おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

毘沙門天と美貌の妻 ナチュラルウオーカー 7

2006-10-31 | Weblog
振り出しに戻って、再び集落の話題を一つ。公民館につながる四つ角に小さなお堂が建っていた。何が祭ってあるのかと思って堂の前に立つ。毘沙門堂と大書された木の板が掲げてある。

四畳半ほどの広さ。奥に祭壇がつくってある。中に入り込む。三体の像が安置されている。中央に口から下を布で覆われた毘沙門天、左側に高僧らしき坐像、右側に観音らしき彩色の像。

        
               

☆一つにつながった眉と目だけが際立つ毘沙門天。怪しい雰囲気が漂う。これ以上言うと罰当たりになるので控える。
       


毘沙門天。どんな存在なのか。キーワードで綴る。

印度の古代神話に登場
ヒンズー教ではクベーラという財宝の神様
七福神の一神
財宝や福徳をもたらす
甲冑をつけた姿
戦勝祈願の神
足利尊氏や上杉謙信ら戦国武将が戦の神として信仰
仏を守る四天王の一人、多聞天の別名
すべてのことを一切聞きもらさない知恵者
賭け事など勝運の神
美神・吉祥天の夫

なるほど、なるほど。強く、賢く、運が強い神様か。妻が美と幸福と富の神、吉祥天というわけか。どうして、どうして。四隅には置けないなあ。どんないきさつで吉祥天と結ばれたのだろう。獲物を見据えるような、あの目で射止めたのか。京の五条の糸屋の娘ばりだな。勝負事も、仕事も、恋愛もことごとくアイコンタクトが大事なのは今も昔も、神の世界も人の世界も、そして犬猫の世界に至っても同じなようで。

                 

☆毘沙門天の傍らの像。どうも吉祥天ではないようであるが、そうだとしたら吉祥天にはだまっておこう。

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真昼に織姫を見る ナチュラルウオーカー 6

2006-10-30 | Weblog
足が向くまま高原に連なる林を歩いて行くと、ギャラリーと天文館を兼ねた施設が現れた。

コンクリート3階建て。1階のレストランに客はいなかった。2階のギャラリーにも人影はなかった。3階から急な階段を上った屋上に小型の天体望遠鏡をいくつかそろえた観測の場がしつらえてあった。天文台という大掛かりな規模ではなく、あくまでも星と宇宙に親しむための小規模施設だ。 
             
              

☆誰もいない秋。誰もいないレストラン。トワエモアの歌も聞こえない。時は静かに流れる。 

 
         
訪問者は男女二組、総勢4人、応対するガイドは男性2人。ガイドがこの日最初で最後かもしれない訪問者たちに語りかける。「地球の自転するスピードは実は新幹線の7、8倍なんですよ」。一同が「ほうー」と声を上げる。余韻を見計らって詳しい説明が続いた。「それでは太陽エネルギーの威力をご覧にいれましょう」と、お楽しみはこれからだの口調に。

太陽光線の焦点を天体望遠鏡の接眼部に合わせ、黒い紙をかざした。紙にみるみる穴が開いて煙が上がった。ガイドが「のぞいた瞬間に目が焼けてしまいますね」。訪問者一同は「おおー」「うわー、恐いなあ」と、ガイドの思惑を裏切らないように驚嘆の声を上げるしかない。

年配の訪問者が「太陽は水素ガスなのに、ばらけないで丸い形になっているのは、地球の重力みたいに何か核になるものがあるのかな」などと、はてな&なるほどなの質問をしていた。ガイドがなにか答えていたが、よく分かりましたとはいかなかった。

「せっかく来館したのだから、真昼に星を見てみませんか」と声を掛けられ、接眼部に顔を寄せる。薄い青色の中央にごくごく小粒のダイヤモンドみたいにきらめくものが見える。

「こと座のベガです。七夕の織姫星ですね。25光年の距離がありますよ。今、見ているのは25年前の光なんですよ。光の速度での25年ですけれども」とガイド。そばのもう1台の天体望遠鏡を指差し、「こちらは牛飼い座のアークツルス。30光年の距離ですね」。一同返す言葉がなくなり、黙って真昼の星をのぞき込む。

                         

☆天体望遠鏡の遥か彼方に壮大な真実が横たわっている。
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秋桜 ナチュラルウオーカー 5

2006-10-28 | Weblog
春は桜、秋もやっぱり桜。すなわち秋桜ことコスモスを見ないと、どうも落ち着かない。

新聞、テレビ、ラジオで開花情報が流れるのは年中行事だし、まあ、季節の鮮やかな刺激を自分自身に与えるのもよいかと思い、咲き誇る場所へ出かける。


まずは遠景から。         
        

        

貼り絵、色鉛筆、クレヨン、水彩画、油絵と、絵心が沸き立つ風景ではある。少年時代の瑞々しかった、ものを描く心は、琥珀の中の蜜蜂よろしく、体の奥深くに閉じ込められてしまった。今はデジタル画像でお茶を濁すしかない。裏万家流薄茶、茶菓子は京菓子「俵屋吉富」で堪忍してもらおう。




そして近景へ。


        

向こうから打ち寄せてくるような、この明るさ、幸福感。ゴッホならどう描く。セザンヌならどうだろう。楽器だったらBGMはピアノかフルートか。三味線はないとして、二胡なんかよさそうだ。和太鼓はやめてくれ。こんな具合にいろいろと酔わせてくれるねえ、秋桜は。萬寿か千寿か。



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余興 ナチュラルウオーカー 4

2006-10-27 | Weblog
真面目な探索、逍遥の合間にちょいとひと息入れて、お遊びの時間。道草もまた楽し。

遠征してさびれたレジャー施設へ。人がたくさん集まる週末しか園内の店舗が開かないという、ほとんどやる気なしのけったいな場所だ。

園内には店舗がいくつかある。平日とあってゴーストタウンの雰囲気が漂う。廃墟になりかけの店舗群。ある店の客寄せシンボルとして屋外に2体の人形が立っている。

まずはマリリン・モンロー !

          

膝上何センチというよりは、股下マイナス?センチ。これ極め付けのワンピース。いや水着かな。胸元はボディペインティングそのもの。コケティッシュは永遠に不滅です。


次いでジェームズ・ディーン !


          

まったく似ていない。どこの兄ちゃんかと詰め寄りまじまじと見る。「さっきからなに見てんだよ! いちゃもんつけてんのか」。生きていれば喧嘩になること間違いなし。「似てもいないのに格好つけんじゃない! ジーパンはいらんが、ボアの襟付きジャケットはいいな。お前にはもったいないぜ。脱いでもらおうか」。ゴーストタウンに追いはぎは付き物だ。






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ミステリーブラック ナチュラルウオーカー 3

2006-10-25 | Weblog
収穫した後の田んぼに現れるワラ焼きの跡は見ようによっては焦げ目アートとなる。

田んぼによって焼き跡が異なる。作為のある作業なのだが、結果として無作為のアートが出現してくる。

作品は作者の思いをはるかに超えて個性的だ。黒丸(●)がいくつも点在するもの、一筆書きのもの、黒い延べ棒をずらりと並べたもの、全般的に黒べったりだが一部を焼き残したもの、黒まだらのもの、半分だけ、あるいはごく一部だけ黒焦げなもの、謎のアメーバー状生物が増殖したものなど多種多様だ。

煙害などの理由で規制があるのだろうが、焦げ目アートは「しれっ」と行われ、日々新作がお目見えして一帯を埋め尽くしていく。

空から眺めたら、さらに面白いに違いない。観察力がよくて頭のいいカラスも上空から眺めて、この奇怪なアートに首をかしげていることだろう。さながしミステリーブラック。
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鎮守の巨木 ナチュラルウオーカー 2

2006-10-22 | Weblog
集落の中を歩いていると、鎮守の森を思わせる場所が見えた。こんもりとした森の中で高さがひときわ抜きん出た巨木がある。遠目で黒っぽく見える葉が空に盛り上がるような勢いなのが分かる。

巨木の方に足が向いた。いくつかの小道をたどった。鎮守の森ではなかった。農家のそばにある小道わきに巨木はそびえ立っていた。森だった場所が畑に開墾される際、切り倒されずに残ったような風情がある。高さは20メートル以上はあろうか。幹周りは大人4、5人が手をつなげるほどだ。風雪に耐え、歳月を重ねた姿は圧倒的な存在感がある。生命力の強さ、風格、逞しさ、威厳。そんな言葉が浮かんでくる。

樹皮を見ればクスノキのようでもあるが、葉の形がどうも違うようだ。ウド、クロガネモチのようにも見える。樹齢は百年近くか、それ以上か。木の精霊が宿っていても不思議ではない。その雰囲気は神々しさが漂う。

巨木が発する力強い生のエネルギーを浴びようと、朝の散歩のコースに巨木のある小道が加わった。巨木に会って1日を始めるのが日課となり、楽しみともなった。

巨木をどんな存在と言えばよいだろう。恋人ではないな。友人でもない。尊師、導師とも違う。言葉を交わさないけれども対話ができる相手。目の前に立つと謙虚にさせてくれる生命体。

ある日、ある朝、その場所に来て、目の前の光景にあ然としてしまった。幹の上部で枝分かれし豊かな緑を見せていた姿が無残な形に変わっていた。枝は幹近くまで切り落とされ、樹体は丸裸となっていた。巨木の周囲の樹木も幹や枝が切り落とされている。


                 


枝を強く刈り込む「強剪定」。大木を切る専門業者がかかわったのだろう。切り落とされた枝はきれいに片づけられ、コンクリートの塊みたいにされた巨木の姿があるだけ。強風の際、枝が周囲に落下して怪我人がでたり、家屋に被害が出るのを恐れたのか。大量の落ち葉に毎年悩まされるのに業を煮やしたのか。害虫が巣食ったのか。落胆と憤りで心中がいっぱいになった。集落一の巨木をこんな形にしてしまうとは。

その後も無残な姿の巨木のそばを通るたびに、朝のすがすがしさが一変し言い知れぬ憂いの念がまとわりつく。根元から切り倒されなかったのが救いではある。切る方も命だけはとるつもりはなかったようだ。新芽の春を待つしかない。そばの農家の人に会ったら、伐採のいきさつをぜひ聞いてみようと思う。以前の姿に戻ることはないけれど。

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眠れる森の美女 ナチュラルウオーカー 1

2006-10-20 | Weblog
九州地方の山麓にある里でしばらく過ごす。家屋から少しばかり離れた集落を歩く。里の秋である。黄金色の稲穂群が連なる。穂の刈り取りが済み、残り株だけとなった田んぼも黄金色のままだ。

アスファルト舗装された、いくつもの小道は部外者にとって迷路となる。毘沙門天を祭ったお堂があったり、楠の巨木が長い枝を天空に大きく広げたり、BMWの3シリーズ車が納屋の前に止めてあったりと、歩き進むにつれて好奇心をくすぐる風景が現れる。

体長20センチのマムシがぺったんこの煎餅状態なのが目に入った。朝の冷気のここちよさで道路に寝転んでいて農作業用の軽トラックにでも轢かれたのだろう。蛇類独特の口を大きく開けた姿に、断末の一瞬が浮かび上がる。

田んぼと樹木に挟まれた小道に出ると、一匹の蝶が路上にたたずんでいた。きれいな羽を持った蝶だと思って近づいても逃げはしない。おかしいなと感じつつ、さらに近づいても動く気配はない。眠るようにして死んでいた。

美しい様は十二単衣を装った平安美人の静かな死を連想させた。弔いの気持ちがわいた。道路から拾い上げ、傍らの葉の上に乗せた。何度見ても生きているような姿は眠れる森の美女だ。仏心が募った。初めての体験だが、蝶の冥福を祈った。

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プロミネンス

2006-10-16 | Weblog
秋を感じようとコスモスを見にとある高原に出かけた。満開のコスモス群を見渡す丘のそばで太陽観察会なる催しがあっていた。

催しと言っても、天文愛好家とみられる中年男性が1人いるだけ。倍率20倍の特殊天体望遠鏡と太陽の動画が映ったパソコンモニターを傍らに置いて「見てみませんか」と勧めていた。モニター画面には太陽紅炎(プロミネンス)が映し出されている。

望遠鏡を覗く。太陽の表面から立ち上がる紅い炎の様が見える。地球の大きさと比較した写真がそばにあった。分かりやすいイメージで言うと、太陽紅炎をろうそくの炎に例えたら、そこに差し出されたゴマ粒1個が地球となる。「ボッ」という音がした瞬間に地球が燃え尽きるのが分かる。いや、音がする間もないかもしれない。

世界の歴史や文明、60数億の人生、それに男女間のややこしい関係も紅炎のひと立ちで滅却。すべては影も形もなく、最初からなかったことと同じ。地球? さあね。知らんね。なにそれ? こんな素っ気ない存在になってしまう。

コスモスの遥か遥か頭上の存在を見る。そうか、コスモスは宇宙だったか。因縁だ。こんなちっちゃなゴマ粒みたいな世界に住んでいる我々。輝きだす直前の朝陽は見る者に希望を与えるが、太陽紅炎は宇宙的な虚無をもたらす。

最後に救いがあった。この紅の炎、名前は炎だが地球を燃やすことはできないのだそうだ。ああ、神様に感謝。


★参考 米国航空宇宙局{ガダード(ゴダード)}宇宙 飛行センター(Goddard Space Flight Center)のドメインにあるAstronomy Picture of the Day (APOD)という名のサイトの記事の一部を日本語訳したもの(APOD日本語版)の中に太陽紅炎の画像がある。

太陽紅炎を見てみたい方はこちら→太陽紅炎の画像
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タンデム

2006-10-13 | Weblog
聞いた後、なにかしら耳に残る言葉がある。タンデムもその一つ。

過去に聞いたことがあり、多分そのときに意味も調べて合点したはずだろうなんだけれども、その後に聞くと意味合いをすっかり忘れてしまっていた言葉。

タンデム。まずは言葉の響きがいい。軽やかじゃないか。意味合いもいい。縦列、二人組、自転車の二人乗り、ハングライダーの二人飛行、交尾したまま飛行するトンボ。自転車の場合、後部座席の人をストーカーと言うらしい。珍しいね、善人のストーカーだ。いや、ちょいワルかもしれん。いやいや、時節柄めちゃワルかも。

言葉の響きの中に転がる要素が内在しているのか、タンデムからデニムを連想した。言葉が転がって球形となって勢いがついてくる。ブルージーンズの前ポケットの銅製の鋲。それから銅製のコーヒーカップ。中からゆらりと上がる湯気とくつろぎの香り。コーヒーが飲みたくなった。

コーヒーカップをタンデム化したら、どんな形状になるんだろう。トンボの交尾みたいに取っ手をくっつけるか、それとも底と底をくっつけるか。無限大の印にあやかって、こんな形ではどうか。「∞」。左側にカフェオレ、右側はブラック。取っ手は左右の端につける。これじゃ優勝カップだな。

タンデムな連想はどこまでも転がっていく。ここらで本当にコーヒーを飲んで現実に戻ろう。

余談。タンデムの反対語はシングル。あらゆる意味で私はタンデムが好きだな。さてとタンデムコーヒータイム。





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ディープインパクト

2006-10-02 | Weblog
大一番の競技、試合はやはりライブでなくてはということで、深夜にフランスG1レース凱旋門賞に見入る。パリ・ロンシャン競馬場に乗り込んだディープインパクトへの静かなる応援だ。

目の前のゴールを先頭で切る。それが、もうちょっとで実現したのだが。勝たせたかった。最終局面でのディープインパクトの必死の形相、猛然とした走り、躍動する力が浮きでた筋肉。世界一を目指して全力を尽くして疾駆する様がテレビ画面から伝わってきた。もう一度つぶやきたい。勝たせてやりたかった。

期待と希望の後の落胆が広がった。一方で敗れたディープインパクトにどうしてもねぎらいの言葉を掛けてやりたくなった。騎手、調教師、馬主、現地の日本人応援団、テレビ視聴者からの大きな落胆と3着馬への視線のすべてを、ディープインパクトは全身で感じただろうから。ゴール後の喜びのない走りにディープインパクトの負けた思いがにじんでいた。

「よくやったよ」。この後が続かない。抜き去る馬を追って懸命に走る姿がよみがえって、胸がつかえる。ああ、勝たせてやりたかった。
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Bound Round Globe no.8 Last Phots

2006-10-01 | Weblog
最終駅の街、長崎。小さな地方都市ながら、幕末からの綾なす歴史は鮮やかだ。この街で坂本龍馬が走り、勝海舟がたたずみ、福沢諭吉が暮らした。

龍踊りで知られる長崎くんち、キリシタン、中華街、戦艦武蔵の建造、原爆と歴史の素材の宝庫でもある。ちゃんぽん、皿うどん、活魚と食べ物もおいしい。名物の枇杷は好きな果物の一つでもある。

路面電車と徒歩で名所巡りができる、ほどほどの広さの街。それに美人が多いのがいい。眼福がいっぱいだ。


★長崎・丸山 料亭花月と龍馬★





長崎ぶらぶら節にも歌われた料亭。2階大広間の床柱に龍馬が酔って斬りつけたという刀傷がある。一度見ていて損はない。話の種にはなる。床柱の真ん中から下部分にある白っぽいぎざぎざ傷が伝説の源。



★花月にあった龍馬の隠れ部屋★





刀傷がある大広間の上、天井部分になる場所に小部屋がある。「ここで龍馬らが食事をし、会うと差し支えがある人物が階下に来たとき、窓から部屋の外に出て屋根伝いに料亭外に逃げたとか」と芸者さんが見てきたような解説をしてくれた。あまり信じないほうがいい伝説かもしれない。他に芸妓の折檻部屋だったとの話もある。いわくありげなエピソードがいくつもあるのが老舗料亭ならでは。



★長崎港口の景色★





海は空よりも青く、港口には豪華客船が浮かぶ。「おーい、海よー、どうしてるんかあー」。心の中で少年になった気分で叫ぶと、ロッド・スチュアートの「セイリング」の歌声が海の向こうから聞こえてきた。

I am sailing,
I am sailing home again 'cross the sea.
I am sailing stormy waters,
to be near you,
to be free.

私は海を行く
私は海を行く 再び帰ろうと海を渡る
私は海を行く 嵐の海を抜けて
あなたに近づくために
自由の身になるために

晴れた秋の日に港町を歩いてみよう。どこかからここちよい音楽が聞こえてくるかもしれない。いい風景とうまいコーヒーに出会えれば最高だ。

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