おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

ゲゲゲの鬼太郎は魔除けになるか

2014-12-25 | Weblog
お歳暮のお返しでデパートの催事場へ出向いた際、フロアの一角にギャラリーがあった。水木しげる版画展とあり、あのゲゲゲの鬼太郎と愉快な仲間たちの姿を描いた作品が幾つも展示されていた。妖怪の手招きを振り切って、まずは当初の予定を先行することにした。この方にはチョコレート、あの方には蒲鉾など魚の加工品詰め合わせと品定めしていく。途中、1本5千円以上のワイン2本セットのコーナーでは足が自然と止まり、どんな銘柄なのかとじっと眺めて遊ぶ。いかん、いかん。3分間以上眺めていると、自分にお歳暮を贈りかねないことになりそうに感じて、ワインコーナーから退避する。我慢する勇気、立ち去る勇気を試される歳末風景だ。パソコンがずらりと並んだ承りコーナーに赴き、進物が記された紙カードを数枚差し出す。担当者が過去の依頼主、お届け先データを画面に打ち出して、てきぱきとキーボードを操作していく。かつてのように送り状に手書きすることもなく、プリントアウトされた承り確認票に目を通して承諾するだけでいい。よし、用事は済んだ。鬼太郎を観に行こう。

作品は30点あまり。じっくり観て歩く。発色が明るくて美しい。マカロンを想起させる。おいしそうな色合い。どうせなら、先ほどの1本5千円以上の赤ワインをグラスに注いで、立ち呑みしながら観賞したいもんだ。肴も先ほどのコーナーにあった蒲鉾でいいか。表面を少しばかり炙ったのを竹串に刺して……。すっかり鬼太郎の世界に入って妄想に浸ってしまった。いかん、いかん。作者たる水木しげる先生に失礼なことをした。反省して妄想を排除し、心を入れ替えて再び観賞に浸る。なにやら背中に気配を感じる。脊椎をすーっと冷たい人差指で撫で下ろされたような、生ぬるい感覚が背中を走っていく。

後ろにいるのは誰だ! 思わず声を上げようとした。いかん、いかん。またもや鬼太郎の世界に入ってしまった。気を確かにして振り返る。なーんだ。ねずみ男か? ちょっと似ている。黄色いネクタイを締め、灰色のスーツを来た後期中年の男性だった。眼鏡を掛けている。瞳と瞳が合った瞬間、声を掛けてきた。どうです。すばらしいでしょう。首肯する。どれもこれも水木先生の直筆サイン入りですよ。確かに自署と朱印が作品の隅にある。何枚目に刷られたかの番号も記載されている。若い番号もあれば、真ん中ぐらいのものもある。値段も3万円台から数十万円と幅広い。ねずみ男が、寡黙気味のわたしの返答を包囲するように語り掛けてくる。

水木先生の作品で3万台なんて本来はありませんよ。多くの人に手にしてもらいたいという先生の想いでこんな価格が付いているんです。先生だからできることなんですよ。寡黙気味に首肯して問いかけるわたし。会場にはレフグラフファインという版画製作の説明書きがありますが、要するに原作品をスキャンしてファイルを作り、それを高性能印刷機で和紙にプリントアウトして仕上げたということですか? ねずみ男はいろいろ説明してくれた上で、簡単に言うと、そういうことですと首肯した。ただし、これが出来るのはエプソンかキヤノンの高性能印刷機だけです。当社はエプソンを使ってますがね。

鬼太郎の作品はデジタル版画なのだ。ねずみ男に尋ねる。作品の色彩はどれくらい持ちますか? ねずみ男が答える。80年は持ちますね。それを超えると色彩の劣化が始まります。その頃は生きてませんがね。わたしが応じる。そう言えば、フィルムメーカーでカラー写真が百年間色褪せしないというのを売りにした百年プリントというのがありましたね。あんな感じですかね? ねずみ男が気色ばんだ。ああ、あれはねえ、百年もたないというのが後で分かりましてね、今では百年プリントという売り文句を引っ込めてますよ。

ねずみ男の心中や、いかに? 目の前のこの男、鬼太郎版画を買う気があるのか、ないのか。関心がなければ、こんなに丁寧に作品を観るはずはない。では、どれくらいの予算なのだろうか。とりあえず3万円台を紹介して様子を見たが、鬼太郎はテレビアニメでよく観ていたとかなんとか言ってたな。ということは鬼太郎への愛着は少しはありそうだ。うむ、脈あり。よし、行け!

ねずみ男の口舌は止まらない。最近はですねえ、この鬼太郎の版画を玄関に飾る方がけっこういらっしゃるんですよ。まあ、魔除けですね。表の世界から入ってくるいろんな良くないことを家庭の中に入らないようにするんですねえ。寡黙気味にわたしが反応する。ほお。極めて短い言葉にねずみ男は気が抜けたのか、脈なしと観たのか、すーっとわたしの側を離れて行った。解き放たれたわたしは身も心も軽くなり、作品の残り半分を丁寧に観賞していく。催事場はお歳暮を選ぶ客たちで賑わっているのに、ギャラリーはわたしとねずみ男の2人だけだ。

鬼太郎と仲間たちの作品をひと通り観て歩いたわたしはすっかり邪気が祓われた気がした。30数点の作品がわたしを浄化してくれたみたいだ。ねずみ男が言っていた、魔除けになるという話はまんざらでもないようだ。値札という妖怪に引き込まれることなく、少しばかり寂しそうな表情のねずみ男に軽く会釈をして、わたしはギャラリーを出て行く。

催事場の喧騒を遠くに聞きながら、心中には鬼太郎の歌がこだまする。

ゲッゲッ ゲゲゲのゲ デジタル妖怪勢ぞろい 楽しいな 楽しいな

お金も払わず見て回り 心身綺麗にお清めし ねずみ男もお辞儀する

ゲッゲッ ゲゲゲのゲ みんなで出向こう ギャラリーへ






コメント

サラ・ブライトマンにブラボーと叫ぶ

2014-12-15 | Weblog
その日の朝には部屋のCDで、その日の宵には舞台からの肉声で、サラ・ブライトマンの歌を聴いた。6時開場、7時開演となるホールには客たちが入場を始めていた。ロビーにはサラのサインや写真をあしらったTシャツやパンフレット、マグカップ、クリアファイルなどファン向けのグッズ販売コーナーが設けられ、多くの客でにぎわっていた。ホールの席にも早めに訪れた客たちがけっこういて、開演前のざわめきが建物内に広まっていた。ざわめきを縫うように、姿は見えないが音合わせをするオーケストラの楽器の音色が舞台の方から流れてくる。まもなくサラが姿を現し、目の前にいる聴衆にして観客であるわたしたちにに向かって、あの歌声を披露してくれる。そんな想いの高まりと軽い感興が開演時間が迫るにつれてホールに満ちていく。

ライブの魅力はチケットを入手するときから始まる。主催者に電話を掛け、担当者にどの席が空いているかを尋ね、その席が舞台からどのくらいの距離や方向であるかなどを聞き、値段と支払い方法を確認する。後日、チケット代を払い込むと、待望のサラ・ブライトマンの歌を聴く会の紙片がメール便で届けられた。どんな服装で出向くかを思案したり、開場前に腹ごしらえをどこでして、何を食しようかなどと愉しい悩みの時間が当日まで続く。少しはおしゃれなジャケットを着ようか、時計も仕事では使わないようなフランス製のものにしようかな、靴もブーツでどうかなと、精神になんの影響ももたらさない、こんな煩悶ならば何度も味わいたいなと想ってしまう。遠足前夜のこどもの興奮みたいな気持ちの高ぶりをライブは大人にも味わわせてくれる。

手持ちのサラのCD「感動のヴォーチェ」に、サラを2行で紹介した文句が刷ってあった。「世界でいちばん美しい歌があるー全世界でトータル・セールスは3,000万枚を超え、北京五輪開会式で歌うなど、今、世界で最も支持されているソプラノ・ディーヴァ、サラ・ブライトマン」。サラの日本公式HPにはこの文句の後にこんな表現が付け加えられている。「クラシック/ポップといったジャンルを超越した美しい作品を創造し続けている」。サラはオペラ座の怪人でのクリスティーヌ役で評判となったのを足掛かりにロンドン・ミュージカルのヒロインとなる。次いでアンドレア・ボチェッリとのデュエットヴァージョンのタイム・トゥ・セイ・グッバイが世界的な大ヒットとなり、現在のソプラノ・ディーヴァへと登り詰める。

ホールの席に腰を下ろす。想っている以上に女性が多い。それも中年より以上の方々が目に付く。わたしは周りを女性たちに取り囲まれている。何席か前に高齢と想われる小柄な男性がいた。開演となり室内の明かりが落とされ、暗い中で壇上のオーケストラが演奏を始める。舞台奥には巨大なスクリーンがあり、銀河など宇宙の風景が映し出される。舞台奥からスポットライトを浴びながらサラが登場してくる。ディーヴァを想起させるような煌めくロングドレス、両手を広げると羽衣に見えるヴェール、頭には光輝く宝冠みたいな飾リ付け。観客たちは想ったに違いない。ディーヴァのサラだ! 

CDで聴いた、あるいはYouTubeで聴いた、あの声がマイクを通してホール内に広がっていく。CDでのサラの声は高くて鋭さが耳につく声、高い山に登っていく途中あるいは飛行機が高度を上げていく最中にあるように、耳がキーンもしくはキンキンとなるように聴こえたりすることがあるが、肉声はそこまではなく、ややまろやかに聴こえた。サラの歌声は聴く者をゆったりと癒してくれると言うよリは、精神を何かに集中させ高めていくのに適しているようだ。

途中20分間の休憩を挟んで2時間を超えるコンサートだった。わたしが知らない曲も多かった。日本語の曲も1曲歌い、スタジオジプリの「となりのトトロ」の挿入歌・風のとおり道を披露した。オペラ座の怪人ではカンツォーネの男性歌手と共演、サラのどんどん高くなっていく歌声を目撃ならぬ体験することになった。ここまで高い声で歌えますというサラの自信に対して会場からは感激の拍手が沸き起こった。終演間際には文字通りの意味ともなるタイム・トゥ・セイ・グッバイのソロヴァージョンも真打ちとして登場し、観客たちをさらに虜にしていった。

最後の曲を歌い終えてサラが指揮者とともに会場にお辞儀をし舞台奥に去っていく。会場のあちこちでスタンディングオベーションと喝采が巻き起こる。わたしの目の前の女性も立ち上がってアンコールを求める猛烈な拍手をしている。何席か前にいた高齢男性も立ち上がっている。遠くからブラボーの男性の声が飛んだ。こうなると、かつて武道の気合で鍛えた、喉に覚えありのわたしの出番となる。女性陣に囲まれた席からすっくりと大魔神のように立ち上がり、両手を口の周りに添えて拡声器のようにして汽笛一声ならぬ大音声一発!である。他の喝采の声を蹴散らすようにわが声が白羽の矢となって飛んでいく。

その状況をあえて表記するとこうなる。

ブラボー ぶらぼー ブラボー ブラボー ぶらぼー ブラボー ぶらぼー

極太の大文字がわたしの声である。

極太ブラボーがサラの耳に届いたかどうかは分からないが、サラは2度にわたるアンコールに応えて歌声を披露し、ディーヴァとして舞台を後にした。ブラボーという賛辞の声に対して、歌い手もそれに応えて感謝の歌声を贈る。CDでどんなに美しい歌声を聴いたとしてもスタンディングオベーションやブラボーの声はない。ライブの魅力がここにある。実物と生の声に触れる感動こそライブの永遠の愉しさだ。
コメント

ピカソと遊ぶな

2014-12-09 | Weblog
米ソの冷戦が終結することになるマルタ会談の翌年だったから1990年のことになる。季節は夏だった。場所はニューヨーク。当時の人気観光スポットはハードロックカフェ。もちろん訪れた。東欧から来たおのぼりさんと隣同士の席となった。当時流行りだったコロナビールを注文した。瓶には小さく切ったライムが入れ込んであった。これを味わうのが、当時い・け・て・た! 東欧のおのぼりさんも同じものを呑んだ。2人して顔を見合わせてにんまりした。その心中は、おのぼりさんの俺たち、ニューヨークで、いかにも流行もんって感じの、アルコール飲料を呑んでるよな、最高だぜ! 体力も好奇心もたっぷりあったから、ニューヨークの美術館巡りをした。メトロポリタン美術館、近代美術館、グッケンハイム美術館などなど。美術の教科書や全集に閉じ込められていた作品たちが、等身大の姿で目の前に現れる。鑑賞三昧で何時間も歩き詰めになるが、愉しいから疲労感がない。

美術館巡りの旅程から、どういう流れだったのか国連本部を訪れた。多分、建物そのものを見に行ったのだろう。中に入り、ロビーに見覚えのある大きな作品が目に入った。ああ、これは! 心中で小さく快哉の声を上げた。こんな所で出会うとは。ピカソのゲルニカだった。油彩の作品ではなくタピストリーであったが、画面に強い意志がみなぎり、画家が絵筆で政治的な力を持ち得ることをその時初めて感じた。絵画は、小さくまとまって個人の嗜好に収斂していくものもあれば、大きく広がって世界に向かって拡散していくものがある。ゲルニカは後者の方だろう。

小さいときに芽生えた絵心は、大人になるまでに描くことがなくなっても消えることはない。灯された火は小さいながらも燃え続けている。だから美術館やギャラリーのある街を散策するのは愉しい時間となる。それに喫茶店や古本屋、雑貨屋がそろえばブラボー!だ。スターバックスやブックオフ、ヴィレッジヴァンガードとはひと味もふた味も違った小さな桃源郷がそこにはあった。幾多の桃源郷が寄せ集まるパリ、ニューヨーク、東京はわたしにとってブラボー都市となる。そうそう、イタリアのフィレンツェも加えていいな。これらの都市の観光名所もいいが、名所から外れた路地裏巡りは小さな冒険となってけっこう面白い。普段着の地元の人たちが屋外の卓で談笑しながらビールを呑んでいたり、買い物をしていたり、子供が走り回っていたりしている。市井の人々の暮らしの時間はいずこも同じなんだなと実感すると、肩の力が抜けて自然体となる。

わたしにとって絵画を観ることは触発される愉しさに出会うことである。それは色合いであったり、構図であったり、筆遣いであったり、題材であったりだ。画面から感性を刺激するものがいくらでも湧き上がってくる作品に当たったときの至福感は堪らない。もちろん外れもあるが、当たり・外れは出会いの常というものだ。絵画の力は一瞬で観る人になにかをもたらすことだろう。書物は読みきる時間がある程度いるし、音楽もとりあえず聴き終えるまでの時間がいる。彫刻もまずは上から下までを眺めて、さらにひと回りしなくちゃいけない。こうしてみると、絵画の電光石火の伝播力や表現力の凄さがわかるというものだ。

東京のような大都市でなくても、美術館やギャラリーでなくても、絵画との出会いはいくらでもある。口座のある地方銀行本店ロビーの壁面を被うように巨大な抽象画が掛けられていた。黒色と白色だけを使って何かを表現していた。葬儀場での黒白の幕を思い起こさせた。いい印象がなかった。知り合いの銀行員に率直な意見を言った。銀行員は絵そのものに関心がないのか、作者名も知らなかったし、わたしの意見に同調も反論もなかった。そう言われれば、そうですかねえ。そんな反応だった。ATMで預金を下ろした後、帰りに絵画の近くに寄ってみると、作者名が書かれた表示板があった。誰だい、こんな絵を描くのは。そう想いながら確かめた。野見山暁治、文化勲章受章者。すぐさま想い浮んだ。なぜ、こんなところに? そして再考する。名人の作がいつも名作とは限らない。飾られている場所が美術館ではなく、お金が出入りするのを作品自身が眺めざるを得ない銀行ロビーだったから映えないのか。その後、銀行を訪れるたびに作品に目を遣るが、第一印象で受けた想いはちっとも変わることがない。

絵心が1つあるだけで世界はすべて発見と創作のための題材となる。絵を描く技術がなくても大丈夫。具象はひとまず置いて、抽象でいいじゃないか。周りの人たちは下手だと笑っても、ピカソや岡本太郎だったら下手さ加減がいいって褒めてくれるよ。
コメント

ヴィトゲンシュタインと友達になるな

2014-12-07 | Weblog
ほんらい理解するのが難しい事項であるから、それを言い表す言葉が難しくなるのか。あるいは、そもそも難しい言葉があって、それらを使うことで事項を難しく言い表してしまうのか。はたまた、その人自身が難解に思考したがるから、難解な事項が次々に生まれてくるのだろうか。およそ難解な存在だなと思わせる赤ちゃんはいないはずなのに、難解極まりない老人が少なからずいるのはどういうことなのだろうか。成長のどの時点で難解なる人物に化身していくスイッチが入ったのだろうか。

食卓の上にきれいな紫色のカバーがかかった本が1冊置かれていた。書名は超訳ヴィトゲンシュタインの言葉。帯には「きみの生き方が世界そのものだ」とある。1人うなづく。うん、その通りだよ。カバーの色に引かれて本を手に取り、表紙をめくる。カバー裏にいくつか言葉が列記してある。「生きている限り、心配事は生まれてくるものだ。自分は心配性ではないかととりたてて気に病むことはない」。1人うなづく。うん、その通りだよ。

哲学者ヴィトゲンシュタインの227の言葉が見出しとなって目次にずらりと整列している。

考えるとは、映像をつくり出すこと……うん、その通り。

本当に理解するには生活経験が必要だ……多分、その通り。

問題は必ず解決できる……もちろん、その通り。

理解とは見晴らしのよさのこと……言い得て妙で、その通り。

「知っている」と思えば進歩は止まる……むむむん、その通り。

哲学とは整理整頓だ……片付くと気持ちいいもんね、その通り。

わかりやすい説明とは細かい説明ではない……経験的に、その通り。

人はみな自分の感性と考え方の囚人だ……まっ、その通り。

言葉を豊かにすれば、それだけ世界は広くなる……絶対に、その通り。


超訳されたヴィトゲンシュタインの言葉は書物から視線を通じてわたしの脳内に入り込んだ。本を食卓に置いたわたしは昨日亡くなった近所のおばあさんの葬祭場へ出向いた。元気だったときの姿が目に浮かぶ。おばあちゃんはいつも電動4輪車に乗って近くの畑に出かけ農作業をしていた。路上ですれ違えば会釈する関係だった。最近、姿が見えないなと想っていたら病院で療養していたことを聞いた。それからしばらくして通夜、告別式の連絡が隣保班の方から電話連絡があった。84歳での逝去だった。

数日前にインフルエンザ予防のワクチンを注射し、この日ヴィトゲンシュタインの言葉が収められたわたしの体が車に乗って葬祭場に向かう。おばあちゃんの長男は建設会社の社長で喪主だった。会社の取引関係者や知り合いら多くの人が集まっていた。わたしはカラー写真の大きな遺影が飾られた祭壇へ向かい、線香を上げて数珠を手に冥福を祈った。そばに喪主の長男ら遺族が控えていた。長男はわたしと顔見知りだった。お悔やみを述べるわたしの顔を見て、にこにことした晴れやかそうな表情でお礼を返した。悲しみの顔ではなかった。

おばあちゃんは亡くなる3日前まで見舞いに訪れた家族らとおしゃべりをするなど意識もはっきりとしていた。その後、意識を無くして旅立った。今生での最期のお別れを家族として想い残すことはなかったかもしれない。家族も旅立つことを受け入れる心の準備が出来ていた。いつか来る日がとうとうやって来た。そんな思いが家族にはあったのだろう。葬祭場を後にしたわたしは車に乗ってハンドルを握る。

ヴィトゲンシュタインの言葉が染み入っているわたしの心がつぶやく。

「よく死ねるように今を生きよ」

うん、その通りだよ。言われるまでも無く前々から知っていたけどもね。
コメント

へミングウェイと酒を呑むな

2014-12-02 | Weblog
芸術の華開く1920年代のパリを描いたウディ・アレンの映画作品「ミッドナイト・イン・パリ」に小説家修行をしていた若きへミングウェイが登場し、赤ワインをラッパ呑みする場面がある。その荒々しい呑みっぷりが、豪胆なへミングウェイならばやりそうな素行で含み笑いしてしまった。実際、へミングウェイはパリ在住時にパーティで大酒呑みした挙句に飲酒した友人の運転する車に同乗、交通事故に遭って大怪我をしている。ボルドーワインのシャトーマルゴーを気に入り、実の娘にワイン名にちなんだマーゴと名づけたほどの入れ込みようであった。酒をくらい、恋を重ね、小説を綴り、釣りに勤しみ、猟銃をぶっ放すという好き放題な人生を歩んだ痛快さが伝わってくる。酒を差し引いたへミングウェイの人生なんて、軟弱すぎてつまらないや。

わが人生と酒との因縁を振り返ってみると、酒の上での失敗や粗相あまたあり。酒の下での失敗も同様。酒なしでの失敗も数え切れず。「今夜は無礼講で行こう。どんどん呑んで愉しんでくれ」の乾杯の挨拶を真に受けての乱痴気騒ぎ。翌日以降、どのような人物評価が下されたかを推察してほしい。「日本社会には本音と建前があってねえ」などと酔い覚めの日に助言をいただいても後の祭り。そんなことは祭りの前に言ってもらはないと。学生時代のことではあるが、路上で泥酔したこともある。目覚めたら他人の部屋ということもあった。

酒は百薬の長などと気の利いた名言など、若気の至りのさなかにある者が理解するはずもなく、ビールを手始めに、焼酎、日本酒、老酒、ウイスキーなど質より量で酒を愉しむ時期があった。恥ずかしがり屋である、なしに関係なく、酒を呑むと顔がすぐに赤くなる方だったから、はっきり言って酒には弱かった。呑む場数を踏むことで、幾分は強くなったが、周りの酒豪の友人たちからすれば前頭10枚目ほどの実力というか酒力だった。カウンターに頭を打ち付けての即身仏もあれば、ソファーでの轟沈、気絶もままあった。適量を知る前に、呑んでいたら適量を既に超えていた。

女性の酒豪にも遭遇した。コップのひれ酒をぐいぐいと何杯を呑む姿は男が惚れ惚れするほど豪快であった。わたしをはじめ、同席した男たちの方が1人潰れ、2人潰れ、3人潰れと討ち死にしていった。あの時、どうやって家に帰ったのだろうか。ロシア人の男性2人と赤ワインを呑んだこともあった。ウオッカで鍛えた連中だからふんどしを締めて臨んだ。昼間から呑んだのが関係したのか、数本のワインと和食の宴だったが、帰りのタクシーの後部座席でロシア人たちは口を開けて轟沈していた。ウオッカの国から来た男たちのふがいなさに気を緩めたのか、わたしも首を前に落とすような形で轟沈してたらしい(タクシー運転手談)。

ビールは最初の1本が最高にうまい。友人と2人で大瓶1ダース分のビールを呑んだことがあるが、3本目以降からはとりたてて酔うこともなく酒席と手洗いを往復するだけである。財布の中身の関係で1ダースで打ち止めにしたが、エンドレスで呑めた気がする。ウイスキーならボトル半分ほど呑むと、酔いを通り越して覚醒してくる。半分を越えていくと、ほぼカウンターに頭付きをしてお休みタイムとなり、翌朝は頭の中にアルコールがゼラチン状になって残っているのを実感できる。

笑い上戸あれば、泣き上戸あり。この男凶暴につきという人物に変身する者もあれば、トイレに行って来ると言って、そのまま帰ってこなかった者もいた。教訓もたくさん得ることになった。無礼講は無礼講ではない。大酒呑みで長生きした人はいない。適量を守る勇気が健康も守る。夜12時前に帰るシンデレラボーイになろう。酒から派生した口論、喧嘩は想っている以上に多い。意味はいろいろだが、呑んだら乗るな。酒は百薬の長に徹すべし。

事あるごとに酒を呑んでいた遍歴時代は遥か遠くになってしまった。アル中や肝臓の病になることもなく過ごしてきた。今やワイングラス1杯を適量として休肝日なしで呑み続けている。ポリフェノールがいっぱい入っていて体にいいから。これが呑む口実ともなっている。何度も即身仏になって悟ったのだ。不器用ながら寡黙に呑む赤ワインの日々を愉しむ域に達したのだ。成仏した経験が多いとは言うものの、まだ枯れてはいない。秘蔵のシャトーマルゴー1999年をいつ開けようかと虎視眈々の日々でもあるからね。その時はへミングウェイに乾杯さ。



コメント