お歳暮のお返しでデパートの催事場へ出向いた際、フロアの一角にギャラリーがあった。水木しげる版画展とあり、あのゲゲゲの鬼太郎と愉快な仲間たちの姿を描いた作品が幾つも展示されていた。妖怪の手招きを振り切って、まずは当初の予定を先行することにした。この方にはチョコレート、あの方には蒲鉾など魚の加工品詰め合わせと品定めしていく。途中、1本5千円以上のワイン2本セットのコーナーでは足が自然と止まり、どんな銘柄なのかとじっと眺めて遊ぶ。いかん、いかん。3分間以上眺めていると、自分にお歳暮を贈りかねないことになりそうに感じて、ワインコーナーから退避する。我慢する勇気、立ち去る勇気を試される歳末風景だ。パソコンがずらりと並んだ承りコーナーに赴き、進物が記された紙カードを数枚差し出す。担当者が過去の依頼主、お届け先データを画面に打ち出して、てきぱきとキーボードを操作していく。かつてのように送り状に手書きすることもなく、プリントアウトされた承り確認票に目を通して承諾するだけでいい。よし、用事は済んだ。鬼太郎を観に行こう。
作品は30点あまり。じっくり観て歩く。発色が明るくて美しい。マカロンを想起させる。おいしそうな色合い。どうせなら、先ほどの1本5千円以上の赤ワインをグラスに注いで、立ち呑みしながら観賞したいもんだ。肴も先ほどのコーナーにあった蒲鉾でいいか。表面を少しばかり炙ったのを竹串に刺して……。すっかり鬼太郎の世界に入って妄想に浸ってしまった。いかん、いかん。作者たる水木しげる先生に失礼なことをした。反省して妄想を排除し、心を入れ替えて再び観賞に浸る。なにやら背中に気配を感じる。脊椎をすーっと冷たい人差指で撫で下ろされたような、生ぬるい感覚が背中を走っていく。
後ろにいるのは誰だ! 思わず声を上げようとした。いかん、いかん。またもや鬼太郎の世界に入ってしまった。気を確かにして振り返る。なーんだ。ねずみ男か? ちょっと似ている。黄色いネクタイを締め、灰色のスーツを来た後期中年の男性だった。眼鏡を掛けている。瞳と瞳が合った瞬間、声を掛けてきた。どうです。すばらしいでしょう。首肯する。どれもこれも水木先生の直筆サイン入りですよ。確かに自署と朱印が作品の隅にある。何枚目に刷られたかの番号も記載されている。若い番号もあれば、真ん中ぐらいのものもある。値段も3万円台から数十万円と幅広い。ねずみ男が、寡黙気味のわたしの返答を包囲するように語り掛けてくる。
水木先生の作品で3万台なんて本来はありませんよ。多くの人に手にしてもらいたいという先生の想いでこんな価格が付いているんです。先生だからできることなんですよ。寡黙気味に首肯して問いかけるわたし。会場にはレフグラフファインという版画製作の説明書きがありますが、要するに原作品をスキャンしてファイルを作り、それを高性能印刷機で和紙にプリントアウトして仕上げたということですか? ねずみ男はいろいろ説明してくれた上で、簡単に言うと、そういうことですと首肯した。ただし、これが出来るのはエプソンかキヤノンの高性能印刷機だけです。当社はエプソンを使ってますがね。
鬼太郎の作品はデジタル版画なのだ。ねずみ男に尋ねる。作品の色彩はどれくらい持ちますか? ねずみ男が答える。80年は持ちますね。それを超えると色彩の劣化が始まります。その頃は生きてませんがね。わたしが応じる。そう言えば、フィルムメーカーでカラー写真が百年間色褪せしないというのを売りにした百年プリントというのがありましたね。あんな感じですかね? ねずみ男が気色ばんだ。ああ、あれはねえ、百年もたないというのが後で分かりましてね、今では百年プリントという売り文句を引っ込めてますよ。
ねずみ男の心中や、いかに? 目の前のこの男、鬼太郎版画を買う気があるのか、ないのか。関心がなければ、こんなに丁寧に作品を観るはずはない。では、どれくらいの予算なのだろうか。とりあえず3万円台を紹介して様子を見たが、鬼太郎はテレビアニメでよく観ていたとかなんとか言ってたな。ということは鬼太郎への愛着は少しはありそうだ。うむ、脈あり。よし、行け!
ねずみ男の口舌は止まらない。最近はですねえ、この鬼太郎の版画を玄関に飾る方がけっこういらっしゃるんですよ。まあ、魔除けですね。表の世界から入ってくるいろんな良くないことを家庭の中に入らないようにするんですねえ。寡黙気味にわたしが反応する。ほお。極めて短い言葉にねずみ男は気が抜けたのか、脈なしと観たのか、すーっとわたしの側を離れて行った。解き放たれたわたしは身も心も軽くなり、作品の残り半分を丁寧に観賞していく。催事場はお歳暮を選ぶ客たちで賑わっているのに、ギャラリーはわたしとねずみ男の2人だけだ。
鬼太郎と仲間たちの作品をひと通り観て歩いたわたしはすっかり邪気が祓われた気がした。30数点の作品がわたしを浄化してくれたみたいだ。ねずみ男が言っていた、魔除けになるという話はまんざらでもないようだ。値札という妖怪に引き込まれることなく、少しばかり寂しそうな表情のねずみ男に軽く会釈をして、わたしはギャラリーを出て行く。
催事場の喧騒を遠くに聞きながら、心中には鬼太郎の歌がこだまする。
ゲッゲッ ゲゲゲのゲ デジタル妖怪勢ぞろい 楽しいな 楽しいな
お金も払わず見て回り 心身綺麗にお清めし ねずみ男もお辞儀する
ゲッゲッ ゲゲゲのゲ みんなで出向こう ギャラリーへ
作品は30点あまり。じっくり観て歩く。発色が明るくて美しい。マカロンを想起させる。おいしそうな色合い。どうせなら、先ほどの1本5千円以上の赤ワインをグラスに注いで、立ち呑みしながら観賞したいもんだ。肴も先ほどのコーナーにあった蒲鉾でいいか。表面を少しばかり炙ったのを竹串に刺して……。すっかり鬼太郎の世界に入って妄想に浸ってしまった。いかん、いかん。作者たる水木しげる先生に失礼なことをした。反省して妄想を排除し、心を入れ替えて再び観賞に浸る。なにやら背中に気配を感じる。脊椎をすーっと冷たい人差指で撫で下ろされたような、生ぬるい感覚が背中を走っていく。
後ろにいるのは誰だ! 思わず声を上げようとした。いかん、いかん。またもや鬼太郎の世界に入ってしまった。気を確かにして振り返る。なーんだ。ねずみ男か? ちょっと似ている。黄色いネクタイを締め、灰色のスーツを来た後期中年の男性だった。眼鏡を掛けている。瞳と瞳が合った瞬間、声を掛けてきた。どうです。すばらしいでしょう。首肯する。どれもこれも水木先生の直筆サイン入りですよ。確かに自署と朱印が作品の隅にある。何枚目に刷られたかの番号も記載されている。若い番号もあれば、真ん中ぐらいのものもある。値段も3万円台から数十万円と幅広い。ねずみ男が、寡黙気味のわたしの返答を包囲するように語り掛けてくる。
水木先生の作品で3万台なんて本来はありませんよ。多くの人に手にしてもらいたいという先生の想いでこんな価格が付いているんです。先生だからできることなんですよ。寡黙気味に首肯して問いかけるわたし。会場にはレフグラフファインという版画製作の説明書きがありますが、要するに原作品をスキャンしてファイルを作り、それを高性能印刷機で和紙にプリントアウトして仕上げたということですか? ねずみ男はいろいろ説明してくれた上で、簡単に言うと、そういうことですと首肯した。ただし、これが出来るのはエプソンかキヤノンの高性能印刷機だけです。当社はエプソンを使ってますがね。
鬼太郎の作品はデジタル版画なのだ。ねずみ男に尋ねる。作品の色彩はどれくらい持ちますか? ねずみ男が答える。80年は持ちますね。それを超えると色彩の劣化が始まります。その頃は生きてませんがね。わたしが応じる。そう言えば、フィルムメーカーでカラー写真が百年間色褪せしないというのを売りにした百年プリントというのがありましたね。あんな感じですかね? ねずみ男が気色ばんだ。ああ、あれはねえ、百年もたないというのが後で分かりましてね、今では百年プリントという売り文句を引っ込めてますよ。
ねずみ男の心中や、いかに? 目の前のこの男、鬼太郎版画を買う気があるのか、ないのか。関心がなければ、こんなに丁寧に作品を観るはずはない。では、どれくらいの予算なのだろうか。とりあえず3万円台を紹介して様子を見たが、鬼太郎はテレビアニメでよく観ていたとかなんとか言ってたな。ということは鬼太郎への愛着は少しはありそうだ。うむ、脈あり。よし、行け!
ねずみ男の口舌は止まらない。最近はですねえ、この鬼太郎の版画を玄関に飾る方がけっこういらっしゃるんですよ。まあ、魔除けですね。表の世界から入ってくるいろんな良くないことを家庭の中に入らないようにするんですねえ。寡黙気味にわたしが反応する。ほお。極めて短い言葉にねずみ男は気が抜けたのか、脈なしと観たのか、すーっとわたしの側を離れて行った。解き放たれたわたしは身も心も軽くなり、作品の残り半分を丁寧に観賞していく。催事場はお歳暮を選ぶ客たちで賑わっているのに、ギャラリーはわたしとねずみ男の2人だけだ。
鬼太郎と仲間たちの作品をひと通り観て歩いたわたしはすっかり邪気が祓われた気がした。30数点の作品がわたしを浄化してくれたみたいだ。ねずみ男が言っていた、魔除けになるという話はまんざらでもないようだ。値札という妖怪に引き込まれることなく、少しばかり寂しそうな表情のねずみ男に軽く会釈をして、わたしはギャラリーを出て行く。
催事場の喧騒を遠くに聞きながら、心中には鬼太郎の歌がこだまする。
ゲッゲッ ゲゲゲのゲ デジタル妖怪勢ぞろい 楽しいな 楽しいな
お金も払わず見て回り 心身綺麗にお清めし ねずみ男もお辞儀する
ゲッゲッ ゲゲゲのゲ みんなで出向こう ギャラリーへ