おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

沈黙の行

2011-08-28 | Weblog
朝目覚めて手洗いと洗面を済ませ、飼い猫のために飲み水を取り換えて餌を与えて玄関へ。トレッキングシューズに足を滑らせて靴紐をきゅっと締め上げる。Tシャツにショートパンツ姿を整え、左手にスーパーのビニール袋、右手にゴミ鋏を持って朝の行ことウオーキングだ。

朝7時前で陽は既に上がっているが、盛夏のようにぎらぎらとした暑さはなく、外気は秋の気配を感じさせるほどの爽やかさとなっている。里山地域の舗装路にもいろんなものが落ちている。煙草の吸殻、煙草の空き箱、ライター、コーヒーの空き缶、折れ曲がって使いものにならない透明のビニール傘、ペットボトル、キャンディを包む小袋、車のテールランプカバーの一部と思われるプラスチック片などが袋に貯まっていく。遠くの農道をオートバイが走っている。白いヘルメットに黒のライダースーツ、オートバイも真黒の車体。エンジン音は低速でも、高速でもなく、穏やかだ。朝のなごやかさを壊さない快適な音の響きに、ライダーが穏やかな精神状態で走っているのを感じさせる。

里山の住居を縫う小道を歩く。蛙の轢死体がところどころにある。ぺったんこになっているものが多い。クマゼミが両足を畳み込み仰向けになって転がっている。夏の終わりの光景だ。命が抜け出てもぬけの殻となった姿。ゴミ鋏でつまんで眺める。異星人のような風貌だ。沿道の畑の土の上にそっと置く。秋の到来を早版で知らせる栗も落ちている。青い棘と小さな実が可愛らしい。蜜柑畑やイチジク畑にも青い実がなっている。交差する小道の土手にある柿の枝にも実があるが色づきはまだだ。成熟まではもう少し時間がかかりそうだ。

黒い羽根が特徴のハグロトンボがどこからかやってきて、ふわふわと飛んで先導する。少しばかり飛んではわたしが追いつくのを待つように雑草に止まっている。わたしが近付くと、か弱い飛行で前へ向かう。神様トンボ、仏トンボの別称があるそうだが、なにかいいことがあるのか。あるいは頼んだ覚えはないあの世への引導役か。けっこうな距離、30メートルぐらいを引率してくれた後、沿道の樹木の中へ消えた。

ビニール袋が拾い集めたゴミでぱんぱんに膨らんできた。道路の真ん中に青い葉っぱがついたトウモロコシが落ちている。実が少ししかついていない。まだ熟していない状態なのを人がいくらかかぶりついて捨てたのか。それとも、カラスなどの鳥が道路に転がっているのに気付き実をほじくったのか。由来が気になるトウモロコシをゴミ鋏ではさんで脇にある梅の栽培林に放り込む。残り物を狸か鼠が食べるだろう。

水田そばの水路の近くにガマの群落がある。茶色で円柱状の穂がなっている。丸々とした葉巻を想わせる。遠くに仁王立ちとなった入道雲を眺めながら深深と吸ったらうまそうだ。水田の稲は大人の太腿ほどの高さだ。頭を垂れる稲穂かなには秋がもっと深まらなくては。遠くで草刈り機の音がする。長袖、長ズボンに長靴、麦わら帽子姿で水田そばの土手の雑草を刈り取っている。動作を見ていると、丁寧な作業ぶりが伝わる。こんな人が手塩にかけて育てた農作物はきっとおいしいに違いない。

里山の日曜日に黙して歩きながらゴミを拾う。喜捨とは逆の喜拾? 小さい時、わたしがなりたかったのはバタ屋だった。なぜか理由は覚えていないが、街中をきれいにしたかったのだろうか。別に美化委員だったわけではないのだが、バタ屋の性分が今につながっているようだ。われながら、この三つ子の魂がいたく気に入っている。




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