明け方早く目が覚めた。ツェルマットの宿のベッドを抜け出しカーテンを開ける。薄暗いもののマッターホルンがそびえ立っているのが分かる。じっと眺めていると、山腹辺りに光の点が灯り、すぐに消えた。直感的にひらめく。登山者? しばらくすると、また光が一瞬の点となってわたしの瞳に届いた。登山者だ! ヘルメットに付けたライトの灯り。いいぞ、いいぞ。 登っている。登っている。不定期な光の点滅は、山頂を目指す人間の営為の証である。あんなに小粒な光の点が巨大な黒い魔神に挑んでいる。光を発信する登山者にエールを送る。その調子だ。山頂を極めろ!
だんだん夜の闇が溶けて、少しずつ景色に彩りが出てきた。空が艶消しの水色になってきた。マッターホルン(4487m)が三角形の山容を浮かび上がらせている。山肌のあちこちに積雪が見え、剥きだしの岩とまだら模様となっている。東壁と北壁が接する稜線、人の顔で言えば高い鼻筋をわたしに向けている。マッターホルンの定番風景とも言える、最も絵になる角度だ。いわば、決めポーズ。どんな形容をしたらいいのだろうか。惚れ惚れするような、痺れるような、失神しそうな、声のない歓喜が湧き上がるような、呆然としたままでいたいような、このままじっとしていたいような、対面したままで時間が止まったような、これまで味わったことがない昂ぶりみたいな、どんな言葉をもってしても言い表せないくらいな……。
朝陽が頂上の尖った部分に当たりだした。極薄のオレンジ色。東壁の先端から滲み入って少しず下りながら、陽光の帯が広がっていく。なんというパフォーマンスなのだ。太陽そのものは姿が見えないが、マッターホルンの東壁に朝陽が映写されている。太陽とマッターホルンの抱擁、そして歓喜! 朝からなんという官能的な光景が無音で繰り広げられていることか。人間たちの視線や思惑、夢想などにお構いなく、マッターホルンと太陽は公然と絡み合う。清々しく、爽やかで、後味のとても良い官能。
朝食を短時間で済ませ、相棒らと宿を出て、ツェルマット駅前の登山列車乗り場へ歩いて向かう。始発から2番目の列車だから乗客は少ない。出発進行! ツェルマットの町を窓外に見ながら登っていく。進行方向右側にマッターホルンが姿を見せている。標高が高くなるにつれて山容は少しずつ大きくなり、東壁の面が広がり、北壁が視界から少しつず削れていく。車窓の風景にマッターホルンが張りついたようになっている。周りの風景はすべて脇役となり、主役の引き立て役となっている。アルプスのどんな山も、いやいや、世界中のどんな山でも、この主役の代役をすることはできないだろう。絶対的存在としての山、まさに神の山となる。
出発からおよそ30分ほどでマッターホルン東壁を正面に見据えるゴルナーグラート展望台(3135m)近くの駅に着いた。始発のツェルマットとの標高差およそ1500m。展望台そばにはスイスで最も高い所にある山岳ホテル・3100クルムホテルゴルナーグラートがある。1896年開業の老舗ホテルでもあり、天体観測用の半円形ドームを備えている。屋外テラスで珈琲でも呑みながらマッターホルンを眺める人々を撮影した写真でも知られるホテルでもある。朝早くの展望台訪問だったので観光客はまだ少ない。標高が高いので、ゆっくりとした歩みで展望台を目指す。ホテルの屋外テラス席で1組の男女だけがマッターホルンを眺めながら寛いでいる。男女は中年で、男性はボルサリーノの帽子を被り、悠然として珈琲なのかカップを手にしている。こぎれいで品の良さが漂い、物静かに山の眺望を味わっている様子が伝わってくる。宿泊客なのだろうか。風貌と雰囲気から日本人のようだ。なかなか粋な風景だ。
展望台に着き、改めて360度の眺望に視線を注いでいく。モンテローザ(4634m)、リスカム(4527m)、カストール(4223m)、ブライトホルン(4164m)など、マッターホルンと仲間たちに見入る。これら高峰の中にあって、マッターホルンは抜きん出た美しい山容を見せている。孤高のスタアである。展望台の石垣に腰かけてミネラルウオーターを呑み、マッターホルンと向かい合う。背負っていたリュックを下ろし、中から2つの写真立てを取り出した。今春、連れ添うように天寿を全うした父母の遺影である。母は薔薇園を背景に白い歯を見せて笑っている。父はカメラレンズに向かって微笑している。2つの写真を手に持って、わたしは心中で囁いた。ほら、マッターホルンだよ。きれいな山だろう。後続の登山列車が到着し、たくさんの観光客らが下車し展望台を目指して歩いてくる。喧騒のさざ波が少しずつ押し寄せてくる中、わたしたち3人はマッターホルンに見入っていた。スイスの名峰巡りは慰霊と供養の旅だった。2人の遺影を眺め、声を掛ける。いい、眺めだったろう。わたしは立ちあがって、マッターホルンを眺めながら深々と息を吸い、ゆっくりと、味わうように3人分の息を吐いた。
だんだん夜の闇が溶けて、少しずつ景色に彩りが出てきた。空が艶消しの水色になってきた。マッターホルン(4487m)が三角形の山容を浮かび上がらせている。山肌のあちこちに積雪が見え、剥きだしの岩とまだら模様となっている。東壁と北壁が接する稜線、人の顔で言えば高い鼻筋をわたしに向けている。マッターホルンの定番風景とも言える、最も絵になる角度だ。いわば、決めポーズ。どんな形容をしたらいいのだろうか。惚れ惚れするような、痺れるような、失神しそうな、声のない歓喜が湧き上がるような、呆然としたままでいたいような、このままじっとしていたいような、対面したままで時間が止まったような、これまで味わったことがない昂ぶりみたいな、どんな言葉をもってしても言い表せないくらいな……。
朝陽が頂上の尖った部分に当たりだした。極薄のオレンジ色。東壁の先端から滲み入って少しず下りながら、陽光の帯が広がっていく。なんというパフォーマンスなのだ。太陽そのものは姿が見えないが、マッターホルンの東壁に朝陽が映写されている。太陽とマッターホルンの抱擁、そして歓喜! 朝からなんという官能的な光景が無音で繰り広げられていることか。人間たちの視線や思惑、夢想などにお構いなく、マッターホルンと太陽は公然と絡み合う。清々しく、爽やかで、後味のとても良い官能。
朝食を短時間で済ませ、相棒らと宿を出て、ツェルマット駅前の登山列車乗り場へ歩いて向かう。始発から2番目の列車だから乗客は少ない。出発進行! ツェルマットの町を窓外に見ながら登っていく。進行方向右側にマッターホルンが姿を見せている。標高が高くなるにつれて山容は少しずつ大きくなり、東壁の面が広がり、北壁が視界から少しつず削れていく。車窓の風景にマッターホルンが張りついたようになっている。周りの風景はすべて脇役となり、主役の引き立て役となっている。アルプスのどんな山も、いやいや、世界中のどんな山でも、この主役の代役をすることはできないだろう。絶対的存在としての山、まさに神の山となる。
出発からおよそ30分ほどでマッターホルン東壁を正面に見据えるゴルナーグラート展望台(3135m)近くの駅に着いた。始発のツェルマットとの標高差およそ1500m。展望台そばにはスイスで最も高い所にある山岳ホテル・3100クルムホテルゴルナーグラートがある。1896年開業の老舗ホテルでもあり、天体観測用の半円形ドームを備えている。屋外テラスで珈琲でも呑みながらマッターホルンを眺める人々を撮影した写真でも知られるホテルでもある。朝早くの展望台訪問だったので観光客はまだ少ない。標高が高いので、ゆっくりとした歩みで展望台を目指す。ホテルの屋外テラス席で1組の男女だけがマッターホルンを眺めながら寛いでいる。男女は中年で、男性はボルサリーノの帽子を被り、悠然として珈琲なのかカップを手にしている。こぎれいで品の良さが漂い、物静かに山の眺望を味わっている様子が伝わってくる。宿泊客なのだろうか。風貌と雰囲気から日本人のようだ。なかなか粋な風景だ。
展望台に着き、改めて360度の眺望に視線を注いでいく。モンテローザ(4634m)、リスカム(4527m)、カストール(4223m)、ブライトホルン(4164m)など、マッターホルンと仲間たちに見入る。これら高峰の中にあって、マッターホルンは抜きん出た美しい山容を見せている。孤高のスタアである。展望台の石垣に腰かけてミネラルウオーターを呑み、マッターホルンと向かい合う。背負っていたリュックを下ろし、中から2つの写真立てを取り出した。今春、連れ添うように天寿を全うした父母の遺影である。母は薔薇園を背景に白い歯を見せて笑っている。父はカメラレンズに向かって微笑している。2つの写真を手に持って、わたしは心中で囁いた。ほら、マッターホルンだよ。きれいな山だろう。後続の登山列車が到着し、たくさんの観光客らが下車し展望台を目指して歩いてくる。喧騒のさざ波が少しずつ押し寄せてくる中、わたしたち3人はマッターホルンに見入っていた。スイスの名峰巡りは慰霊と供養の旅だった。2人の遺影を眺め、声を掛ける。いい、眺めだったろう。わたしは立ちあがって、マッターホルンを眺めながら深々と息を吸い、ゆっくりと、味わうように3人分の息を吐いた。