朝方、ワイキキビーチに出かけ、波間を観ているうちに、泳いでみたくなった。Tシャツを脱ぎ、ハーフパンツのまま波打ち際へ歩き、静かに押し寄せる波を足首に感じながら、海の中へ。冷たくもなく、熱くもない。波間の中を少しばかり泳いでみた。海底の砂地に足を着き、首から下をワイキキの海に浸ける。肉体が海水と絡み合い、たゆとう波の中で戯れている。この目には見えない感覚が、ワイキキの旅の想い出の中に浸み込んでいく。その味わいのここち良さと共に。滞在中のエピソードを集めて、エピローグとしよう。
パールハーバーにある航空博物館のお土産店にて 1
パールハーバーの名称を打ち出したキャップとTシャツである。Tシャツには日本軍が奇襲した1941年12月7日(米時間)が記され、太平洋戦争が始まったことを表している。図柄も奇襲された当時のアリゾナなど戦艦名と配置が描かれている。日本人には被ることも、着ることもできないお土産である。
パールハーバーにある航空博物館のお土産店にて 2
第2次世界大戦で米国での戦意高揚を図るための当時のポスターや写真がトートバッグの図柄となっている。女性たちが登場することで総力戦であることが伝わってくる。敗戦国ではまずありえない、戦勝国ならではのトートバッグである。
パールハーバーの戦艦ミズーリ記念館にて
1945年9月2日、東京湾で調印された降伏文書がミズーリの艦上で展示されている。ガラスケースに納められ、天皇と政府の代理となる重光葵外務大臣、日本軍の大本営代表の梅津美治郎参謀総長、連合国軍代表のダグラス・マッカーサー元帥の名前が記されている。ただし文書は複製。文書調印に至るまでに日本では太平洋戦争で軍人軍属と民間人合わせて約310万人が亡くなっている(出典・厚労省)。
ワイキキビーチにて 1
ひと泳ぎした後、浜辺でくつろいでいると、いろんな人たちのビーチでの過ごし方が視線に入ってくる。高齢の男性がパラソル2本と折り畳み椅子を持って来て、ひとりで組み立てて、椅子に腰かけて海をぼんやりと眺め出した。なぜ、パラソル2本? そう想って、しばらく眺めていると、折り畳み椅子を持った高齢女性がやって来て、相合パラソルではなく愛愛パラソルとなった。奥さんだろうか。2人して静かに沖合を眺めて時間を過ごしていた。語らずとも、相手を思いやる気持ちが伝わってくる。
ワイキキビーチにて 2
黒いワンピースの水着姿の女性が視線の先に現れて、バッグを置いて波打ち際へ向かった。しばし沖合を眺めた後、海に入っていき、腰高の深さのところから前方へクロールでゆっくりと泳ぎ出した。10mほど泳ぐと、Uターンして泳ぎ始めの場所へ戻った。泳いでは戻り、戻っては泳ぐことを4、5回繰り返してから浜辺へ。バッグの傍らに立つと、濡れた長い黒髪を右肩の前方で束ね、両こぶしを上から下へ動かして髪から海水を絞り出した。丁寧な所作に美しさを感じていると、女性はバッグから大ぶりの白いタオルを取り出して、体に巻き付けた。お風呂上りにワードローブをまとうような優美さが漂った。タオルを巻いた女性はゆっくりと歩いて側を通り過ぎ、後方にあるホテルへ向かった。タオルをまとっただけなのに、ハワイで見られる白い花プルメリアを想わせる気品を感じた。所作の美しさと大人の女の風情が芳香となって印象に残った。こんなにも爽やかな印象は、ハワイ滞在中では彼女が最初にして最後の人であった。
ワイキキビーチにて 3
ミストシャワーに遭った。しばらくすると、沖合に虹が出ているのに気付いた。大きな虹だった。いい気分になった。いい日になりそうだ。そう想えた。虹はいつも希望のオーラを放っている。幸を運んでくれるかな。
ホテルにて
イルカのモニュメントは海沿いのリゾートホテルならではである。レイを首にかけて、うきうきして愉しそうにしている様子が、観る人たちへの愉しさのおすそ分けにもなっている。
SEE YOU、WIKIKI
帰国便の窓から眺めたワイキキ界隈。登頂したダイヤモンドヘッドも見える。知人が言っていた。「ワイキキで虹を観た人はまた戻ってくるそうですよ」。なるほど、そうありたいねえ。