おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

神霊降臨 高宮祭場

2017-12-31 | Weblog

鬱蒼とした森に包まれた道をわたしたちは登っていく。時に緩やかな坂道を、時に急な階段をゆっくりと歩み、目指す高宮祭場へ近づいていく。初詣のような人出はまったくなく、同じ思いの参拝者数人とすれ違うだけだった。静寂さが森の中に漂っている。

そこに何がある? という想いが歩みを導いていく。

 

足下はきちんと舗装整備され、手摺も設けられて参拝者に配慮してある。

 

彩りがあるはずの森は所によっては陽が陰って墨絵のような風景となる。

 

頂上付近に着いた。いよいよ高宮祭場の場へ。

 全国の神社の祭祀は本殿や拝殿などの社殿で執り行われているが、神社祭祀の原点は、天上から樹木や岩石などの自然物(依り代)に神霊が降臨するように願うというやり方。沖ノ島では4世紀末から約6百年にわたり国家祭祀として依り代への神霊降臨祈願がなされてきた痕跡がいくつも見つかっている。社殿が建立される前の神社祭祀(庭上祭祀)が現在も実施されているのが高宮祭場である。

 神霊降臨の祭場は森に包まれた中にあった。周囲には柵が巡らされている。

 

神霊降臨の場に立つ依り代としての樹木。4本の白木で囲まれている。

多分、信仰の原点はどれもシンプルなものに違いない。思いを込め、祈りを伝える自然物があればよかったのではなかろうか。たくさんの法典もなければ、立派な建物も要らなかった。もちろん宗祖を崇めることもなかった。朝陽の輝き、雲間から地上に洩れこぼれる光の線、天上に向かって生長する樹木、畏怖の念をもたらす巨石など、眼の前の自然に対する古代人の感嘆、感銘の思いを高宮祭場はわたしたちに改めて教えてくれた。

 

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冬天参拝 宗像大社辺津宮

2017-12-27 | Weblog

女性ガイド同伴の参拝行は宮地嶽神社から宗像大社辺津宮へと移る。ヨモギ入りで緑色した松が枝餅をお腹に納めた一行はハイブリッドカーを駆って目的地を目指す。宗像大社とは? まずは読み方から。宗像は「むなかた」。ああ、あそこのことかとピンとくる方はかなりの神社通か、時事の話題に詳しい方と言える。ピンとこない人にヒントを出せば、ことしユネスコの世界遺産に決まった地ですよ、となる。あれっ、なんだっけと首をかしげる人には、ファイナルヒントを出そう。神宿る島・沖ノ島と関連する遺産群だよ。これでも分からないと言う人を置き去りにして話を進めよう。土地勘のない人に宗像大社の場所を説明するには地図が1番である。ご覧あれ。

これを見て、宗像大社はどこ? 沖ノ島ってどの辺なの? そう尋ねる方はいないはず。赤文字でくっきりと表記されているから、まず見落としはないだろう。福岡や太宰府との位置関係も説明する必要がないほどだ。少しばかり気が利いた方は地名に交じって宮の文字が入った名称が3つあることに気づくだろう。鳥居のマークを探せ!が合言葉だ。

沖津宮、中津宮、辺津宮、見つかったかな。この3つの宮を総合して宗像大社となる。これらの宮はそれぞれ女神を祀ってある。天照大神(アマテラスオオミカミ)の神勅(命令)によって宗像の地に降臨した。沖ノ島には田心姫神(タゴリヒメノカミ)、大島には湍津姫神(タギツヒメノカミ)、九州本土の宗像には市杵島姫神(イチキシマヒメノカミ)。女神の使命はなにか? それは歴代天皇の守護。皇族・国家の守護神となった3女神は降臨地で祀られ宮が出来上がった。だから宗像大社の表紋は菊の御紋であり、沖津宮がある沖ノ島は過去の発掘調査によって大和朝廷による祭祀が行われた地とされている。8万点もの神宝が発見され、すべて国宝指定だ。古事記や日本書紀にも登場する畏れ多い古社である。

われらが目指した辺津宮に着いたようだ。正月間近で門松が据えられていた。

 

菊の御紋が表門にある訳も、さきほどの学習で分かるはず。

 

門を入ると、本殿・拝殿は初詣の準備がされていた。賽銭受けも参拝者を待つばかり。わたしたち一行も賽銭を投じて、二礼二拍一礼する。

参拝が済んだから、さあ帰ろう。こうなってはいけない。沖津宮と中津宮を参拝して初めて宗像大社を参拝したことになることを忘れてはいけない。両宮とも玄界灘にあるし、沖津宮がある沖ノ島は女人禁制、大社の許可がなければ勝手に上陸できない地である。さあ、どうする? わたしたち一行が辺津宮を訪れたのは境内に両宮の分霊が祀られているからである。第二宮に田心姫神、第三宮に湍津姫神の分霊である。1か所で宗像三宮を参拝できる訳だ。

こちらが第二宮。無心な二礼二拍一礼。

 

こちらは第三宮。私心なき二礼二拍一礼。

 宗像三宮を参拝したから、さあ帰ろう。それではいけない。辺津宮を訪れて、ここを見なかったら何しに来たの? となる。自然信仰の原点となる地がここにはあるのだ。さあ、行こう。

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好日逍遥 宮地嶽神社

2017-12-25 | Weblog

予備知識がまったくないのに、そこを訪れることになったのは、女性ガイド2人が案内を買ってでたためだった。福岡県福津市を訪ねた際に近くの名所として教えてもらったのが宮地嶽神社だった。なぜ、彼女たちが案内しようと言い出したのかと言うと、嵐なるアイドルグループがCMで出演して有名になった場所なのだという。神社の最上段の階段から参道を経て、その先の浜辺までが一直線になっている。そこに夕陽が落ちて光の道が現れるという映像美で一躍知られるようになったのだとか。そう言えば、テレビか映画館のCMで見たような気もしてきた。あの映像の舞台が宮地嶽神社だったのかということを彼女たちの説明で知ったのだ。

美女2人のガイドに誘われて、ノンと言うほど野暮じゃない。お申し出喜んで承ります。ハイブリッドカーに乗って一路神社へ。フロントガラスの真正面の遠方に鳥居が見える。直線道路を進んでいく。わたしたちは境内へ続く階段を歩いて上ることなく、脇にある車道をどんどん登っていく。行き止まりは社務所そばの広場。一角の駐車場で車を降りる。本殿手前の山門が目と鼻の先に立っている。まず案内されたのが光の道が出現するという、参道から境内へ通じる急階段の最上部だ。なるほど、見渡す風景の中に一直線に道が延びている。

直線の総延長はおよそ800mとか。道の彼方には水平線が横たわっているのだろうか? 目視では確認できなかった。この一直線の向こうに夕陽が落ちるとどうなるのか? そう思った参拝客らのことを神社側が慮ったのか、近くに光の道を撮影したポスターが掲示してあった。なるほど、こんな風な景色に変貌するのか。ポスターはこんな感じである。

よくよく眺めてみると、沖合には水平線ではなく、島影が見える。結構大きな島みたいだ。それにしても、なんとも神々しい風景であり、絵になるし、CMの映像で受けそうな情景である。これに人気アイドルグループが絡むのだから、光の道にさらなる魅力が加わる訳だ。

女性ガイドによると、本殿には日本一大きい注連縄が掛っているのだという。どれどれ、結界のシンボルである名物注連縄を拝見しようじゃないか。しかも12月17日に新しく掛け直したばかりだという。

新年を間近にして初詣客のための準備が本殿前で進められていた。たくさんの賽銭を受けるためのもののようだ。真新しさを感じさせる大きな注連縄が大蛇のような存在感を持って眼の中に飛び込んでくる。確かに大きい。出雲大社の大きな注連縄といい勝負だ。日本一を自認するぐらいだから、文字通りのチャンピオン注連縄なのだろう。その威容を近くで観察してみよう。

ど、どーん! 近くに立つと、触れてもいないのにずしりとした重さを感じる。さらに見上げる。

ど、どーん、どん! 人力の凄さをつくづく感じる。造形美。精魂を込めて創り上げた注連縄の迫力が直に伝わってくる。本殿の前に立って賽銭を上げ、真摯な心持ちで二礼し、パーンと厳かに柏手を二つ打ち響かせ、そして残心を極めて一礼する。女性ガイド2人も同伴参拝だ。境内をひと巡りして山門を出る。社務所の背後に山が聳えている。あれは? 

神社の名前の由来ともなっている宮地岳だ。山の表記では嶽ではなく岳となっている。標高180m。穏やかさや和やかさを感じさせる山容。なだらかな形がここちよい。そんな思いに浸っていると、女性ガイドたちが参道のお店の名物に松が枝餅がありますよと教えてくれた。大宰府の梅が枝餅を連想した。黒あんをヨモギ入りの餅で包んだ緑色の松が枝餅を頂きましょうとの提案だ。花より団子、宮地岳より松が枝餅! 参拝も済んだことだし小腹を充たそう。 

境内でのひとコマ。献上された馬の銅像に誰か知らぬが粋なお供え。やっぱり冬は蜜柑だよね。キタサンブラック、おいしいかい?

 

 

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MURDER ON THE ORIENT EXPRESS

2017-12-17 | Weblog

エンドロールの画面が流れても観客の誰1人として立ち上がる者はいなかった。映画の結末の余韻にもうしばらくは席に座ったままで浸っていたいという思いだったのではないか。映画の魅力を創りだす3要素―原作もしくは脚本、監督、出演者―が最高度の組み合わせとなって見事な作品に仕上がっていた。映画の名はオリエント急行殺人事件。英国の推理作家、アガサ・クリスティーの作品を映画化した。過去の同名作品のリメイク版である。エンドロールとともに聞こえてくる英語の歌を聴きながら、座席のわたしの脳裏に真っ先に浮かんだのは、こんな思いだった。よくぞこんな筋立てをアガサ・クリスティーは考えついたもんだな。

推理小説と言えば、小学生時代にシャーロック・ホームズや怪盗ルパン、中学生時代にエドガー・アラン・ポー、高校生時代に江戸川乱歩、後は早川書房や東京創元社の何冊かを読んだぐらいで、それほど夢中になるジャンルではなかった。アガサ・クリスティーの名前と、バーのマダムみたいな雰囲気の顔写真を知っていたが、取り立てて触手が動くこともなく作品はこれまで未読である。アガサの作品の中で人気が高いという「そして誰もいなくなった」もせいぜい映画で見たぐらい。ホームズシリーズの愛読児童にして彼の頭脳明晰な快男児ぶりにぞっこんだっただけに、原作名・オリエント急行の殺人などのシリーズに登場する探偵エルキュール・ポアロに対してもへんてこりんな髭を生やした、ホームズ以外のその他の探偵の1人との予断と偏見を持っていた。ホームズやポーに関心があっても、アガサには無関心だったのだ。

そんなわたしがなぜ、アガサの作品の映画を見るに至ったのか。しかもリメイク版だ。超豪華俳優陣が出演との宣伝に注目することもなかった。それがなんでまた? 毎月上映される映画の中で、見て面白そうだなという作品を選んで少なくとも1本は見る生活習慣が身に付いている。NO MOVIE NO LIFEだ。月によっては1日に2本連続して見たり、数日置きに映画館入りし3本、4本と本数が増える月もある。そこで12月の映画となる。どれもこれも見る気が起きない中で消去法で残ったのがオリエント急行殺人事件である。だから映画館に出向き、チケットを買い、上映が始まってもなお、誰が監督で、どんな俳優が出演しているのかも知らなかった。分かっていたのは原作がアガサ・クリスティーでポアロが主人公ということだけだった。

どんな事件なのか。原作を知らない人のためにごく簡単に説明しよう。 

トルコのイスタンブールを出発し、フランス・カレー行きの寝台列車オリエント急行が舞台である。同乗していたポアロを除いて1等車両に乗り合わせた乗客は13人。富豪の美術商とその執事並びに秘書、大学教授、伯爵と夫人、家庭教師、宣教師、未亡人、自動車セールスマン、公爵夫人とそのメイド、医者。いかにも悪人顔の富豪美術商が個室で刺殺される事件が起きる。推理小説定番の密室殺人である。世界一の名探偵を自負するポアロの捜査が始まる。1等車両の乗客と担当車掌の合わせて13人の中に犯人がいる! 動機はなんなのか。1人ひとりに事情聴取していくが、それぞれにアリバイがある。事件は迷宮入りするのか?

ポアロの捜査能力の凄さが際立つのはここからである。このポアロ、特徴的な髭ゆえに1度会ったら忘れられない風貌である。哲学者のニーチェみたいに独特の髭が深く印象に刻まれる。誰だい、この男優は? どこかで見たことがあるような、ないような。そんな想いをしながら物語の進行を見ることになる。乗客のいずれもがなにやらひと癖、ふた癖あるような雰囲気や秘密めいたものを持っている。極めて個性的な顔立ちばかりだ。なにせ超豪華俳優陣なのだから。刺殺された富豪美術商も見覚えがある。エンドロールのキャストの俳優名で、それがジョニー・デップだと分かった。パイレーツカリビアンのふざけたような役とは打って変わった悪人を演じていた。右目の上に特徴的な傷がある富豪美術商はまさに脛に傷がある人物だった。

ポアロは名探偵の真骨頂を発揮して各人の素性と経歴を調べ上げていく。これが事件の解決に繋がるのだが、なぜ、そこまで分かるのかと言いたくなるほどの卓越さである。ほとんど魔法のような謎解きである。こんなことができるのは、ポアロが原作者のアガサ・クリスティーとツーカーではないかと思えてしまうのだ。

ポアロは尋ねる。アガサ、捜査が行き詰ってんだけど、事件の背景を知ってるかな?

アガサが答える。あなただけに教えてあげる。他の人に言っちゃだめよ。いい?

ポアロ、嬉しさを押し殺して眉間に皺を寄せた生真面目な表情でうなづく。

アガサ、ポアロの瞳を見詰めて言う。実はこういうことなのよ。動機はこうで、手口はこんな具合だわね。

ポアロ、両目を見開き一瞬驚いた風情を見せるが、名探偵であることを自覚して、苦み走った表情でひと言返す。そういうことか!

アガサ・クリスティーがオリエント急行事件の原作を書いたのは1934年のことである。その着想となったとされるのが2年前に起きたリンドバーグ愛児誘拐事件だという。米国からパリまで無着陸で大西洋横断飛行を成功させた、あのリンドバーグである。誘拐された愛児は遺体で見つかり、犯人とされる人物も捕らわれて裁判を経て死刑となった事件。2歳に満たない乳児の悲劇的な死は周りの者たちの人生にさまざまな波紋をもたらした。もちろん幸せではない波紋。

オリエント急行殺人事件の原作を知らない人も既読で結末を知っている人も、オリエント急行の沿線の美しい雪景色などの映像美や豪華俳優陣の舞台劇のような存在感あふれる演技―シェイクスピアの戯曲に登場するような個性たっぷりの人物たち―に引き込まれていく。この世には善と悪しかないとの立場の探偵ポアロにとって、殺人事件は悪であり、迷宮入りなど絶対にあり得ない。そんなポアロが下す結論が圧巻の思いとなって観客たちの心に押し寄せ、エンドロールに入っても誰も席を立たないことになる。併せて出演者の1人が歌う、語り掛けるような静かな曲がピアノの調べと共に流れ、ポアロの決断に思いを馳せることになる。

NEVER FORGETという歌である。

あなたのことを忘れない。

愛児への切ない呼び掛け……。

 Please

Will you come home? Will you stay with me?

Say you,ll laugh, say you,ll understand

Say you,ll dance with me

Say you,ll smile that  silly smile for me

Say you,ll hold me in your arms so sweet

Will you come home?  Will you come home to me?

Home, my love

 

後日譚

アフタヌーンならぬモーニングティーで作品に敬意を表そう。

ポアロもオリエント急行も気に入った。

 アガサ・クリスティーも食わず嫌いだった。

紅茶ではなく、日本式で緑茶だけどもね。アガサ、一緒にどう?

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クライ・ミー・ア・リバー

2017-12-13 | Weblog

お気に入りの曲を車のナビの録音機能を使ってため込んでいる。運転しながら個人で愉しむだけなので問題なしである。最近、流れてくる音楽に合わせて口ずさんだり、鼻歌でリズムを取っているのは「ジャズ 名曲のサビ 100」である。英語表記では「JAZZ 100 excellent melodies」となる。ヒットしたジャズの一番聴かせる部分を集めまくっている。最初から最後まできちんと聴きたいんだという方からすれば邪道の聴き方である。邪道と言われれば確かにと答えざるを得ないし、原盤ではなくカバーした曲なので物足りないと言えばそうなるのだが、なにせサビの部分を100連発なので次第にのりのりとなり車中で聴く分には十分に堪能できるのである。

1番手はA列車で行こう。デュ―ク・エリントン楽団のテーマ曲。きょうも元気に、さあ、行ってみよう! そんな前向きな気分になること請け合いだ。2番手がガ―シュイン兄弟の曲、ア・フォギー・デイ。霧のロンドンと恋愛を引っかけたバラードとなる。名曲のさわり三昧でハンドルさばきも極めて落ち着いたものとなってくる。制限速度をきちんと守り、割り込む車には、どうぞ、どうぞ、安全運転でお願いねとして割り込ませる。道路陰に隠れたネズミ捕りのおまわりさんにも、ごくろうさんと会釈して擦れ違っていく。客船でやって来た中国人観光客を乗せた貸切バスと擦れ違うときには、運転者さん、安全運行で日中友好よろしく頼むよ、といった具合に心中から激励の想いを投げ掛ける。ジャズの名曲を聴きながら運転すると、すっかり優良ドライバーになるのである。

ジャズの調べが流れ続ける。モダン・ジャズ・カルテットの朝日のようにさわやかに。いいねえ。映画カサブランカで流れるバラード、アズ・タイム・ゴ-ズ・バイ。早く家に帰ってウイスキーでも呑みたい気分にさえなってくる。ボサノバの名曲イパネマの娘。こんな曲を朝から聴いていたら仕事する気が失せるのが欠点でもある。映画オズの魔法使いの主題歌オーバー・ザ・レインボウ。ふーん、これもジャズになるのか。そう想いながら聴き入る。シャンソンの枯葉も出てきて、ジャズ風味に仕上げてある。そうして流れて来たのが、クライ・ミー・ア・リバー。うーん、これはサビの部分だけではなく、1曲まるまる聴きたいところだが。なかなか味わいのある歌なのだ。

CRY ME A RIVER。恋人の女性を捨てて他の女に走った男が、事情はともかく(なんとなく分かるが)、捨てたはずの恋人のところにぬけぬけとやって来た。よりを戻そう、元の鞘に収まろうとの魂胆である。そんな自分勝手な男に対する女性の思いの丈が歌詞となっている。ブルーバラードである。官能的な歌いっぷりのジュリー・ロンドンの歌が有名だが、スーザン・ボイルの歌声もなかなかいい。まあ、どっちもそれぞれの持ち味があっていい。歌詞を聴くと、女性はお調子者の男に対してこんな気分に違いない。あんたが私にやったことって分かってんの? うーん、この場合は?ではなくて、強い怒りの感情を込めた!の方だろう。どんなに酷い仕打ちをしたのか分かってんの!! 2つぐらい!を付けた方がいいだろう。いや、この男に分からせるには3つだな。 分かってんの!!!

こんな男に限って自分がしでかしたことの意味合いをよく分かっていない場合がままある。だから女性は男に分かりやすく具体的に言いのける。涙が1つ、2つなんてもんじゃないのよ。雨、霰でもないのよ。その涙と哀しみと悔しさはねえ、川なんだよ。春の小川じゃないよ。台風直撃で氾濫した川だよ。堤防を壊してすべてを呑みこみ、洪水で覆い尽くすぐらいの涙なんだよ。哀しみなんだよ。あんたも泣け! わたしと同じように川みたいに、めいっぱい泣け! 泣いて、泣いて、泣きまくれ! あんたなんかねえ、どんなに泣いたって絶対に許さないから!

聴いているわたしも同調する。そうだ、お前が悪い! 泣け。泣きまくれ。顔が腫れあがるぐらいに泣け。3日3晩泣きじゃくれ。クライ・ミー・ア・リバーだ。その泣き方は川じゃないだろう。小雨程度じゃだめなんだよ。涙の量が足りないんだ。彼女の哀しみが分かっているのか。大泣きしろ。そうだ、そうだ、その調子だ。赤ちゃんに負けないぐらいに泣きわめけ。声が枯れ、打ちひしがれ、気力、体力がなくなり地面にうつ伏せになるぐらいまで泣くんだ。途中でお腹が空いても一切何も食べるなよ。そんな暇があったら泣き続けるのだ。許してくださいだって、すみませんだって、1人で寂しいんだって、何をいまさら言っている。泣けば済むと思っているのか。

聴いているうちにかなり加虐的になってしまった。自分を捨てた男を言葉で攻め、非難する女性。こんな男とはあっさり別れた方がいいのではと女性に助言したいくらいだ。しかしながら、歌を何度も聴いているうちに、女性の問い詰めの言葉の奥底に男への愛がしっかりと残っているのを感じるようになった。えっ、あんな酷い仕打ちをした男をまだ好きだったの? 女性に同調して男に罵詈雑言、言いたい放題だったわたしの立場はどうなるのか。別れたくないのは男だけでなく、女性も同じ想いだったなんて。そんな男を許してはいけませんと信念を込めて放ったわたしの口の悪さ、品の無さだけがとり残される。痴話げんかに口を挟んだのがいけなかったのですね。わが身の滑稽さに泣けてくるねえ。クライ・ミー・ア・リバーか。歌詞には出てこないが、結局、この男は泣いたんかね? 嘘泣きして、よりを戻したんだろうなあ。

 

 

 

 

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12月を夏色に染めてみる

2017-12-05 | Weblog

師走の日曜日、太郎は目覚めてテラスに出て思う。

なんて暖かく、穏やかな日和! こんな日曜日には久し振りに花子とドライブに行こう。

きょうは、さあ、軽めの朝食を取って海を見に行こうよ。

そうねえ、いい天気で風もないし、ドライブ日和だね。

そして1時間後、2人は海岸沿いの道路へ。車を走らせながらおしゃべりをする。

若い時、ドライブをよくした道だね。

あの時と比べて道路が広くなって走りやすいねえ。

海の色を見て! なんて、いい色合いなの!

車は海岸のそばに立つシーフードレストランを目指して進んでいく。

レストランそばの駐車場は海岸を見降ろす高台にある。

車は滑るようにして駐車場に入り、海岸に向かい合うようにして止まった。

車から降りた2人は胸いっぱいに海辺の空気を吸い込む。

レストランは閉まっていた。

客が少ない冬場の一時休業なのか、それとも無期閉店してしまったのか。

なんのお知らせの張り紙もないから真相は不明。

レストランわきのブロック塀になにやら描いてある。

なに、これ? 近づいてみると、一帯で獲れる魚や観察できる鳥が題材に。

2人は歩きながら壁画に見入る。

なかなか上手いんじゃない。

吹き出しもあって、つい読んでしまうね。

こっちには鳥が描かれているわ。

 

絵心に満ちた壁画の向こうには海岸が広がっている。

 

海岸に降りてみよう! 

砂地を踏み歩く感触の良さは靴を履いていても伝わってくる。

本能に導かれるように波打ち際に近づいていく。

 

砂地には靴跡が出来あがる。

 

砂地歩きの出発点となったレストランと駐車場を仰ぎ見る。

おーい、12月だけど夏がいっぱいの景色だよ。

穏やかな冬の日曜日。海岸でのんびりとした会話のやり取りが続く。

 

看板から絵心と温厚さがにじみ出る。

波打ち際に近づきたい気分になったのは、海亀の産卵場と関係がある?

孵化した赤ちゃんの懸命の歩みに太郎は想いを馳せる。

太郎の姓、ひらがなで、うらしま。漢字で浦島。

花子が傍らで笑った。それは出来すぎね。

太郎はうなづく。やっぱり、そうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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