その男は個性的にしてわがままな人物像をばら撒きつつ、PCの機能性とデザインに革新をもたらした。
林檎をひとかじりした商標は、メルセデスベンツのスリーポイントマークと同じく、所有者を虚栄と見せびらかしで高揚させ、ハイスペックの最先端の物を手にしている自分自身に自惚れてしまうような魅力と魔力をもたらす。
アップルPCの色合い、軽さ、薄さ、そしてそれらを形作るデザインは、他のPCを色褪せた、ねまったデザインの製品にしてしまう。洗練されたアップルと、野暮ったい、その他大勢の製品たちと2極化される。
アップル日本法人を極めた人物からジョブズと接したときの思い出を聞いたことがある。当人にとって自慢話の1つであり、講演のネタでもある。ジョブズが眼の前の舞台に立ち、語り、歩く様を何度も直視したという。
新製品のプレゼンテーションの練習風景だ。ジョブズは役員たちを前にして、何度も、何時間も、新製品の魅力を語り、舞台を歩き回り、感想を尋ね、発表当日に向けた練習を重ねたという。
ユーモア、発想の凄み、製品への自信、それらを織り込んだ内容をより自然な語り口―政治家でも、漫談家でも、テレビショッピング司会者でもない口調―で語り掛け、製品の先進性と洗練さを話法の中に落とし込んでいく。
舞台奥の大型スクリーンの映像を背景にしたジョブズの姿―黒い長袖シャツにジーンズ、スニーカー、それは裏庭での庭仕事の姿のまま会場へやって来たようだ―は、新時代の到来を告げる創造主にして預言者でもある。
プレゼンテーションの中でジョブズはアップル創業者の1人、アラン・ケイの言葉を取り上げる。
ソフトウェアに対して真剣ならば、独自のハードウェアを作るべきだ。
ジョブズはこの言葉を文字通り実現して、数々の革新的なアップル製品―賢くて、使いやすい―を作りだし世に送り出してきた。
ジョブズのプレゼンテーションは製品のPRそのものであるが、発想の独創と面白さを感じとることもできる。カタログでありながら、新しいことを考えるためのテキストにもなりうる。その映像は未知なるものを発想し、形作っていく番組としても視聴に値する。内容はジョブズについての著作や映画よりもはるかに面白い。だって本人が登場し、自らの思いを肉声で語るのだから。プレゼンテーションの画像はジョブズが残した自らを表現する作品でもある。
革新のもの作りを追求してきた男が逝って早くも4年半近くが過ぎた。ジョブズの神通力はまだまだ続き、今のところアップルは経営的に健在だ。にもかかわらず、アップルの今後の製品に一抹の寂しさを感じてしまう。製品はジョブズそのものの魅力の塊であり、結晶であり、産物だったから。
アップル製品の売場で思う。複雑な生い立ちと波乱の人生を乗り越えて、既成の発想と感性を打ち破ったもの作りに挑み、それに成功してしまう力、いわば知的なかっこ良さがジョブズが送り出した製品には詰まっているし、香り立ってくる。
ジョブズのいないアップル。それはポルシェ博士のいないポルシェのように、優れた機能性とデザイン―911は最高だ。価格が超高いのが気に食わないが―ゆえに憧れの製品となり続けるだろうか。
林檎をひとかじりした商標は、メルセデスベンツのスリーポイントマークと同じく、所有者を虚栄と見せびらかしで高揚させ、ハイスペックの最先端の物を手にしている自分自身に自惚れてしまうような魅力と魔力をもたらす。
アップルPCの色合い、軽さ、薄さ、そしてそれらを形作るデザインは、他のPCを色褪せた、ねまったデザインの製品にしてしまう。洗練されたアップルと、野暮ったい、その他大勢の製品たちと2極化される。
アップル日本法人を極めた人物からジョブズと接したときの思い出を聞いたことがある。当人にとって自慢話の1つであり、講演のネタでもある。ジョブズが眼の前の舞台に立ち、語り、歩く様を何度も直視したという。
新製品のプレゼンテーションの練習風景だ。ジョブズは役員たちを前にして、何度も、何時間も、新製品の魅力を語り、舞台を歩き回り、感想を尋ね、発表当日に向けた練習を重ねたという。
ユーモア、発想の凄み、製品への自信、それらを織り込んだ内容をより自然な語り口―政治家でも、漫談家でも、テレビショッピング司会者でもない口調―で語り掛け、製品の先進性と洗練さを話法の中に落とし込んでいく。
舞台奥の大型スクリーンの映像を背景にしたジョブズの姿―黒い長袖シャツにジーンズ、スニーカー、それは裏庭での庭仕事の姿のまま会場へやって来たようだ―は、新時代の到来を告げる創造主にして預言者でもある。
プレゼンテーションの中でジョブズはアップル創業者の1人、アラン・ケイの言葉を取り上げる。
ソフトウェアに対して真剣ならば、独自のハードウェアを作るべきだ。
ジョブズはこの言葉を文字通り実現して、数々の革新的なアップル製品―賢くて、使いやすい―を作りだし世に送り出してきた。
ジョブズのプレゼンテーションは製品のPRそのものであるが、発想の独創と面白さを感じとることもできる。カタログでありながら、新しいことを考えるためのテキストにもなりうる。その映像は未知なるものを発想し、形作っていく番組としても視聴に値する。内容はジョブズについての著作や映画よりもはるかに面白い。だって本人が登場し、自らの思いを肉声で語るのだから。プレゼンテーションの画像はジョブズが残した自らを表現する作品でもある。
革新のもの作りを追求してきた男が逝って早くも4年半近くが過ぎた。ジョブズの神通力はまだまだ続き、今のところアップルは経営的に健在だ。にもかかわらず、アップルの今後の製品に一抹の寂しさを感じてしまう。製品はジョブズそのものの魅力の塊であり、結晶であり、産物だったから。
アップル製品の売場で思う。複雑な生い立ちと波乱の人生を乗り越えて、既成の発想と感性を打ち破ったもの作りに挑み、それに成功してしまう力、いわば知的なかっこ良さがジョブズが送り出した製品には詰まっているし、香り立ってくる。
ジョブズのいないアップル。それはポルシェ博士のいないポルシェのように、優れた機能性とデザイン―911は最高だ。価格が超高いのが気に食わないが―ゆえに憧れの製品となり続けるだろうか。