おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

ケルティックウーマンかヘイリーかマーティンか You Raise Me Up

2018-08-26 | Weblog

酷暑が続く真夏の昼間が宵を迎えて、夜の幕が上がると、心地よい音楽でも聴いて過ごそうじゃないか。設定は休日前にして夕食後。ワインの晩酌が済み、珈琲とオレンジパウンドという締めの飲食を経て、音楽のひと時となる。今宵の選曲はYou Raise Me Upだ。人生の応援歌。いや違うな。人生を応援してくれる人への感謝の歌か。作曲、作詞の主はウッキペデアで調べてもらうとして、曲調はアイルランド民謡ダニーボーイを下敷きにした感じ。歌詞はいろんな意味で力添えをしてくれる人にYou Raise Me Upと何度も呼び掛けて思いを述べる。直訳だと、あなたがわたしを立ち上がらせてくれただが、いろんな訳詞があり、勇気をくれただとか、手を差し延べてくれたなどと、訳詞者の状況把握力と、英語から日本語に紡ぎかえる力によって意訳を含ませて微妙に変わって来る。訳詞者によっては原文の言い回しとは完璧に離れた訳に仕上げている場合もある。まあ、感謝の歌が180度回転して愚痴不平という真逆の歌になった、ということではない。英語原文の意味と表現、言い回しを、訳詞として日本人の琴線にぴたりと触れる意味合いと日本語の言い回しに置き換えるのは、英語と日本語に人並み以上に通じている訳詞者にしても案外難しいと推測する次第。

You Raise Me Upはいろんな歌手が歌っている。主語のYouを神、もしくはキリストのことではとの声もある。作詞者の想うところは不明だが、ここは素直に人間としての男もしくは女と見立てる方がいいみたいだ。その方が歌詞が表現する世界に広がりが出て、聴く人それぞれが自らの想いを歌詞に寄り添わせ、託しやすい。YouTubeで聴き比べる。男性あり、女性あり、ソロあり、グループありだ。歌手だから皆それぞれ個性がある。共通しているのは皆上手いということだ。決定打は聴き手の琴線にどこまで深く触れ共鳴させるかどうか。アイルランド出身の女性グループ・ケルティックウーマン、ニュージーランド出身のヘイリー・ウェンステラ、オランダ出身のマーティン・ハーケンス。ケルティックウーマンは全員美人揃い。映像があると、歌より美貌に眼が行ってしまうという難点が当たり前のように出てくる。歌の世界に浸りたいならば、映像なし、歌声だけをお薦めする。修行中の禅僧じゃあるまいし美女を見ずして何が人生かと思う向きは、歌声だけの後に映像でたっぷりと美貌を堪能するという次善の策を提案しておく。

ヘイリーは天使の歌声である。どうして、こんなに澄んだ美しい声が出るのだろうかと思うほどに美声が極まる。何を歌っても美しく仕上がってしまう。美声の主が自らの美声に酔いしれると、それが鼻についてくるという宿命がある。美声だけが目立ち、歌詞の深みがあっという間に失せてしまうという訳だ。聴く人1人ひとりに語り掛ける歌詞が、上っ面だけ、字づらだけの歌となる。上手に歌っているけど、心に響かない。そんな美声のパラドックスに陥りかねないのが美声の歌手たちである。さて、ヘイリーはどうか。美声の歌姫としてすくすくと育ってきたという風貌である。目が合って、にこっとされたら、好感を持つだろうね。ましてファーストネームで呼ばれたりすると、もうぞっこんなファンになるだろう。地位があろうが、経験があろうが、本当に男というのは馬鹿みたいに単純素朴な精神を脳内の一部に遺伝的に持っているみたいだ。

それでヘイリーの歌声に戻るが、なかなかいい。まず歌に出てくるYouが、もしかしたら、俺のことを言っているのかな、と男性の聴き手たちが錯覚しそうに聞こえるからだ。この状態はファン心理ゆえの、熱に浮かされて想い込みが先行したからかもしれない。彼女への力添え、手を差し延べることに男の矜持をこちょこちょと、くすぐられる。8千m級の山だろうが、暴風吹きすさぶ嵐の海だろうが、この俺が先導して登頂や航海を成し遂げさせてあげるよ。まかせろ! 先の事をまったく考えずに口約束してしまいそう。 この1本気の行為、後先考えない猛進を、人生の中で少なくとも1回はやらかす軽率さを男は遺伝的に持っているようだ。落ち着いて冷静に考えれば決して選択することのない事にも関わらずだ。ヘイリーの場合、歌声だけを聴くのもいいが、ケルティックウーマンと共演した映像版が聴き応え、見応えがあり、いい気分になる。ファン心理は暴走し、単独で歌うスカボローフェアなんかもいいなあ、と話が脱線気味となる始末。

男性の歌い手でいち推しはマーティンだ。プロモーションビデオだろうが、街角での映像がよく出来ている。石畳の路上には投げ銭を入れる帽子が置いてあり、その前で初老風の恰幅のいいマーティンが立っている。美男ではない。風采が上がっているとも見た目は言い難い。身なりも一般人と変わらなく見える。通行人たちが何事が始まるのかと怪訝そうな表情で見守っている中で、マーティンが歌い出す。女性歌手の美声とまるっきり異なる渋い声。人生の艱難辛苦、甘いも酸っぱいも経験してきたような声でもある。歌詞の1語1語を噛みしめるように、自らの想いを託しきったように、窮地にあった自らを救ってくれた人への感謝の念を歌っていく。マーティンを遠巻きにしていた通行人たちの心に歌声とその意味が染み込んでいく。声と歌詞が感動の波紋となって広がっていく、最初はさざ波のように小さく、次第にそれは大きくなって聴く人の心の中に押し寄せる。なんて素敵な声。いい歌詞だな。そんな呟きや想いが通行人たちの表情から見えてくる。プロモーションビデオみたいだと分かっていても、歌手冥利に尽きる路上パフォーマンスの映像である。感謝すべき相手のことを想いながら、気持ちを込めて歌う。歌の上手さに酔うことなく、しかし聴く人に歌詞に込めた想いが伝わるように歌う才を力みなく活かす。いい歌を聴いたなあ。そんな想いに満たされるのがマーティンのYou Raise Me Upだ。

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お盆だから彼岸から現世に戻ってみた

2018-08-17 | Weblog

彼岸に赴くときは西方浄土を目指したけれども、現世に戻るときには東方浄土からって訳で、朝陽が上がる方向から、はい、おはようさん、遺族並びに末裔の皆さま方よ。

わたしはねえ、お墓の中とか、仏壇の前とか、位牌の側にはいないんだよ。千の風じゃないけどもね、ふんわりとした風になって実家の回りを見て回ろう。

まずは朝陽の光線に乗って百日紅(さるすべり)の花の上で寝転んでみよ~っと。

昨年は剪定のしすぎで花が少なかったけれども、ことしは枝を伸ばし放題にしたお陰でたくさんの花が付いたね。花の上で、ごろごろと転がるって最高だ。ウオーキングで通っていた風景を見に行ってみよう。どうなっているかな。

あ~、これこれ、これだよ。いつも歩きながら眺めていた風景。寝ぼけまなこの朝方の青空、2度寝中のこんもりとした森、目は開いているけど寝床から出ようとしない田んぼの苗たち。天気晴朗にして穏やかな夏の朝の始まりだ。

ウオーキング途中の冷やかし相手というか、おちょくり相手にも会いに行かなくちゃ!

お~い、柴~、起きてるか~。

 

うん? 誰か、俺の名前を呼んだような気がしたが……。

 

姿は見えないが、この気配、生気のない香りは、あいつだな、こらっ、出てこい! 

そうか、お前はあの世に行ってしまったんだよな。生きているときは朝早くから俺の家の前を通る、へんな奴だったが、いなくなると、なんだか寂しいもんだよな。吠えていきりたつ張り合いがなくなってしまったなあ。あ~あ、去る者日々に疎しだよ。

柴よ、お前の寂しそうな顔つきを見ると、俺も寂しくなるねえ。姿形は無くなったけど、気配だけで来年のお盆にまた会いにやってくるよ。

水稲の緑が鮮やかでいい。暑い日々の中、水路から存分に水を引いてもらって生き生きとしているねえ。ことしは豊作だといいんだがなあ。

おっと、夏場のイチゴハウスだ。ビニールは取り除かれ、腰までの高さにある苗床も開店休業状態だね。まあ、クリスマスの高値の時期に向かって生産農家は栽培の準備中なのかね。イチゴハウスよ、もう1度。丸丸と大きく育った赤い実で満たされるといいねえ。

さあ、実家の様子はどうかな。あれれ、変なものが廊下の網戸のそばで佇んでいるなあ。流行りのロボット型掃除機って奴かい。現世はどんどん便利になっていくんだねえ。

どれどれ、遺族の息子はどうしているかな。はは~ん、お盆休みは酒と読書の日々みたいだな。ビールはバドワイザー、ワインはイタリアの赤か。いかにも呑んだといったみたいに床に転がっているねえ。ちょっと不自然な構図だがね。本はなんの本だい。ボヘミアンスタイルのインテリアに、ソーシャルメディア四半世紀、それに世界を変えた本か。読むのに体力が要りそうな本ばかりだな。空調が利いた部屋でワイン、ビールを呑みながらの読書三昧か。それで、読み始めて早々と寝入ってしまったんだな。

寝顔も歳を取るっていうのがよく分かるな。現世に在りながら極楽にいるみたいに安心しきって寝入っているお前を見て、元気なのが分かった。こちらも安心したよ。起こしちゃいけないし、長居は無用だな。西方浄土へ戻ろうか。つくづく現世の素晴らしさに感じ入ったね。いやあ、本当にいい所だよ、うらやましい限りだ。生きている間に愉しみな。それじゃ、また来年、ふんわりとした風になってやって来るよ。

 

 

 

 

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バックヤード殺害事件検死ノート

2018-08-12 | Weblog

身の回りにいろんなことが日々起きるのが人生である。わたしの場合も例外ではない。わが家の裏庭がその舞台の1つである。実に眉をひそめるような、猟奇的にして、これほど残虐なことが壁1枚隔てた裏庭で起きていたなんて。そんな驚愕するような事案がここ数年続いている。ずばり殺害事件である。被害の主が人であれば即110番通報となるが、人ではない。とは言え、その現場の悲惨さから公言するのを控えていたが、ひとり頭の中に留めておくには精神的な負担となる故、あえて独白することにした。あらゆる難事件を解決してしまう科捜研の女こと沢口靖子女史の応援を要請したいところだが、伝手がないため自前で思案するしかないのが現状である。

事案を伝える要素として5W1Hがある。When・いつ、Where・どこで、Who・だれが、What・なにを、Why・なぜ、How・どのように、だ。この原則に従って説明すれば、Whenは詳細不明である。Whereはわが家の裏庭、Whoは不明、Whatは殺害、Whyは不明だが事案によっては推測可能、Howは後述となる。それでは事案を振り返りながら、わが検死ノートを開いてみよう。

ことしに入って発生した3事案から始める。

事案1:数日前の出来事である。被害に遭ったのは白い毛の子猫1匹である。早朝のウオーキング後に裏庭に回って横たわっているのを発見した。当初は白いビニール袋が落ちているのかなと思って近づいた。目を閉じ、頭の左側を地面に付けて息絶えていた。体の痩せ具合から野良猫だと思われた。猛暑に伴う病死や衰弱死かなと思いつつ、外傷の有無を観察する。首の部分に鋭利なもので切られたよう傷口が見つかった。カッターナイフで切ったような横一文字の形状で長さ3㎝ほど。首元や体、地面に血の跡が一切ない。外傷はこれだけである。

次の2件はいずれも春先である。

事案2:早朝のウオーキング後に裏庭に回り、書庫と物置き庫の間にあるコンクリートの通路で発見した。こんなところに紐が落ちているなと思って近づいた。白っぽい腹を見せて仰向けになった蛇だった。長さは40㎝ほど。生きているのかなと警戒して棒で静かにつつくが反応がない。棒の先で体を動かしてみる。ふにゃりとして生体反応なし。体を裏返しにして模様を観察する。マムシではないようだが、種類は不明だ。生きていても死んでいても、蛇を見るのは心地いいものではない。死因を詳しく調べる気にならないが、一応外傷の有無を見る。喉元に相当する部分に切り傷がある。カッターナイフで真横にすっと切り込みを入れたような形状である。長さは2㎝ほどか。これ以外に外傷はない。

事案3:これもまた早朝のウオーキング後に裏庭に回って発見した。なぜ、ウオーキングの後にいつも発見するかと言えば、ウオーキングと裏庭回りがセットになっているからである。家の周りや植え込みに異変、異常がないかと日々確認することが習慣になっている。ひとりセコム、ひとりアルソック、ひとり全日警である。その日もひとりパトロールで灰色の鳥の羽毛がいくつか地面に落ちているのに気付いた。冬毛から春毛への毛替わりなのかな。そんな思いでもあった。植え込みのカイヅカイブキに巣でもつくっているのかと見渡すが、それらしいものはない。地面の四方八方を見渡す。屋外に設置された電気温水器のボイラー缶を囲っているコンクリート壁の近くに羽毛が散らばっている。猫や犬の毛替わりの量の多さを知っているが、鳥の場合もこんなに多いのかな。そう思って近づくと、側にある芭蕉の株の裏側に羽毛が大量に散らばっている。羽毛の生え替わりではない! 羽毛の形状や色合いから鳩だ。食い散らかした跡だ。胴体など体つきを示すものはなく、食べることができない羽毛だけが残された状態だった。

事案4:これは1年以上前の出来事ではなかったか。かつて書いたような気もするが、記憶から呼び戻そう。朝のウオーキング後に裏庭に回って、動物と見られる毛が散乱していた。鳥ではなく、猫の毛のようでもある。裏庭の隅々まで目を凝らして探索する。雑木の根元になにやら毛の塊が見える。近づいてみる。狸の背中? それも小狸? 観察すると、かなり悲惨な状態であることが分かった。頭部なし。前足なし。内臓なし。後ろ足なし。要するに背中の毛が生えた部分と短い尻尾が付いた、毛皮だけの姿。毛の色合いや特徴から狸ではなく、キジ猫だと思われた。車にはねられたり、引かれたり、カラスに襲われた動物たちの悲惨な状況をこれまで目撃してきたが、これほど悲惨な状況を間近で見るのは初めてである。まさに食いちぎり方が残虐の限りを尽くした感じである。

裏庭を舞台にした連続殺害事件を引き起こした犯行の主は何なのか。田畑や果樹園などが広がる周辺には野生の動物がいっぱいである。猪、狐、狸、アライグマ、カラス、イタチ、テン、各種蛇などが思い浮かぶ。野良猫、飼い猫、飼い犬などもいる。近隣住民からは「カラスが猫を集団で襲っていた」「カラスに小豚がやられた」などの証言も聞いている。同一犯なのか、それとも毎度異なる殺害犯なのか。事案3と4は弱肉強食の食べることが目的のようにも思えるが、事案1や2は殺害することに悦びを感じる快楽殺害なのかとも思える。あるいは何らかの怨恨に基づくものなのか。俺の縄張りに勝手に入って来たとかね。どの事案も現在のところ未解決のままだ。俺がやりました、と自首してくれるといいのだが。個人的な意見だが、前述の動物たちの中に犯行にかかわったのがいるのではないかと思慮している。裏庭で殺害が頻発している一方で、寝室で安穏として昏睡している自分自身については忸怩たる思いでいっぱいだ。いずれにせよ、亡くなられた動物たちのご冥福を祈るばかりである。それに犯罪に巻き込まれないために、関係者以外、裏庭に立ち入らないことを告知し、この場を借りて書き留めておきたい。

 


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都会の森を訪ねて憩う

2018-08-07 | Weblog

命にかかわるような暑さが猛威を振るう世の中にあって、修験道の山麓にある里山古民家で閉門蟄居、食事は一汁三菜に徹し、こまめ、こまめの繰り返しでまめが発芽するくらいの頻度で水分補給を繰り返すという、品行方正にして瞑想三昧な規則正しい生活を続けるとどうなるか。即身成仏、悟りの境地に達するかと思いきや、朝が来たから起きて、昼になったから食事をし、夜が再び訪れたから就寝するという、ただただ規則正しいだけの生活を繰り返すだけの、普通の人になることが分かった。なにが足りないのか? たえず流れ行く時間が織りなす暮らしの中に綾と彩、ぴりりとした刺激、渋み、酸味、あるいは爽快さをもたらすスパイスなるものが不足していると気づく。それで、暮らしに潤いと艶を加味するスパイスなるものはどこにあるのか。都会にあるという森を訪れて探してみよう。

階下フロアーから吹き抜けの壁面を飾る書棚。本は読むだけでなく見るもの、眺めるものでもあるんだね。

色鮮やかな装丁の本が並ぶ書棚。本の森には知の果実がたわわになっている。

書棚の森の中にある喫茶店のディスプレイ。積ん読も読書の1つだよね。

喫茶店の外観。LPレコードあり、色付きグラスありで、インテリアを活かす才に涼しささえ感じてしまう。

吹き抜けの壁って、いいよね。

そうか、本は手に取って読むだけではなく、頭に乗せて感じ入るものだったのか!

暮らしの中に埋没した歯ブラシも魔法を掛ければアートになる。

歯ブラシがアートになれば、色鉛筆だってアートになるよね。

色鉛筆がアートになるなら、分度器や三角定規もなるに決まってるさ。

苔なんかアートの本家本元の資格十分。額の中の苔が大森林を表す。

絵葉書も蝶ネクタイもキーボードも本の頁もすべてがアートに生まれ変わる。

スパイスなるものとはアートそのものだ。暮らしの中に取り入れておくべきもの、それはアートを創り出す感性。

映画館は身近にある異空間。猛暑の夏の憂さを吹き飛ばすには、空調の利いた真っ暗な空間に腰かけ、大画面で繰り広げられる冒険活劇なんかがお勧め。

清く、正しく、美しく、男どもにめっちゃ強いのが女たちです。

最上のスパイスなるものとは、行き着くところ、くの一だ。

 

 

 

 

 

 

 

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遥か遠くにある月の光を浴びながら散歩をする

2018-08-02 | Weblog

早い目覚めは月明りのせいだったろうか

枕に乗せた頭を右手に動かして窓から差し入る月の光を見る

網戸を通りレースのカーテンを抜けて木の床を柔らかく照らしている

誘われるように起きて外を見て光の源を空に探す

半月よりちょっと大きいぐらいの輝く月が宙に浮いている

夜明けまでまだまだの未明の世界にあって月は灯火のように見える

月の引力は潮の満ち引きだけではなく 人が織りなす時間と想いを引いては戻していく

さまざまな事があった過去 いろいろな事が起きるであろう未来 2つの時間帯の合間に現れた月の光の道

月明かりの下で散歩をしよう 断固たる意志や練りに練った計画とは無縁の 自然と湧いてきた穏やかな思い

真っ黄色のTシャツ 真っ黒のショートパンツ ダークグリーンのスニーカー ムーンライトマンは玄関を開けて外へ

里山を縫って広がる小道を歩む 月光の下でも森は濃い墨で黒々と塗りつぶされている 墨絵の題は妖怪

そこは魑魅魍魎の住みか 百鬼夜行の立ち寄り処か 石器時代や江戸時代の想いに立ち返る

道筋に沿って街灯がぽつんぽつんと立ち並んでいる 

裸電球に丸い笠ははるか昔のこと 今はLED灯で人工光の極致の輝きを放っている

毘沙門天と弘法大師を祀っている毘沙門堂の前まで行く

堂内は蛍光灯で照らし出されている 武者姿の毘沙門天の彩色木像と剃髪した弘法大師の石造りの座像が並んでいる

苗が植えこまれた水田の側の舗装路を歩く 蛙が鳴いている 耳を澄ませ傾聴する 

ゲェコゲェコかな グゥワッグゥワッかな どちらにも聞こえる

遠くで犬が時折吠えている ヴワァン ヴワァン 声量から大型の犬だと分かる 

月に吠えているのか 月夜を歩く見慣れぬ人間に気づいたか

水田や森の合間に点在する住家は寝静まっている ワールドカップサッカーも終わって夜中にテレビ観戦する人はいない

玄関そばに据えられた飲料水の自動販売機の1カ所に鮮やかな黄緑の光が走る

真一文字に輝いて長さは10㎝ほど 硬貨投入口を表示するための光の線 

昼間にはまず気にも留めない緑の光こそ商売と言う名の気遣い

月光に照らされた道と時間を辿る 異界歩むような 夜を題材にした1冊の絵本の中に入り込んだような感覚に浸る 

すべては昼間と同じものなのに 月明りはすべてを異なる景色へと変える 

人が寝入っているとき 月光は不思議な3次元の世界を音もなく創り出している 

 

 

 

 

 

 

 

 

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