前庭の蝋梅、裏庭の満作がそれぞれ黄色い花を咲かせている。冬場の寒さにめげず、葉を落とした枝を彩っている。名前の由来がそれぞれ面白い。蝋梅は花が蝋細工のような質感だからという説があり、確かにそのように見える。満作は早春に「まんずさく」(まず咲くという言い方がなぜか東北弁になっている?)という説がある。健気に咲く小さな花に「ほんなこつめんこい花たいだべな」と東北弁と九州弁の混声で話しかけたくなる。
春夏秋に餌を求めて歩きまわる蟻も冬場には姿を見せない。寒気の日々の合間に気まぐれみたいに晩秋のポカポカ陽気が挟まることがある。そんな時に偵察隊の蟻んこ一行を地表で見ることがあるが、普段は地下の巣穴で寄り添って越冬しているのだろうか。日ごろはピーチク、パーチクと喧しい雀たちも鳴りを潜めている。樹木の中にあるお宿でごろごろして過ごしているのだろうか。
蟻も雀も縮こまる寒い時期にわざわざ北風に当たりに出かけるのが山歩き愛好家である。山に雪なんかが積もっていると、アイゼンを持って欣喜雀躍するのも山歩き愛好家である。「北風が吹く寒い山になぜ登るのか」。こう問う御仁もあろう。なにを隠そう、北風が吹こうが、吹雪こうが、それほど寒くはないのである。衣服の機能の進化で山の服は吸湿保温の素材で作られており、しかも軽い。防寒保温がしっかりしているので冬将軍の家来ぐらいなんのそのなのである。
ひとしきり山歩きをして山小屋に辿り着き、薪ストーブのそばでおにぎりを頬張り、ステンレス製の保温水筒から湯気が立つお茶を茶碗を兼ねた水筒の蓋に注いでゆっくりと味わって呑む。リュックからマカデミアナッツ入りのチョコレートを取り出そうとしたら、いくら探してもない。あれれ、家に置き忘れてきたらしい。脱力した山歩きに対しほど良い抜け具合にわれながら感心する。こんなこともあろうかとズボンのポケットに氷砂糖を入れた小袋をしのばせていた。抜けっ放しではないことにわれながら再び感心する。歩き疲れた体に糖分補給である。氷砂糖を2、3個頬張る。童心に帰って舌で右に左にと転がしてみる。
下山した後はひと風呂浴びる。理想は温泉地だが、我が家の内風呂でも十分満足できる。お湯の温かさが体の芯まで沁みていく。足の指の1本1本をつまみ、伸ばし、ほぐしていく。山という大地を踏みしめた足だ。ご苦労さん。ねぎらいの気持を込めて湯にひたす。風呂場の窓を少しばかり開ける。立ち上がっていた湯気が戸外へ吸い込まれていく。屋外に日差しはないようだ。どんよりとした曇り空だろう。にもかかわらず、わたしの体は陽だまりの中にあるような幸福感で充たされていた。北風の中を山歩きしたこと、温かいお茶を呑んだこと、氷砂糖をしゃぶったこと、風呂で体をお湯にひたしたこと。たったこれだけで、こわばった体と頭がほんわかと脱力してくるのである。いい気分の中に仰向けになってぽっかりと浮いている。そんな感じを味わっている。この味、氷砂糖だな。
春夏秋に餌を求めて歩きまわる蟻も冬場には姿を見せない。寒気の日々の合間に気まぐれみたいに晩秋のポカポカ陽気が挟まることがある。そんな時に偵察隊の蟻んこ一行を地表で見ることがあるが、普段は地下の巣穴で寄り添って越冬しているのだろうか。日ごろはピーチク、パーチクと喧しい雀たちも鳴りを潜めている。樹木の中にあるお宿でごろごろして過ごしているのだろうか。
蟻も雀も縮こまる寒い時期にわざわざ北風に当たりに出かけるのが山歩き愛好家である。山に雪なんかが積もっていると、アイゼンを持って欣喜雀躍するのも山歩き愛好家である。「北風が吹く寒い山になぜ登るのか」。こう問う御仁もあろう。なにを隠そう、北風が吹こうが、吹雪こうが、それほど寒くはないのである。衣服の機能の進化で山の服は吸湿保温の素材で作られており、しかも軽い。防寒保温がしっかりしているので冬将軍の家来ぐらいなんのそのなのである。
ひとしきり山歩きをして山小屋に辿り着き、薪ストーブのそばでおにぎりを頬張り、ステンレス製の保温水筒から湯気が立つお茶を茶碗を兼ねた水筒の蓋に注いでゆっくりと味わって呑む。リュックからマカデミアナッツ入りのチョコレートを取り出そうとしたら、いくら探してもない。あれれ、家に置き忘れてきたらしい。脱力した山歩きに対しほど良い抜け具合にわれながら感心する。こんなこともあろうかとズボンのポケットに氷砂糖を入れた小袋をしのばせていた。抜けっ放しではないことにわれながら再び感心する。歩き疲れた体に糖分補給である。氷砂糖を2、3個頬張る。童心に帰って舌で右に左にと転がしてみる。
下山した後はひと風呂浴びる。理想は温泉地だが、我が家の内風呂でも十分満足できる。お湯の温かさが体の芯まで沁みていく。足の指の1本1本をつまみ、伸ばし、ほぐしていく。山という大地を踏みしめた足だ。ご苦労さん。ねぎらいの気持を込めて湯にひたす。風呂場の窓を少しばかり開ける。立ち上がっていた湯気が戸外へ吸い込まれていく。屋外に日差しはないようだ。どんよりとした曇り空だろう。にもかかわらず、わたしの体は陽だまりの中にあるような幸福感で充たされていた。北風の中を山歩きしたこと、温かいお茶を呑んだこと、氷砂糖をしゃぶったこと、風呂で体をお湯にひたしたこと。たったこれだけで、こわばった体と頭がほんわかと脱力してくるのである。いい気分の中に仰向けになってぽっかりと浮いている。そんな感じを味わっている。この味、氷砂糖だな。