おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

グレート・ギャッツビー

2006-12-30 | Weblog
暖冬を感じさせる日差しが窓から入り込み、畳を明るく照らし出している。陽光は机の上を斜めに横切って書棚に入り込み、1冊の本の背表紙にたどり着く。

グレート・ギャッツビー スコット・フィッツジェラルド 村上春樹訳

取り出して訳者あとがきから読み始める。ページを繰りながら映画での情景を思い出した。

ロバート・レッドフォードとミア・ファーローの横顔から場面が展開し、プールの場面へと至る。浮きマットに乗った主人公。ピストルを手にした男が部屋のカーテン越しに主人公をじっと見つめる。泣き出しそうな表情がクローズアップとなる。

訳者あとがきを読み終え、映画の最終場面を確かめようと小説の最終章後半を開く。後ろの行から前の行へとさかのぼる。この探し求める感覚をどう言ったらいいだろう。玄関から居間を通り、二階への階段を上がって突き当たりの部屋の前に立つ。扉の向こうの惨劇を予感しノブを回し始めた時の震えるような思い。これに近い。

映画で描かれた場面は、同じ結末ながら小説では異なった表現となっていた。映像作家としての監督の想像力の豊かさと、フィッツジェラルドの表現の巧みさに感じ入る。絶品に触れた幸福感が湧き起る。映画であれ、小説であれ、優れた作品に接することの喜びが広がる。

訳者あとがきを一部引用して言えば、フィッツジェラルドは「いつか時代を画する傑作長編小説を書きたい」との思いで、グレート・ギャッツビーの執筆に取り組む。一方で妻ゼルダはフランス人の飛行士と恋に落ち、離婚話と不貞の衝撃をフィッツジェラルドにもたらす。その後、夫妻には苦難と悲劇の現実が待ち受け、小説より奇なりの人生を送る。

傑作をものしたいとう表現者の野心に思いをめぐらす。どれほどの野心が実現することなく、破り捨てられた馬券みたいに散らばっているのだろうか。フィッツジェラルドの人生を眺めると、表現者に付きまとう失意と不遇というものを感じてしまう。安逸な人生に逃げ込むのが楽なのだろうが、なんとなく退屈でつまらないんだなあ、そんな生き方。
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喪中欠礼

2006-12-19 | Weblog
年の終わりの季節だからこそ、感慨がいっそう深まるのかもしれない。郵便物の中に喪中欠礼の葉書がまた交じっている。1枚、2枚、3枚……。

喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます。どの葉書も同じ書き出しで始まり、「永眠」や「本年中に賜りましたご厚情を深謝」の言葉が入り、明年も変わらぬご交誼のほどお願い申し上げますで締めくくりとなっている。

ふうっーと息をつく。肩と胸から力が抜けていく。画廊のオーナーだった故人の顔が浮かぶ。言葉は聞こえないが、笑顔を交えた話しぶりが甦る。生き生きとしていた目の輝きが思い出される。油彩画をはじめ、ダリやミロの版画などをよく見せてもらった。ダイナミックな筆使いと明るい色調が特徴だった野口弥太郎の作品が印象に残っている。絵画の魅力にとらわれていたが、画商ならではの抜け目なさも持っていた。「1枚どうですか」の言葉はもう聞かれない。

ある町の元教育長だった故人とは昨秋、電話で言葉を交わしたのが最後となった。受話器の向こうから聞こえた張りのある声がいまだに耳に残っている。「元気にしてますかあ。いやあ、久しぶりで懐かしいですなあ」。人柄の良さを思わせる鷹揚で柔らかな口調だった。佐久間象山の書が壁にかかった自宅に呼ばれ、苦難のわが人生を語ってくれた。戦後、古本をリヤカーに載せて売り歩いて生計を立てたり、旧厚生省の役人になったりと人生の妙を教えてくれた。教育長になってからは色彩と教育の関係に関心を持ち、参考文献を探していた。「ふうーん」という感じで聞いていたらしく、話の内容を忘れてしまった。故人が発した「色彩学」という言葉だけが色鮮やかに記憶の壁に塗り込められている。

地方紙の訃報欄に覚えのある名前を見つけることも少なくない。ある日、なにげなく手に取ってみたら掲載されていた。「おーい。先に行ってるぞー」と呼ばれたのか。スナックのオーナーだった。夜中に飲み歩く深夜徘徊をしていたころ、午前3時ごろに故人の店にサイコロステーキをよく食べにいっていた。暴飲暴食は健康の証と豪語していた。後年、尿管結石でのた打ち回ることになるのだが。

話を戻す。ステーキの湯気が上がる隣で産婦人科医院長の夫人が飲んでいた。初対面ながら世相の話になり、そのうち議論が口論となった。アルコールが入った者同士の議論はややもすると脱線、暴走、衝突、爆発するものだ。高ぶった感情で制御をなくした言葉が連射される。憤慨、罵詈、雑言などなど。飲食の場が不快と嫌悪の場と化す。

多分、当方にも非があったろう。頭の中でアルコールがゼラチン状となり、若気の至りで言いたい放題だったろう。収拾がつかない事態を見かね、白シャツに黒ズボン、蝶ネクタイのバーテン姿が決まっていた故人がおっとりと仲裁に入った。俳優の益田キートンに似た方だった。口論が収まったのだろう。これから先の情景はぷつんと途切れる。故人の名前を目にしただけで、ずい分と昔のある夜の出来事が短編映像となって頭の中に上映される。洋酒の瓶が並んだ棚の前でウイスキーをグラスに注ぎ、シェーカーでカクテルをつくる様を酔眼で見つめる自分自身の後ろ姿も見える。その店も今は別の名前の看板が掛かっている。かつての店名よろしく故人に別れの言葉を贈ろう。ダンケ。それにしても不在感が身にしみてくる。あーあ、みんな逝っちゃったんだなあ。
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女王陛下のガーリック

2006-12-08 | Weblog
国産だろうが、海外産だろうが、ニンニクはどれも同じものだろうと思っていた。カレーの下ごしらえはもちろん、炒め物にはスライスしたニンニクを入れ込んだ。ニンニクの入っていない料理なんて箸1本で食べるようなもの。肝心なものが欠けている。

知人が経営するスーパーの食品売り場でニンニクに目が行った。1個198円。98円の間違いかと思い手に取ってみるが、3桁の数字の並び順は同じだった。いつもは行き着けのスーパーでネットに入った中国産ニンニク5個、確か120~130円台を買っているので、価格の落差に驚いてしまった。

中国産ニンニク5個を睥睨するような価格のニンニクは青森県産。JAしんせい五戸が出荷元のようだ。どんな代物かと思い購入する。ラベルにホームページアドレスがある。青森県三戸郡五戸町博労町が所在地だ。素朴さが伝わる地名がいい。ナガイモ、ニンニク、ゴボウが特産とある。

青森県産を手に取り観察する。玉太りがよく握った感触も「ずしり」としたものがある。1個198円という価格から来る上級品との思い込みでそう感じるのか。ヘンケルの包丁で根元を切り、表面の薄い皮を指先で剥いでいく。象牙色の丸々としたニンニク片が姿を現した。 

OH、 MY GOD! この小さな感銘をどう表すべきか。脈絡はまったくないが、犬に例えた方が分かりやすい。栄養たっぷりのドッグフードを食し、トレイナーによる散歩、日当たりのいい部屋でぐっすり睡眠のゴールデンリトリーバーが青森県産。かたや中国産は痩せて腹をすかした野良犬に思えてしまう。神様が逆立ちしてOH、MY DOG!

スライスしたニンニク片を入れて豚肉と野菜の炒め物をつくる。オリーブオイルの中で豚肉とニンニクが踊り、途中塩コショウが割って入りまとわりつく。ニンニクの一片を箸でつまみ試食。とろけるような旨さが口中に広がる。こんな味、知らなければよかった。ニンニクは安くて量があればよいといった無頓着な食生活がもっと続いていたのに。

安い食品には相応の理由があり、高い食品には妥当な理由がある。食の個人史の中で中国産ニンニク政権が放逐され、青森産ニンニクの王朝が始まる。豊満な形と味わいは王様ではなく女王様が似つかわしい。いただきますの前に女王陛下に二礼、二拍、一礼!

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シーズンズ グリーティング

2006-12-05 | Weblog
時候の挨拶。まずは果物から。

カキ食けこ、写しすせそ、立ちつ撮る


         


次は花。

年々歳々花相似たり、歳々年々人同じから図
       
           紅色のサザンカが花盛り。


           


これで最後だ。本とオー・ド・ヴィーと花梨の実。

花梨酒か花梨茶を呑みながらページを繰る知のひととき。

香ばしいアイデアが浮かんでくる。


            


これで最後。本とオー・・ヴィーと花梨(かり)の実。

花梨酒か花梨茶を呑みながらページを繰るのひととき。

ばしいアイデアが浮かんでくる。
              
       だ ド ・ヴィ ん 知 香
              
       だ ・ヴィ ん 知 香 ド
         

           

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吉兆

2006-12-04 | Weblog
吉兆とは、新たな価値観の発見である。大仰な言い方を少し慎ましく改めれば、細かいながらも価値を見出す才への気づきである。

其の壱……白ワイン「1999シャトー元詰め ギエム・ド・ファルグ」をソムリエナイフで開けていると、コルクが上から三分の二のところでちぎれてしまった。残りが瓶の隘路に詰まったままだ。引き出そうとコルクスクリューをゆっくりと差し込むと、コルクがゆっくりとずり下がった。万事休す。
                
箸で白ワインの大海に押し落とす。昔は50回に1回ほどの割合でコルク落としをしていた。近年は500回に1回あるかないかの腕前に上達していた。他の事を考えながらの作業で散漫な気持ちが招いた結果だ。入魂の度合いが足りなかった。グラスに少しワインを注いだ後、瓶の中を見る。落ちたコルク栓が直立して浮いている。茶柱が立った状態。これでよし!


其の弐……車のサイドブレーキレバー後ろのコンソールボックスからキシリトールガムのタブレットを手に取る。口に運ぶ際に手からこぼれ落ち、運転席とコンソールボックスの隙間に消えた。
           
車外から運転席の下を覗き込む。綿ぼこりの中に緑色のキシリトールガムがある。ほかにもある。硬貨じゃないか。右手を入れ五指をクモのように動かしてかき出す。500円玉、100円玉、50円玉がそれぞれ1枚。次いでに助手席の下にも目をやり、後部座席のフットマットもめくる。ご破算で願いましては650円。昼食代の足しだ。これでよし!


其の参……犬と散歩に出かける。道端に小水を撒きながら、公共施設の庭園の芝生で立ち止まる。踏ん張ってとぐろができる。スニーカーの色に合わせたのか、レンガ色だった。ビニール袋ですくい取る。出たての柔らかさとほかほかの温かさが手に伝わる。思い出にしたくない感触。

糞を入れたビニール袋を手にした男の風貌はどうあるべきか。微笑、微苦笑、恵比須顔、閻魔顔、憮然顔、退屈顔、世捨て人顔。建物のガラス窓に姿が映っている。自らの顔を見る。怒ったような表情。挨拶の言葉をかけにくい顔つき。外づらと内心のなんという落差。これじゃ女神も唇を閉じたままだ。口元を左右に開き歯を見せて歩こう。左頬にえくぼが出来た。目の前をカチガラスに似た鳥が横切った。これでよし!
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