祝日の4月29日は雨で明けた。
黄金週間の始まりの日でもある。
雨降りだからミステリーでも読もうではなく、室内の片づけをすることにした。
5月7日までの期間中のTO DO LISTに自宅の各部屋の片づけをすることを挙げていた。
29日のTO DOは茶室でもある応接間と隣接の仏間の掃除と片付けである。
作業はゆっくりと丁寧に、そこにある物の一つ一つに想いを馳せながら時間が流れていく。
生きていると、物は増えるものであり、取り合えず置いた場所に居座ることになる。
お気に入りの物に囲まれるということは耽美的な悦楽に浸れて心地よい。
度が過ぎて増え続けると、お気に入りの物に占拠された空間は我楽多風の空間へと変貌する。
無秩序が支配してくると、不思議なことに秩序に向けてのリセットの気分が高まってくる。
日頃から秩序を維持しない付けは、いつかは支払わなければならないということだ。
応接間と仏間の片づけを済ませて、次のTO DOとしてテラスへ移動する。
小雨が降る中でテラスに吹き込んだ落ち葉を箒で掃いていく。
掃きながら、テラスの傍にある池の中の緋ブナのことが頭に浮かんだ。
クイーンエリザべスの姿を最近見ないが、どうしているのだろう。
豪華客船の名称を命名したわたしのお気に入りの緋ブナである。
少なくとも15年以上生き続け、赤と白が交りあった姿で体長25cmほどに成長した。
池の中の緋ブナ群の中で最高齢と最大の魚体を誇る。
泳ぎっぷりは自由自在で、池の端から端までを威勢よく素早く泳ぎ回る。
水の中で生きていることを存分に愉しんでいるということが泳ぎから伝わってくる。
毎年生まれる多くの緋ブナが成長の過程で病気になったり、アオサギやウシガエルなどに捕獲されるなどして消え去る。
クイーンエリザベスは天敵への恐怖や暑さ寒さを乗り越えて生き残ってきた。
数年前からは魚体が「く」の字に曲がってしまった。加齢現象に伴う変異である。
歳月を経るうちに、かつての豪快な泳ぎっぷりはできなくなった。
くの字の姿を池の底でじっとしている時間が多くなった。
池のどこかに身を潜めるようになり、姿を見ない日が数週間経つこともあった。
時折、水面近くを漂うようにしている姿が見られるようになった。
もしかしてとの危惧をもって池の端から覗き込むと、素早く池の底へ潜った。
こんなことが月に1,2回あるようになった。危惧しては安心しの繰り返しである。
そして今日、小雨ふる中で池を覗き込む。
クイーンエリザベスが水面近くに漂っている。いつものように体をくの字にして。
目を凝らす。水面近くではない。体の一部が水面から出ている。
おかしい。水面から体を露出するという、そんな無防備なことはしない。
テラスに置いてある魚網を持ち出して柄の部分で体に触れてみる。
反応がない。その日が来たことを直感した。
漁網で魚体をゆっくりと掬い上げる。
クイーンエリザベスの重さを初めて感じた。
まだ異臭もなく、目の一部がふやけたようになっていたが、他の緋ブナに食べられた跡はなかった。
死後そんなに経っていないようだった。
ビニールの手袋をして漁網から魚体を取り出して横に寝かせた。
くの字だった体が平らになった。安らかな姿ながら、胴体部分は肉厚で逞しかった。
小雨の中を蝿が1匹飛んできた。クイーンエリザベスの周りで旋回している。
すかさず追い払う。即座に弔いをすることにした。
庭の一角にあるヤツデの葉を2枚切り取って、そのうちの1枚に魚体を寝かせ、残り1枚をかぶせた。
ヤツデに挟まれたクイーンエリザベスを新聞紙で包み、池の傍にある樹木の根元に埋葬した。
野生動物が掘り返すのを防ぐために重い石をいくつか乗せて墓石とした。
雨の中、庭の一角に咲いていたアザミとフランス菊を切り取って供花とした。
傘を差したまましゃがんで合掌し想いを伝えた。
きょう、掬い上げることができてよかったよ。
こんな形で対面できるなんてねえ。
生まれ変わったら、また、わたしの傍においで。
クイーンエリザベス、ここに眠る。長年にわたり緋ブナだと想っていたが、調べてみると、更紗(赤と白色)の和金(フナの姿をした金魚)だと分かった。