「風が強く、まとまった雨となるでしょう」。前日の気象予報士の言葉通りの天気となり、薄暗い早朝に雨の音で目覚めた。録音された音ではなく、今、ここで我が家に降り注ぐ雨音にひとしきり聴きいった。空から滴る雨が軒先の屋根と奏でる音がここちよい。いつまでも寝坊してよい安息日ならではの、のんびりとして自由に満ちたひと時を寝床の中で過ごす。手を伸ばして傍らの珈琲テーブルに乗ったラジオのスイッチを入れる。NHK第2から名曲の小箱の音楽が流れ始めた。抒情豊かさを感じさせる琴の音が寝室の隅々に広がっていく。床から天井まで、脳天から足先に至るまで染み入っていく。
宮城道雄の春の海。冬を通り抜けて春の訪れを告げるような、陽光できらきらと輝き始めた海の情景が琴の響きによって語られ、描かれていく。そうして即座にわたしの記憶の中に母の姿が蘇ってきた。座敷で琴を弾いていた姿。ぴんと張られた弦のひとつひとつを指にはめた爪で弾いて調律をしていた姿。母は春の海をよく奏でていた。琴と一体となり、一心になって弦を弾く姿を小さい頃から見ていた。母はなぜ、琴を生涯の友としたのだろうか。わたしが少年から青年となり、社会人としての履歴を重ねる中で、問わず語りにその理由を母から聞かされたことを想いだした。
初産の男の子を抱いて実家で産後の養生をしていた母の周りに近所の子供たちが赤ちゃん見たさに集まって来ていた。新たな命の誕生のお披露目という愉しげな風景がその後一変する。集まった子供から感染症をもらうことになる。百日咳。生後6カ月以下の乳児が罹患すると、痙攣性の咳発作で命を失う病である。病院に運び込んだものの、医療事情が良くない終戦後まもない時だった。対処すべき薬もなく命の灯はこの世から消え去ってしまった。20代前半だった母は長男を失った哀しみで打ちひしがれる日々を過ごすことになった。時が経過しても癒されることのない心労の中にある母を見かねた知人が盲目の琴の師匠を紹介し、弦を弾くことで鬱々とした気分を紛らわそうとした。琴と出会った母はその後、わたしを含めて3人の男の子に恵まれた。
ラジオから流れてくる春の海を聴きながら、わたしは初産の子を幼くして失った母の哀しみを追想していた。わたしにとっての長兄は仏壇の中の小さな位牌となってこの世に存在している。6文字の戒名の中に晴雲の文字がある。晴れ渡った空の中に浮かぶ白い小さな雲。そんな連想をした。位牌の裏面に本名と命日の昭和廿二年六月廿二日が刻まれている。生を得て瞬く間にこの世を去った幼子、そして母それぞれの無念の想いを琴の調べに感じ入ってしまった。春らんまんとなる4月は母の命日となった月でもある。ラジオで春の海を聴くことがなかったら、こんな思い出を振り返ることもなかっただろう。
風雨にめげず、近所の桜が開花していた。
曇天の中での花見もまた良き哉。
見上げると、桜が覆いかぶさるような風景が広がっていた。
色のない世界が水墨画を思わせる。心を鎮めるような静かな世界が目の前にある。
きょうはどうも追憶の日らしい。