おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

ジョブズのいないアップル

2016-02-25 | Weblog
その男は個性的にしてわがままな人物像をばら撒きつつ、PCの機能性とデザインに革新をもたらした。

林檎をひとかじりした商標は、メルセデスベンツのスリーポイントマークと同じく、所有者を虚栄と見せびらかしで高揚させ、ハイスペックの最先端の物を手にしている自分自身に自惚れてしまうような魅力と魔力をもたらす。

アップルPCの色合い、軽さ、薄さ、そしてそれらを形作るデザインは、他のPCを色褪せた、ねまったデザインの製品にしてしまう。洗練されたアップルと、野暮ったい、その他大勢の製品たちと2極化される。

アップル日本法人を極めた人物からジョブズと接したときの思い出を聞いたことがある。当人にとって自慢話の1つであり、講演のネタでもある。ジョブズが眼の前の舞台に立ち、語り、歩く様を何度も直視したという。

新製品のプレゼンテーションの練習風景だ。ジョブズは役員たちを前にして、何度も、何時間も、新製品の魅力を語り、舞台を歩き回り、感想を尋ね、発表当日に向けた練習を重ねたという。

ユーモア、発想の凄み、製品への自信、それらを織り込んだ内容をより自然な語り口―政治家でも、漫談家でも、テレビショッピング司会者でもない口調―で語り掛け、製品の先進性と洗練さを話法の中に落とし込んでいく。

舞台奥の大型スクリーンの映像を背景にしたジョブズの姿―黒い長袖シャツにジーンズ、スニーカー、それは裏庭での庭仕事の姿のまま会場へやって来たようだ―は、新時代の到来を告げる創造主にして預言者でもある。

プレゼンテーションの中でジョブズはアップル創業者の1人、アラン・ケイの言葉を取り上げる。

ソフトウェアに対して真剣ならば、独自のハードウェアを作るべきだ。

ジョブズはこの言葉を文字通り実現して、数々の革新的なアップル製品―賢くて、使いやすい―を作りだし世に送り出してきた。

ジョブズのプレゼンテーションは製品のPRそのものであるが、発想の独創と面白さを感じとることもできる。カタログでありながら、新しいことを考えるためのテキストにもなりうる。その映像は未知なるものを発想し、形作っていく番組としても視聴に値する。内容はジョブズについての著作や映画よりもはるかに面白い。だって本人が登場し、自らの思いを肉声で語るのだから。プレゼンテーションの画像はジョブズが残した自らを表現する作品でもある。

革新のもの作りを追求してきた男が逝って早くも4年半近くが過ぎた。ジョブズの神通力はまだまだ続き、今のところアップルは経営的に健在だ。にもかかわらず、アップルの今後の製品に一抹の寂しさを感じてしまう。製品はジョブズそのものの魅力の塊であり、結晶であり、産物だったから。

アップル製品の売場で思う。複雑な生い立ちと波乱の人生を乗り越えて、既成の発想と感性を打ち破ったもの作りに挑み、それに成功してしまう力、いわば知的なかっこ良さがジョブズが送り出した製品には詰まっているし、香り立ってくる。

ジョブズのいないアップル。それはポルシェ博士のいないポルシェのように、優れた機能性とデザイン―911は最高だ。価格が超高いのが気に食わないが―ゆえに憧れの製品となり続けるだろうか。














 


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瞑想する男ありけり

2016-02-21 | Weblog
年1回、定期の健康診断を受けている。体調の良し悪し、健康度を数値で確認するための恒例行事でもある。大きな病院に併設された健診センターへ出向き、事前の問診書などを提出し、地味なパジャマのような健診着に着替える。男女合わせて30人ほどが広々とした待合ルームでゆったりとしたソファーに腰かけ壁に掛った液晶テレビを見ていたり、イヤホンを耳にして音楽を聞いていたり、文庫本を読んだりして、健診で名前を呼ばれるのを待っている。雰囲気としては健康センターでひと風呂浴びリラックスルームで寛いでいる風にも見える。

健診時にも見るお馴染みの風景の中で昨年とはかなり違うことが目に入って来た。待合ルーム中央部にあるドーナッツ状の丸いソファーの上で瞑想している男がいた。胡坐を組み、両膝の上に左右の両腕を伸ばし、親指と人差し指で丸い輪をつくり、目を閉じている。ヨガの瞑想のポーズみたいな感じだ。静かなること岩の如し、仏像にでもなったかのような様になった姿勢。さあ、今から採血や血圧測定が始まろうかという時に、堂に入った態度で瞑想にふけっている健診者を初めて見た。周りの健診者たちが軽薄に見えるほどの迫力がある。着衣はわたしと同じだ。健診センターをヨガ道場と間違えてはいないようだ。

座りたいと思うような場所が他になかったため、彼が瞑想している丸いソファーに腰かけた。なにせ彼以外、誰も腰掛けていなかったから、ゆったりと座ることができる。眼の前にある本棚には雑誌サライの少しばかり古いバックナンバーが何冊か並んでいる。登山を特集した号を手にしてパラパラと頁をめくる。年の頃は40歳前後だろうか。黒々とした艶のある長髪。額にバンダナを巻いている。バンダナ姿での健診者を見るのも初めてだ。健診の規則ではパンツ以外は身に着けてはいけないのだが、堂々と無視した形である。よくよく考えてみると、採血や血圧・体重・身長の測定、肺のレントゲン撮影、胃のバリウム検査にバンダナを巻いていて支障はないみたいだ。呼吸も瞑想中とあって極めて静かである。健診センターでちょっと奇をてらってみたということもないようだ。

サライの登山特集を読み終えた頃に、男は目を見開き、瞑想を終えたようだ。側に居たわたしの存在に気付き、目と目が合った。精悍な目つきである。ねぎらうように声を掛ける。

ヨガのポーズですか?

いいえ、ヨガではありません。

親指と人差し指でつくった丸い輪がヨガみたいだったんで。

まあ、瞑想みたいなもんです。

どこかのセンターで習ったんですか?

独学です。

独学?

その種の本を何冊か読んで覚えました。

ポーズが決まってましたけど、何年間もやってるんですか。

いいえ。半年ぐらい前からです。

半年前から? 1日どれくらいやります?

通算すると2時間はやりますね。

2時間も? 瞑想するといいですか?

不可能を可能にするためです。

不可能を可能に?

ええ、無意識の世界に働きかけるための瞑想です。

なかなか難しそうな瞑想ですね。

昨年、プライベートでうまくいかないことがあったもんですからね。

静かに瞑想する男の心の奥底に、なにやら起死回生を目指して芽吹いた精神エネルギー、いわゆる気みたいなものが渦を巻いて立ち上がっていく様を想い描いた。瞑想する姿の安寧さとは裏腹に、心身の内部では過去の黒々とした想いが吹きわたっている。不可能を可能にするため。男のこの言葉に巨大なブラックホール級の悩みと鬱積が塗り込められているようだ。男は自ら語りそうな表情になってきた。

看護師がわたしの名前を読んだ。採血だ。わたしは男に声を掛ける。お先に。丸いソファーを立ち、採血コーナーへ歩いていく。看護師の前に座ると、尋ねられた。

左腕、右腕、どちらにしますか?

じゃ、右腕で。

親指を手の平の中に入れて、他の指でぐっと拳をつくってくださいね。少しばかりチクッとしますよ。

チクッとして注射針が血管に入り、ガラス管に勢いよく血が流れ込んでいく。いつも呑む赤ワインより濃い色だ。どす黒いというか、どす赤い色だ。

もう1本取りますね。

看護師は素早く採血用ガラス管を入れ替える。再び、どす赤い血が流れ込んでいく。

はい、終わりました。止血のテープを張っておきますね。後から剥がしていいですよ。

採血は時間にして3分ぐらいだったろうか。立ちあがって瞑想男がいた丸いソファーを振り返った。姿が見えない。血圧コーナー、問診コーナーにもいない。あれれ、どこに行ったのかな。健診ルームはワンフロアーなので、全体を見回すことができる。健診の各コーナーにも見えない。レントゲン撮影ルームにでも行っているのか。次の健診項目を呼ばれるまで瞑想男がいた丸いソファーに座っていたが、男が姿を現すことはなかった。瞑想を終えて、健診する気が失せて帰ったのだろうか。不可能を可能にするため。男の言葉がよみがえった。健診着にバンダナ姿、健診ルームの目立つ場所での瞑想、そして忽然と姿を消す。こんなことがあるんだろうかと思いながら、血圧測定コーナーに呼ばれる。いつもより高い数値が出た。得心できず、もう1度測ってくださいとお願いした。深呼吸をして気分を落ち着かせた気になって再測定。少し下がったが、高血圧に入る数値だった。再び健診ルーム全体を見渡す。やっぱり、瞑想男はいない。健診日を間違えて慌てて帰った。そうであれば、わたしの気持ちはすっと落ち着いて血圧がさらに下がって正常値になったことだろうに。












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トランプ占い 誰が米国大統領になるのか

2016-02-17 | Weblog
米国大統領予備選が面白い。正確に言えば、予備選の報道の仕方が面白い。もっと正確に言えば、テレビメディアの報道の仕方が面白い。米国は世界でも有数のテレビメディアの影響力が強い国である。新聞・雑誌の活字メディアみたいに文字をじっくり追う必要もないし、ラジオメディアみたいに音声から内容を思案する作業もいらない。画面の映像を流れるままに見ていれば自ずから分かってくるのがテレビメディアだ。教養がある人もそうでない人も、知識豊富な人もそうでない人もともに包み込んで情報を伝達できるメディアでもある。世界各国からの移民で成り立ってきた米国の歴史からしても、映像の力は活字の力を遙かに超えて簡単明瞭に意思や主張を伝達できたはずだ。テレビが誕生する前に映像の力を発揮したのは映画であり、ハリウッドが米国民の教宣に果たした役割は相当なものがあったと思われる。民主主義の啓蒙や人種差別主義の不当性の指摘、或いは戦争前や戦時中での敵国に対する敵愾心高揚のためのプロパガンダ映画でもって米国民は政府の思惑に沿った意思を形作っていったことだろう。

ブログという活字メディアらしく前口上が長くなった。米国大統領予備選の話に戻ろう。民主党、共和党のテレビ討論会の模様を、日本の国会の予算委員会のテレビ中継みたいに視聴したい向きには、YouTubeで「U.S. presidential election 」などと打ち込むと、米国で放送された内容がそのまま投稿されている。まさにこれがdebateだ! といった迫力ある主張の撃ち合いを肌で感じることができるだろう。候補者の主張はそれなりの論理で展開されているが、その主張を聞かされている他の候補者の表情は感情をもろに出している。「なにを言ってるんだ、こいつは」とか「馬鹿なことを言ってるぜ、何にも分かってないくせに」といった顔つきをしている。

候補者の簡単な略歴を知るには、ウォールストリートジャーナルの日本語版で見ればすっきりと分かる。ここで、わたくしなりに予備選を部外者の視点と私見で愉しんでみたい。まずは民主党から。バーニー・サンダース。民主社会主義者を自認している。資本主義世界の総本家の大統領に社会主義者が手を上げ初戦の2州で本命とされるヒラリー・クリントンといい勝負をしている。バーニー・サンダースの名前を聞いて、すぐ頭に浮かんだのがサンダース軍曹である。ビック・モローが演じたテレビ映画コンバットの主人公である。サンダース軍曹にピンと来た方はわたしと同じような世代の方だろう。若い人向きにはケンチキのカーネル・サンダースと同じ姓だね、と言った方がピンと来るかもしれない。老兵サンダース軍曹の語り口はなかなか老練な人物であることをうかがわせるものがある。

片やヒラリー・クリントン。表情豊かな女性である。笑顔があるかと思えば、睨みつけるような目つきをして怒った顔つきに豹変したりする。口から出てくる英語は明瞭だが、かなり力んだ発音をしている。もし大統領になれば、米国初の女性大統領であり、夫婦で大統領になった人物として米国の政治史に燦然と輝やく伝説の人物となる。その一方で、国務長官時代の私用メール使用の不適切さを伝えるニュースが、大事な予備選の最中に国務省からの発表として報道される。ほとんど彼女の足を引っ張るような内容が民主党政権下の政府から、よりによってこの時期にというタイミングで出てくるのはなんだろうか。サンダース軍曹への援護射撃みたいにも見えてくる。

次は共和党の候補者たち。まずはドナルド・トランプ。小さいころにその名を知って遊んだトランプカードと同じ名前の持ち主である。日本のメディアでは、不動産王という形容詞が付く人物だ。他に言いようがないのだろう。随分と昔、ニューヨークのトランプタワーを見たことがあるが、金ぴかの成金趣味みたいな印象が残っている。もっさりとした体格と、かつらのように見えるが地毛だという独特の髪形、有識者層には絶対に支持されないような排他的な主張、にもかかわらず世論調査で上位となる人気。こんな人物が大統領になるのだろうかと懸念を感じさせる人である。ジェブ・ブッシュ。大統領になれば、同族から父、兄に次いで3人目となり、一族から3人の大統領を輩出したとして米国の政治史に残る。前評判は共和党本流の有力候補格だったが、人気のほどはトランプをはじめ、他の候補者の後塵を拝している。中盤、終盤で巻き返しはなるのだろうか。テッド・クルーズ。その名を聞いた瞬間、トム・クルーズを連想してしまった。ミッションインポッシブルみたいに、あらゆる難題を乗り越えて大統領への階段を駆け上がることができるだろうか。マルコ・ルビオ。共和党候補者の中で1番小柄である。それゆえに逆に目立つ。顔立ちも若々しい。清新な青年のような雰囲気がある。大統領は米軍の最高司令官でもある。若者のような顔立ちで、ロシアや中国の独裁者的権力を持つ相手に対してどこまで対処、渡り合えるだけの胆力が備わっているだろうか。

予備選が序盤の勢いで展開し、民主党は左派のバーニー・サンダース、共和党は右派のドナルド・トランプが候補者として選出された場合を想定した観測記事が既に米紙で掲載されている。有識者層からは勘弁してくれよとの組み合わせとなるみたいだが、観測記事は元ニューヨーク市長のマイケル・ブルームバーグが無党派で出馬する可能性があることを伝えている。いわゆる、この中で最もまっとうなのはわたしですよという、漁夫の利作戦。左派、右派の両極端ではない、米国大統領という威厳と権威の椅子を守護する救世主候補という見立てである。誰が失速し、誰が急浮上するのか。誰が大統領というカードを引き当て手にするのか。米国のショーアップされた候補者の討論会は、政治という祭りごとを米国流に示している。テレビドラマのような展開を経て選出される新しい米国大統領は、これからの世界と日本の政治、経済、軍事情勢に直接、間接に影響をもたらす人物となる。面白くもあり、怖くもある人物が選ばれようとしている。
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神の知恵より人の知恵

2016-02-13 | Weblog
マット・デイモン主演のSF映画「オデッセイ」(原題はThe Martian、火星人の意)を観た。火星探査の際、砂嵐に巻き込まれて1人取り残された宇宙飛行士の延命と生還を描いた物語である。宇宙、宇宙船、宇宙飛行士、惑星を描いた映画はハリウッド映画の独壇場である。映画づくりのための資金力と技術力がある上に、米国の科学技術を結集した機関であるNASAが宇宙開発の実績と歴史を重ねていることが、こうした迫力あるSF映画誕生の背景となっている。映画の流れと場面場面の描写の中に、われわれの時代の今が示されている。複数かつ多方面の視点から、この映画を読み解き探訪してみよう。

☆この映画は火星を舞台にした人類史を描いた物語である。

火星で1人ぼっちになった宇宙飛行士は火を使い、水をつくりだし、人糞を使って植物(ジャガイモ)を育て、農耕で食物を貯蓄し、機械を使って移動し、さらにはコンピュータで地球の人と意思疎通のやり取りをする。

☆宇宙船の司令官は聡明にして決断力と行動力のある女性である。

リーダーの適格性の項目に性別は無くなる時代となる。女性の大統領、女性の首相、女性の最高裁長官、女性のトヨタ自動車社長、女性の東大総長、女性の講道館館長の誕生は時間の問題となる。とすれば、男性による宝塚歌劇団も登場することにもなろう。

☆宇宙飛行士は火をつくり出すためにキリストが磔刑にされた木製の十字架を燃やす。

信仰より科学へ。祈りではなく、思考すること。論理の積み重ねが命ある時間を延ばしていく。

☆ジャガイモは非常食にして日常食である。

日持ちがする。手ごろな大きさ。レンジでふかすだけで食べることができるほどに手間がかからない。毎日食べても飽きない。万能食と言ってもいい。

☆コンピュータでビデオ日記を記録していくことは自身の存在をつくり出すことである。

時間のない世界に新たに自分の時間をつくって出来事を整理、報告する作業をすることは、生活にメリとハリを生みだすことになる。同時に生きた証となる。脳は記録することが好きである。

☆救援に向かう宇宙船の運航軌道を計算するのは変人の科学者である。

常識を超える天才は変人に見える。天才的な人物による計算の裏付けがなければ救援船の正しい飛行はできない。救援の最大の功労者かもしれない。

☆救援のために宇宙船の一部を手作り爆弾で爆破する。

科学的に正しい知識と見立てがあれば、仮説に基づいて実験を試みるのが科学者である。扱い方を知っているから水素も爆弾も放射性物質も怖くない人たちがいる。

☆救援のため中国の宇宙技術者たちが協力する。

映画製作に中国資本の出資があったか、もしくは中国市場を意識したのだろうか。人道的で立派な中国人民が描かれている。

☆宇宙冒険の行き着くところは家庭であり、わが家となる。

ここちよいソファーのある居間、夫、妻、子どもたちがいる風景。心と身が落ち着く場所でもある。これを超える宇宙空間は多分ないだろう。

☆この映画はNASA賛美である。

NASAは火星探査を計画しているからね。いろんな意味を込めたパブリシティー映画でもある。

☆フロンティアスピリットとハッピーエンドの映画である。

米国の映画づくりの定石でもある。これらをプラグマティズムが縁取っていく。

☆やっぱり地球が最高!

青い海、緑の樹木の美しさ。それに宇宙服なしで過ごせる気楽さ。地球こそ宇宙の中の天国だ。
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ザ・ファーム 法律事務所

2016-02-07 | Weblog
関係している法人が顧問契約を結んでいる法律事務所の新年懇親会に参加した。裁判官や検事、弁護士と個別に飲食した経験があるが(わたしが被告になったり、容疑者になったことで縁ができ、更生した暁にお礼を兼ねて一席持たせてもらったという訳ではない)、事務所主催の懇親会は初めてだった。所長は70代で地元弁護士会の重鎮みたいな方だ。所属弁護士は所長を含め5人、事務所スタッフは事務局長の男性のほか、女性6人。この事務所は2カ月に1回の割合で顧客向けに法務研修会を開き、法改正や法的問題となっている事案について、弁護士が持ち回りで講師となって解説や質疑応答を行っている(今年1月で130回を数えた)。一時、10年近く休講状態となっていたが、司法制度改革などで新規開業の弁護士が増えたこともあり、事務所の経営戦略で数年前から研修会を再開、弁護士ら事務所全員が顧客と懇親するという営業活動を行った次第である。

医者や私立大学理事長、不動産業者、建設業者らいろんな分野の方が集まり、業務の幅の広さを感じさせた。各テーブルには弁護士1人と女性スタッフ1人が同席した。わたしのテーブルには昨年入ったばかりの新人弁護士だった(事務所がワンフロアーのビルに移転した際に所長から紹介され面識があった)。彼は同席の顧客たちに少しばかり緊張したような表情をして名刺を差し出して挨拶回りをし、わたしの席に来て顔を合わせた瞬間、「ああ、昨年お会いしましたね」とほぐれたような笑顔になった。そのお会いした時の話題はヨットだった。彼は大学時代は勉強よりはヨット競技に夢中になり、旧帝大系大学間の対抗戦ではいい成績を残したという。

「ヨットかあ、いいねえ。わたしもヨットを操ったことがある」と応じると、陸地で同好の士に巡り合ったような嬉しそうな表情になった。得意分野の会話を初対面の人とできるという風の顔でもあった。

「どこでヨットに乗られたんですか?」

「ニューカレドニア」

「えっー、いいですねえ!」

「初体験でね」

「どうでしたか?」

「沖合で転覆した」

「大丈夫でしたか?」

「コーチに教えられた通りにセンターボードを使って復元させたけどもね。全身、潮漬けになった。それ以来、ヨットは中止。もういいヨットだよ」

互いに破顔哄笑である。たったこれだけのやり取りだったが、彼はしっかり覚えていたらしい。同席の方たちと懇談している途中で、催しものが始まった。ビンゴゲームである。法人などの懇談会でもよくあるビンゴだが、ひと味違ったものだった。ビンゴ用紙の上段に大根などの野菜や梅などの花樹、レモンなどの果樹を示す言葉が全部で30語あり、そのうちの好きな16語を選んで下段のビンゴ用紙(普通は数字がランダムに事前印刷されているが、これは空欄となっている)に書き込んでいくというやり方だ。いわば参加者手作りのビンゴであり、幸運を得るかどうかの選択を自分で決めるという仕掛けである。所長の発案だが、後に聞いたところでは、ボケ防止の講習会で習ったビンゴだという。

言葉(普通は数字となる)が読み上げられるに従って盛り上がってくるのがビンゴゲームである。顧客も弁護士も女性スタッフも、お互いの用紙を見せ合いながら和気あいあいとなる。なにせ賞品があるからねえ。あと1語が決まれば縦、横、斜めでビンゴ!となるところまで行く。ここまで来ると、参加者からビンゴ成立となる声が連続して上がってくる。数々のビンゴゲームに参加した経験がありながら、1度たりとも賞品を頂いたことがないという実績が頭をよぎった。隣の女性スタッフから「もう一息ですね!」と励まされたが、まさに「もう一息」を前にビンゴ続出で賞品終了、ゲームも終了、わたしの幸運もこれまで通り未完の実績を上積みすることになった。

法務研修会という剛、懇親会という柔の時間を弁護士と顧客がともに過ごすことで、顧客の事務所への信頼、事務所と顧客との結び付きがそれぞれ増すというwin-win関係が出来あがる。懇親会の中で弁護士全員が舞台に立った。所長の右腕となる先輩弁護士がマイクを手に各人を紹介していく。東京、京都、九州という旧帝大系と早稲田出身の精鋭ぞろいの男たちだ。

「所長と2人でやっていた頃は夜中や休日に顧客に呼びだされて相談に応じたりして大変でした。今は人数も増え、抜群の人材も加わりました。 所長の荷を少しでも軽くできるように僕たちが頑張らなければとの思いでいっぱいです。昨年入った新人が各種の法的問題についてとにかく一生懸命に調べて対応、報告する姿を見ていると、長年弁護士をやってきて手慣れた対応をしている自らを省み、初心の大切さを改めて実感しています。皆さん、相談ごとがあったら彼にお願いしてください」。所長を立て、新人を励まし、自らを奮起させる内容だった。その新人弁護士は所長の息子さんだった。なんという適法にして妥当、効果的な営業ではないか。懇談会で感じたこと。行列ができる法律事務所の要件は経営者感覚があることだ。 
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雪男がもの思いにふけるとき

2016-02-01 | Weblog
朝起きたとき、デジタル温度計は室温を2度と示し、湿度をなぜか表示不能としていた。

1月下旬に九州をはじめ、日本各地を大寒波が襲ったときのことである。

カーテンを開けようとしたら窓ガラスに張り付いていた。結露が凍りつき、ガラスに触れていた布地が巻き添えとなった。氷結した皮膚をはがすような思いでゆっくりと引っ張っていく。バリバリという音を上げて布地がガラス窓から離れていく。

ゴム長靴を履いて庭先へ出る。池に分厚い氷が張っていた。緋ブナたちは閉じ込められたままだ。水深があるので互いに寄り添って群れ寒さにじっと耐えているはずだ。後日、全員無事だった。

つくばいの水も見事に凍りついて鏡みたいになっていた。

雪の中に動物の足跡が点々と続いている。庭の隅の生垣の下付近から侵入し、玄関に通じる付近に赴き、門扉の前まで足跡が付いていた。閉まったままの門扉の内側部分で足跡は消えていた。門扉を飛び越えたのだろうか。門扉の外に足跡はない。不思議なことだが、世の中いろんなことがあるからな、そう思って深く考えないことにした。足跡の感じではアライグマか小さなイノシシだろうか。

静かな雪景色の中で小鳥たちは意外と元気に飛び回っていた。暖房のない屋外で寒くないのかなと思うが、クロガネモチの梢に止まっては赤い実をしきりについばんでいた。わたしがうろうろしているのに気付くと、ピー、ピーと笛を鳴らして不審者接近を仲間に知らせている。雪男がやって来たぞー! 要注意だー!

積雪20cmほどで車は動かせない。閉門蟄居状態となるところだが、あえて蟄居しない。周囲一帯の状況観察とウオーキングを兼ねて門扉を開けて1歩を踏み出す。

自宅に通じる緩やかな坂道は雪で真白となっている。その中に車輪の跡が2本残っている。新聞配達の車だ。いつもは2輪車で配達してくれているが、さすがに転倒の危険があるため4輪車に乗ってきたみたいだ。後日、配達人に尋ねたら、積雪のあった日は4輪駆動車を使って配達したそうだ。配達人はタクシーの運転手もしていて、雪の日は千客万来だったそうで、1日で8万円も稼ぎましたよと恵比須顔だった。

バスや電車など公共交通機関はすべて止まっていたため、学校も休校し子どもたちの通学風景もなかった。眼の前に未踏の雪道が続いている。地域で最初の足跡を作っていく。1歩、2歩、3歩……。ゴム長靴の大きな足跡が白いキャンパスに描かれていく。

地域の守り神ともなっている毘沙門堂にたどり着く。面授によって運気を体内に吸い込む。小雪が舞い降りてきた。こんなこともあろうかと思い、持参していた傘を開く。小雪の中を歩くと、どうなるか。傘を差している分、頭部に降り積もることはないが、体の正面には小雪が張り付いてくる。フリースを着ていた。吸い寄せられるように小雪がフリースの表面へ。ぺたり、ぺたりと雪化粧をしようとする。そうはさせじと振り払う。ズボンもフリースだから、小雪がまとわりつく。払っては小雪がくっつく。くっついては小雪は払われる。

歩き続けると血の巡りがよくなって体が温もってくる。思っている以上に寒さを感じない。むしろ発汗することが危惧される。汗が冷えると体温を奪うからだ。静かな集落の中の雪道を歩き進む。前方から軽トラックが1台やってくる。老夫婦と思われる男女が乗っている。雪道の端に寄って軽トラックをかわす。タイヤにチェーンが装着していなかった。大丈夫なのかな、4輪駆動車じゃないようだが。厚く積もった雪の坂道を軽トラックは何も恐れることがないかのように下って行った。帰りは雪道を上ることができるんだろうか。深く考えることを止めた。世の中いろんな人がいるから。

こうして周囲一帯を散策して帰宅し、閉門蟄居状態に入る。幾人かの知人から電話が入る。「30cmぐらい雪が積もったんでは?」「水はきちんと確保しているの?」「仕事はお休みだよね」「水道管は凍結していないか?」。なにしろ山麓の高台に住まいがあるもんだから、相当の積雪で孤立状態になっているのではと心配しての連絡ばかりだった。

友人たちの懸念、心配をよそに当事者は朝一で雪景色の中を逍遥して至って呑気なものである。「積雪はたったの20cmぐらいだよ!」「水道管は今のところ凍結していないし、水もじゃぶじゃぶ出ます。凍結したら冷蔵庫の牛乳で洗顔しようかな!」「きょうは蟄居して英気を養います!」。まあ、鷹揚に構えるしかないんだね。それで暖房の効いた部屋で白川静を読むに到ったという次第。

後日、雪が溶けて分かったことが幾つか。道路はタイヤチェーン装着車に表面を削られて小粒の石がいっぱい、かつ埃っぽくなっている。庭では、葉ものの植物は零下の凍結と積雪でほぼ死滅していた。アロエ、秋ウコンなど、魂が抜けた物体のように萎れ倒れていた。回復の見込みなしの状態だ。葉の中の細胞が氷結して命を奪われたようだ。とりわけ、アロエはこれまで冬場の寒風に耐えて青々としていたが、地表に打ち捨てられた蛸みたいにふにゃりとしていた。葉ものと比べて針葉樹のカイヅカイブキや竹は元気満々。なんかあったの? といった風情で凍てつく積雪の時間を乗り越えた。あっけない生命と、強靭な生命力。植物は生命と生命力についての根源的なものを教えてくれる。

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