おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

灘中・灘高・東大法学部

2005-06-26 | Weblog
司法修習生2人が民間企業での研修としてやって来た。

私が担当となった。ほんの3日間だが、いろんな部署を紹介し、実際に仕事をしてもらった。

2人はいずれも男性で20代。1人はイガグリ頭にスーツ姿、もう1人はウエーブのかかった髪にスーツ姿。

ウエーブ頭は慶大卒で弁護士志望。イガグリ頭のM君は、会話するうちになんとなく灘中・灘高卒かなと思っていると、図星だった。東大法学部に進み、在学中に司法試験に合格し、卒業と同時に司法修習生に。裁判官が志望だった。

M君の頭脳明晰さは見事だった。1を説明すると10を理解する能力の持ち主だった。

研修が済んで数カ月後のある夜、知人と一緒に餃子屋に入ると、なんとM君がいるではないか。

「研修の時はお世話になりました」

礼儀正しい挨拶を受けた。

M君のそばには先輩風の男性がいた。

地検の検事だった。「検事もいいよ」と誘っていたのかもしれない。

M君とは不思議な縁が、その後もあった。

元最高裁長官の講演会に出かけた時、前方の席に座ったら、後ろの方から声をかけられた。

M君だった。にっこりと笑顔で再び挨拶された。

その後、M君とは会っていないが、志望通りであれば裁判官の世界に入っていることだろう。

いつか、M君に会ってみたいものだ。

ただし法廷の外でだが。






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男が決闘を申し込まれる時

2005-06-23 | Weblog
中学時代、カソリック系の中学に通う近所の男から決闘を申し込まれたことがある。

朝、通学途中に後ろから迫ってきて、追い抜いた後、目の前に立ちはだかった。

周りには誰もいない。

「おい、お前の真面目腐ったツラが気に食わん。俺と勝負しろ。お前は剣道をやってるから木刀を持って来い。俺は空手をやってるから素手だ。正拳一発で仕留めてやる」

こんな趣旨のことを言って、目の前で正拳突きのポーズをひけらかした。ブルース・リーのクンフー映画の世界だ。

学年は相手が一年上だった。蛇のような見開いた目をしていた。

「分かった」

そんな返事をした。

決闘の日時は日曜日の朝、山の中にある草っ原が指定された。

学校に行き、同級生に相談した。

「滅多打ちにしてやろうと思っているが、どうか」

ここの部分の記憶が定かではないが、多分、こんなことを言うはずがない。

相手は素手でやる覚悟があるから、かなりの腕前かもしれないという思いがあった。おじけづいた気分が当時の心境だったはずだ。

同級生が試合を予測した。

「木刀で一発で打ち負かせば、お前の勝ち。木刀での打撃が外れて接近戦になれば相手の勝ち。五分五分だ。でもやめた方がいい」

「やめた方がいい」に安堵した。

朝、通学途中にカソリック系空手男と再び会い、決闘しないことを告げた。

ここの部分の記憶がまたまた定かでないが、相手は快諾したのか、腰抜けとののしったかは不詳のままだ。決闘を中止することは双方了解したようだった。

人生で決闘を申し込まれたのは、この時一度限り。数十年を経ても、あの朝の情景と気分をはっきりと覚えている。

以来、空手男とは通学途中はおろか、その後の人生でも会うことはなかった。

万が一、奇縁で会うことがあったら言ってやろう。

「かかってこい。指相撲で勝負だ」





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僕はかつて水彩画家だった

2005-06-22 | Weblog
町並みや路地裏、海辺、山間の花畑など風景画の素材となる場面に出会うと、絵心を募らせてデジタルカメラのシャッターを押してしまう。

小学三年生から六年生まで、近所の美術教師が開いていた水彩画教室に通っていた。日曜日の午前中に教師の自宅に小学生が十人ほど集まり、畳の部屋に画用紙を広げて花瓶に挿された花を描いたりしていた。教室を出て自分たちで題材を求めて歩き回ったり、教師の引率で画板を手にバスに乗って長崎市内の洋館のある地域を訪れたこともあった。

洋館群を描いた水彩画が長崎市の美術展で最高賞の推薦に選ばれたこともあった。目に映る風景を感じるままに描いていた。そのころの絵は今見ても、「なかなかいい出来」だ。誰かに受けることを意識していない、好き放題に描いた絵だった。

中学に入ると油絵を習う段階だったが、関心がバレーボールなどスポーツに向かい、絵画とは縁が切れてしまった。今にして思うと、賞をもらってから下手になったような気がする。子供ながらに作品をほめてもらいたいという「功名心」が芽生え、描くのに計算めいた思いが入り込んだためだろう。

大人になって水彩絵の具とパレット、クロッキーブックを買って、風景画に挑んだことがある。下絵の段階で下手さ加減が分かり、色を付けることなくやめてしまった。この場合は描く技術がないという、ただそれだけのことだった。

絵になる風景に接するたびに、小さい頃に一瞬輝いた絵の才能がいつも思い出される。化石となった水彩画家の姿が、描くことを無心に楽しんでいた時代とともに心の中に見えてくる。

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ノストラダムスはどこへ行った

2005-06-20 | Weblog
すべての予言は見事に外れ
悲劇的な結末や事態は一切なく
太陽は東から昇って西に沈み
水は上流から下流へ移り
空気は少しも減ることもなく
テレビコマーシャルはかまびすしく流れ
1日に3度の飯を食べる人たちは、今日も飽きずにめしを食う
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昔カインとアベル、今は若貴兄弟

2005-06-14 | Weblog
ワイドショーでは、二子山親方の葬儀そのものより若貴兄弟の不仲、確執が恣意的に取り上げられている。

これでは親方も安らかに眠れない。死んでも死にきれない心境ではないか。

兄弟とそれぞれの妻、そして兄弟の母の言動については、週刊誌の格好のネタになってしまって気の毒としかいいようがない。

仲のよい兄弟、幸せな相撲一家というマスコミのイメージが180度ひっくり返り、なにかしら憎悪が渦巻く一族図となっているように見える。

家庭の中に無理な人間関係があったのか。兄弟、夫婦に喧嘩は付きものだが、通夜、葬儀での「本筋でない話題」がここまで盛り上がると(マスコミに盛り上げられる)と、朝からおぞましいものを見聞するようで、うんざりしてしまう。

周囲の人たちはこの憎悪の乱麻を誰も解きほぐさないのだろうか。
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誰が美空ひばりを超えるのか

2005-06-11 | Weblog
52歳で亡くなった美空ひばりの十七回忌ということで、テレビで追悼番組があっていた。

女優の森光子が案内役となって、生前の姿と美声をVTRで伝えていた。

ファンというわけではないのだが、その歌いっぷりの見事さに何度聴いてもほれぼれしてしまう。

艶があり、華がある歌い方と声。ひばりを超えた女性歌手は、私見では「いない」。

匹敵するのは、シャンソンの越路吹雪ぐらいか。しかし彼女も故人だ。

「愛燦燦」「川の流れのように」「リンゴ追分」「悲しい酒」「車屋さん」など名曲は数知らず。お気に入りはミニスカート姿で腰をふりふり歌っていた「真赤な太陽」だ。着物姿でもなく、ドレス姿でもないひばりの意外ないでたちが魅力でもあった。

52歳。普通の人の何十倍の速さとエネルギーで生きたとは言え、「この世を去るにはやはり若すぎる」と思ってしまう。


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ダイハード1を超えられない

2005-06-10 | Weblog
ブルース・ウィリスの新作映画「ホステージ(人質)」を観た。

筋書きについてはネタばれになるので割愛するが、映画評としては「ダイハード1を超えられなかったな」。それだけ、第1作は奇抜な設定とよく練られた展開、斬新な映像、意表を突いた結末が素晴らしかった。まさにアクション映画の新世界をつくった傑作だった。この一作でブルース・ウィリスは、アーノルド・シュワルツネッガー、シルベスター・スタローンと並ぶアクション俳優となった。

当たると二作目、三作目が登場するのが映画作品の常だが、残念ながらダイハード2並びに3は1を超えられなかった。まさに陳腐な展開になってしまっていた。

ブルース・ウィリスの映画作品もダイハード以後、いろいろ作られたが、ダイハード1に並ぶ傑作は「シックスセンス」ぐらいか。ダイハード前のテレビ作品「こちらブルームーン探偵社」時代の一流半コメディを演じていたブルース・ウィリスが懐かしい。

なぜ当たり作を超えられないのか。論文の一本も書けそうなテーマだ。来年夏にはブルース・ウィリス主演で「ダイハード4・0」が上映予定とか。それを観てから考えてもよさそうだ。もしかしたら1作目を超えるものかもしれないから。
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