おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

大河内山荘 京都幻視行

2006-05-30 | Weblog
「シェーは丹下、名はシャゼン」

大分なまりの名台詞で有名な時代劇の大スタア、大河内傳次郎の山荘が嵯峨野にある。

世界文化遺産の天龍寺そばを通り、コマーシャルでも有名な竹林の道を過ぎた奥に、左腕一本、隻眼の浪人・丹下左膳は別世界を創り上げた。

百人一首で知られる小倉山の南面六千坪の土地が創造の舞台。昭和6年の34歳から64歳で亡くなるまでの間を庭づくりに費やした。

出演料の大半を注ぎ込み、念仏と瞑想のための持仏堂、茶室の滴水庵、京都市街地を遠望する大乗閣が出来上がった。大乗閣は数奇屋師・笛吹嘉一郎に書院造、寝殿造、数奇屋造、民家という日本の全住宅様式を盛り込んで造らせた。

嵐山と比叡山を借景にした庭園。整然とした迷路としての散歩道が赤松や紅葉などの林の中を巡っている。

ビデオやDVDがなかった時代、映画フィルムは消滅する運命にあるが、庭は形として残るというのが、左膳の庭園哲学だった。

隠遁、隠れ家、桃源郷、仙人の世界に思いを巡らし、春夏秋冬、雨天・曇天・晴天、果ては嵐、月夜、降雪と自然のすべてを楽しみ、慈しみ、愛でる空間と時間が広がっている。

そう言えば、リチャード・ギアが出ていたコマーシャルの文句にこんなのがあった。

男にとって大切なものは……

それは理想です。

大河内山荘は苦行のような理想である。それも永遠に続く苦行。


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火垂る

2006-05-25 | Weblog
山荘の周りは日が暮れると真っ暗になり、星空が地上に覆いかぶさってくる。

近くの駅に家人を迎えに行くことになった。門前の路上に止めていた右ハンドル車に乗る。

エンジンキーを回した。その瞬間、緑黄色に光った小さな球がフロントガラスの前を運転席側から横切った。

暗中だから目立つ。光の球はゆらゆらと漂い、尻尾のような軌跡を黒い空間に描いていく。

見とれていると、前輪の少し先の方に落ちるようにして止まった。

緑黄色の光が呼吸をしているように強くなったり弱くなったりしている。

エンジン音がする中で火垂るの文字が浮かんだ。

踏み潰されるぞ。そこにいちゃ。

こんな思いに挑むように光の球はとどまったままだ。

どいてくれよ。頼むから。

こんどは思いを受けて光の球はゆるゆると浮かび上がり、フロントガラスの方へ向かってくると、助手席側の方へ移動して視界から消えた。

久方ぶりに見た火垂るの光。一体なんの知らせだろう。虫の知らせ。かもしれないと思いを巡らした。

気になることがよぎった。家人を迎えに行った後、寝る前にブリーフケースの中から日記帳代わりのノートを取り出した。

やっぱりそうだった。癌で亡くなった知人の命日だった。今年は三回忌。飲食業で失敗して借金を抱え、明日の米もないほど困窮し、いくばくかのお金を差し入れたことがあった。借金の督促に追われ、二人の子供と妻との暮らしも破綻。行方知らずとなった。数年後、末期癌で大阪の病院に入院したことで所在が分かった。フィリピン人女性と暮らしていたが、別れざるをえなかった妻と実姉が最期を看取った。

昨年の命日には夢の中に知人が出てきた。いろんなことをしゃべっていた。あまりにも明瞭な夢だったので、目覚めてからノートにすべて記録していた。

人魂のような火垂るの光。饒舌だった昨年と違い、今年は寡黙だが姿に思いがこもっている。

言い残していることがまだまだあるんだね。分かるよ。あえて言わないけれど見当はついているよ。

火垂ると出合った日から自らの在りようを省みることが寝床の中で多くなった。














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ゲーテとの対話

2006-05-16 | Weblog
静かな雨音を聴きながら隠れ家にて古典を読む。

ゲーテとの対話。シャンパンを飲みながらの如是我聞。

☆私の常として、すべてを静かに胸にしまって、完成されるまで誰にも知らせない。

☆あれほどのすぐれた人が、その実なんの役にも立たない哲学的な思考方法に骨身をけずったことを思うと、悲しくなるよ。

☆重要なことは、けっして使い尽くすことのない資本をつくることだ。

☆人はただ自分の愛する人からだけ学ぶものだ。

☆シェークスピアは、あまりにも豊かで、あまりにも強烈だ。創造をしたいと思う人は、彼の作品を年に一つだけ読むにとどめた方がいい。

☆経験を積むとなると、先立つものは金だよ。私がとばす洒落の一つ一つにも、財布一ぱいの金貨がかかっているのだ。今自分の知っていることを学ぶために、五十万の私の財産が消えていったよ。

☆私は、一枚のカルタに大枚のお金を賭けるように、現在というものに一切を賭けたのだ。そして、その現在を誇張なしにできるだけ高めようとしたのさ。

☆やたらに定義したところで何になるものか! 状況に対する生き生きとした感情と、それを表現する能力こそ、まさに詩人をつくるのだよ。

☆年をとったら、若かったときより多くのことをしなければならぬ。人間が最後には自分自身の抄録の編纂者になってしまうとは悲しいことだ。そこまでゆくだけでも幸運というものだが。

朝に麦秋、昼に月見草の群生、宵に雨雲を目にする。
季節の風景が気分を落ち着かせる。
ゲーテとの対話には雨だれの音がよく似合う。
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ナイロビの蜂から北鎌倉の蜂へ

2006-05-06 | Weblog
題名の妙に引かれた。ナイロビの蜂。5月中旬から一般上映される映画の名前。

原作ジョン・ル・カレ。一度聴いたら忘れがたいリズムを持った小説家。もう一度、ジョン・ル・カレ。言葉に出すと、いい響きがする。辛口のカレー、ジャガイモとニンジン、タマネギがたっぷりの鍋が頭に浮かぶ。

灰汁を取ってたっぷりと煮込んだ鍋の火をしばし止めて、ルーを小割りにして具の上に円形に置いていく。熱さで周辺から溶けていき、箸でつつかれて具の中に次第にとろけていく時、カレーづくりの最初の醍醐味が広がる。

二番目の醍醐味は出来上がったカレーの味を見る時。お玉でちょっとすくい、小皿に入れて口に運び、舌の上で広がってくる辛口の味わい。舌の表、裏とすみずみまで染み入っていく時間、その短くも幸福感に満たされたひと時。

醍醐味の三番目は皿のカレーに割れた殻から生卵を落とす時。ルーのとろみと白身のとろとろ、皮膜一枚で不安定に揺れる黄身が交じり合う。混然一体。皿の中のとろんとした場景に舌先がしっぽりと濡れてくる。卵の殻をテーブルの角でコツンとぶつける時の喜び。ひとつの仕草の中に、はしゃぎ、歓喜、随喜、嬉しさを伝えたい遠吠えが煮詰まっている。

テラスのごみ袋の中から虫が飛び回る音がする。蜂だとすぐ分かった。袋の外に出たいらしい。枯れた花か生ごみの匂いに引かれて入り込んだものの、にっちもさっちもいかなくなってもがいている。音はするが、ごみだらけの袋の中に姿を見いだせない。用心しながら、ばらばらになった毛ガ二、ワインのコルク栓、黒豚味噌の空きパック、バナナの黒ずんだ皮、ミニトマトのへた、ニンニクの皮、自然食レストランのレシート、親知らずの手前の歯に詰まったアーモンド片をかきだした爪楊枝、外れのロト6をあさると、羽を懸命に振るわせている蜜蜂一匹。右手で外の世界へ誘導する。吸い込まれるようにして青空の世界へ飛んでいってしまった。

再びナイロビの蜂。原題は「THE CONSTANT GARDENER」。庭をいつもきちんと手入れしている人。直訳では間違いようも無く客の不入りが見えてくる。それで意訳となる。題名としてはいい訳だと思う。俄然、想像が広がってくる。熊ん蜂、雀蜂、足長蜂、蜜蜂。

ごみ袋の世界から解き放たれた蜜蜂と、ナイロビの蜂という虚実が重なり合って、北鎌倉の蜂が生まれた。盛りの藤の薄紫色の花々の間を縫った後、小津安二郎や笠智衆、佐田啓二、木下恵介の墓碑を一回りした蜂は、建長寺を経て鶴岡八幡宮の大イチョウのてっぺんでひと休み。黄金週間の参拝や観光、ハイキングの客でにぎわう境内を見下す。

段かづらを下に見ながら飛行を続け、鎌倉駅から江ノ電の先頭車両へ。運転席のワイパーの端に乗る。新緑と家屋が迫った沿線風景を十分楽しむと、再び鎌倉駅に戻り、東の方へ向かう。

浄妙寺の上空で旋回し、石窯ガーデンテラスの庭の花を愛でて、境内のとある日本家屋の方へ。広い庭の片隅で草むしりをする人が一人。皇族御用達の久邇香水を漂わせている。その女性は隠遁生活を楽しんでいるのか、そうではないのか。つばの広い麦藁帽子の頂に降り、女性の動きを感じながら蜂は初夏を思わせる日差しを浴びる。

きょうも暑うなるぞ

男の声が聞こえた。女性は応ずることなく、ただ黙々と作業を続ける。抜かれた雑草の小さな山が庭にいくつもできていく。
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