おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

NO VIRUS NO LIFE  2020年5月の黙示録 5

2020-05-31 | Weblog

全国の緊急事態宣言の解除で閉じた新型コロナウイルス騒動の第1幕。いま、わたしたちは第2幕目の中にある。コロナウイルス対応担当の経済再生相が言うように、小さな感染の動きは必ず起きますが、それを大きな感染の動きにしないことです、との指摘に応じることができるかどうかが演目の主題となる。そして第2幕が閉じると―第1幕に再び戻るということもありうるが―、次なる第3幕となり、大団円となる終幕はワクチンが出来て、多くの人たちに免疫ができるまでとなる。

この間、感染したものの、発症することなく普通に暮らしをして、なにげない日常の一環として、笑い、食べ、働く人たちが増えていき、社会全体として免疫ができてしまったという状況が広がっていくのかもしれない。ワクチンが完成し接種するときには既に体内に免疫あり、というわけだ。こうした希望的観測風な展開の裏をかくようにしてウイルスは感染を増幅しながら変異して凶暴性を高めて社会を混乱させ、幕引きを長引かせるかもしれない。

コロナウイルス騒動前には3密だった社会の動きが感染拡大に伴って経済の歯車が逆回転した。社会で循環していたお金の流れがあちこちで動脈硬化を起こしてしまった。飲食、宿泊、接客業などを主体に休業や売上激減で深刻な影響を受け、事業者や従業員らの困窮の声がメディアでいくつも取り上げられた。支給が遅いなどの理由で評判が芳しくないアベノマスクをはじめ、甚大な額面の公的資金の投入が首相の口から発表された。空からお金が降ってくる! そんな超が付く大盤振る舞いな支援、支給策の連発である。不要不急な行動の対極にある必要緊急にして空前の金融政策となる。

経営者の知人と電話で話しながら「コロナウイルス騒動が落ち着いたら、増税が始まるな。まずは消費税からだろうか」といった先読みの展開が話題となった。さらに1人10万円を支給するという特別定額給付金にいたっては、こんな形でベーシックインカムが実現してしまうなんてと驚いたほどだ。ベーシックインカムの論議はコロナウイルス騒動前から格差社会を失くしていく一助としてあったが、国民1人ひとりに働かなくても生活資金を支給するなんて、資本主義社会でそんなこと夢物語ではと思っていたが、瓢箪から駒ではないが、コロナウイルスから10万円という展開で日の目を見ることになった。実績が1例でも出来たという意味合いは大きい。国の金庫番の財務省はしかめっ面だろうが。わたしのところにも「重要」「親展」と黒地に白抜きの文字が表に印刷された封書で申請書が自治体から届いた。善は急げ!(銭は急げ!)で即仕上げて投函した。武術の心得があるから何事につけ打ち返しが速い性分なのだ。

人類よ、こんにちは! こんな塩梅で人から人へと感染し世界中に広がった新型コロナウイルス。立ち技、寝技、関節技で人々の健康、暮らし、経済生活に悪影響をもたらす非生物だが、ヒトを翻弄するにも程がある。個人的な思いとして宣告しておこう。共存はしても共栄はさせないよ。ワクチンが出来れば、元居たコウモリのところにとっとと戻ることだな。VIRUS RETURNS.これが終幕での君たちの最終場面だよ。バットバ~イ、コロナウイルス!

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チャイナシンドローム 2020年5月の黙示録 4

2020-05-29 | Weblog

世界各地で感染拡大を現在進行形で展開している新型コロナウイルス。国内では第1波が収束したとして緊急事態宣言が解除されて経済の流れ(金の流れ)が極めてゆっくりながら回転し始めた。わが里山地域でも防災無線を通じて、うがい・手洗いの励行や3密を避けるなど自粛の勧めが女性の声で連日呼び掛けられていたが、宣言解除とともにぴたりと止んだ。テレビや新聞などのメディアも放送や紙面を通じて事ある毎に防災無線と同じ趣旨のことを伝えていた。強制ではなく要請という戒厳令がいったん途切れて、少しばかり気分が晴れた中で、あらためて思案することがあった。世界中に広がった新型コロナウイルスの、そもそもの起源、発生はどんな経路、経過だったのか?

国内のテレビ、新聞というメディアの報道からすれば、中国の地方都市・武漢から広がったというのは共通みたいだ。ほぼ確定した事実と見ていいだろう。武漢を発生源にして中国国内へ広がり、さらに中国内で感染した中国人や外国人が出国した先や帰国先で感染が増幅した。人の移動に伴って感染はねずみ算式に、いやウイルス算式とでも言った方がいいだろう、急速に、かつ爆発的に広がった。南極以外のすべての大陸に。新型コロナウイルスにかかわる報道を精査すると、2系統あることが分かる。各国での感染者数並びに死者数、ロックダウンや自粛要請など感染防止策の様子など数字を主体にしたファクト(事実)ニュースと、米中の政権によるプロパガンダ(宣伝)ニュースだ。

21世紀を生きる人間にとって、ワクチン・治療法がない未知のウイルスの世界的な感染拡大は、命への脅威と経済すなわち暮らしの縮小、変容、破壊をもたらすものである。だから、実態と対策、並びに支援策を伝えるファクトニュースの役割は極めて大事だ。一方で、プロパガンダニュースは悪意、敵意、思惑、覇権主義に基づくロジックで構成されたものだけに、どこまでが真実で、どこまでが嘘なのかを見極めにくい。真実そのものかもしれないし、虚実相半ばなのかもしれないし、まったくのデマなのかもしれない。

「新型コロナウイルスは武漢のウイルス研究所から漏出した」との米国発のニュースが流れれば、「米軍が武漢に持ち込んだ」と切り返しの発言が中国発でニュースに流れる。「新型コロナウイルスは人為的につくられたものだ」と米国発ニュース。「コウモリの体内にいたウイルスから人間に広がった」と人為説をまっこうから否定する中国発ニュース。世界でワースト1の感染者数と死者数を記録している米国では、11月の大統領選を見据えて感染拡大の責任は中国にありとするトランプ政権。責任の所在には触れず、大量のマスクの贈与や医療団の派遣などで中国共産党政権の体面を保とうとする習政権。思惑に染まったプロパガンダニュースから真実は見えない。

昨年12月末に新型コロナウイルスの存在に気付いた武漢の眼科医・李文亮氏がデマを広げたとして武漢の政治当局から処分を受け、その後肺炎になって死亡したとのファクトニュースを見聞した時、34歳という若い医師がそんな簡単に肺炎で亡くなってしまうんだろうかと不思議に思った。同時に中国で2017年に起きた別のニュースを想い起した。元北京師範大学文学部講師で著作家の劉 暁波の死のことだ。中国の民主化運動をしたことで投獄され、服役中の2010年にノーベル平和賞を受けたが、授賞式には出席できなかった。妻は自宅軟禁され、当人は肝臓がんを患い、治療を施すとして瀋陽市の病院に収容されたが、回復することなく61歳で亡くなった。火葬された遺体は「遺族の希望」(市当局の発表)として海に散骨された(墓がない!)。政権にとって「都合の悪い人物」は死人となってしまうというファクトだけが残る。

中国にしろ、米国にしろ、政治・軍事の首領にとって不都合な真実は隠蔽するか、虚偽・フェイクニュースとして退けてしまう。新型コロナウイルスのパンデミックで露見した米中の覇権主義のせめぎ合い、とっても空恐ろしくないか。

追記

アベノマスクがやっとこさ届いた。テレビで見ていたように小さめのマスクだった。知人いわく、小学校の給食担当者が付けるマスクだ!

 

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1億2600万人のサバイバル 2020年5月の黙示録 3

2020-05-24 | Weblog

新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言が継続されていた東京、千葉、埼玉、神奈川、北海道で宣言解除の発表が25日になされる見通しとなった。改めてコロナ騒動が始まった1月中旬からこれまでを振り返ると、未知のウイルスという危機に対するわれわれの対応能力が見事に見える化された。それは国家・政権・医療体制の能力であったり、個人の見識・自制力であったりした。そして第1幕の終演に当たって言えることは、どうにかして事態を乗り越えるというサバイバルの意思と自覚なくしては、わたしたちの明日と未来はないということだ。そんなこと当たり前じゃないかとなるが、忘れやすい気質のヒトたるわたしたちは当たり前のことを自覚するという教訓をこれからも何度も突き付けられる。

コロナ騒動第1幕はここから始まった。

1月18日夜。氷雨が降り注ぐ東京・隅田川を進む屋形船で、約70人が食事やカラオケを楽しんでいた。後に参加者の新型コロナ感染が次々に判明し、東京都内で初めてのクラスター(感染者集団)とみなされることになるタクシー組合の新年会だった。(朝日新聞デジタル 東京100days 新型コロナウイルスの記録より)

この後の展開は各種報道にある通りである。クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号での集団感染、全国の学校への休校要請、東京五輪延期決定、コメディアン志村けんの死去、全国での緊急事態宣言という一連の流れは、国家、自治体、法人、個人に至る1億2600万人にさまざまな思いと影響を及ぼすことになった。疲労感がにじむ首相の顔、感染拡大の対処策への決断を迫られる役回りとなった政府諮問委員会会長の重苦しい語り口、「客が来るから店を開ける」「店が開いているからやって来た」という鶏と卵の論議みたいな休業要請無視のパチンコ店と不要不急行動を実行する客とのブラックコントみたいな言い分、先進国の中では少ないとは言え、日々確実に積みあがっている死者数。これらに検察庁法改正案先送り+賭け麻雀辞任という場違いな番外編が飛び込んでくる始末。

この間の自らを振り返る。外出から帰ると洗顔、手洗い、うがいの実践、外出時にはマスク着用、他人とはソーシャルディスタンスで2mの距離を保持、会合への欠席、外食の控えと、新しい生活様式が暮らしの中に芽生え成長してきている。自粛という言葉よりは、自らと周りの人への感染を防ぐ適切にして妥当な行動と言い換えたい。キャンペーン風に言えば、わたしと周りの人たちを守ろう!

第1幕がもたらしたもので影響が継続しているのは教育と経済と福祉の分野。休校に伴う勉学の遅れもしくは学力格差の拡大、さらに9月入学移行の是非という論議が浮上した。中3、高3という受験生を持つ親は先行きが心配だろう。店舗休業などに伴う売上激減などへの給付金という公的資金の投入で企業はどこまで持つのかは不明だ。資金繰りに対応ができないところは破綻への道を滑り落ちていく。訪問介護サービスの停止も当事者はもちろん、その家族らに深刻な負担となってのしかかってくる。ワクチンや治療法の早期開発という本筋の展開に期待する一方で、短時間で結果が出るPCR検査キットの活用で訪問介護サービスの当事者らの陰性が確認できればサービスの再開ができるのではと個人的には思っているが、医療関係者の意見はどうなんだろうか。第1幕から次の展開となるかもしれない第2幕に対処するには、さらなる知恵の出しどころが試される。もう1度、自らに言っておこう。サバイバルの意思とその自覚が大事! それにしてもアベノマスク、まだ届いていないな。 

 

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Zoomウェビナー 2020年5月の黙示録 2

2020-05-18 | Weblog

顧問契約をしている法律事務所からメールが届いた。クライアントを対象に3カ月に1回ほどの割合で法務研修会を長年にわたり開催しており、テーマに関心を持った場合に顔を出すようにしている。事務所のボスがかねてからの知り合いということや、契約書の作成などで法律的な抜けがないかを相談したこともあって参加するようになった。ボスら所属弁護士が毎回交代で民法の改正など法務の現状を丁寧に解説してくれて実務に役立つ内容となっている。事務所外の貸し会場に毎回50人前後ほどの参加があり、解説の後の質疑応答ではすべて最適解を出してくれる。そんな法務研修会に新型コロナ騒動に伴う3密(密閉・密集・密接)が立ちはだかった。いろんな会合が中止、縮小される中で法律事務所をどうしたか? 

その答えはこうである。メールの内容を見てみよう。

このようなご時世ですが、このようなご時世であるからこそ、初の試みであるオンラインセミナー形式により、テーマを「コロナ時代の労務対応」と定め、急遽法務研修会を企画しました。皆様にとって現在置かれている状況は様々かと思いますが、「新しい生活様式」としてのテレワークを今回は取り上げる予定です。

過去にオンラインセミナーを視聴したことがある。例えばワインの味わい方とかだが、パソコンで一方的に受信し視聴するだけだった。今では双方向性のやり取りができる時代に進化している。使用するアプリはZoomウェビナー。オンラインセミナーやオンラインミーティングを開催するための専用アプリである。ウェビナーとはウェブとセミナーを組み合わせた造語。Zoomは名前だけは聞いていたが(カメラ愛好家としてはZoomlensを連想してしまう)、どんな機能があるのかを今回初めて経験することになった。

オンラインセミナー開催の当日となった。開始15分前にデスクトップパソコンを立ち上げる。「コロナ時代の労務管理」の文字が表示されている(後で分かったが、これはパワーポイントでまとめた文書の表紙だ)。BGMなしの表題だけの画面を眺める。開始時間到来。画面が男性弁護士の上半身像に切り替わった。事務所の新人にしてボスのご子息である。他の参加者は映らないので、弁護士と1対1で対面し個別研修を受けているような感じである。事務所の個室からの映像みたいだが、顔の表情が分かり過ぎるほどによく分かる。首をかしげ、まばたきを頻発し、動きがある口回りに視線が向く。当人としても初試みなので、やや緊張気味なのが伝わってくる。

参加者の気持ちをほぐす枕ネタは、Zoomを使った大学の新人ガイダンス中にポルノ画像が流れたという話題だった。「今回のセミナーではこんなことはありませんから」。セキュリティーも万全との注釈であった。

参考までにどんな話題だったのか、朝日新聞デジタルの4月30日付けニュースに掲載された記事の一部を紹介しておこう。

香川大学がテレビ会議システム「Zoom(ズーム)」を使って遠隔で実施したガイダンスに何者かが不正に侵入して無関係の画像などが流れ、中断を余儀なくされていたことが分かった。

同大学によると、授業のガイダンスは例年、教室などで開いている。しかし、今年は新型コロナウイルス対策として、一部の学部が大学と各学生の自宅などをウェブ会議システムで結んで実施した。

 このうち、経済学部が17日に開いた新入生向けのガイダンスで、オンラインで出欠を確認中、何者かがシステムに侵入。約2分間、画面上にフランス語で書かれた文章や性的な画像が映し出されたという。教職員がすぐにアカウントを削除して画像などが見られないようにしたが、200人以上の学生が閲覧していた。大学側は新しいアカウントを作成し、ガイダンスは再開されたという。

オンラインセミナーに戻ろう。内容は厚労省作成の「テレワークではじめる働き方改革」の内容を解説するものだった。テレワークとは働く「場所」の柔軟性であって、働く「時間」の柔軟性は副次的な効果に過ぎない。といった抽象的な表現を具体的な話に置き換えて解説してくれた。途中、手を挙げる(挙手機能)を使ってオンラインセミナー参加者の意思を確認するなどした。テレワークには雇用型(労働関係法令の適用を受ける)と、自営型(労働関係法令の適用を受けず、契約自由の原則)があり……という風に、ふ~んという話題が1時間ほど続いた。弁護士はお笑い芸人ではないので、笑いを取りに行ったりすることもないし、セミナーの最後に「それでは次回もオンラインでお会いしましょう」と白い歯を見せた満面の笑顔で右手の親指を立てることもない。なんとか初回のオンラインセミナーをやり遂げたなという真面目な表情を見せて画面は閉じた。

オンラインセミナー受講後の感想。会場に出向く必要がない。便利だ! 途中退場する場合も他の人や講師を気にすることなくパソコンを切るだけでできる。便利だ! 居ながらにして受講できる上、ビッグマックを頬張りながら、ランチミーティング感覚で気さくに参加できそうだ。飲食不可!? 学校の授業なんかもテレスタディーとスクーリングを組み合わせれば、毎日登校しなくてもいいのではと思案してしまう。新型コロナウイルス騒動がもたらしたテレワークやテレスタディー、オンラインセミナーの動きは新時代到来の扉を開いたみたいだ。

 

 

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家族葬 2020年5月の黙示録 1

2020-05-14 | Weblog

木曜日の夜だった。壁時計の長針が午後11時を回って15分が過ぎようとしていた。スマホに見知らぬ携帯番号が表示されて着信音が鳴った。登録していない個人や法人からの電話には出ない主義だ。夜更けに間違い電話? 090で始まる携帯番号の主は着信音を鳴らし続ける。出るか、出まいかと思う一方で、もしかしたら登録していないが、わたしが知っている人? 表示されている携帯番号を見ながら、なにやら虫の知らせみたいなものを感じて受信した。もしもし? 声を掛けると、聞き覚えのある声だった。横浜に住む年下のいとこだった。

どうしたの、こんな時間に?

父親が亡くなりました。

えっ? 亡くなった……。

いとこの父親は、わたしの父親の妹の旦那だった。いずれも彼岸の住人となった。故人とは親族の法要で会って言葉を少しばかり交わす関係だった。いとことは彼が在京の有名な音楽事務所を渡り歩いていて音楽界の裏話を聴かせてもらう仲でもあった。

何歳だったの?

えーっと、80か81ぐらいでしたかね。妹が面倒を見てて、最近は足が不自由になった上に体調を崩して入院してました。

ああ、妹さんからは透析を受けているって聞いていたよ。そうか、亡くなったのか。それで死因は何だったの?

肺炎でした。

肺炎? 肺炎って、もしかして……。

コロナじゃないですよ。誤嚥性の肺炎です。

ごめんね。この時期に肺炎と聞くとねえ。

通夜が明日で、葬儀は明後日に家族葬でやるという伝言だった。横浜から九州の故郷、すなわち父親が永眠し、わたしが暮らしている地に帰って喪主を務めるという。

翌日、片付ける用があって通夜には参列できず、本葬に出向くことをいとこに伝え、わたしの弟との連名で生花の盛り籠を斎場に届けた。通夜が終わった頃となる午後7時過ぎ、いとこから携帯に電話があった。明日の本葬の件だった。

弟と一緒にうかがうけど……。骨拾いもさせてもらうよ。

ありがとうございます。焼き場の後にお寺に骨壺を収め、その後に精進落としの時間を持とうと思ってるんですが、どうされますか?

精進落としの人数の確認なの? いくつもりだけど、それで何人ぐらい集まるの?

それが……。

口ごもったので、詳しく尋ねると、わたしと弟以外の参加者はいないという。精進落としだけの話かなと思ったら、本葬の参列者のことだと言う。

わたしたち2人だけ?

ええ。横浜からわたしが帰省したってことでばい菌扱いですよ。集まった父親の親戚たちは本葬には参列できないということなんです。

集まった中には経営者や知事夫人もいて、コロナに感染したら大変なことになる。ということで、本葬には仕事があるといった諸々の理由で誰も参列しないということだった。

親戚たちの言い分も分かるよ。神奈川県のコロナ感染者の数は多いからね。当地の感染者数は20人未満で、しかも他県からやってきたり、海外から帰国した人が感染源という事例ばかりだから。精進落としの件は弟と相談して連絡するね。

翌日の本葬。焼き場で骨拾いをして解散ということで参列した。マスクをし、葬儀場入り口でアルコールの消毒液で両手をこすり合わせて中へ。男女のスタッフもマスク姿。家族葬とはいえ、広めの式場だった。祭壇にはいとこの父親の遺影と生花が供えられ、50人分ほどの席が用意されていた。参列者は喪主のいとこと、その妹、わたし、弟と連れ合いの計5人。それぞれ散らばるように席を離れて座った。読経の僧侶が3人、葬儀場スタッフが4人。過去、いろんな葬儀に参列したが、これほど閑散として送り人が最少なのは初めてだ。僧侶以外は全員マスク着用だ。

いとこの配慮で、式場には故人が好きだっというフランク永井の曲が流れていた。棺の中で永眠した父親に別れる時がやってきた。葬儀場の男性スタッフがサイダーが入ったコップと青い葉っぱを持参してきた。故人が愛飲していたという飲み物を参列者1人ひとりが葉っぱに付けて、閉じた唇を湿らせた。末期のサイダー。棺には長いフランスパン、日本の名歌集という分厚い本の目次からフランク永井の部分を引きちぎって収めた。女性スタッフが供花から花々を取り集めてわたしたちに手渡してくれた。全身が花で覆い尽くされ、顔の周りに白い蘭が並び置かれた。男性スタッフが呟いた。お顔を蘭の花でこんなに囲まれた男性の方は初めてです。

葬儀場から焼き場へ向かい、わたしたち5人は控室で待機した。呼び出しがある1時間40分ほどの間、マスク姿で近況を語り合い、いとこの音楽界裏話に興味津々となった。音楽界に通じているいとこは音楽界に特化した人材派遣業を手掛けるため知人と会社を立ち上げて6月から活動する予定だという。併せてライブハウスを開こうと物件の当たりまで付けていたというが、コロナ騒動でとりあえず立ち消えとなってしまった。

骨拾いの時間となった。焼却台に乗った白い遺骨をわたしたちは取り囲み、長い竹製の箸で足の部分から拾い上げ骨壺に収めていく。

骨太だよね。サイダーでこんなに成長するの。たくさんあるねえ。骨壺に入り切れるのかな。

マスク姿のわたしたちは、それぞれに呟きながら故人の人生の仕上げを行った。外は夕方となり曇り空だった。骨壺を手にしたいとこらと焼き場入り口で別れることになった。それじゃ、さよなら。軽く会釈をして故人に永遠の別れを告げた。

 

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