おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

素足が好きなもの 畳の感触

2018-04-29 | Weblog

暑くもない。寒くもない。湿気もない。4月の或る日のことだ。

青空が広がり、微風が窓から通り抜けていた。

身も心もともに心地よさを感じ入った時候の真っただ中。

靴下を脱いで素足になりたいと思った。

身ぐるみはがされた足に見入る。

血色のいい足の裏を両手の指や掌で撫で、足の指1本ずつを丁寧に揉みほぐす。

足裏の皮膚には艶があり、筋肉にはほどよい弾力がある。

踵にひび割れもなく、水虫も生息していない。

脂ぎってもいないし、汗臭くもなく、蒸れてもいない。

道具を手入れするようにして足先から足首までをいたわることが習い性となった賜物だった。

汗をかけば洗い流し、靴下は毎日替え、冬場には暖かくしてあげ、乾燥には保湿で対応した。

顔や手先の手入れが脚光を浴び、人目にさらされる部位に対し、足先は隠れた存在として生きてきた。

靴のデザインや靴下の素材に関心を寄せるのに、足首から先は脇役止まりだった。

足は靴や靴下の主役もしくは本体でありながら、いつも黒子役に追いやられる。

夏場になれば裸足が主役を張れるのではと思いきや、ビーチサンダルの方に注目が寄せられるのが常だ。

地面に立ち、頭や胴体、両手、太ももなど体の主要部分をたった2つの足の裏で支える重要な役割を担っていながら、栄誉は顔立ちの良さや手先の美しさに横取りされる。

なんでやねん。ホワイ? 私のことを忘れないで! こんな呟きを甲と裏でできた足先はすることもない。ひたすら寡黙に、体の下の力持ちに徹している。

こんな、忘れられた極めて偉大な存在である足先を大事にしようと思ったのにはきっかけがある。

それがなければ、足の手入れに思いを至らせることもなかったろう。手入れをしなければ、藪や雑草で荒れた庭みたいにひび割れ、水虫など皮膚の病を養う場所となっていただろう。

きっかけの1つは新聞の読者投稿欄か短いエッセーだったろうか。

こんな文意だった。

中年となった息子の遺体に接した母親の思いを綴った文章だった。逆縁の哀しみ。企業戦士だったのか、息子は突然倒れてあっけなく世を去った。衣類を身に付けた体の中で足先だけが靴下を脱いだか、脱がされた状態だった。母親は息子の足の裏を目にする。長年にわたり手入れもされず、朝から夜まで使い回され、履き潰された靴のような足だった。

母親の思いはいかばかりだったろうか。こんなになるほどまでにお前は働いて生きてきたのかい。使い古しのぼろきれみたいになった息子の足に、逆縁の悲哀がいっそう募って涙を誘ったのだろうか。赤ちゃんだったころの息子のかわいい足の末路が、冷たく、生気を無くした、くたびれきった足だった。

息子の足の裏に涙した母親の文章はこころに残った。自戒とともに生活信条の1つとして、足を粗末にしないことにした。

さらに足の手入れを大事にする意識を固め打ちしたきっかけの2つ目がこんな経験である。

高齢となり介護が必要となった父親の足を目にしたときだった。足先の清潔を保つためにお湯で絞ったタオルで拭こうとした際に靴下を脱がした。驚いた。高齢からくる皮膚の乾燥で艶がなくて干からびた感じの足だった。さらに、踵にひび割れが走り、汚れたぼろ靴みたいな印象だった。どうして、こんなになるまでほっといていた! 足先をお湯で洗い、保湿クリームを施し、指1本ずつを丁寧に揉みほぐし、足の裏のツボを押すようにしてマッサージをした。皮膚の病を治すため皮膚科へ連れていったりもした。長期間の手入れのお陰で高齢老人にしては艶のある足にまで回復した。もっとも体を支えて1人で歩くには覚束ない状態ではあったが。

足をめぐる2つのきっかけで手入れを怠らないようになった。当たり前のことだが、清潔と保温に留意し、汚れを拭い、両手もしくは足専用ローラー器でマッサージするのを怠らなくなった。なにより心地よいから継続できる。猫や犬を愛玩するように、2足に対しても同じ気持ちになってくる。靴もデザインや素材以上に履きごこちが購入の筆頭基準となった。

素足になったわたしは和室へ向かい、障子を開いて畳の上を歩く。足の裏で感じる畳のさらりとした爽やかな感触がすーっと体の上の方へ上がってくる。足の裏の心地よさ、畳の心地よさの2つを味わう。この感覚は靴下や足袋を履いていては感じることができない。素足だからこそ伝わる絶妙な皮膚感覚であり、暮らしの中で素朴に味わえる幸せでもある。立ち、歩くことを支え、可能にしてくれる最大かつ最良の相棒が2つの足だ。足の甲、裏、踵に目を注ごう。清潔で艶のある足は物語る。見えないところも美しくは美徳の1つであり、体の隅々まで行き渡った品性の良さの象徴でもある。

 

 

 

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新緑はわが心に溢れて

2018-04-19 | Weblog

春の訪れ 梢に新緑 のどかな陽ざし

深緑の古い葉は散り 入れ替わるように 黄緑色が景色を彩る

新しい葉が持つ初々しさ 柔らかさ 生まれたての芳香

小さく ひ弱で かわいい 葉っぱたち

風にそよぎ 雨垂れに濡れ 月光に照らされる

命のきらめき 賑わいが 大空に 街中に 人々に充ち溢れる

 

梢の隅々まで 新緑の歓喜の合唱が 輪唱となって 響き渡る

 

緑の歌声は 街中を漂い流れ ステンドグラスと 共鳴しあう

 

 坂の上の新緑 どんな花にも負けない 爽やかな華がある

 

 雨にも負けず 風にも逃げず 

冬の寒さに耐え 夏の暑さにめげない

読書をひと休みして 新緑で目を休めたまえ 

青銅色をした 頑張り屋の リーゼントの少年よ

 

 新緑が主役の中で はや5月の役者が 駐車場の壁面で待機している

季節の清々しさを 新緑は色合いで 鯉のぼりは泳ぐ姿で 感じさせる

 

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ペンタゴン・ぺーパーズが描く、正義の拠り所としての報道と司法

2018-04-14 | Weblog

昨年のトランプ政権誕生後、スティーブン・スピルバーグ監督が急きょメガホンを撮って仕上げた映画作品がペンタゴン・ペーパーズ(邦題)である。原題はTHE POST。米国の新聞ワシントンポストのことだ。ベトナム戦争中の1971年、国家が真実を嘘で覆い隠して戦争を継続していることを、ポスト紙が紙面で暴露するまでを描いた映画となっている。今、なぜ、この映画なのかは明白だ。自身への批判的な報道をフェイクニュースと言い放ち、意に沿わない政権幹部やFBI長官らの更迭、大統領としての資質と品格への多大なる疑問、アメリカファーストを旗印にした独善的な対外政策。まともな米国人ならば心中で思っているのではなかろうか。政治的な横暴と粗雑さが際立つ大統領で米国は大丈夫なのか。もちろん、大丈夫ではないさ、というのが陰の声ではなかろうか。

我がもの顔の政権運営を止める役割を担うのは、まっとうな報道機関と、大統領でさえ従わざるを得ない審判を下す司法機関であり、両者は大統領のためではなく、国民のためにある。そんな当たり前過ぎるメッセージが強く込められた映画でもある。現政権への直接批判を避けて、時代を1970年代、ベトナム戦争を背景とした状況にしてあるが、スピルバーグ監督が作品で糾弾しようとしているのは、もちろん今のホワイトハウスの主だ。

ベトナム戦争に関わる大統領の大嘘―勝つ見通しがないのに国民には真逆のことを伝えてきた―で米国の若者たちは戦場で命を落とし母国に戻されるために袋詰めにされて地表に横たわっている。共産主義の拡張を防ぐという大義を掲げてベトナムに軍事介入した米国。戦況から大義の実現も不透明という泥沼状態を把握しつつも、政権は国民には戦況と大義が進展しているかのような発言をメディアを通じて流す。映画は実話に基づいて構成され、ベトナム戦争の真実が綴られた国防総省の極秘文書ペンタゴン・ペーパーズの掲載を巡るポスト紙と当時のニクソン政権との攻防を軸に展開していく。

この映画の最も重要な人物は、ポスト紙の女性社主キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)と、記者たちを束ねる編集局長ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)―映画的には文字通り主役となる名優2人だが―と言うより、危険を冒して極秘文書をコピーして持ち出しニューヨークタイムズとワシントンポストに提供したダニエル・エルズバーグである。シンクタンクスタッフとして文書の執筆に関わった1人であり、ベトナムの戦場に出向いた経験がある人物である。大義の名の下で若者たちが命を落とす実態がある一方で、政権にとって不都合な戦況、表に出せない真実、国民には言えない内容が極秘文書として作成され世論の目からは隠される。大統領と政権の不正義に対する一撃、それは表沙汰にすることである。エルズバーグは人生を賭して実行した。

世界でも最大最強の権力者と首都圏にある地方紙との戦いは、エルズバーグから極秘文書のコピーを入手したニューヨークタイムズの1面スクープ(特ダネ)掲載から始まった。同じ日のポストの1面トップは社交記事という間の抜けた掲載。出し抜かれたポストはタイムズの情報源(ネタ元)探しに躍起となる。政権は国家の極秘文書を漏えいし戦争中の国家の安全保障を損なう反逆として提訴し、記事差し止めが認められる。遅れて文書のコピーをエルズバーグから入手したポストが続報の掲載を協議する。政権からは掲載への圧力の電話が入る。ポストの顧問弁護士たちは勝訴が難しいとして掲載を控えるよう説得に入る。役員らも新聞社が潰れるとして掲載反対を主張する。トム・ハンクスの編集局長は掲載することを譲らない。掲載か否か。誰が最後の決断を下すのか。社主である。

報道機関の社是・報道の自由と真実を伝える信念を試されるとともに、国家反逆罪の大ナタを振りまわして掲載を止めようとする政権との熾烈な法廷闘争でもある。新聞人の夫の急死でポストの社主となったキャサリンは地元の知名士ながら新聞編集や新聞社経営は素人。男たちが仕切る経営陣の中で傍から見てもいかにも頼りなげである。経営者として財政基盤をしっかりとしたものにすることにも頭を使わなくてはいけない。記事は書き上がり、校正、見出しなど紙面作業が進められる。掲載するのか、しないのか。朝刊印刷の時間は迫り、逡巡している間はない。新聞人だった夫の言葉、戦場に赴いた若者たちの死、新聞社の社主としての責任、さまざまな思いの中でキャサリンは判断を迫られる。そして思いを込めて決断する。掲載! キャサリンがまさしく新聞人になった瞬間でもある。

輪転機がペンタゴン・ペーパーズの内容を報じる紙面を瞬く間に刷り上げ、真新しい朝刊が市内各地に配送するトラックの荷台に積み込まれていく。真実を伝え、正義を貫く紙の束! 政権は提訴し、ポストはライバル紙のタイムズともども法廷に立つことになる。上告審の連邦最高裁判所は報道の自由を認めて報道機関勝訴の審判を下す。適法にして公正なる司法判断が正義の守護神として君臨していることが伝わってくる。編集局内で判決内容を電話で受けた女性スタッフが周りのスタッフに聞こえるようにひと節ひと節ずつ声に出していく場面こそ、判決の重みと相まって映画の中でわたしが最も感動した個所でもある。

50年ほど前の出来事を描いた作品は当時の情景を懐かしく思えるほどに映し出す。記者たちはパソコンではなくタイプライターで記事を書き、電話はスマホや携帯ではなくダイヤル式の有線電話だし、レストランでは男性客たちが煙草をくゆらして食事をしている。隔世の感である。エルズバーグが極秘文書のコピーを外部に持ち出して移動していく際、映画のポスターが貼ってある室内を通る場面がある。ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した明日に向かって撃て(原題はButch Cassidy and the Sundance Kid)の映画だ。スピルバーグ監督の茶目っ気に笑ってしまった。ペンタゴン・ペーパーズはニクソン大統領が辞任することになるウオーターゲート事件の始まりを告げる場面で終わる。映画大統領の陰謀(原題はAll the President,s Men)で、ニクソン大統領の犯罪を記事で暴いたのが記者役の1人ロバート・レッドフォードだった。記者魂に満ちた彼が所属した新聞社こそキャサリンが社主のワシントンポストだ。

 

 

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リスト愛の夢第3番のような春の光景

2018-04-10 | Weblog

例えばフジ子ヘミングが奏でているようなピアノ曲が流れる中で、わたしは春のいろんな景色、光景を眼にする。

陽が上がった早朝から、花が散り切って葉桜となった並木一帯で鳥たちが喧しいほどに鳴き叫び、飛び交っている。ヒヨドリ? それだけじゃない。いろんな鳥の声が交錯し合っている。眼を閉じると、両耳に弾け渡る無数の鳴き声が飛び込んでくる。まるで南方の密林のそばに立っているかのような異様な騒ぎっぷりだ。乱痴気に近い。朝からどうしたんだ、鳥たちよ。寒くもなく、暑くもない。空気そのものがここちよくて、なぜか浮き浮きとした気分になるのは鳥たちも同じのようだ。抑えようのないはしゃぎっぷりに、さかりの春を見る。

ついこの間まで、影も形も見せることがなかった小虫たちが空気から湧き出て来たように飛び回り、あわよくば居心地がいい室内に入り込もうと狙っている。表玄関のそばや勝手口近くでたむろするように飛び回るか、板壁などにそっとへばり付いて、人が出入りする瞬間をじっと待っている。扉が開いたときが第1の機会、人が室内に入り込むときが第2の機会だ。人の背中に忍者のように張り付いて同時入場し、まんまと室内へ。部屋の隅やテーブル、椅子の下に隠れる。いっひっひ、しめしめ。小虫の気分はこんな感じだろうか。屋外に比べてはるかに安全安心な場で過ごそうとの本能的な魂胆だ。思っている以上に小賢しい小虫たちだが、やはり一寸未満程度の小賢しさしかない。それが露見するのは夜になってからである。室内の灯りがともると、明るい光源を目指して向かってしまうという本能的行動に出てしまう。昼間、室内に隠れていた全ての努力、リスク回避策の全てが破局へと向かう。

灯りの周りをジグザグというか、めちゃくちゃな曲線飛行をしていれば、自ずから人に気付かれることになる。よくよく観察すれば極々小さな蛾みたいだ。もういいだろう、曲芸飛行もそこまでだ。そう思って両手で蚊をたたくときにやるようにピシャリ。蛾も本能的に殺気を察して超絶飛行で両手から逃れる。でも本能的に灯りの周りを飛び回る。両手でピシャリ。ひらりと逃げる。両手でまたもやピシャリ。またもやひらりうと逃げる。よし、わかった。そうなりゃ、次の策はこれだ。A4判大に折りたたまれた朝刊をそれぞれ手に持って待ち受ける。手に比べて相当広い面積で打尽しようとの作戦。どんピシャリ。これだけ広いと逃げ場がなく万事休すだ。小虫は朝刊に挟まれていたパチンコ店のチラシに包まれてごみ箱行きだ。

運転する車の窓外の景色も瞬く間に一変した。緑の雑草が芽を出したと思ったら、すくすくと伸び、枯れ草が目立った雑種地を緑一色に覆ってしまい、日に日に増殖中だ。北風が吹く寒い冬場に暗く冷たい土の中に潜まざるを得なかった鬱憤を一斉に晴らしているかのような勢い。雑草たちの歓声が満ち溢れる田園交響曲が流れる沿道風景である。芽吹き、栄えては枯れ、そして代が変わって芽吹き、かつてのように栄え、約束したように枯れ果てる。人が毎度毎度刈り取っても、雑草たちは毎度毎度代を変えて芽吹き栄える。そのうち人の方がくたばっていなくなり、空家の庭は草茫々となって荒れ果てる。庭に勝手に入り込んでのさばるな! 人が草取りの労に憤慨気味に雑草を諭したところで、相手は相手で反論する。なにを言う、勝手に土地を自分のものにするな! 種が落ちた所、根が張った所がわれらの生きる場所。とっとと出ていけ。こんな根性を代代引き継いで生きているから、雑草は取っても取っても、また生えてくるんだね。とりわけ春は彼らの繁栄が始まる季節となる。

信号待ちで三差路で停車する。2つある横断歩道のうち1つは歩行者も赤信号。道路沿いで30代ぐらいの夫婦とみられる大人と、娘らしい小さな子供1人が横断歩道が青信号になるのを待っている。夫は黒のスーツ姿、妻は濃い灰色のスーツ姿、娘は真新しいランドセルをしょって、服はおめかししている。小学1年生とその両親。入学式に向かう途中だろうか。空は晴れ渡り、周りの景色は日差しを受けてすべてが明るく輝き、朗らかで、新しい門出にぴったりの情景となっている。信号待ちの間、夫がスマホを手にしてポーズを取るように促すと、妻は腰を少し落として娘に寄り添った。はい、チーズ。そんな言葉を掛けたのだろうか、妻は左手でVサインをした。娘の表情は妻の体の陰に隠れて見えなかったが、微笑ましさが漂っている雰囲気だったから笑顔だったのだろう。妻は夫からスマホを受け取り、撮影したばかりの写真に見入っている。うんうん、よく撮れてる。そんな想いが、声なき声が伝わってくる。

運転席で眺めながら思った。いい光景だなあ。なんて素敵な春の日なんだろう。親子の愛情に満ちた記念撮影。遠い日となった自らのことを振り返る。小学1年生の入学式の記憶はないが、母親と写った記念写真が1枚あった。和服姿の母とランドセルを背負ったわたし。こども用のジャケットと半ズボン姿だったような気がする。多分、父が撮ったのだろう。小学校に入るまでに成長した息子への親の嬉しさを撮ることで親の愛情を残したのだ。その深い意味合いを、眼の前で繰り広げられた親子3人の光景を見ることでわたしは今さらながら思い知ることになった。

名もない春の1日には門出があり、出会いがあり、新しい1歩の始まりがあった。

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ワインが語る美少女、美魔女、老婆

2018-04-04 | Weblog

休日の出来事である。キッチンに常備している家呑み用赤ワインの瓶が空になっていた。もろもろある赤ワインの中から、いつもボルドー産を晩酌として喉元、胃腸、全身の血管に流し込んでいる。世界各地に赤ワインの産地はいくつもあるのに、なぜボルドーなのかと知人に尋ねられたことがある。理由は至って簡単。銘柄を指定しておけば、他のを選ぶという手間暇、面倒がいらないからである。それくらい、お店には多種多様な赤ワインが並んでいる。なぜ、イタリアワインやチリワインじゃだめなのか。知人は畳み掛けて問い続ける。

なぜって? それはねえ、惚れ込んだ女性について、あなたはなぜ彼女が好きなのかと尋ねるようなもんだよ。好きなものは好き。ただそれだけのことってこと。後付け理由は不要。直感的に、一目惚れ風に、フランスのボルドー産を好きになっちゃったの。それで呑んでいるんだ。そりゃあ、イタリアワインやチリワイン、オーストラリアワインだっていいよ。実際、たまにだが呑んだこともあるよ。それぞれの個性があっておいしいよ。でも、1番のお気に入りじゃないってことなんだよ。ボルドーひと筋、グラス1杯、入魂の呑み方ってやつだ。なんておおげさなと思うだろう? 惚れ込んだ弱みで大げさ、大仰な言い回しになってしまうんだよ。

平日は晩酌で1杯、休日は昼酌1杯プラス晩酌1杯というルーティンがわがボルドーワインライフである。家呑みだから、せいぜい千円級から二千円級で十分である。三千円級以上になると、それなりに癖があり、晩酌としてはくつろげる味わいとはちょっと異なるような気がする。さらに万単位級になると、日常茶飯で呑むことはなく、なにか特別なめでたい日にでも呑もうかなという思いの下で眠り続けている。そして、冒頭の休日の出来事に回帰する。

いつもの休日のように昼酌でもしようかなとワイン瓶を手にすると空になっていた。呑み干してしまったか。ええっと、在庫があったはずだがなと思って確認すると、ゼロである。あれれ、いつもは補充をしているのだが、うっかりして忘れていた。いつも愛飲しているものがない。いつもの家呑みのサイクルが止まる。平日にわざわざ車を運転して買いに走るというのも嫌である。秘蔵しているのを呑めばいいじゃないかと思う方もあろうが、ここが偏屈というか、理不尽というか、理屈に合わないというか、特別にめでたい日でもないのに、秘蔵の品を呑もうという気にはならない。普通の休日には普通の家呑み用ワインで十分なのだ。

眼の前に空瓶しかない状況で人はどうなるのか。ますます呑みたいという欲望が頭をもたげてくる。しかし秘蔵の品には手を出す気がない。外出して買いに走る気もない。それで、どうするか。どこかに呑める品がないか探し出そうとする。キッチンの食器棚や書斎の棚などに視線が伸びて探索していく。スコッチウイスキーはある。しかしウイスキーは呑みたくない。呑みかけのウオッカもあった。論外。そんな気分じゃない。ブランデーを見つけた。似てもいず非なるものだ。ミネラルウオーターに目がいく。ノンアルコールに用はない。

一種の嗅覚めいたものが働いて獲物を探し当てる。丸みのある瓶の下半分を藁で編んだものに巻かれ、瓶の上半分は葡萄の幹をイメージしたようにねじれながら上に細く伸びている。インテリアにも使えるような飾り瓶みたいなものである。内なる声が聞こえた。ワインだ! 手に取る。イタリアのワインである。見覚えがある。記憶を呼び起こす。時計の針がどんどん過去を目指して巻き戻っていく。30年前の室内の風景が脳裏に現れる。あの時のワインだ! 瓶に巻かれた藁はところどころほころびができている。小さな紙ラベルも室内の光を直接浴びる表側は白っぽく変化しているが、書かれている赤や黒の文字は十分読むことができる。品名や輸入業者などが印字された裏側のラベルは薄茶色に変わっている。

品名トスカーナ。容量750ml。アルコール分14%未満。横浜の業者が輸入。口当たりが良い軽いタイプのワイン少し冷やしてお飲み下さい、とある。30年前のワインに感慨深げとなる。家呑みボルドーの代役を果たしてもらおう。いや、予想に反して主役に取って代わるかもしれない。トスカーナワインを手にしながら、昼酌が呑める嬉しさで笑みさえこぼれてくる。こういうのを、ほくそ笑む、と言うのだろうか。さっそくキッチンで開封の儀と相成る。先端の封を切り剥がすと、コルクの頭が露出した。2本のハンドルが両手を上げたようになるダブルアクションのオープナ―のスクリュウをコルクに差し込んで引きぬいて行く。途中、コルクの劣化で形が崩れ始める。瓶内にコルクくずが落ち込まないように、ゆっくり、丁寧かつ慎重に引き抜いていく。成功。

さあ、試飲の時間だ。グラスに注いでいく。グラスに満ちていくトスカーナワインの色合いに見入る。うん? 赤ワインの美しさがない。それが赤紫であれ、深紫であれ、独特の熟成と美味しさを感じさせる色ではない。もっと言うと、命の輝きがない。食べ物ならではの活きの良さがない。しなびたキュウリ、ひからびたキャベツみたいな感じだ。ボジョ―レヌーボーみたいな美少女の溌剌さがない。生産されてから呑みごろを迎える最適年の美魔女の麗しさもない。色合いに生気や艶、そして一番重要な人を引き付けるものがない。躊躇しながらも思い切って告白するが、かつての美女がすっかり老婆に変わり果てたような姿に出会った気持ちとなった。味わいに見当が付いたが、開封した手前、呑んでみるべしと試飲する。She is not what she was.

ワインとは言えない、なんとも言い難い、形容し難い味わいだった。これは呑み物ではないな。それでも呑み干した。なにせ30年も時が経過したんだ。呑みごろをはるかに超えて彼女は佇ずみ続けていたのだ。室内のインテリアとして瓶の形は不変だったが、中身は変貌していた。それも良い方にではなく。一番きれいなときに封を開けてあげれば良かった。彼女は生前最後にわたしと出会って息を引き取った。瓶の中の残りをキッチンのシンクに流し捨てるのは忍びなかった。美魔女だった彼女に敬意と弔意を込めて庭の一角の地に注ぎ落した。トスカーナの地で生まれ育ったイタリア美人は遠く離れた日本の九州の地でその生を終えた。春がやってきた。命輝く緑の草に生まれ変わって、わたしの側に戻っておいで。

空になったトスカーナワインの瓶は部屋の一角で佇んでいる。中には30年前のわたしの思い出と先立っての休日の出来事が熟成することなく詰まっている。美女の静謐なる抜け殻がそこに在る。

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