おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

花に嵐のたとえもあるさ

2021-03-28 | Weblog

「風が強く、まとまった雨となるでしょう」。前日の気象予報士の言葉通りの天気となり、薄暗い早朝に雨の音で目覚めた。録音された音ではなく、今、ここで我が家に降り注ぐ雨音にひとしきり聴きいった。空から滴る雨が軒先の屋根と奏でる音がここちよい。いつまでも寝坊してよい安息日ならではの、のんびりとして自由に満ちたひと時を寝床の中で過ごす。手を伸ばして傍らの珈琲テーブルに乗ったラジオのスイッチを入れる。NHK第2から名曲の小箱の音楽が流れ始めた。抒情豊かさを感じさせる琴の音が寝室の隅々に広がっていく。床から天井まで、脳天から足先に至るまで染み入っていく。

宮城道雄の春の海。冬を通り抜けて春の訪れを告げるような、陽光できらきらと輝き始めた海の情景が琴の響きによって語られ、描かれていく。そうして即座にわたしの記憶の中に母の姿が蘇ってきた。座敷で琴を弾いていた姿。ぴんと張られた弦のひとつひとつを指にはめた爪で弾いて調律をしていた姿。母は春の海をよく奏でていた。琴と一体となり、一心になって弦を弾く姿を小さい頃から見ていた。母はなぜ、琴を生涯の友としたのだろうか。わたしが少年から青年となり、社会人としての履歴を重ねる中で、問わず語りにその理由を母から聞かされたことを想いだした。

初産の男の子を抱いて実家で産後の養生をしていた母の周りに近所の子供たちが赤ちゃん見たさに集まって来ていた。新たな命の誕生のお披露目という愉しげな風景がその後一変する。集まった子供から感染症をもらうことになる。百日咳。生後6カ月以下の乳児が罹患すると、痙攣性の咳発作で命を失う病である。病院に運び込んだものの、医療事情が良くない終戦後まもない時だった。対処すべき薬もなく命の灯はこの世から消え去ってしまった。20代前半だった母は長男を失った哀しみで打ちひしがれる日々を過ごすことになった。時が経過しても癒されることのない心労の中にある母を見かねた知人が盲目の琴の師匠を紹介し、弦を弾くことで鬱々とした気分を紛らわそうとした。琴と出会った母はその後、わたしを含めて3人の男の子に恵まれた。

ラジオから流れてくる春の海を聴きながら、わたしは初産の子を幼くして失った母の哀しみを追想していた。わたしにとっての長兄は仏壇の中の小さな位牌となってこの世に存在している。6文字の戒名の中に晴雲の文字がある。晴れ渡った空の中に浮かぶ白い小さな雲。そんな連想をした。位牌の裏面に本名と命日の昭和廿二年六月廿二日が刻まれている。生を得て瞬く間にこの世を去った幼子、そして母それぞれの無念の想いを琴の調べに感じ入ってしまった。春らんまんとなる4月は母の命日となった月でもある。ラジオで春の海を聴くことがなかったら、こんな思い出を振り返ることもなかっただろう。

 

風雨にめげず、近所の桜が開花していた。

曇天の中での花見もまた良き哉。

 

見上げると、桜が覆いかぶさるような風景が広がっていた。

色のない世界が水墨画を思わせる。心を鎮めるような静かな世界が目の前にある。

きょうはどうも追憶の日らしい。

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珈琲に女まじりて春の宵

2021-03-27 | Weblog

高校を卒業し、新たな世界へ旅立つ若者とその家族と食事会をした。九州の地から関西へと旅立つ若者への、ささやかなはなむけのひと時でもあった。校則でがんじがらめだった髪型が、ふんわりとした品のよい解放された感じに変わっていた。自由な世界へ旅立つ。ときめきと解き放たれた想いが柔らかな髪から香り立っていた。

親元を離れ、独り飛行機に乗り、新しい世界へ踏み出していく。そんな軽やかな雰囲気を若者は漂わせていた。いい女もたくさんいるが、へんな男もたくさんいるのが都会ならではの人間界、MAN  AND HIS  WORLDである。送り出す方の不安と懸念をよそに、当人は食後にスマホに興じるなど屈託ない。青雲の志を抱いて、いざ大都会へ。昭和時代風の気負いなんかまったく感じさせない。令和の時代を生きていく若者の軽やかさが羨ましい。

世界は広く、そして深い。故郷を旅立ち、日本を超えて世界を見に踏み出しなさい。未知との遭遇は良くも悪くも、経験と学びをその人の人生にもたらしてくれる。薄情が身に染みる時もあれば、好意に助けられる時もある。生きるとは出会いと別れである。言い尽くされた言葉であるが、時代を超えて何度も繰り返されてきた真実でもある。若者はいくつもの青春の門を潜り抜けて大人になっていく。一方で大人になったわたしは老春の世界へ年々歳々踏み入っていく。花開く若者と、ひとひらずつ花びらを散らしながら年を重ねていく世代が会食し同じ時間を共有した。春の宵の、ささやかな壮行会。多分、この日の光景をわたしは忘れないだろう。

 

時と場所は変わって、宵のひと時をわたしは濃い目の珈琲を味わいながら過ごしていた。妙齢の女性が同伴し、オレンジ&レアチーズケーキと宇治抹茶ホワイトチョコスコーンを分け合いながら食感を語り合っていた。レアチーズのふわりとした感触と、スコーンの乾いた感触が喉を通り抜けながら味わいを体に広げていくのを堪能していた。宵が街中に溶け込んでいくのを広い窓から眺めながら味わう。珈琲色に染まっていく世界は老いていく青春のようにも見える。この、にがみの味わいは歳を重ねた大人にしか味わえない。若者たちが羨望しても、決して到達できないし、実感できない我々だけの世界でもある。

 

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サンタクロースに手紙を書いた

2021-03-04 | Weblog

昨年のクリスマス直前、フィンランドからエアメールが届いた。

フィンランドに知り合いはいなかったはずだが。

封書の裏面にオフィシャル・サンタ・メールと英語で書かれている。

封を切って中から1枚の絵入り手紙を取り出す。

Dearで始まる文面にわたしの名前が漢字で書かれていた。

(注:猫の缶バッジの下部分。個人情報の保護のため名前の上に缶バッジを置いています)

もうすぐクリスマスだね! どうしているかな?

のっけから気さくな語り掛けで文章が続いている。

わたし(サンタクロースのことだな)が暮らすフィンランドのラップランドでは氷点下20度だよ。

月の光が降り積もった雪を照らし出して、雪のひとひら、ひとひらがきらきらと輝いている。

簡潔な英語表現で情景が目に浮かぶように描写していく。

誰かがフィンランド在住のサンタクロースにお願いしてクリスマスカードを贈ってくれたらしい。

饒舌なサンタクロースが文章の半ばで読み手に語り掛ける。

フィンランドのクリスマスソングでわたしのお気に入りを教えてあげよう。

それはねえ、joulu on taas って言う歌だよ。裏面に歌詞を載せているからね。

ヨウル オン タースと発音するらしい。フィンランド語でクリスマスの意味みたいだ。

YouTubeで検索して歌を聴いてみた。子供たちが楽しそうに歌っている。

クリスマスだから、お腹いっぱい食べようといった内容らしい。

寒い国に住む子供たちにとって、クリスマスは明るく光り輝くような想いに満たされる日であることを感じる。

日本のクリスマスを過ごし終えたわたしはサンタクロースからの手紙を机の引き出しに入れたままにしていた。最近になって封書の中にサンタへの返信はがきが入っているのに気づいた。裏面に文章などを書いて、宛先が印刷されたフィンランドに郵送すると、サンタからのサマーカードが手元に送られてくるという。

ふ~ん、サンタへの手紙ねえ。どうしようかなと思案した挙句、一筆啓上することにした。

Merry  Christmas!

??? WHat ???

Santa Clause 

     thinks

IT,s TOOOO Early ?

(There is Long Time

                till 2021 Christmas!)

                 OR

IT,s TOO~O Late?

(Time had passed 

               from 2020 Christmas!)

               HoHoHo

  That,s THE QUESTION♡

笑ってくれるかな、サンタ・クロース? ニッポンのシニア・ハムレットより。

 

 

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