おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

ノーベル文学賞 ボブ・ディラン

2016-11-29 | Weblog
そろそろ村上春樹の番だなと思っていた今年のノーベル文学賞、蓋を開ければ、あのボブ・ディランという意表をついた発表となった。当日夜のニュース番組でコメンテーターの報道関係者が驚きながらも「そう来たか、という感じですね」と思いもしない人物、しかも歌手が本業のディランを選んだスウェーデン・アカデミーの「英断」にしてやられたとのコメントを述べていた。

その後の新聞の文化欄などにはディランの歌詞の文学性を評価し、文学賞妥当とのエッセーが幾つも散見され、しかも書き手はディランファンであることが見え見えの文章がだらだらと綴られていた。欧米の作家の中からは「ノーベル音楽賞ならともかく、文学賞にディランというのはおかしい」「富と名声を既に得た歌手ではなく、賞を得ることで本がやっと売れる作家に贈るべきだ」といった趣旨の正直な声を上げる者があったが、日本の作家から異議ありの声は今のところ寡聞にして知らない。

ディランが風に吹かれての歌い手であることぐらいは知っていたが、それ以外の歌はそれほど知らない。風に吹かれてにしても以前からPPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)の歌い方の方が断然いいなあと個人的に思っていた。素朴な想いとして、ディランが文学賞を取るのなら、ビートルズこそ受賞者にふさわしい感じさえしている。まさに文学性を感じさせる歌詞がいっぱいある。こんな私見をある会社の社長にふっかけると、こんな返答だった。

「ビートルズ? メンバーのうち2人は亡くなっているからなあ」

「でも残り2人は生きているでしょう」

「うーん」

また別の会社役員に同じことを指摘してみると、返答はこうだった。

「まあ、なんだな、さだまさしが芥川賞を取ったみたいな違和感なんだろうなあ」

スウェーデン・アカデミーによる予想外の受賞者ディランは、アカデミーの予想を上回る意外な対応を取る。授賞を伝えるための電話連絡が本人に取れない。受賞するのか、しないのか。本人の意思が不明でなしのつぶて。アカデミー側がしびれを切らして「こちらから授賞通知の連絡はもうしない」とおかんむりの声明を出す。その後、しばらくして受賞の意思があることをディラン当人が連絡をする。ところが授賞式への出席については触れない態度。出るのか、出ないのか。ディランが黒の礼服を着て、スウェ―デン国王から恭しくアルフレッド・ノーベルの肖像が記されたメダルを受け取る姿なんて想像できないし、それはディランらしいのかと首をひねる光景だ。まして、正装して王族と一緒の晩餐会でにこやかに歓談するのかい、あのディランが?

授賞式への出欠の問い合わせへのディランの返答がふるっている。「先約がある」。よって欠席との意思表示。ノーベル賞の授賞式を欠席するほどの先約ってなんだろうかと思うほどの返答じゃないか。「飼い猫の誕生パーティーでね」「小学校時代の友達と鱒釣りに行くことになっているんだ。月に3、4回は行ってるがね」「サンドイッチを頬張りながらポーカーを目いっぱいする日になってるんで。12月の恒例だよ」。へんてこりんな答えがいくつも思い浮かんでくる。

ノーベル文学賞に対する、なんという文学的、しかも散文的な振る舞い。世界最高峰にある権威をこんなにも振り回すなんて! ほとんどディラン劇場である。慇懃無礼風にして不敵な態度をぬけぬけとやりまくる文学者の顔を持ったボブ・ディラン。改めて注目するようになった。武器ともなるダイナマイトで財を成した富豪ノーベルへのディラン風の意趣返しなのだろうか。

授賞者は半年以内に記念講演することが条件ということで、スウェーデン・アカデミーはディランの演奏公演を期待しているようだ。はたしてディランはどんな振る舞いをするのであろうか。公演をする意思を示すことなく期限が過ぎ、授賞取り消しといった事態があるんだろうか。なんとも目が離せないディランのノーベル文学賞騒動が展開中だ。まあ、来年以降、歌手のノーベル文学賞は多分ないだろう。スウェーデン・アカデミーもディランの不測の対応に懲りただろう。ビートルズをいち押ししているのだが、受賞はちょっと難しくなってしまったなあ。でも、もしスウェーデン・アカデミーが性懲りもなく、ミック・ジャガーとかマドンナとかを来年の文学賞に選んだならば、これはこれで大したもんだ。まさに文学的、散文的な、懲りない「英断」じゃないか。


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マリアージュ 獅子柚子の場合 後編

2016-11-27 | Weblog
恋の出会いを求める獅子柚子のお手伝いをしようとお見合いの場を設定する。机上の婚活として、そこいらにある物物に声を掛けて参加してもらう。

まずは、こちらのきらびやかなお方。エッフェル塔の形をした鋏である。

柚子と鋏は使いよう、と思おうとしたが、どうもお互い話題が続かない。

ここは物と物とをくっつける助っ人においで願おう。スティックのりである。

場を盛り上げようとの配慮のつもりでスティックのりがお互いの色合いを話題する。

スティックのり「黄色っていい色だね」

獅子柚子「そうだね……」

スティックのり「シン・ゴジラ見た?」

獅子柚子「見てない……」

スティックのり「君の名は。見た?」

獅子柚子「アニメ好きになれなくて……」

話を展開させようとする姿勢を見せるスティックのり、融通と機転が利かない獅子柚子、会話から取り残されたエッフェル塔鋏。てんでんばらばらのお見合いとなり、これにて散会。

お次はこの方、ちょっとお高くとまってそうにも見える金メッキ模様のあるワイングラス。

お互いに掛ける言葉なし。咳ひとつなし。時間の重みだけが両者にのしかかり、気まづい思いだけが漂う。これ以上対面しても時間の無駄だろう。最後に会釈だけをして散会。

武骨にして無口な獅子柚子だから、もう少しくだけた相手がいいだろう。それで、この方となる。ロンドンの2階建てバスのミニカ―でどうだ!

赤と黄色、同じ暖色系でお仲間にとの思惑であったが、ビートルズもバッキンガム宮殿も知らない獅子柚子の話題の乏しさはいかんともしがたいようであった。ロンドンバスは「また、機会がありましたら」との言葉を残して恭しく退室。

武骨には武骨でいくしかない。真面目一本のアメリカ・ボストン生まれの鉛筆削りをお招きする。

これまでのお見合い相手と違って話は盛り上がったようだ。その結果、鉛筆削りは「今後のお付き合いを希望します」との返答。これはいいぞ、婚活のお手伝いができて良かったとひと安心。と思いきや、獅子柚子は「武骨すぎる。付き合いたくない」と意外な返答。えり好みしている場合じゃないと諭したが、「嫌なものは嫌」と一本気なところ見せて縁談は成立せず。本人の意思を尊重することで今回のお見合い支援は終了。

その後の獅子柚子はどうなったのか。後日、屋外の門柱の上に乗っかっているのを見つけた。おーい、なにやってるんだあ?

門柱の灯りになろうって思ってね。明るい色でいいだろう。これで夜道も安心だね。

なんとも能天気な奴! 当面、嫁の来てはないな。狛犬のつもりで我が家を守ってくださいな。 





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マリアージュ 獅子柚子の場合 前篇

2016-11-25 | Weblog
隣家の元教諭の女性から「庭で取れたから、いかが」と声を掛けられて獅子柚子を頂いた。ざぼんを連想させる色合い、夏蜜柑を感じさせる表面のでこぼこ、ごっつい赤ちゃんの頭を思わせる大きさだった。柚子と言えば大人のこぶし大を見知っていたが、こんな大きいのは初めてだ。元教諭が使い道を教えてくれた。大きさの割に中の実の部分は小さく、味わいもいま一つだとか。冬至のときに小さく切ってネットに入れて柚子湯にしたらいいとの結論だった。

獅子柚子を手に隣家と地続きとなった境を越えて自邸の庭に戻りながら思案する。この、どっしり感がいい。スーパーに並ぶ果実類とは対極にある武骨さ、不細工さ、野性味満々の姿、形に引かれた。武者小路実篤や相田みつをの色紙絵に出てきそうな風体。絵ごころを誘う何かが漂う。実篤風に言えば「人は人 柚子は柚子也 されど 仲よき」、みつを風に言えば「譲る生き方でいいじゃないか 柚子だもの」

柚子を手に獅子舞いをしてみよう。その気になって即実行と相成った。

まずは左手に持ち、咲き始めた山茶花を背景にお披露目。

眺めれば眺めるほど、自身の脳味噌みたいにも見えてくる。中身が詰まってないなあ。

左手を手前に向け少しばかり起こして頭に生えた緑の葉を見つめる。山中教授のIPS細胞でもう少しふさふさとできるかな?

この緑の葉を付けたままにしたのは元教諭の心配り。葉があった方が素敵でしょ! 確かに。

気分が獅子奮迅してきた柚子。俄然、いろんな物物とお見合いを始め出した。

蔦が絡まりつつある蹲の口元にぴたりと寄り添って何やら囁いた。何事も順序、段階があるからねえ、いきなりじゃねえ。交際成り立たず。

堅物がだめならば、古色蒼然の古木の梅の元へ突進。

ぜひとも交際したいとの高揚感は分かるが、いきなり股ぐらに身を置くのはどうかな? よって、交際はお流れ。

それなら、これはどうだとばかりに二股交際に挑戦だ。あんたらも獅子、わたしも獅子。志士同志でどう?

昔の人はいいこと言ってます。ニ頭追うものは一頭も得ず。シーサーはまったく相手にせず。

お見合いは連戦連敗。獅子柚子はまたの名を鬼柚子とも言うとか。簡単にはめげないよ、ということで傘の側へ。

シークレットブーツ代わりに台に乗って言い寄ったものの、この身長差はいかんともしがたいし、どうもウマが合わない。

獅子という立派な名を冠した柚子もさすがに少しばかりやけになってきたようだ。

もう、どうでもいいんだよ。水道栓の上に乗って秋の日向ぼっこでもするさ。

高揚した気分は急転直下し、身も心も地面の上をころころと転がって草むらへ。

あれれ、ここはどこ?

捨てる神あれば、拾う神あり。日蔭ものの羊歯が寄って来て柚子を励ましてくれる。

陰陽のうち陰のパワーが獅子柚子の内に漲っていく。表皮の黄色は朝陽の色。一陽来復の香りが立ちあがってきた。








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本の壺 ルーヴルとパリの美術

2016-11-20 | Weblog
書斎にある壁に作り付けられた書棚の下段に大型本が並んでいる。背表紙にLe Louvreの文字が印刷され、一見してルーブル美術館に関係した本だと分かる。1巻から8巻までが隙間なく整列し、あたかも王宮を守る外壁のような一角となっている。取りあえず1巻目を取り出そうと片手を掛ける。ずしりと重い。片手ですんなりと動かせない。腰を落として両手で本の上部に手を添え、ゆっくりと引きだしていく。箱になっている。本当に本が入っているのだろうか。そう思わせるぐらいに重量感がありすぎる。敷石か金属の塊を想起させる。金の延べ棒を隠すのに打ってつけだな。そんな冗句を飛ばせるぐらいの重さである。

床の上に置いて箱の表を眺める。解体新書の時間だ。表にLe Louvreの大文字が黒字で印刷されているが、Louvreの「L」だけが金文字で豪華さの片鱗を感じさせる。表題の傍らに「ルーヴルとパリの美術 Ⅰ ルーヴル美術館(1)」と日本語が小さく添えられている。箱の右端2カ所がマジックテープで留められている。ゆっくりと引き外すと、バリッという小さな音を立てて箱の表蓋が左右に開いた。段ボールの外装箱の中に別の濃い灰色の箱が収められている。表面は布張りでLe Louvreが型押しされ、角度によって浮き上がって見える仕組みになっている。内装箱を取り出す。堅牢な作りになっている。丁寧な作業で箱を開く。銀箔で仕上げたのかと思わせる銀色の装丁本が姿を現した。表面には小さな四角形が無数、型押しされている。

大きさを測る。縦37、横26・5、厚さ5・7。いずれもcmである。576頁。重さは5・3キロ。外装箱、内装箱を含めた総重量は6・9キロである。吹けば飛ぶような紙も束ねて集めれば、文字通り重荷となる。誤って足の甲にでも落とせば確実に骨折する。後頭部や頸椎を殴られれば半身不随の後遺症をもたらすような鈍器にもなる。2巻から8巻までほぼ同じ大きさなので、全巻で55キロぐらいと人間並みの重さになる。

まずは奥付を見る。「昭和62年2月20日 初版第1刷発行 定価34000円 発行所小学館」。昭和62年は1987年。バブル経済時代の出版じゃないか。1冊34000円! なるほどね。この重厚長大さと値段の破格なのが理解できる。中身をめくる。まえがきも、あとがきもない。出版の経過や狙いなどが書かれた頁もない。いきなり目次に入り図版と作品名が列挙される頁が続く。いわば写真と解説が付いた作品目録集みたいな体裁になっている。刊行当時はインターネットが普及していなかったが、書斎片付け中の現代はネット全盛である。アマゾンで検索する。ルーヴルとパリの美術と打ち込むと、商品説明が見つかった。出版社からのコメントを引用してみる。

「ルーヴルとパリの美術(全8巻)」は撮影期間7年。完全オリジナル撮影と現地色校正により、作品の正確な色彩を再現。名画本来の姿を日本に初めて伝えます。レオナルド=ダ=ヴィンチ、レンブラント、ドラクロワ、ミレーなどの巨匠の超A級作品は、2頁見開き大型カラー(B3判)による全体図と、これまでになく詳細・綿密な鑑賞が可能な部分クローズアップとで構成。微妙なニュアンスを含む細部を精緻に再現します。本書に収録されたカラー総数は約1700点、大型モノクロ・グラビアは2300点にも及び、1巻あたりの収録点数は従来の豪華本の約2倍。世界でも例のない大スケールでルーヴルとパリの美術を鑑賞いただける豪華本であり、ルーヴル美術館の最高傑作で造られた本格的美術全集です。

小学館が満を持しての刊行がバブル経済の大潮流に遭遇したようだ。美術作品があたかも人類の遺産標本見たいな感じで丁寧、かつ慎重に撮影されており、美術専門家のための研究書か教科書みたいな本である。全巻を時間をかけてじっくり読破してみよう。といった気を全く起こさせない全集である。故人も開いた形跡がない。配本されてそのまま書棚の下段に並べていったという感じだ。机の上に置いておこうかな、という気にもならない本である。なにせ重くて大きすぎる。

アマゾンの中古品を見ると、1巻目で最も安いのは1629円。最高値は定価と同じ34000円。外装箱は輸送のための箱、内装箱は専用箱だと記載されていた。全部で8巻ではなく、図版索引の巻が付いて9巻の全集であることも分かった。全9冊での売値が25000円という出品もあった。8巻目の箱を開くと、図版索引も梱包されていた。これで全9冊という訳か。中に御愛読者の皆様へと記された封筒が入っている。

「小社『ルーヴルとパリの美術』は、この第八巻をもちまして漸く完結を迎えることができました。昭和六十年六月の刊行開始以来、長期間に渡りご愛読を賜り誠にありがとうございました。心より御礼申し上げます。また、刊行が当初予定いたしておりました期日より大幅に遅れまして、ご愛読の皆様には多大なご迷惑をおかけいたしました。図版の写真取材を始めといたしまして、より完璧に近い編集を追求した結果でございますが、本当に申し訳ございませんでした。(中略)昭和六十三年六月三十日 小学館」

最初の刊行から最終配本までに3年間を要したことを詫びている。走りながら考えるというか、順次出版しながら次回配本の編集を進める中で紆余曲折があったのだろう。

翌昭和64年は平成元年と重なる年である。ルーヴルとパリの美術全集はまさに昭和の最後を飾る豪華絢爛、その名に恥じぬ超大作本の金字塔を打ち立てた。そして時代はバブル崩壊へと突入していく。故人の書棚で化石のようになって眠っていた全集を、わたしは発掘した気分だ。全9冊の売値25000円の金額が頭をよぎる。投げ売り、たたき売り価格である。編集者たちが精魂込めて創り上げた本のことを思うと、なんとも言い知れない感慨が湧き起こる。お詫びの手紙を専用箱に収め、再び化石を埋め戻すような気分で、この全集を書庫に取り置きすることにした。ルーブルも、パリも、大好きだから。

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本の壺 帯文

2016-11-15 | Weblog
古くなった本の片付けをしながら改めて気付いたこと。それは文庫本から新書、単行本に至るまで帯が付いていることである。腰巻とも言ったりするが、本の表紙に巻きつけてある宣伝文、惹句などを綴った紙片のことを言う。本体の表紙にさらに紙の表紙を着せ、さらに帯を巻く。日本ならではの着物文化が本の体裁にも影響しているのだろうか。外国の本で帯付きなんて見たことがないが、日本独特の出版文化なのかもしれない。

出版社は売るために本を出すので智恵を絞る。帯文はその先兵、案内役、客引きみたいな役目を果たす。本の内容の神髄や魅力を簡潔に表しているのが多く、著者名や書名との相乗効果を狙い「一寸の言葉」でもって読む気、買う気を誘ってくる。それにしても帯とか腰巻とか呼ぶ割には、その位置は腰の下、臍丸出しの位置にある。卑近な言い方をすれば、足首までずり落ちたトランクスである。むしろ位置関係からステテコ、もしくはレッグウオーマー、ロングソックスと言った方がより正確なような気がする。

余談はともかく幾冊かの帯文を見て、読んでみよう。

岩波文庫別冊「ことばの花束 岩波文庫の名句365」の場合

「良書の要約というものはすべて愚劣なものだ モンテーニュ」

のっけからなかなか強烈である。本書の中身が世界の名著、名作の中から選りすぐって集めた言葉、すなわち超要約みたいものだからね。本書の試みを帯文で堂々と否定、批判する言葉を載せている。これはどうゆうことなのか。

裏表紙に巻き付いた帯文を見てみる。内容の一部が引用されている。

「金銭は肥料のようなものであって、ばら蒔(ま)かなければ役には立たない。 ベーコン随想集」「人生は短く金は少ない。 ブレヒト・三文オペラ」

モンテーニュの指摘とは全然違って、ちっとも愚劣じゃない。中身を読んでも珠玉の言葉ばかりが並んだ良書である。ははーん、知性と見識の雄・岩波文庫は大胆にして挑戦的に帯文を選んだもんだな。普通はモンテーニュの言う通りだけれども、岩波文庫がやると違うんですよ、ということかな。

三笠書房知的生きかた文庫「武士道 新渡戸稲造 奈良本辰也訳・解説」の場合

「国家の品格」の著者、藤原正彦お茶の水女子大教授の推薦文が載っている。

「『武士道』とは、ハラキリや戦争とは無縁のものである。国にも個人にも『背骨』が必要だ。この本には、日本再生のヒント、いや、世界再生のヒント、指針が随所に示されている」。その真下に出版社の言葉が続いている。「あのエジソンもルーズベルト大統領も『武士道』の中に“生き方 ”の答えを見つけた!」

同書の出版当時(2006年3月25日 第46刷発行)、藤原教授の推薦は絶大だったろう。ただし、これだけじゃ中身の凄さが分からない。帯文の裏側を覗くと、神髄があった。

「今なお世界に誇る 名著の中の名著! 真に“人間らしい”生き方、“人間らしい”死に方とは―」とある。「勇」―いかにして肝を錬磨するか 「仁」―人の上に立つ条件とは何か 「礼」―人ともに喜び、人ともに泣けるか! などなど武士道の徳目が幾つか列挙してあり決め打ちしている。口角泡を飛ばし、獅子吼し、やや興奮気味なのが気になる帯文。「武士道」を薦める者はもう少し落ち着いて寡黙であってもいいのではないかな。

永田農法「極上トマトをベランダで作る」の場合

「『まずは失敗してみたらいいじゃありませんか』、この本の著者の永田さんは、平然と言う。園芸や農業についての知識のある人ほど半信半疑になるはずで、何も知らない人が素直にやったほうが、うまくいくらしい。どのくらい素直になれるか、自分をためしてみてください」

ベランダで極上トマト? そんなこと簡単にできるの? 確かに半信半疑になる書名である。そして著者は言う。「まずは失敗してみて」。失敗することで考え、工夫をしていくという流れになるのだろうか。面白い帯文だと思ってみたら、書き手はコピーライターの糸井重里だった。知らないもの勝ちの成功法をさらりとした文章で言いきっている。


佐々淳行「新・危機管理のノウハウ 平和ボケに挑むリーダーの条件」の場合

「『精神の瞬発力』がクライシスを救う! 湾岸戦争日本の『失敗の本質』から高級参謀学まで、90年代の指導者必読の『危機管理』テキスト」

「精神の瞬発力」が意味不明だから、それがどうクライシスを救うのかも意味不明である。しかし危機が迫り、あるいはその渦中にある時にじっくりと考えている場合ではないのだろう。よく分からないが、瞬発に感じ、瞬発に考え、瞬発に行動することになるのかな。ならば、瞬発に読まずに放り出そう。発行が1991年10月25日第5刷。25年も前の本だからノウハウが古くなっていないかと思ったわけではなく、読む気がなぜかしないんだね。さて、この判断、正しい瞬発力なのか、そうでないのか。今のところ、クライシスは迫ってないようだが。
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本の壺 最新刊と古典

2016-11-12 | Weblog
膨大な本の山を麓から山腹を眺め、片付けという頂上を目指して仕分けしていく。取り置きすべき本とそうでない本の二者択一の時間が過ぎていく。古くは戦前の昭和16年の本がある。故人が関心を持って購入した本が時の経過とともに古本となって書棚を埋め尽くしている。新しいのでは2、3年前に出た健康に関する本がある。遺品となった本を分類してみると、故人の生きざまや趣味などが見事に反映されている。経済・経営関係の本は会社役員だったためだし、随筆本や短歌の歌集が多いのはその世界の愛好家ゆえだし、ノストラダムスなどのオカルト系や気に関するものは好奇心旺盛と言えるのだろう。老子など思想関係もけっこう並んでいる。本を手に取りながら思う。人と同じように本にも地味と華やか、短命と長命があるみたいだ。

経営コンサルタントの本がやたら多い。それは年に何回も著書を刊行し経営者らに檄を飛ばすのが彼らの仕事だからである。経営本の目標は企業が利益を出すということに尽きる。すなわち黒字経営。そのために働き手としての人材の確保と、企業を継続していくための資金繰りが要となる。資産はどれくらいあるか。赤字か黒字か。手元に現金がいかほどか。企業の決算書の見方や改善の基本は戦前も戦中も戦後も同じである。時代は違えど黒字経営の定石は不変だ。だから経営コンサルタントは決定版を1冊書けば事足れりと思うのだが、今年は激動の時代に入るなどと毎年同じような趣旨を連呼し最新作を書き続けている。こうして書棚に彼らの、表現こそ違うが、趣旨は基本的に同じコンサル本が何十冊も並ぶことになる。その旬の時間は短い。次の旬となる本がすぐにやって来るからね。

世界経済が破綻する。富士山が爆発する。大災難が人類を襲い大勢が亡くなる。こんな不安を煽るような予言や警告、オカルトっぽい本も少なからずある。例えばノストラダムスの大予言。一世を風靡した話題の本だった。1999年7が付く月に人類が滅亡するような事態が生じる。こんな人心を惑わす内容で、著者はカウントダウンに向かって何冊もの類書を刊行しまくりベストセラーとなった。そして運命の日。世界は昨日と同じように明日を迎えた。その翌日も、その翌々日も人類も地球も健在だった。1カ月が経ち、三カ月が過ぎ、半年となり、著者は存在意義を失い出版界から消えていった。他の著者が2000年から2010年代前半までに起こる災害・災難を明確に予言した本があったが、検証した結果、見事に全て外れていた。即処分の本である。

人生は短し、芸術は長し。古典として読み継がれて来た文学本は総じて長命である。紫式部の源氏物語、ダンテの神曲、ホイットマンの草の葉、万葉集。こんな本を読んでいたのかと故人の読書遍歴が偲ばれる。利益を求める経営などの実用書とは対極にある本たちである。思索と感性を言葉でもって表し、精神に深みをもたらしていく。流れ行く人生の中で文学に浸る時間をつくる。とっても創造的で幸せなひと時だと思う。大岡昇平のレイテ戦記など戦争を題材とした小説や回顧録なども多い。繰り上げ卒業、学徒出陣組だった故人の思い入れが感じられる。青春を戦争で過ごした世代である。学友の中には特攻で散華した者もあれば、内地守備隊行きと南方戦線行きで運命の分かれ道となった者もあった。戦友会も1人去り、2人逝き、故人となる方が相次ぎ、そして誰もいなくなり解散してしまった。古典となりうる戦記文学を選び残しておこう。

残しておきたい本とそうではない本の違い、あるいは長命と短命の本の違いはなんだろうか。それは、本を読むことに味わい深さを感じるか、どうかだろう。手元に置いておきたいかどうか。書架に並べて背表紙を目にする愉しみがあるかどうか。味わい深い経営分析の本ってあったかしらん。




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本の壺 全集から文庫本まで

2016-11-09 | Weblog
書斎の片付け初回は下見で終わった。2回目に着手する前に大局着眼として取り置いて残す本と残さない本に分けることに。残す本は故人を偲ぶに相応しい本、もう1度読むことがありそうな本、本そのものに価値がある本、座右に置いておきたい本となる。残さない本は内容が古すぎて陳腐化した本、読む気を起こさない本、手元に置いておきたくない本となる。故人の本として全てを残すということも一応考慮したが、未来への箱船には定員があって全てを乗せることはできないのだ。ノアの箱船と同じでね。数を選び乗船を制限しなければならない。

片付け方針の基本を確認した後、2回目となる書斎の扉を開く。改めて感心と驚愕を感じてしまう。なんという本の多さであり、紙の塊だろうか。正岡子規の全集が床に積まれ、安岡正篤らの単行本が並び、岩波新書の赤本、青本、黄色本も書棚に並んでいる。文庫本も岩波書店、講談社、PHP文庫、角川文庫、新潮文庫など有名どころが顔をそろえている。これらの本たちは書店で手に取られ、買い求められ、書斎に運び込まれ、故人の読書の時間のお伴をしてきたのだろう。長い年月を掛けて1冊、2冊、3冊と本が運び込まれて書斎は本だらけの空間に変貌し、整理整頓の枠をはみ出して溢れだしてしまった。

書斎にあった肘付き椅子に腰かける。周りに本が積み重ねられているので椅子を動かせる範囲は極めて狭い。じっとして本の背表紙を眺めていると、なにやら古本屋のおやじにでもなった気分になってくる。値札もなければ、売値を裏表紙の隅に書き込んでもいないので、売る気はまったくない古本屋だ。お客が1人も来ない古本屋。日がな1日、椅子に座って気分にまかせて書棚に手を伸ばす。取りだした本を流し読みして時間が過ぎていく。お腹が空けば、机の上の本を左右に押し広げて小さな空間をつくり、珈琲とバターをたっぷりとつけた食パンか、スライスしたトマトとキュウリ、それにシ―チキンをまぶして作ったサンドイッチを頬張りながら、手当たり次第に何冊も拾い読みをしていく。

正岡子規全集の1冊を手に取る。読んだ形跡がない。きれいなままだ。わたしの手によって購入後に初めて頁が開かれる。縮まった蛇腹を指の腹で撫でるようにめくる。頁が書斎の空気に触れて、息を吹き返したようにパラパラパラと流れるようにめくれていく。紙に元気がある。古い本になると紙も土色に変色し、紙質も年を重ねて張りを無くして弱弱しくなり、つっかえるように、あるいはまとわるように、のろのろとめくれていく。終戦後まもなくして刊行された長塚節全集がある。敗戦で焼け野原となり、あらゆる物が乏しかった当時だったから、粗末な紙に印刷されている。そんな時代にあって文化の香りを求め、文学への渇望を叶えるために奔走し尽力した出版人たちの思いが伝わる。戦後70年を経て長塚節全集は劣化が進み各頁はこげ茶色となり、化石のような風態となっている。

単行本も20年前、30年前、40年前に出版されたものがある。経営書にしろ、自己啓発書にしろ、健康本にしろ、当時最先端だった内容は遙か過去のものとなり、人気を博した著者も既に鬼籍に入った方々ばかりだ。新書も同様だ。時代の旬の話題をテーマとした内容が多いだけに、時間の経過とともに陳腐化し、誰も読まない本となってしまう。岩波書店の新書がたくさんあるが、手にして読む気をそそる書名のものがない。光文社のカッパブックスなどベストセラーの常連だったが、栄枯盛衰、今や見る影もない。

文庫本もたくさんある。書名や内容に関心を持つ以前に、今のわたしには活字が小さすぎる。青年時代、文庫本の活字の小ささなどなんともなかったが、齢を重ね読書眼鏡をかけるようになると、この活字の小ささは読む気を失せさせる。目が疲れるためだ。鞄に入れて旅先や乗り物の中、待ち合わせの合間に手にして読むなんてことができなくなった。岩波文庫の表紙の不変さは懐かしいし、硬派の出版社としての矜持みたいなものを感じさせる。文庫本として風格があり、机の上に1冊置いているだけで知性の香りを漂わせるものがある。

全集から文庫本に至るまで、この書斎に集った本たちは故人の友、いや親友、いや人生の戦友だったろう。たとえ全てが読まれていなくても。



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本の壺 序章

2016-11-07 | Weblog
故人となった経営者の書斎の片付けに関わることになった。どうして?といった経過は割愛するが、8畳ほどの書斎は本だらけ、しかも雑然の極みで足の踏み場がないほどだ。東向きの壁一面に作り付けの書棚をはじめ、スチール製と木製の本棚がそれぞれ1つ、スライド式で表とその奥にも本が入る本棚が1つある。これに抽斗が両側に付いた大き目の机が2つ。天井以外は床も壁も机の上も本がてんこ盛りとなっている。故人は読書好きであると同時に蔵書好きでもあったみたいだ。認知症とも無縁で元気だったから生前整理など念頭になかったようだし、ものを捨てるのが嫌いな高齢者の1人だった。乱雑ながら本に囲まれた洞窟みたいな書斎に愛着を持っていたことが分かる。

書斎の扉を開き、室内を見回して故人が本とともに過ごした時間を回想したまではよかったが、次なる想いは「さて、どうやって片付けようか」だった。作業のための時間はわたしの都合で休日のうちの数時間しかない。そもそも片付けは春先から始める予定だったが、私用や気分が乗らない、部屋が寒い、或いは暑いといったことで先延ばしが続いて秋の陣と相成った次第である。3日間ぶっ通しでやるなんて時間はつくれないので、できる時に毎回3、4時間ほど少しずつやることにした。

主がいなくなった本たちをどう扱うか。蔵書家だった父親が亡くなり遺品となった本の片付けをした知人の話を思い出した。公立図書館も父親の知り合いも誰も譲り受けを望まず、古すぎたり書き込みやサイドラインが引いてあったりしてブックオフで売れるものも少なく、結局、大量の本を小分けしながら燃えるごみとしてゴミステーションに何度も運んだという。本をごみとして出す。残飯や口をぬぐったティッシュ、タバコの吸い殻などの中に徒然草やシェークスピア、老子を投げ捨てたくない。読書も蔵書も好きなわたしとしては出来ない選択だ。なんらかの形で「活かす」こと。これを片付けする本たちの運命とすることにした。

本に関心がない人が見たらゴミ書斎となる小部屋を前にして、わたしの信念は少しばかりたじろぐ。本の数があまりにも多すぎる。書棚に入れた本の前にさらに本が1列に並べて重ね置きされている。見た目以上に本が詰まった書斎となっている。8畳間にざっと1万冊ぐらいはあるだろうか。よくよく書棚を眺めてみると、本以外の物もけっこうあるみたいだ。スチール製の大型書類入れが4個、新聞や雑誌からの切り抜きなどが入っている封筒類、写真類、ファイルノート、手帳類、メモ用紙類、原稿用紙、人形、記念品などもいっぱいだ。

つくづく思う。整理整頓は元気なうちにすべし。お気に入りだけを身の回りに置く。持ちすぎることから解放されて心を軽くして日々を過ごす。遺品整理を残った人たちの負担にしないこと。がらくたは買ってはいけない。さまざまな教訓が浮かんでくるが、片付けの緒に就く気にならない。故人が手にした本たちが他人に片付けされることを拒否しているみたいだ。先は長くなりそうだ。この日は現状把握の時間として引き上げることにした。わたしは書斎の扉を閉じた。本たちを活かすための戦略と戦術を練ることにした。片付けは戦であり、格闘でもある。もちろん武器ではなく、頭と両手を使うのだ。
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