次監督は下町の人情味あふれる茶の間を渥美清出演で描いてきた。

時代を飾った女優たちがマドンナとなり美貌と笑顔でもって寅作品に温かみと気品をもたらした。マドンナ以外は、渥美清をはじめ下町の生活感を醸し出す俳優たちが勢ぞろいした作品であることが分かる。俳優たちを見ながら想う。人は歳を重ねることで、若い人には決して出すことができない「味わいという人間味」をつくり出していく。歳波が寄せてくることを肯定し受け入れることを身に付ける。生き続けていくと、少しずつ老いていくんだよ、人は。それもまた人生、いいじゃないか。どんなに幸せで富があっても人は歳を取る。ちょっと華麗な加齢だが。人が不幸と貧しさの中にあれば加齢にやつれが付いてくる。

映画が50作を数えた分、時代も世代も移り変わった。後藤久美子は少女から歳を重ねて魅力のある女性となっていた。そして、50作目でどの俳優よりも各場面に生き生きとして登場している渥美清がこの世に不在であること、それも24年近い歳月にわたっていることに想い至るとき、「俺は泣いたね」の心境にたどり着く。渥美清の声、せりふ、エンドロールでの主題歌を聴くにつけ、名優はわたしの回想の中で生きている。そして、これからも。多分、不在の歳月よりも永く。

 

 

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食は本能寺にあり

2020-01-20 | Weblog

どうゆう経過で入り込んだのかは知らないが、網戸と窓ガラスの間に潜伏していた蝿が凍死するくらいに寒い日が続いた頃だった。宵闇迫る中で車を運転中、自宅に戻る前に体を芯から暖めるものを食したくなった。進行方向沿いの道路には幾つもの食事処が並んでいる。陽がストンと落ちて暗くなった空を背景に赤や黄色、オレンジ色など派手な看板が客の食欲に向かって「いらっしゃいよ」と誘っている。そして突然、脳裏に担々麺の絵柄が浮かんだ。なぜって? 分からない。これが正直な回答だ。多分、時間とともに進む外気の低温化と、深まっていく夜空の暗さに体が不安と寂寥の声を上げたのだろう。芯から暖まって、寒さで萎え気味の気持ちと寂寥とした夜空を一時でも忘れたい、あるいは意識から吹き飛ばしたい。体の想いを代弁すれば、こんな感じだろう。

道路沿いに担々麺を出すラーメン店があるのを知っていた。車は引き寄せられるように店の駐車場へ。タンタンメン、タンタンメン。頭の中で威勢のいい和太鼓の音色が流れてくる。頭に鉢巻きをした筋肉隆々の若者が両手に撥を持ってドンドコ、ドンドコ打ち鳴らしていく。タンタンメン、タンタンメン。太鼓のリズムに合わせ体を小刻みに揺らしながら店に入っていく。客は中年の男女1組がいるだけで、広い店内はガラガラである。料理人と従業員が一斉にわたしに視線を注ぎ、「いらっしゃいませ!」。ラー油、唐辛子を使ったピリ辛ラーメンで日々客をもてなし、感嘆させ、体を芯から暖めてきた店員たちならではの気迫、気合、自信が漲った声だ。他流派の道場にやって来た武者修行中の武道家みたいな心境のわたし、と言うと気負い過ぎか? 

4人掛けの卓に1人で座り、やって来た女性店員からメニューを受け取り、ぱらぱらと捲って素早くひと声。この期間限定の担々麺をもらおうか。ピリ辛度が赤唐辛子の絵で示されている。唐辛子3個の表示。最も辛いのは唐辛子5個の表示だから、まあ、中辛という意味だろう。「タンタンメン、イッチョウ!」。女性店員がよく通る声でオープンキッチンの料理人に注文を告げる。「タンタンメン、イッチョウ!!」。料理人が力強く復唱する。手元は見えないが、両手をせわしなく動かしだした。中華鍋を使って、これまで何百人、何千人、何万人?の客たちに担々麺をつくってきたのだろうか。出来上がるのを待つ間、卓の上に日本経済新聞を広げ、最終面の私の履歴書や交遊抄に目を通していく。視線は活字を追っているが、頭の中には湯気を上げている担々麺の総天然色絵柄が浮かんでいる。

肉味噌、チンゲン菜、モヤシ、白ネギ、白胡麻の5人組が麺を覆うように乗っている。肉味噌は豚の挽肉、みじんにした生姜とニンニク、タマネギなどを入れて炒め、さらに味噌と砂糖を加えて煮たものという。豚の挽肉、旨そうだ。生姜とニンニクも非常にパンチが効いていいねえ。体が発熱し、鼻が曲がりそうな臭みを体にねじ込みそうだ。これだけでも寒さが吹っ飛ぶぞ。まあ、なんと言っても真打ちはラー油風味のスープだろう。濃いオレンジ色のどろどろしたラー油がスープの表面に浮かび広がっている姿態は見ているだけで元気が出てくるし、頭皮からじわりと汗がにじみ出てきそうだ。どちらかと言えば、汗かき体質であるわたしは、一瞬、全身から汗がにじみ出るのでは?といった危惧を覚えたが、もう後には戻れない。目の前に出来立ての担々麺が「はい、お待ち!」の声とともにデンと置かれたのだ。

さあ、どうだ! これがピリ辛際立つタンタンメンだ!

料理人の自負がニンニク混じりでぷんぷんと香り立つ。燃える闘魂なんて言葉があったが、まさしく燃え盛る担々麺。見ているだけで、これは体に効きそうだ。熱源が体中の血管を、リンパ系を、神経系を猛烈な速度で巡っていくなあ。液状化したファイアーボールにして、火球の海である。赤唐辛子もたんまりと潜んでいることだろう。白いレンゲでまずはラー油の海となったスープをかき回してみる。いきなりスープからではなく、白ネギ、モヤシ、チンゲン菜を少々をかじる程度に食して心を鎮める。そしてレンゲでひと口、ふた口、み口と口元に運んでいく。

なん口目だったろうか、じゅっ口は行ってないと思うが、急に咳き込んだ。コンコン。こんなもんじゃないな。ゴホンゴホン。これも違う。喉の奥から吐き出すような咳。言葉で表現しがたいような音声だ。グウェホッ! う~ん、こんな感じかな。頭にウが付くなあ。ウグウェホッ! うん、これだ。これが連続しつつ言葉が入れ替わっていく。ウグウェホッ! ホッウグウェ! ウェホッウグ! そうそう、こんな感じだ。しかも止まらない。止めようと思うが、ブレーキが掛からないんだ。喉の奥から咳が続くということは、呼吸するのにも支障が出てくる。支障があるから、ピリ辛とは別口でさらに咳き込む。

日本経済新聞に片手を付き、なんとか喉というか首回りの筋肉で咳を止めようと試みるが、残酷なまでに咳は止まらない。店内の中年男女1組の客が咳き込むわたしに視線を送っている。「大丈夫なの、あの人」。視線を意訳すればこうなる。料理人や従業員たちも心配そうに見ている。広い店内で視線を感じながら咳き込む、担々麺独り芝居である。卓の上にあったコップの水を飲む。焼石に水、じゃなかった。ピリ辛、呼吸困難に水は無力である。客や店員たちが救助、介護、介助に駆けつけようかと判断する直前、咳が収まった。安堵した表情のわたしを見て、彼らも安心したことだろう。日頃、ラー油スープなんか飲まないし、生姜とニンニクのエキスなんかも飲まない。咳が出ても当然だなと納得しつつ、まずは具材のチンゲン菜から攻めていく。具材を食す合間合間にスープを飲むという安全運転で担々麺ルートを進んでいく。

咳はほぼ落ち着いた。一難去って、また一難。汗が出てきた。まずは頭皮、額、首回り、そして多分、下着に接したあちこちの皮膚から。最初、卓の上にある紙ナプキンで拭いていたが、手に負えない。ズボンのポケットからタオル地のハンカチを出して拭いていくが、じっとりと湿ってきた。気持ちを切り替えることにした。出る汗を拒まない。新陳代謝が盛んになっていいや。それぐらいの楽観さで応ずることにした。家に帰って、ひと風呂浴びるさ。この気概で担々麺と対峙する。タンタンメンよ、ニンゲンを甘くみるなよ! 最後の1滴まで飲み干してやるからな。わたしは格闘し、組み伏せ、腕十字固めで食べ、飲み尽くした。ラーメンの汁は半分は残すぐらいに。決して飲み干してはいけません。掛かり付け医の健康鉄則を初めて破った。それもズタズタに。ピリ辛と咳と汗で昂奮してしまったのだろう。まあ、ニンゲンだから、1年に1回ぐらい、羽目をはずすこともあるだろう。とは言え、新年早々、はずすこともあるまいにと自省はしている。

後日譚

担々麺を食べ尽くして2日後、体調がおかしくなった。食欲がなく、胃が重い感じになった。なんとなく寒気もした。風邪の引き始めみたいな症状でもあった。担々麺の復讐? なおさら負けられないな。レモン1個を絞った果汁に蜂蜜を加えて湯を注いて飲んだり、熱い風呂に入ったり、さらにホットミルクを飲んだりし、早めの睡眠でなんとか翌日には復調した。担々麺に敗者復活戦はさせない。わが強靭なる胃袋と腸で骨抜きならぬ、辛さ抜きにして跡形もなしにしてやるから。もう1度告げておこう。タンタンメンよ、ニンゲンを甘く見るなよ! あと2,3年は担々麺を食べることはないな。これも併せて告白しておこう。

 

 

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次の一手の前に

2020-01-14 | Weblog

新年こと2020年が開幕した。3が日、松の内、七草が過ぎて、鏡開きへと早くも迫った。身辺には清々し気持ちが流れる一方で、周辺というか場外からは喧しいニュースが伝わってくる。カルロス・ゴーン被告が保釈条件を踏み倒して海外逃亡し、法廷外で無罪の主張を繰り広げたり、イラクを舞台に米国とイランがミサイルを撃ち込み合ったりと、年末年始をゆったり気分で過ごしたい日本人気質を引っかき回す出来事が相次いだ。まあ、清々しくない年明けもあるさと気を取り直して、進行中の子年という新しい時間を振り返ろう。

鬼火焚きを待つ櫓。高さ7,8mはある。準備万端にして誰もいない。わたし以外は。冬の風物詩が始まる前の静かな時間にじっくりと浸る。

屋外から屋内へ。野良犬、野良猫と違って、ほとんどの人は帰るべき場所、すなわち家屋がある。そこには家族がいたり、伴侶がいたり、同居人がいたり、あるいは独り身の世界がある。子供は巣立ち、夫婦2人となり、夫もしくは妻が1人残される時がいつかやって来る。

ダイニングテーブル風景。赤色のシクラメン、アラジンのランプ、マシュマロなどのお菓子、それにパリの風景を散りばめたランチョンマット。ガーリックバターを塗りこめたフランスパンと深煎り珈琲の軽食が愉しい時間をつくっていく。トレ、ビヤン!

屋内から屋外へ。人は2本足で歩き回るようにできている。歩行はさまざまな風景に出逢うという悦楽をもたらしてくれる。

山裾で出会った石の鳥居。山の神を祀っている。木立が茂り、昼なお暗い世界が広がっている。畏怖という空気が塗り込められた風景でもある。

犬も歩けば棒に当たる。なるほど。人も歩けばアロエに当たる。ふ~ん。日頃見知っているものが、意外な姿、様子をしているのに遭遇することが時折ある。新たな発見というやつであり、なるほどにして、ふ~んという小さな感動が広がる。

アロエの花。こんなにも派手で目立つ花を咲かす植物だったとは! 棘と葉肉に潜ませていた本性を現したみたいだ。燃え盛る情熱、誘い込むような魔性、舌なめずりしている欲情を絡めた緋色。新年の床の間には飾れない。

新年の床の間に飾るにはどんな花だろうか? その場にいる人たちの気持ちをなごませ、かつ清々しさを感じさせるものになるのだろうか。

寿ぎの掛け軸、茶の湯を嗜む佳人を題材にした博多人形、屠蘇の器、そして純白の椿の一輪挿し。明けましておめでとうの言葉とともに、屠蘇の盃が回され、お節料理が取り分けられ、はい、お年玉!の時間が巡ってくる。

元日、そして2日目、3日目となる。体に染みついたお節料理の味に感覚が慣れ、ひと段落すると、カレー南蛮うどんでも食してみたい気になるのがまた新年の妙でもある。屋外風景もまた然り。あえて新年ならではの定番を外した風景に目を注ぐ。

ゆったり日向ぼっこでもしようや。

そうだね。その緑色のバッグいいねえ。

そうやろ。コンバースのバッグやねん。

ごっつい、ええねん。こんな関西弁でよろしまっか。

そんで、ええどす。

食べて、寝て、またまた起きて、また食べる。われらが人生はこれの繰り返し。さあ、新年もまた食欲の日々が延々と続く。

てんこ盛りの海鮮丼。痛風、高コレステロール、糖尿病、いろいろあっても1日ぐらい、いいだろう、こんな贅沢も。こうして、ある人々は美食に長生きなしを証明してくれる。お節料理にも手を付けた。もらいものの獺祭をお猪口で呑みながら、ナマコの刺身もいただきますだ。橙と醤油につけてコリコリ、ヌルヌルの美味なる感触をとことん味わい尽くす。ナマコを食べ続けて長生きした人はいるのだろうか。

初詣に出向く。拝殿や本殿で多くの善男善女が柏手を打って願い事をしている。健康、受験、昇進、昇給、いい人と出会えますように、お金がたんまりと転がり込みますように、人々のさまざまな想いが神々に届けられる。さて、成就しますやら。

参道沿いにある池の中の石の上や周りには小銭がいっぱい。初詣の運試し。乗るか、落ちるか。投げ銭だ。それっ! 芭蕉かぶれが一句。初詣 投げた賽銭 どこへ行く 

 

 

 

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