おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

しのび寄る秋に染まっていく今 風雲編

2021-09-28 | Weblog

黄色い彼岸花が花束みたいに自生しているのを見つけた。眺めているだけで、元気満々、気分は絶好調! そんな想いにさせてくれる色合いである。ウオーキングから帰ったら、朝ご飯しっかり食べよう! もちろん卵かけご飯だ! 生卵2個使ってとろとろにしちゃうぞ。そんな意欲と食欲をばりばり刺激してくれる彩りだ。

 

耕作放棄地に鮮やかな紫色の花々が咲いていた。朝顔だ。夏を彩る花の印象が強いが、どっこい秋に入っても勢いに陰りはなさそうだ。わが肖像を影にして入れ込み、朝顔の一群と記念撮影をしてみた。人の手入れがなくても、しっかり生きていく。野性の花は逞しい。

 

最近、ウオーキング経路の途中にある民家で飼われている柴犬と会うことがなかった。農業倉庫内の犬小屋にいたのだが、倉庫の扉が閉まっていて安否を気遣っていた。どうしているのか。大丈夫なのか。他人の飼い犬ながらが心配になっていた。ウオーキング途中で会うたびに、わたしに向かって牙を剥いて吠えまくる犬だった。吠えてくれる相手が姿を見せないと、こちらも張り合いがなくなるというもんだ。それが、今朝は姿を見せてくれた。腹巻をしていて元気がなさそうだ。年も取ったしね。病気か事故か。頑張れ! 励ましのつもりで手を振ったら、ウワン! いつものように吠えてくれた。いやあ、よかった、よかった。これからも不審者と想って、もっと吠えてくれ!

 

空は広く、高くなり、雲はのびのびとして秋の到来を告げている。景色ものどかさを一段と増していく。なんだろう、このゆったりとした雰囲気は。暑さの夏と寒さの冬をつなぐ秋。そんな深まりゆく秋を味わうことができる時間に感謝したい。秋の風景は素直さをもたらしてくれる。

もしも、この世に雲がなかったら……。そう想うと、実に愛おしい存在だと分かってくる。

 

 

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しのび寄る秋に染まっていく今 田園編

2021-09-27 | Weblog

田園地帯に住むことの心地よさとは。街中と決定的に違うのは空気感だろうか。深々と吸い込むことの気持ちよさ。空気に味がある。まさに、おいしい!である。水道水とミネラルウオーターぐらいの違いだろうか。

朝陽を浴びて木立はシルエットとなり、稲田は太い絵筆で黒く塗りこんだような陰影で縁取りされている。こんな風景を見ていると、時々刻々と変わっていく美術展示場にいるみたいだ。

 

ミステリーサークル未満の稲田に出くわした。やる気はあるのか。途中で飽きたのか。作者は風か、猪か。整い過ぎたミステリーサークルよりは、破天荒なのも味があるということか。それにしても、生産者はこれを見て、どう想うのだろうか。

 

生長しすぎたオクラ。ここまで実が大きくなり過ぎると硬くなるため放置されてしまいカラスも食べない。湯がいて細かく切って鰹節と混ぜて醤油を掛ければ結構いけると想うのだが。食品ロスを考えてしまう。

 

直立した緑色の稲束を黄金色の穂がところどころ彩り、その上で青空が広がっている。青と緑と黄金の差し込みが入った風景。力強さを感じさせる稲田と、優しさが溢れる青空。静と動、剛と柔、♂と♀、この世は調和するように出来ている。

 

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しのび寄る秋に染まっていく今 街中編

2021-09-26 | Weblog

お彼岸の夕刻に菩提寺を訪れ、一族や親族が眠るお墓参りをした。花を手向け、線香の煙りが白くたなびく中で手を合わせた。繁華街の近くにお寺が並ぶ地域なので、合掌後は境内から石畳の坂を下って街中へ。若い頃から行きつけだった喫茶店が今も看板を掲げていたので立ち寄ることにした。

マスク姿で店内に入ると、若いボーイが「あのう、午後5時までの営業です。それに食べるものは何もありませんが、よろしいでしょうか」と声を掛けてきた。コロナ禍に伴う営業時間短縮である。客は誰もいない。快諾し、古びた椅子がある席に腰かけた。かつては高齢の女性たちがカウンターの中でせわしなく動いて珈琲をそそぎ、サンドイッチを手作りしていた。そんな元気だった彼女たちの姿はもはやなく、孫世代かと思われる男性と中年の女性、ボーイの3人が注文を待っていた。

温かい珈琲を頼んだ後、店内をまじまじと眺めまわす。近隣の店舗風景は変わっても、この店だけは店頭も店内も何十年も前と同じ雰囲気だった。許可を得て店内をスマホで撮影する。

大手の珈琲チェーン店のようなおしゃれ感や広々感はない。多くの客が腰かけてへたった椅子。さまざまな雑談が飛び交った平凡極まる卓。そんな古びた家具が置かれた場所。長年住み続けた、かつての古家を訪ねて居間でくつろぐような安堵感がある。時が流れに流れて、若き日に過ごした場所に戻って、昔のままの姿にちょっとほほ笑むような感慨にも似ている。あの頃、ここで過ごしたみんなは、その後どんな人生を過ごしているのだろうか。珈琲が運ばれてくる合間に、そんな想いを巡らしていた。

温かい珈琲が美しい椀と受け皿を伴って運ばれて来た。砂糖入れもミルク入れも昔のままの容器だ。椀の取手の金色の彩が目を引いた。椀を手にして香りを味わい、茶色の液体を口にする。特段に旨いという訳でもなく、かと言って不味いという訳でもない。昔からこんな味わいだったのかなと想いながら呑んでいく。この古びた店の雰囲気を付け加えながら味わう珈琲なのかもしれない。入店して30分ほどが過ぎ、閉店時間の午後5時が迫って来た。

精算のレジがある場所に向かうと壁に亀の剥製があるのに気づいた。べっこう細工の原料となるタイマイである。珈琲と亀の剥製。なんとも知れない組み合わせに思わずにやりとする。万年を生きる亀にならって、生命力をおすそ分けしてもらおう。そんな想いで店を後にした。

空を見上げれば晩夏と初秋が入り混じったような雲が広がっていた。世界に、日本に、それぞれの人々にどんな展開が待っているのだろうか。思索と現実と吉凶が絡み合う時間が刻一刻と過ぎていく。

 

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吾輩ハ ツシマヤマネコノ血統ヲ引ク 猫デアル

2021-09-20 | Weblog

散歩中に猫に首輪とリードを付けた近所の男性と出会った。

猫を見やりながら、しばし立ち話。

猫にリードをつけてお散歩ですか? 犬みたいですね。

リードを付けて散歩しないと、すぐに駆け出して行方不明になりますから。

それにしても、きれいな猫ですねえ。

知り合いからしばらく飼ってくれないかと頼まれましてね。

ほう、キャットシッターですか?

その後、もらい受けることになって飼い始めたんですよ。

いやあ、それにしても気品がある猫だなあ。写真撮ってもいいですか?

ええ、もちろん。

猫と犬を何匹か飼った経験があるわたしは、犬猫双方が大好きなペット二刀流の飼い主でもあった。今は双方とも飼っていないが、先々はペットショップで買うのではなく、保護犬、保護猫を譲り受けて飼おうとは思っている。

猫のそばにしゃがみ込んで、わたしは日本語で猫に語り掛けながらスマホのカメラのシャッターを押していく。

いやあ、かっこいいねえ。よっ、ハンサムキャット!

猫の想い:何言ってんねん。日本語よう分からんわ。

 

さあ、こっち向いてくれるかな? あれれ、そっち向かないで。カメラはこっちだよ。

猫の想い:そっち向かないでと言われれば、なおさらそっち向きたくなるんだよね。

あんたの言う事きかないもん。猫は自分勝手で気分屋なの。これ常識だっせ。

 

あっちを向いていると思っていたら、おちょくるように振り向いて寝転がった。

いいねえ、くつろいでいるねえ。お口の形が広がったV字になってるねえ。

猫の想い:あんたの好きなようには撮らせないんだよ。

吾輩はわがままにわが道を行くんだよ。

 

あっち向いてホイ! いいねえ、反応しているねえ。

猫の想い:指の動きに即反応するんだよね。

これは動くものには意思にかかわらず視線を注ぐという生まれついての性分だな。

 

お相手するの飽きちゃったのかな? 思いっきり体を伸ばして気持ちいいねえ。

猫の想い:最初から飽きてるよ。それにしても、あんた誰やねん?

写真撮影後、飼い主と立ち話を再開した。飼い主が自慢げに猫について語りだした。

前の飼い主からの話では、この猫は国の天然記念物ツシマヤマネコの血を引いているんですよ。ほらほら、足の裏が真っ黒でしょう。額にある白と黒の縦じま、耳の後ろにある白い斑点など、ツシマヤマネコの特徴を説明していく。わたしはただ聴き入るだけである。

猫の想い:ツシマがどうしたこうしたって、2人で何ごちゃごちゃ話してるねん。早く家に帰って、ご飯食べたいんだけど。

わたしの想い:体にツシマヤマネコの特徴を持ち、関西弁を交えた想いを語るあんたはん、なにものやねん? 猫かぶるのもいいかげんにしい。

 

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頭上を台風が通り抜けていく

2021-09-17 | Weblog

東シナ海でひと休みしていた台風14号が「よしっ!」と気合を入れて九州北部へ向かって動き出した。予報円の輪は長崎県北部に入って進みながら直径を広げていき、四国、紀伊半島を見据え、さらには関東圏に至る頃には巨大な円、まさに台風サークルとなっている。気象情報では暴風圏はないと伝えていたが、緩急自在の強風をもたらしている。地上やサイバー空間で栄華を誇るわれわれだが、雨戸を閉めて部屋に籠るという防御策しか持ち合わせていない。

籠った窓辺の一部から外の風景に目をやる。強風はうなりを上げて吹き抜け、竹林は揺らぎに揺らぎ、青葉を付けた小枝がいくつも吹き飛ばされている。遠方の山々は暗い灰色の雨雲に覆われている。足元に目をやると、勝手口の三和土にはテラスに置いていたサボテンやアロエの鉢が取り込まれて避難中だ。そばに室内飼育のモンステラが姿、形は違えども、同じグリーン生命体ということで同居して共に台風をやり過ごそうとしている。

わが物顔というか、わがまま放題というか、台風の吹き抜けるのを聴きながら、引き籠もって過ごす時間は意外と好きである。洞窟にでも籠ったような、あるいは山小屋でひとり過ごしているような気持にもなる。周りには台風時間を過ごし抜くためのものが揃っている。文豪が愛した百名山、シェイクスピア大図鑑、感染症自衛マニュアルなどが「早く読んでくれよ」とせっついている。読む愉しみがあれば、食べる愉しみも万全だ。たこ焼き、お好み焼き、黒糖蒸しパン、サンつがる、黒酢もずく、丸天かまぼこ……。食べれば、当然呑むも同好の士として馳せ参じている。ビール、清酒、焼酎、ワインと選り取り見取りだ。

まあ、能天気に台風談義を問わず語りしたが、これも今のところ、断水なし、停電なし、屋根の吹き飛びなし、といった被害がないから言えることでもある。備えあっても憂いあり、をもたらすのが台風でもある。ネットで台風情報をちらちらと確認しながら、早めの夕食を取ることにしようか。まずは、たこ焼きをチンして温めよう。お付き合いのお酒は、さて、ワインかビールか。強風がいっそう強まる風音がしてきた。自然の猛威のアカペラを耳にしがら、大口を開けて、「さあ、いってみよう!」との想いと共に湯気が上がるたこ焼きをぱくりと頬張った。

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よさこい サンフラワー

2021-09-14 | Weblog

なにやら遠くから威勢のいい掛け声が聞こえてくる。

けっこう数が声を上げながらこちらへ向かってきているみたいだ。

ぼおっとして沿道につっ立って掛け声がする方をぼんやりとした顔で眺める。

わいわいがやがやわいわいがやがやわいわいがやがやと迫ってきた。

よいさ、ほいさ、わっしょい、わっしょい、土佐の~高知の~はりまや橋で~それぞれが好き放題に掛け声を上げながら建物の角から一団となって姿を現した。

意表を突くような元気さを引っさげた一行に思わず手を振り、拍手をし、がんばれ~と声援を送った。

一団は調和も唱和もなく通り過ぎる辺り一面に向かって想い想いに檄をまき散らしている。

食べすぎ呑みすぎ短寿のもと! その性格が転落の人生へ向かわせる! 七回転んで八回目は立てず! 

合間に宣伝めいたことも言い放っている。アイス食べるならやっぱりハーゲンダッツ! 毎日食べるビッグマックで健康増進! 

朝からちゃんぽん、昼にソーメン、夜に豚骨ラーメンで体ほっそり!

よいさよいさ、こいさこいさ、よさこいよさこい、どすこいどすこい。

チキチキバンバン、チキチキバンバン、アロハーオエー!

秋の静かな風情を引き破っていくような一団は熱狂じみた訳の分からない掛け声を上げながら走り抜けていく。どこへ行くのかなあ、これら黄色い面々は。暴風のような騒がしさが煙幕のように一帯に広がっていく。

ええじゃないかええじゃないか、ええじゃないかええじゃないか。

後続の一団が上げる大きな掛け声に向かって小石のような声を投げつけた。

ええじゃないか、じゃない。ええじゃないか、じゃない。

ちいさな声だったので、一団の大声にすぐにかき消されてしまった。

一行が通り過ぎると、辺りはほんとうに静かな秋の風情に戻った。

ほっとしてちいさな声で呟いた。ちいさい秋、ちいさい秋、ちいさい秋、見~つけたあ。

 

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雨情の下で

2021-09-11 | Weblog

スーパーの魚売り場で秋刀魚2匹がパック売りされているのを見つけた。はてな?と想うほどに値段が安かった。昨年の漁で水揚げされた冷凍ものの秋刀魚。バナナ、キウイ、キャベツなどの食材とともに買い込む。自宅に戻り、キッチンで1匹を胴体の真ん中で2つに切り分ける。皿に乗せて電子レンジでチン。醤油をさらりとかけて、バドワイザー1缶を冷蔵庫から取り出し、テーブルマットの上に両者を並べ置く。簡単、速い、美味しいの3拍子が揃ったお手軽美食のひと時。グラスに注いだバドをひと口呑み、塗り箸で秋刀魚の柔らかい身肉を摘まみ上げるようにして、いただきます!

嗚呼、秋を感じさせる味覚が口福をもたらしてくれる。

鳥取から送られてきたという梨を知人からいただいた。薄い黄緑色の皮をまとい、手に持つと、ずしりと重さを感じる。小さなそばかすが皮一面に広がっている。その下にさくさくと歯切れのよい果肉とたっぷりの果汁を蓄えているのを直感した。ひと晩、冷蔵庫で冷やし、朝食のデザートに登場させた。ペティナイフで縦に切り分けると、ごろんとまな板に上にそれぞれが仰向けになって果肉をさらした。皮を剝き、種がある芯の部分をえぐり落として小皿に盛りつける。フォークでひと切れをつまみ食い!

嗚呼、秋の訪れを実感させる歯ごたえと甘さがひろがっていく。

株分けして2つの鉢に植えこんだモンステラが次々と新芽を出し、あの特徴的な切れ込みが入った青葉を広げている。細長い棒のような茎の一部から分岐するように新しい茎が徐々に立ち上がって伸びていく。子離れならぬ親茎離れである。先端部分にはこうもり傘みたいに青葉が折り畳んである。人が拳をゆっくりと開いていくようにして、丸め込まれた青葉が広げられていき団扇のような姿を見せてくれる。見ようによっては、密林に潜む仮面のような青葉の姿である。

嗚呼、秋の到来をまったく感じさせないほどに、生き生きとした青葉の濃さよ。

ポンピーン。玄関のチャイムが鳴った。受話器を取ると、宅急便でーす。毎月定期購入しているワインが届いた。冷蔵庫での保管をお願いします。こう言って業者は段ボールの箱を手渡した。ご苦労さん。そう声を掛けてボルドーワイン3本入りの箱を手にリビングへ。1本1本がプチプチの緩衝材で包まれたワインの瓶を冷蔵庫に入れていく。その翌朝は休日。朝から1杯ができる日でもある。1本を冷蔵庫から取り出す。シャトー・ラ・オート・クレモール。さっそくコルクを抜いて、試飲ならぬ本呑み。神は水をつくり、人はワインをつくった! 色合い、香り、味わいの三位一体をグラス1杯だけ呑み干す。体に染みついた、休日の朝の健康法の1つ。

嗚呼、季節に関係なく、血流に乗って体中を駆け巡る赤ワインは多幸感をもたらしてくれる。

体は酔ってないが、こころはほろ酔いになっている。♪今はもう秋 誰もいない海~♪

 

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