おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

緑陰の午後 ザ・パシフィック

2011-08-20 | Weblog
「ぺリリュー島の戦いを知ってるか」。電話口の先から友人が尋ねた。ほぼ1年前の会話だ。「知らないが、どんな戦いだったの」。友人が教えてくれた。第二次世界大戦の太平洋戦争での日米の激戦地となった島だという。友人からの1本の電話が1年後にわたしがDVDで見ることになったテレビ映画「ザ・パシフィック」だ。

スティーブン・スピルバーグやトム・ハンクスらが制作総指揮を執った。昨年、WOWOWで10話連続して放映された。スピルバーグらは2001年に米軍のノルマンディ上陸からナチス・ドイツを打ち倒すまでの欧州戦線を描いたテレビ映画「バンド・オブ・ブラザース」を制作したが、「ザ・パシフィック」はもう1つの戦場である太平洋戦争を3人の海兵隊員の実話を元に描いた。

ガタルカナル戦から始まり、グロスター岬、ぺリリュー島、硫黄島の激戦を経て、沖縄戦と日本本土に迫っていく米軍と各戦地で守備を固める日本軍との死闘が続く。パールハーバーを奇襲したJAPを撃ち殺すために進軍する米軍。鬼畜米英に対し決死の覚悟で反攻する日本軍。両者は憎悪を武器に変えて無慈悲な殺人鬼と化してひたすら殺し合う。映像は激烈な戦闘を残酷、残虐な場面として再現していく。

手足が吹き飛び、頭を射抜かれ、血しぶきが上がり、火炎放射器で焼き殺していく。日本兵は同じ地球人とは思えないほど、理解不能な存在として登場する。機関銃でずた袋がぼろぼろになるように撃ち抜かれ、何人も何人も何人もぱたぱたぱたと倒れ、数え切れないほどの死体の山を築いていく。

米兵が死んだ日本兵の口をナイフで切り裂き、金歯をほじくりだしたり、脳みそが吹き飛んでできた頭部の穴に石ころを投げ込んだりと、見るも無残な情景も描かれている。人間はどこまでも残虐になることができる。自らを狂気に追いたて、銃撃でもって命を粉砕していく。まともだった精神もおかしくなっていく。

この映画を見終えてなにを考えようか。教訓は十分分かっている。戦争の正義は敵をせん滅すること。この1句が示す現実は、銃弾で体に穴が開いた無数の遺体が横たわっている情景だ。戦争の記録に触れるたびに思う。死闘にかける精神力やエネルギーを、戦争回避に死に物狂いでそそげたら。明治政府の富国強兵の行き着いたところが、戦艦大和の沖縄特攻や若者によるカミカゼ攻撃、民間人を巻き込んだ沖縄戦だ。

戦後66年を経ても、悲惨な死にざまと無念の思いが伝わってくる。安らかにお眠りくださいとは、まだまだ素直には言えない。米兵であれ、日本兵であれ、多くの命の悲惨な喪失を思うとき、永遠に癒されないものがあることを感じる。どんなに時間が経とうとも、どんなに祈りをしようとも、埋めることができない喪失の深さというものがある。わたしにできることは、この深淵に向かっての永遠の追悼だけである。
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