おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

クイーンエリザベスの死

2023-04-29 | Weblog

祝日の4月29日は雨で明けた。

黄金週間の始まりの日でもある。

雨降りだからミステリーでも読もうではなく、室内の片づけをすることにした。

5月7日までの期間中のTO DO LISTに自宅の各部屋の片づけをすることを挙げていた。

29日のTO DOは茶室でもある応接間と隣接の仏間の掃除と片付けである。

作業はゆっくりと丁寧に、そこにある物の一つ一つに想いを馳せながら時間が流れていく。

生きていると、物は増えるものであり、取り合えず置いた場所に居座ることになる。

お気に入りの物に囲まれるということは耽美的な悦楽に浸れて心地よい。

度が過ぎて増え続けると、お気に入りの物に占拠された空間は我楽多風の空間へと変貌する。

無秩序が支配してくると、不思議なことに秩序に向けてのリセットの気分が高まってくる。

日頃から秩序を維持しない付けは、いつかは支払わなければならないということだ。

応接間と仏間の片づけを済ませて、次のTO DOとしてテラスへ移動する。

小雨が降る中でテラスに吹き込んだ落ち葉を箒で掃いていく。

掃きながら、テラスの傍にある池の中の緋ブナのことが頭に浮かんだ。

クイーンエリザべスの姿を最近見ないが、どうしているのだろう。

豪華客船の名称を命名したわたしのお気に入りの緋ブナである。

少なくとも15年以上生き続け、赤と白が交りあった姿で体長25cmほどに成長した。

池の中の緋ブナ群の中で最高齢と最大の魚体を誇る。

泳ぎっぷりは自由自在で、池の端から端までを威勢よく素早く泳ぎ回る。

水の中で生きていることを存分に愉しんでいるということが泳ぎから伝わってくる。

毎年生まれる多くの緋ブナが成長の過程で病気になったり、アオサギやウシガエルなどに捕獲されるなどして消え去る。

クイーンエリザベスは天敵への恐怖や暑さ寒さを乗り越えて生き残ってきた。

数年前からは魚体が「く」の字に曲がってしまった。加齢現象に伴う変異である。

歳月を経るうちに、かつての豪快な泳ぎっぷりはできなくなった。

くの字の姿を池の底でじっとしている時間が多くなった。

池のどこかに身を潜めるようになり、姿を見ない日が数週間経つこともあった。

時折、水面近くを漂うようにしている姿が見られるようになった。

もしかしてとの危惧をもって池の端から覗き込むと、素早く池の底へ潜った。

こんなことが月に1,2回あるようになった。危惧しては安心しの繰り返しである。

そして今日、小雨ふる中で池を覗き込む。

クイーンエリザベスが水面近くに漂っている。いつものように体をくの字にして。

目を凝らす。水面近くではない。体の一部が水面から出ている。

おかしい。水面から体を露出するという、そんな無防備なことはしない。

テラスに置いてある魚網を持ち出して柄の部分で体に触れてみる。

反応がない。その日が来たことを直感した。

漁網で魚体をゆっくりと掬い上げる。

クイーンエリザベスの重さを初めて感じた。

まだ異臭もなく、目の一部がふやけたようになっていたが、他の緋ブナに食べられた跡はなかった。

死後そんなに経っていないようだった。

ビニールの手袋をして漁網から魚体を取り出して横に寝かせた。

くの字だった体が平らになった。安らかな姿ながら、胴体部分は肉厚で逞しかった。

小雨の中を蝿が1匹飛んできた。クイーンエリザベスの周りで旋回している。

すかさず追い払う。即座に弔いをすることにした。

庭の一角にあるヤツデの葉を2枚切り取って、そのうちの1枚に魚体を寝かせ、残り1枚をかぶせた。

ヤツデに挟まれたクイーンエリザベスを新聞紙で包み、池の傍にある樹木の根元に埋葬した。

野生動物が掘り返すのを防ぐために重い石をいくつか乗せて墓石とした。

雨の中、庭の一角に咲いていたアザミとフランス菊を切り取って供花とした。

傘を差したまましゃがんで合掌し想いを伝えた。

きょう、掬い上げることができてよかったよ。

こんな形で対面できるなんてねえ。

生まれ変わったら、また、わたしの傍においで。

 

クイーンエリザベス、ここに眠る。長年にわたり緋ブナだと想っていたが、調べてみると、更紗(赤と白色)の和金(フナの姿をした金魚)だと分かった。

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隠密指令 アレルギー犯を特定せよ!

2023-04-24 | Weblog
ことの発端は昨年の秋に入ったころである。暦で言えば、10月頃だろうか。鼻の奥にツン!とする感覚が走った。冷たい空気が鼻孔の中に入り込んで知覚神経を刺激したのだろうか。ツン!はスイッチが入ったことを知らせる合図だった。
 
くしゃみが先陣を切った。ハックショーン。見事なまでに典型的なくしゃみの擬音語である。1回で済めば、心地よいほどのくしゃみだったな、となるのだが、引き続き2回目のハックショーン。2回も続くとは景気がいいなあ。ここまでは鷹揚な対応である。続いて3回目のハックショーン。これで終わらないとなると、笑い飛ばせない事態となる。5,6回目までは数えられたが、それ以降は数える状態ではなくなった。
 
鼻の奥のツン!は不定期にやってきた。体に何かが起きる合図であることは分かってきた。くしゃみはない。鼻からの水、すなわち鼻水である。止まらない。ティッシュでぬぐってもぬぐっても止まらない。ふき取ってから3分後には岩清水のように湧きだしてくる感じである。ティッシュをボックスから1枚、2枚どころではない。引き出す数が時間の経過とともに10枚、20枚と増えていき、50枚を超え、ボックスがたちまち軽くなり、1箱を半日で使い尽くすことになる。
 
わが鼻孔は洪水で溢れる状態のときもあれば、その真逆のカラカラ砂漠となって、完全窒息状態の鼻詰まりとなる。潤いがあり過ぎるのも困りものだが、全くなくなった上に空気を完全遮断してしまうのも困りものである。接着剤で固められたように鼻孔の奥が塞がれた感じとなる。
 
耳鼻咽喉科へ走る。先生! 鼻水を止めてください。先生! 鼻に空気が通るようにしてください。先生! くしゃみを止めてください。先生! 涙目を治してください。駆け込み訴えに先生もたじろいだ様相だった。そんな様相の割に診察に基づく所見は凡庸なものだった。まあ、花粉症でしょうかねえ。花粉症は春に多いのですが、秋にもあるんですよ。雑草が花粉を飛ばしたりしますから。自問する。広い意味での加齢現象で、免疫力が落ちたのかもしれない。アレルギー反応を鎮める薬を処方してもらい病院を後にする。
 
処方薬を飲用して、数日経つと治ったかな、と想えるように症状が消えた。ところが、散発的にくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、涙目が入れ替わりでわが身を急襲する日々が続く。秋が過ぎて冬に入り、年が改まり、令和の5年に入って厳冬期になってもアレルギー反応が不定期に主演、助演を入れ替えながら登場し続ける。
 
再び耳鼻咽喉科へ走る。厳冬期で花粉なんか飛び回っていない。鼻孔の奥を観察し終えた先生。所見を待つわたし。その2人を見守る看護師こと先生の奥様。診察室に緊張感が漂う。先生が口を開いた。それを聞き漏らすまいとするわたし。先生の奥様も注目し傾聴する表情をしている。
 
寒暖差アレルギー反応でしょうかねえ。初めて聞くアレルギー反応だった。先生の言葉通り、気温の寒暖差に反応するのだそうだ。春夏秋冬、四季が巡る日本では季節の変わり目は寒暖差が付きものではないか。と言うことは年から年中、くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、涙目、それにティッシュの大量使用の時間を過ごすことになるのだろうか。先生の所見は丁寧なもの言いながら、超短かった。以前と同じ薬を処方され、病院を後にした。
 
月日が流れて4月の下旬に入った。アレルギー反応は収まったように見せかけては、ぶり返しを重ねた。知人が助言した。セカンドオピニオンで別の耳鼻咽喉科に診てもらったらどう。知人に紹介された耳鼻咽喉科を訪ねる。鼻、喉、耳などを観察し、鼻と喉からの粘膜を採取して検査をした先生が所見を述べた。アレルギー反応があるようですね。
 
そんなことは百も二百も五百も承知のわたし。先生が畳みかける。なにが原因のアレルギー反応なのかを特定する検査がありますよ。指先からわずかな血液を採取して専用の機器で解析するのだという。30分から40分ほどで結果が出る。アレルギー犯の正体を突き止めることにした。血液を採取し機器で解析中に機器が故障を起こして、この日は検査中止になった。わたしの血液で機器がアレルギー反応でも引き起こしたのか。後日、再検査となった。
 
後日の再検査の結果が出た。看護師が検査報告書を手にしてわたしに見せた。検査項目にダニ・室内塵、動物、昆虫、樹木花粉、イネ科植物花粉、雑草花粉、真菌(カビ)、食物、その他など総計41種類のアレルギー犯の名前が列挙されている。わたしをくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、涙目で苦しめた犯人がこの中にいる。1人か、それもと2人以上の複数犯か。
 
こんなことで心が躍って、わくわくしていいのかと自問しながらも、看護師の説明に傾聴する。41種のアレルギー犯の右側の欄に0の数字が並んでいる。0の右隣に陰性と印字されている。41種すべてが0にして陰性。看護師は手短に結論を断定した。検査の結果ではアレルギー反応を起こすものは見つかりませんでした。えっ! 犯人がいない! 看護師の最後の言葉がこれだった。寒暖差アレルギーかもしれません。
 
耳鼻咽喉科からもらったアレルギー検査報告書。
すべて陰性の結果ながら落胆と喜びが入り混じる。
検査料5000円にアレルギー反応が出そうになる。
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自分自身のためのレクイエム 逝きし坂本龍一

2023-04-04 | Weblog

YMOのテクノポップを聴いたことがある。

戦場のメリークリスマスの主題曲を耳にしたことがある。

モノトーン風の画像の中でピアノを奏でる姿をNHKの放送で今しがた観た。

音符でもって世界と自らを表現した。

電子楽器を使った無機質な音楽で世間の注目を集めた。

最期が迫りくる中でピアノの鍵盤で有機的な音楽を奏でた。

その音楽は耳を通じて体の中に入り込み、血流に溶け込んで全身を巡った。

生を得て長年育まれてきた才覚が、去り行く定めの自身のために、鎮魂曲を捧げた。

生き続けたいという渇望の力みもなく、かと言って生へのお別れの憐憫さもない。

不思議な想いが込められたピアノの調べでもあった。

 

テレビ画面に流れる言葉の断片が残像となる。

新しい仮住まいの家に「帰って……

ふとシンセサイザーに手を触れ……

ただ「音」を浴びたかった。

心のダメージが少し癒される気がしたのだ。

音楽を聴く体力もなかったが……

何とはなしにシンセサイザーやピアノの鍵盤に……

テレビ画面の字ずらを追いながら想う。

ああ、これはレイクエム。自分自身のための曲にして、慈しみの言葉。

 

ライン仲間の知人に訃報を知らせる。

折り返し返答が届いた。

YMOのデビュー時の衝撃と戦場のメリークリスマスにおけるデビッドボウイとの共演は強く印象に残っている。

当たり前だがひとはいつか死ぬのだな。

どんなに金があっても才能に溢れていても。

一抹の寂しさ。

人生をかけてそれぞれの歌を歌い、残そう。

いつかくる日までに。

 

ラインを閉じて想う。

多くの曲を創り、病と闘い、ピアノを奏でる映像を遺して、旅立った。

71歳。なんとも惜しまれる年齢であることが嗚咽となって伝わってくる。

 

4月4日放送のNHKクローズアップ現代での姿。

この世に音楽と面影を遺して、坂本龍一は逝った。

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