おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

バドワイザーパレード

2022-05-29 | Weblog

日曜日の朝刊の読書欄を読んでいるとき、なにやら遠くの方から音楽が聞こえてきた。

なにかの楽隊? 読むのを一時中断して耳を澄ます。音楽は次第にわが家へ近づいてくる。

Tシャツに短パンという早々と初夏スタイルの服装のまま、下駄を履いて戸外へ。

楽隊風の音楽があちこちから聞こえて、わが家の敷地内へ入り込んできているのが分かる。

短パンからスマホを取り出し、にぎにぎしい音源に向かって歩みだす。

咲き出したツツジの花の合間を縫って姿を現した面々。

おお! キング・オブ・キングスことライトビールの雄、バドワイザーの一行だ。

BGMはスコットランド名物のバグパイプとドラムで編成した行進曲だ。

 

しっかり拝聴して音色を頭に刻み込んてから読み進みましょう。

 

灯篭の上にも登って見参をアピールしているバドの一団。

 

車の屋根の上にも歩みを進めて体制を整えている。

 

どんどこ、どんどこ、やって来る。

 

ガーデンテーブルの上で円陣を組む一団もいる。

それにしても、この一行、わが庭へ何をしにやってきたのだろう。

 

それぞれの一団が庭の一角へ向かって進んで行く。

こちらは五体投地スタイルだ。悪戦苦闘しながらも歩みを止めない。

なんのためにこんなことをしているのか。

とにもかくにも、見届けてみよう。

 

月見草と戯れているのかな?

 

蛇みたいに雑草の中を這っていく。

 

こちらは隊列がいくつか分かれだした。

 

はは~ん、楕円形をつくり出しているねえ。

動き回っていたバドの一団が整列し終えた。

にぎやかだった景気づけの音楽が止んだ。

周りには静寂が戻り、初夏の到来を想わせるような涼風が頬を撫でていく。

草叢に寝転んだバズの一団だったが、なにを示しているのかが分からなかった。

LOOK UP! そんな空耳がした。その直後、LOOK DOWN! 追加の空耳?

上から見下ろせってこと? 空耳に従ってみると……。

バド愛好のわたしへのメッセージパレードだったのか!

THANKS A LOT BUD! I LOVE YOU TOO!

 

エピローグの1ショット

構想1分 脚本2分 準備3分 撮影4分 後片付け5分 打ち上げ宴会2時間(バド飲み放題)

 

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SENCE OF WHY

2022-05-25 | Weblog

ホイコーロー(回鍋肉)を食べたくて中華料理店に入る。たくさんの食卓と椅子が目に入る。見事なまでにがらがらである。厨房の料理人の男性と給仕の若い女性2人がわたしたち2人連れに一斉に目を注いだ。「(ついに)来た! (やっと)来た! (やったー)お客さんだ!」。そんな以心の波長がわたしに伝心した。「(そんなに)歓迎してもらってありがとう! (野菜たっぷりのこってり)ホイコーローをいただきます!」。わたしからの返心が通じたのか、料理人の中年男性は万感の想いを込めて腕を振るい、つくるのが嬉しくてたまらないという表情を見せて、暇でしょうがなかった時間を吹き飛ばすような勢いで鍋を動かして注文の品づくりに精を出している。

ノンアルコールビールで喉を潤してちょうどいい塩梅のころに、ホイコーローが皿にのって食卓に運ばれて来た。マスクを外して黙食に徹する。食べたいという想いが臨界点に達した際のホイコーローへの舌鼓である。胃袋も脳も、身も心も、満足しきりである。食べることを充たすと、人は身の回りのさまざまな事柄に関心の視線を向けていく。この中華料理店では、わたしの座席の背後にある絵に注目となった。横長の大きな絵である。相方が見入りながら第一印象ならぬ第一感想を漏らす。「面白い絵だなあ」。わっはっは。という面白さではなく、なに、これ? という可笑しさである。どれどれ。わたしは体を捻って拝見する。

猛虎である。岩に爪を立て、なにやら雄たけびを上げている。今年の干支は虎だったな。そんな第二感想が出てくる。これだけ見ていると、相方の「面白い絵だなあ」の意味が分からない。わたしは立ち上がり、横長の絵の正面に立って眺め、左に寄ったり、右に寄ったりして見入る。

そして気付く。なるほど面白い絵だ。

猛虎が吠えまくる先には、富士山の山頂のような感じの山がでんと居座っている。赤富士ならぬ青富士である。山腹に重なるように海原が描かれ、嵐を思わせる大波が逆巻いている。ドドーン。そんな大音響が聞こえてきそうだ。その大波に向かって風をたっぷりとはらんだ帆船が突進していく。豪華客船タイタニックの悲劇のパロディにさえ見えてくる。画面左手の猛虎に対するように常盤の松が右手に鎮座する。静かなること岩のごとし。そんな風情である。幹や枝の曲がり具合が、長年にわたり風雪に耐えて生き抜いてきたことを物語っている。銭湯のペンキ絵を連想する。銭湯のそれはリアルであるが、中華料理店のものはシュールである。なぜなら、極め付きがこれだからである。

猛虎の背景の空間には(おそらく)連発で打ち上げられた花火が満開となっている。ドドドーン、ドドンパ! 晴天の花火に、大波に立ち向かう帆船、そそり立つ富士山もどきの山。意味も意図もかなぐり捨てた図柄に、虎も牙をむいて無性に吠えまくりたくなったのだろう。相方が第三感想をつぶやく。「わからん」。沈思黙考したわたしが第四感想をぽつり。「これは(豚肉とキャベツを主体に炒めた)ホイコーローだ」。相方が虚を突かれた顔をした。そして第五感想が口から出た。「そうだな。ホイコーローだ」。互いに留飲が下がり、わからんがするりと腑に落ちていった。

わたしたちは舌と絵でホイコーローをずずずいーっと味わい尽くして店を出た。

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花を追って蝶となり、鳥となり、風となって

2022-05-04 | Weblog

なぞなぞである。世界の誰もが知っていて、身近にあって、安らぎをもたらしてくれて、歓びと哀しみの際には傍らにあって、姿を現しては時の流れとともにはかなく消えていくもの。ペットとしての犬や猫? まったくの外れとは言えないが、ビンゴ! 大当たりとは言えない。答えは花である。冠婚や祝福に文字通り花を添え、葬祭では弔いの気持ちを表す。あらためて花々に目を向ければ、多様性と彩の豊富さに気づかされる。黄金週間のほんの1日間、花を追ってみた。

自邸の庭の一角に咲き誇る月見草。本来、月見草は夕方から咲き始める。「月を見る草花」ということが名前の由来となっている。だから日中に咲く月見草は昼咲き月見草と呼ばれるそうだ。淡いピンクと白の花びらで形作られている。どこからかやって来ては花を咲かせ、庭に春到来を知らせ、一帯に彩りをもたらしてくれている。

じっと眺めてみると、草叢の合間を飛び回る蝶のように見えてくる。モンシロチョウよりも美人だぞ。

 

ウオーキング途中の近所の石垣にへばりつくようにしているのがコンボルブルス。紫色の小さな花が鈴なりに咲いている。和名はセイヨウヒルガオ。朝顔、夕顔ではなく昼顔。小さな花を思いっきり広げ、5月の穏やかな光を目いっぱい浴びようという健気さが伝わってくる。

見入れば見入るほどに朝顔の姿をしている。小さいながらも実に精巧にできている。神は細部に宿る。そんな言葉を連想してしまう。

 

ゆっくり、ゆったりと車を走らせて着いたのが、長崎県は雲仙温泉街の裏手に広がる雲仙ツツジことミヤマキリシマの群生地。今が見ごろの最盛期に遭遇した。目に青葉、プラス濃いピンクのツツジの花が滲み入ってくる。

近づくと体の中が濃い色合いで満たされる。夏場のかき氷に掛けるイチゴ色の蜜を連想させる。甘くておいしそう!

 

雲仙温泉街から足を延ばして高地にある仁田峠へ。新緑とミヤマキリシマが織りなす絵画的な風景が広がっていた。暑くもなく、寒くもなく、人肌に心地よい山の空気に触れながら、色彩の桃源郷にただただ浸りきる。今日という1日を花尽くしで染め上げてくれた花々にありがとう!である。

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