おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

高麗人参を飼う

2015-05-29 | Weblog
買う。ではない。飼う。である。飼育する。である。実家の台所で高麗人参秘酒を見つけた。流し台下の収納部分を整理していて、奥の方に押し込められた酒瓶を手にしたのが端緒となった。容量750ml。アルコール分25度、エキス分4%未満。原産国大韓民国。ラベルに飲酒は20歳を過ぎてからと印刷してある。とっくの大昔に過ぎているから呑む権利はある。しかしながら、肝心の中身がすっからかん、呑み干してある。よく見ると、瓶の底部分に何やら横たわっている。浸けてあった高麗人参のようだ。生死不明だが、瓶から救い出すことにする。

スクリューキャップを回して開ける。瓶口からは香りらしきものはしない。瓶を逆さまにしてみる。底の部分から瓶口の方へ移動したが、隘路となっている部分に引っ掛かっている。箸を使って引き出し、まな板の上に載せる。それは広い意味で生き物であり、細かい意味では植物の根の一部である。アルコールに骨の髄までではなく、根っこの髄まで浸かっていた上、キャップで栓がしてあって密閉されていたことや、流し台の収納部分の薄暗いところにあったことなどから、劣化が進まない状態となっていた。触ってみても生きているような弾力や手応えがある。瓶に張ってある紙製ラベルの劣化具合から結構な歳月が経過しているみたいだ。

まな板の上の高麗人参を生物学的に観察する。体長およそ15cm。イカのようにも見える。色合いは黄色をかなり淡くした感じだ。全体の半分が根っこの本体となり、残りが本体から4本ほど枝分かれした根とそれらから伸びた髭根となる。髭根は神経か毛細血管みたいに絡み合っている。このままでは空気に触れて乾燥して縮み、即身仏ならぬミイラ化した高麗人参となってしまう。歳を重ねるにつれて心の中に博愛精神や慈悲の気持ちが増してきた。なんとか助けなくては!

まずは小皿に移してラップで覆った。陸に揚げられた魚を活かすのに水槽が必要なように、アルコールの水槽に浸してあげなくては。酒屋に走る。大韓民国産だから当地の酒をまず探す。JINROしか置いていない。色付き瓶であるため、高麗人参を入れ込むと姿がよく見えなくなる。マムシ酒やハブ酒のように本尊がはっきり見えないと、効き目が期待できない。気持ちが昂ぶらない。瓶が透明な国産焼酎を見ていく。高麗人参を納めるのに相応しい焼酎にして、瓶の形も高麗人参の姿が生き生きと見えるものでないといけない。よし、これだ! 焼酎の名前と色合い、瓶の形のいずれを取っても、高麗人参を同居させるのに相応しい銘柄を見つけた。

神の河(かんのこ)。3年貯蔵ものである。鹿児島県枕崎市立神本町26、薩摩酒造株式会社製造。容量720ml。アルコール分25度。原材料は麦と麦こうじ。百%単式蒸留。色は琥珀色。2014年12月17日瓶詰め。封を切ってコルク栓をゆっくりと抜き上げていく。お猪口に少量を注いで味見。オンザロックで2、3杯呑みたい気分だが、ここはじっとこらえて高麗人参の水槽専用にする。頭から入れ込んで、箸でゆっくりと押し込む。根っこの本体部分を下にしてじわっーと底の方へ沈んでいく。琥珀色の世界に潜む生命体のようだ。

神の河の中で飼い始めて数日が過ぎた。毎日見るのが愉しみとなってきた。心肺停止状態から奇跡の復活を果たしたみたいだ。麦焼酎への拒否反応もなし。髭根も心なしか伸びたみたいな気がする。食卓の上に置いて毎日眺めている。以心伝心。高麗人参の運気を酒瓶越しにもらっている。回りの反応は必ずしも芳しいものではないようだ。「ホルマリン漬けの標本みたい」「オットセイのあれみたい」「そのうち泳ぎ出しそうで気味が悪い」。悪評にもめげず、瓶の中の高麗人参は日に日に生き生きとしてきている。オットセイのあれか……。見たことはないが、いいぞ、その調子だ。頑張れ、高麗人参!
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ウィーン少年合唱団 2015年日本公演

2015-05-27 | Weblog
来日60周年記念特別公演としてウィーン少年合唱団が北は北海道から南は九州長崎まで全国を縦断して歌声を披露している。戦後10年となる1955年に来日して以来、ウィーンの象徴、音楽大使、天使の歌声など少年合唱団にしては抜きんでた賛辞を欲しいままにし、不動とも言える人気を保っている少年たちの生の姿と声を聴く機会を得た。

公演フライヤーやファンサイトなどから、彼らがどんな合唱団なのかを公演前におさらいしてみよう。

★宮廷礼拝堂少年聖歌隊として1498年に創立し5百年以上の歴史を誇る。

★シューベルトやハイドン、ブルックナーも在籍していた。

★巨匠トスカーナが彼らの合唱を天使の歌声と命名したことで有名。

★団員は10歳から14歳までの約百名。パートはソプラノとアルトのみ。

★ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ブルックナーといった合唱団ゆかりの作曲家の名がついた4つのグループに分かれて活動。

★団員は全員がウィーンのアウガルテン宮殿で生活。

★ウィーン国立歌劇場でのオペラへの出演や、ウィーン・フィルやウィーンを代表するオーケストラ、アーティストとの共演多数。

★日本公演では宗教曲のレパートリーの他に日本の楽曲も披露。

★2015年特別公演で来日したのはブルックナー組。グローバル化時代を示すように白人、黒人、黄色人種で構成し、アジア勢では中国人や日本人がいる。

★特別公演では合唱だけでなく、ヴァイオリンやチェロ、リコーダーなどの楽器でミニアンサンブルも披露。

★指揮をするカぺルマイスターはイタリア人。

公演はAプログラム(軌跡―初来日へのオマージュ―)とBプログラム(未来へ―日本への祈り―)の2つが用意され、会場によっていずれかが選ばれる。わたしが出向いた公演ではAプログラムだった。メンデルスゾーンの「主をほめたたえよ」やモーツァルトの「汝により守られ」などの宗教曲をはじめ、シューベルトの「野ばら」、ヨハンシュトラウスの「美しき青きドナウ」などドイツ語の合唱をはじめ、日本語として「ふるさと」「花は咲く」、英語として映画「サウンド・オブ・ミュージック」より「ひとりぼっちの羊飼い」「エーデルワイス」が披露された。全部で20曲ちょっと。

 
本公演は15分間の休憩を挟んでアンコールタイムを含めて約2時間。公演後のおさらいをしておこう。

☆会場には年配のご婦人や合唱団所属かと思われる少女の姿が多勢で、男性陣は少数派。

☆ドイツ語の合唱なので歌詞の意味が不明、不詳だった。

☆天使の歌声に過大な期待をしたせいか、地球人の声だったことに少しばかり落胆した。

☆各地を巡っての長旅公演のためか、あるいは2時間近く立ちっ放しということもあり、やや疲れ気味の表情をちらりと見せる瞬間が何度かあった。

☆曲が終わるごとにお辞儀をするのだが、両腕と首をだらりと下げた変なお辞儀で、疲れた操り人形のようで気の毒だった。

☆有名で、歌い慣れ、声がきれい、舞台慣れしているからといって、すべからく聴く者に鳥肌が立つような感動を与えるとは限らないということが分かった。

☆合唱団にとって楽器演奏は余技以上のものではない。

☆ウィーン少年合唱団以外のもろもろの合唱団のために言えば、「あなたたちもけっこう上手です!」。ウィーン少年合唱団のために言えば、「日本各地でこれほど大勢の人たちを有料で集めることができるのは多分あなたたちだけです!」

後日、ウィーン少年合唱団の公演の感想を知人に尋ねられた。正直に答えることにした。「そうだなあ、少年たちの合唱だったよ」


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ハギスはスコットランド名物か? ホームズからの回答

2015-05-24 | Weblog
パソコンに「ハギスはスコットランド名物か?」の件名でメールが届いていた。差出人はシャーロック・ホームズ! 食聖を訪ねて7を読んだ人からの辛言かと思って開いてみる。ロンドンはベーカー街221番地Bをわざわざ東アジアの小国から訪ねて来たことへのお礼とともに、ハギスについての理解を今一度深めてもらいたいとして19世紀後半のイギリスからメールを送信した旨が冒頭に綴られている。日本語は皆目分からないため、相棒のワトスン医師に依頼して英語の原文を日本語に訳したとのことだ。インターネットを通じてホームズの世界に入ったものの、IPアドレスという痕跡を残していったみたいだ。そのアドレスを基にプロバイダーに何らかの交渉をしたか、あるいはワトスン医師がホワイトハッカーとなって、わたしのメールアドレスを探知したらしい。ホームズ、畏るべしである。

ホームズはメールの中でハギスについて詳述している。話の流れを分かりやすくするためにわたしとの問答形式に置き換えてみた。

ホームズ:最初に言っておくけれども、ハギスはスコットランド生まれではないよ。

わたし:えっ? スコットランドじゃないの?

ホームズ:イタリア生まれだよ。

わたし:イタリア? イタリア料理でハギスみたいなのはあったかな。

ホームズ:古代ローマの美食家、アピキウスのお気入り料理だったんだ。

わたし:アピキウス? 初めて聞く名前ですね。どんな人物でしょうか?

ホームズ:その質問は本題から外れるから自分で調べるべし。本題に入ろう。美食の起源は西欧ではイタリアなんだよ。それがフランスに伝わって偉大なるフランス料理となり、その一部がイギリスにも伝わった。もっとも、大部分はフランス止まりだ。イタリア料理やフランス料理というジャンルはあっても、イギリス料理と言えるものは無いに等しい。フィッシュ・アンド・チップスを晩餐会では出せないだろう。

わたし:なるほど。

ホームズ:イタリアではハギスは豚の胃袋を使ってつくっていた臓物料理だったんだ。豚の臓物と脳味噌、生卵、ドロドロに潰したパイナップルを詰めて香辛料を加え、さらにリクウェイメンというもので香りをつけるんだ。

わたし:材料が並んだ光景だけでゲテモノ料理っぽいですね。リクウェイメンって何ですか?

ホームズ:説明したくない。説明すると吐き気を催してくるから。

わたし:そう言われると、ますます聞きたくなりますよ。教えて。

ホームズ:ワトスンに説明してもらおう。頼むよ、相棒!

ワトスン:ほいきた、がってん! リクウェイメンとはねえ、大小さまざまな魚の腸、エラ、血液にすこしばかりの塩を入れてかき混ぜ、蓋のない大桶に入れてイタリアの太陽の下で腐敗を十分進ませる。そこにローマ産のワインと香辛料を加えたものだよ。元来はギリシャでつくり出されたものだ。

わたし:魚料理に長けたイタリア人ならではだ。腐った魚の臓腑にワインを注ぐんですね。塩と香辛料で味付けねえ。グッジョブな隠し味だ! 

ワトスン:シャーロック、この日本人、びびってないぜ。

わたし:日本にも似たようなものがある。多分、魚醤みたいなもんですね。ワインは使わないけども。

ホームズ:日本人は魚を食べる民族だったな。リクウェイメンと似たような調味料があったのか。イタリアと日本と地域は相当離れていても、魚という食材を徹底的に活かすということでは同じような発想をしたわけだ。日本人ってのは、思っている以上に舌が肥えているみたいだな、ワトスン。

ワトスン:模倣が上手い民族だと思っていたが、独創性もありそうだ。

わたし:イタリアでは豚を使ったハギスが、イギリスではなぜ羊に?

ホームズ:ハギスが渡来した当時、イギリス人は豚肉が好きではなかったということさ。ハギスはイタリアからフランスに伝わり、フランスのノルマンジーを経由してイギリスに伝わったんだ。ノルマンジーではフランチェモイルと呼ばれていた。

わたし:渡来料理の食材を手近な羊に置き換えたわけなんですね。

ホームズ:そうとも言える。ハギスの付き合わせにジャガイモをみんな使うけど、わたしは薄切りの黒パンにバターを塗ってほしいね。個人的な思いを言えば、めったに食べることのない、イタリア生まれのスコットランド名物だね。

わたし:いやー、ホームズさんのお陰でハギスのうんちくをたっぷり仕込んだなあ。

ホームズ:これで日本でハギスうんちくの第1人者になれるな。たぶん、君以外にこんなにハギスに深入りする人はいないからね。

わたし:文字通り1人しかいないんですね。誇らしくもあり、寂しくもある第1人者かあ。ハギスのうんちく、日本で役立ちますかね?

ホームズ:役立たんだろう。うんちくとは孤高なもんだよ。

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食聖を訪ねて7 シャーロック・ホームズ

2015-05-18 | Weblog
食聖を訪ねる旅もいよいよ最終である。時代はどんどん遡って19世紀後半、国内を遙か遠く離れて欧州は霧の都ロンドンへと往き着いた。ベーカー街221番地B。世界中にファンを持つ、あの名探偵の住まいがあるところだ。ミスター・シャーロック・ホームズ! 少年時代に読みふけった作品の数々は、推理と読書という2つの愉しさを教えてくれた。わたしにとって、いわば文部省検定外の論理学教科書でもあった。難事件を明晰な頭脳で次々と解決していく様は、こども心に憧れの存在となった。読み手を引き込む物語の展開と主人公の魅力は大人になった今でも色褪せない。だから「シャーロック・ホームズ家の料理読本」という書名を目にすれば、手に取ってみるのは必定というものだ。ホームズはどんな食事をしてたんだい?

著者はイギリス人の女性料理研究家である。シャーロキアンならずとも、ホームズの知名度を分かっている料理家であれば、こんな本を書こうとの野心を抱いても不思議ではない。事実、「コナン・ドイルの遺産管理者の方々によれば、これまで何人かの人々によって検討されて来たもののようです。たまたま私がそれを耳にして、その考えのとりこになってしまったわけです」と著者は述べている。シャーロック・ホームズの全部の物語を渉猟し、目につく限りの引用を拾いあつめた、か細い骨組みの上に読本を組み立てたという。骨組みがか細いとはどういう意味なのか? 物語を読んでみれば即解決である。それは、作品の中にホームズの具体的な食事描写がほとんどないのだ! 

ホームズの名前を冠した料理読本ですよ~。そんな大見得を切った書名にして大丈夫なのか。ホームズばりに推理するまでもなく、著者が種明かしをしている。ホームズが活躍した時代はヴィクトリア女王が君臨して世界各地に植民地を持っていた。大英帝国が繁栄し、産業革命による工業化が進んで中産階級が富を拡大していった時代だった。富を示す事例が贅沢な料理であり、それらが食卓を飾った時代でもある。当時、中産階級向けに近代料理を紹介する本が出ており、それが著者の種本となっている。ホームズが生きたヴィクトリア朝全盛期の食事こそが、ホームズ家の食卓に上り、名探偵と相棒のワトスン医師が口にしたはずの料理だとの論法である。著者は、ホームズの下宿の家主、サラ・ハドスン夫人を料理人としてホームズ食をつくりあげていく。

朝食から始まって、スープ、魚料理、鶏と禽獣肉の料理、肉料理、臓物料理、野菜料理、チーズ料理、食後のお菓子、おやつ、お口直し、お飲みもの、各種ソース、ジャムや漬物と目次にあるが、それぞれ10品から20品前後の料理が掲載されており、ヴィクトリア朝の中産階級の食卓の豊かさが伝わってくる。目移りし、なじみのないメニューの中で、見知った料理を見つけた。大勢の見知らぬ客たちで賑わう立食パーティー会場でとまどう中、懐かしい知人を見つけて安堵するみたいな心境である。その名はハギス! 

ハギスなら知ってるよという日本人がいれば、わたしは満面の笑みで歓待したい。それが男性ならば握手と肩たたきをし、女性ならばハイタッチとウインクとなる。ハギスとは羊の臓物を使ったスコットランドの名物料理だ。なぜ知ってるかと言うと、当地を訪れた際にレストランで食べたことがあるからだ。ほかの料理のことはすっかり忘れているのに、なぜ覚えているかと言うと、同行の日本人たちが2口、3口とスプーンで口に運び、10口も行かないうちに食べ残してしまったからだ。当時、出された料理はすべて胃袋に納めるという信念の持ち主だった故、大皿いっぱいのハギスを完食した。同行者たちはなぜ食べ残したのか。それは日本人の味覚に合わないためである。分かりやすく言うと、おいしくないのである。

料理読本では、ハッギスと表記されている。3頁にわって詳述してあることからしても、ホームズ食の名に恥じない料理だと伺いしれるだろう。どんな代物なのかを要約してみよう。羊の心臓と肝臓、肺臓の一部を茹でた後、全部を一緒にして細かく刻む。羊の腰や腎臓付近の脂肪やタマネギも刻んでおく。これらを板の上に広げて、塩、胡椒、唐辛子少々をよく混ぜてから軽く振りかける。羊の胃袋に詰め込む際にレモン汁かビネガーを少々加え、口を縫って閉じてから、ゆっくりと3時間茹でる。著者からの注意ということで、茹でる以外に蒸すという方法があることが付記してある。

手間暇かかる料理である。スコットランド人好みの味付けなのだろうが、味噌、醤油文化の日本人にはちょっと舌が驚く味付けではないだろうか。郷に入っても郷に従わなくてもいい料理と言って差し支えない。ホームズ家を訪ねての結論がでたようだ。やはり探偵には食卓のことより犯罪捜査のことを尋ねた方がいいみたいだね。そうだろう、ワトスン君。帰国を前にホームズに置き土産を1句。ハギス食い和食の旨さ思い知る

今日のひと口:ダンジキ、漢字で断食 年1回ぐらいは胃袋にノー食材デーを設けて1日たっぷり休息させてやろう。空腹は最高のスパイスという俗言もあることだし、断食明けはハギスでさえ御馳走と思えるはず。ただし断食明け以外では、この俗言はハギスにはまったく使えないことを知らせておく。
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食聖を訪ねて6 辰巳芳子

2015-05-15 | Weblog
日頃食べている食事の在り方を立ち止まって見直すきっかけは、体調を崩して病気になったり、食品偽装事件でインチキ食材の真実を知ったり、地産地消の原則を大きく踏み外した輸入物頼りの食材に気付いたりした時ではないだろうか。暴飲暴食して健康であるならば、健康管理などに関心を寄せることもなく、食材の機微などお構いなしの日々のままだろう。しかしながら、ヒトは食べることで気力、体力、やる気を養っているという実態を思えば、後先考えない暴飲暴食や偏った食習慣、長期にわたる不適切な食材の体内への取り込みの末路がどうなるのかは自ずと分かるというものだ。歳を重ねて体の各器官に耐用年数があることを感じるようになると、メンテナンスはもとより、良質のエネルギー源の体への供給に目を注がざるを得ない。

料理家・辰巳芳子の著書「味覚日乗」は、食べることと食べ物への基本的な考えと接し方を教えてくれる。鎌倉など湘南エリアで出されている月刊文芸タウン誌かまくら春秋に9年間にわって連載された内容を1冊にまとめた本である。春夏秋冬に分けて章立てされ、四季折々の食材や料理はもちろん、味噌、醤油、酢、油など和食に欠かせない調味料についても細かく触れている。気分のいい腹ごしらえは、仕事や勉強、遊び、計画など次の展開に気分よく入っていけるではないか。時として間に合わせやかき込むような食事があるだろうが、それが日常の常となってくると、なんとも粗末で貧相な食文化となって顔つきや人格、品格の素地となっていく。文化的な貧しさはどう取り繕っても下地がどこかで出てしまうのである。それは不健康にして不粋となる。

感に応じる著者の言葉を備忘録風に抜粋してみよう。「鍋を用いた形式のもの、鍋ものといわず、鍋仕立てというべきものを、もてなしにも、日常にも自在に、食卓に配して下さると、労力・神経・経済・効果、何につけ一息つけます。この例は、ごく日常的な汁もの、椀ものを発想を拡げ、位置づけしなおしてみただけのことです。習慣の見直しをおすすめしたく、鍋仕立てを取り上げてみました。鍋仕立ての解釈は色々ありそうですが、通常『椀盛・清汁・味噌汁』としていただくものを、少々発想を展開させ、汁と主菜をかねた性格をもたせてしまうのです。(中略)。食習慣の展開は、古着のリフォームとは全く異なり、時代的な意味やら、発見やら。とにかく、頭はしなやかに使いたいと思います」

雨に閉じ込められた夏の日の四方山話から著者が真心をこめての料理について考えをめぐらす。「料理する時の心のこめ方、つまり気のいれ方は、もしかしたらお茶を美味しくいれるところから始まるかもしれないわね……」。道元の「典座教訓」の一文―もの来たりて心にあり、心帰してものにあり―を引用しながら物我一如の心境をお茶をいれる過程の中で探る。「まずそのお茶をよく観る―自分の知識を集約して理解しようとする。その茶葉を噛み含んでみるのもよい。その上で法則にかなったいれ方、立て方を注意深く丁寧に行う。これだけのことです。ゆきつくところ―美味しいお茶を―は、よい願いには違いありませんが実は執着でもあります。むしろよさそうな願いからも解き放たれ、淡々とお茶の身になりなすべきことをなし、結果はお茶そのものにゆだねる。料理全般に通じる呼吸、物我一如もこのあたりにあると言えます。しっかりと、けど軽やかなお茶になります」。われ読み、われ思う。威儀を正した茶の湯の世界に足を運ばなくとも、日常生活の中での一服のお茶の中に料理づくりの奥義をわたしたちは見出すことができる。お茶の中に立ち浮かぶ茶柱が、物我一如を語る神秘な巻物のように見えてきた。なんと軽々しく立っていることか。

著者は料理人との出会いの文章の中で東京・恵比寿のシャトーレストラン「タイユヴァン・ロブション」のジョエル・ロブションのことを綴っている。先方から「ぜひお友達になりたいのでお話したい」との申し入れがあって対面した。「あなたにとって料理とは何か」の質問に、ロブションは答える。「人を喜ばすため」「料理は“愛”、これが総て」。料理づくりの本質的な愉しさが言い尽くされているではないか! 「材料をいかさねば。なぜなら大なり小なりものの生命を奪って私達はその生命で養われているのだから」と言うロブションの言葉を受けて、著者は15歳まで神学生だった料理人の人生を語る。「ものの世界を大切に、人を喜ばせることに心を砕き、いつの間にか思わぬ道のりを歩いたのだと思います」

読み始めてすぐに微笑ましい情景が目に浮かぶ文章に出くわした。

「ただいまッ」。靴を脱ぐ間ももどかしく、「今夜はなんだ?」と父。「なんでもあるわよ」とはずむ母。“なんでもあるわよ”で、目と目がにっこり。「おかえりなさい」と迎えに走り出た皆んなも、ぴったり明るく楽しい心になったものです。自信あり気に“なんでもある”と受ける母を小心者の私は何時も大丈夫かなと案じたものです。なんでもしてあげたい母の心、その心で一日の疲れがふっ飛んでしまう父。(中略)。―なんでもあるわよ―の夕餉の食卓。それは「酒の肴にお金をかけるもんじゃないよ。才覚でお作り」の口ぐせ通り、季節のほんとになんでもないものを、父の好みに合わせて作り、父のテンポに添って出す。ただこれだけのことです。
 
「料理は愛」の実例である。「なんでもあるわよー」。男がまいる、いい言葉だね。

今日のひと品:乱切りキュウリに深煎り胡麻ドレッシング 酒の肴にお金をかけないとはこのこと。これ、酒なしでもいけるね。







 
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食聖を訪ねて5 開高健

2015-05-13 | Weblog
朝食の時間が来たから、昼食の声を聞いたから、夕食を準備したから、さあ食べようというのとは異なる食事というものがある。好奇心をめぐらし、家庭の食卓には載らないような逸品を探し、食談のネタとして料理や食材に目を凝らし触手を伸ばす。それは美食や食道楽でもない。健康志向でもない。あえて言えば悦楽としての食であり、胃袋に手足の生えたような貪欲な本性がヒトを駆り立てていく。貪り食らう。こんな下品さを感じさせる物言いがぴったりする。開高健は著書「最後の晩餐」で極彩色の貪りの世界をあますところなく描いて読み手を引きつけていく。脳が胃袋に指令するのではなく、胃袋が脳に命令する世界。胃袋は獅子吼する。講釈はいい。とにかく、とことん食わせろや!

最後の晩餐には何を食べるん? こう問われて、どんな食事が挙がってくるだろうか。温かい白ご飯に生玉子をかけて食べる。う~ん、旨そうだ! 生玉子があるなら味付け海苔も欲しいな。この際、減塩やコレステロール要注意など健康志向を思いっきり気にせずに食べたいね。明太子に塩辛も頂こうじゃないか。もう1度確認するけど、最後の晩餐だよね? これっきりの食事だよね? 品数に制限はないんだよね? そうとなれば遠慮もしないし、明日のこともまるっきり考えないからね。最後の晩餐だから品数は増えてくるな。豆腐と油揚げの入った味噌汁もいるな。紀州南高産の梅干しも3個ほどもらおうか。いや、この際だ。5個いっちゃうよ。もちろんアルコールも少しばかり……、とはいかないさ。スコッチのオールドパー、ブルゴーニュのロマネ・コンティ、薩摩焼酎の黒霧島、ドライビール、次いでにシャンパーニュ。晩餐と酒類が食卓に載り切れなくなりそうだ。最後の晩餐が1回では足りないな。1部、2部、3部……と分けるかな。それとも続、続々、続々々……とするか。仏教の49日法要を模して7日毎に最後の晩餐を積み上げていこうか。

かくして最後の晩餐への思惑に垣間見えるのは、食べ物屋に行ってあれこれ注文し、たらふく食べた後に払う金はないよと開き直る無銭飲食に通じるような横着さと貪欲さである。食欲は悪あがきするものである。開高健の食欲もまた然り。人が何を思おうが、何を言われようが、唯我独尊、われ関せず、わが道を往く、上品にして丁寧な食事とは対極にあるゲテモノ食いに走り暴飲暴食の限りを尽くす。健康への心配など問答無用、小さな親切、大きなお世話となる。人間の性(さが)を見つめ、それを表現する小説家だから当然の義務、使命として食べまくる。食談「一群の怪力乱神」では男性陣のための精力材を取り上げている。広い意味では下ネタなのだろうが、狭い意味では男女の和合につながる真剣かつ大事な課題でもある。格言めかして言えば、精(性)のことを考えない人は愛のことも考えない。

開高健の精力談義を読み進めよう。「これまでに何度かオットセイのオチンチンをためしたことがある」と前振りして、それよりもさらに強力な効果があると見られているトドのオチンチンを食べた体験を自白している。北海道・羅臼のトドの鉄板焼屋でトレトレの肉片をタマネギやモヤシと一緒に炒めて頂いた。男ならば一応聞き耳を立てるテーマである。一体どんな味で、言われているような怪力効果はあったのか。開高健は正確に報告する。「ただの海獣の、それも安物くさい匂いのするパーツの味と匂いのする肉片で、しねくねしてたというほかには、何も、今、思いだすことはできない」。なんとなく変な日本語が混じっているが、トドのつまり珍味ゆえの妄想がすこしばかり覚醒したのかもしれぬ。続きを読もう。「その夜も、翌朝も、鼻血が出たり、うつ向けになれなかったり、風呂からお湯があふれたり、水を一杯入れた大薬缶をひっかけて一町ほど突っ走たりというようなことはモヤシの頭ほどにも発生しなかった」。あまりにも過大な期待に委縮してしまったのかもしれない。面白うて、やがて哀しき男の性(さが)である。女たちよ、かくも健気な男たちを笑ってやってくださいな。

筆納めに究極の食べ物について開高健は綴る。食談の最後を飾る「最後の晩餐」の中で触れている。それは海の幸でも、山の幸でもない。中華料理、西洋料理、和食でもない。往きつくところは人肉の嗜食である。禁忌の世界に足を踏み入れることになる。取り上げた事例は1972年、雪のアンデス山中で発生した飛行機墜落事故である。生存者の発見と彼らが生き延びた驚くべき理由から世界的に有名となった遭難でもある。イギリス人のカトリック作家が生存者16人へのインタビューをまとめた著書を基にして開高健は探究していく。生存者たちは飛行機の残骸を家にして70日間を生き抜いたが、この間に飢えや渇き、寒気、雪崩、吹雪の中で次々に搭乗者たちは死んでいく。極限状況の下、生存者たちは目の前の遺体を前に生き延びるために深慮し思考する。

「これは肉なんだ。ただそれだけのものなんだ。彼らの魂は肉体からはなれて、いまは神とともに天国にいる。あとに残されたものは単なる死骸で、われわれが家で食べている牛の肉とおなじものだ。もう人間じゃないんだ」。カトリック作家は理解を示す。「いよいよ死体を食べるよりほかに生きのびる方策がないときまったとき、彼らの一人、二人は勇をふるって、そういう。これはきわめて当然の、自然そのものの反応で、何の疑念も生じない。あらゆる人種がおなじ状況におかれたら、同じ反応を見せることだろうし、私もおそらく―自殺願望をおさえることができたら―おなじ言葉を口にするだろう」。生存者たちは神やキリストを引き合いに出して自らの行為を正当化させて言い聞かせる。「これは聖体拝領のようなもんだな。キリストが死んだとき、われわれに精神的な生活をさせるためにその肉体を与えた。ぼくの友だちはわれわれに肉体の生活をさせるためにその肉体を与えたんだ」

人肉嗜食という最初の関門を越えた生存者たちの振る舞いを開高健は描いていく。「はじめのうちは臀や、腿や、腕などが食べられていたが、そのうちに内臓も、脳も、骨髄も食べるようになり、雪がとけて腐りはじめた肉も食べるようになり、削って風に乾かすだけだったのが、焼いたり、煮たりの工夫もできるようになった。骨にくっついている肉を最後のひとかけらまで掻きとってしまうと、斧を使って骨を割り、針金かナイフで髄をとりだしてみんなでわけて食べた。(中略)。死人の、いや、肉体の、額の横に切れ目を入れ、頭皮をくるりとうしろにめくり、斧で頭蓋骨を叩き割ってとりだした。その脳を肝臓、腸、筋肉、脂肪、腎臓などのこまぎれにまぜてシチューにしたほうが、“味もよく、食べやすかった”。ひげ剃りカップをシチュー皿にするものもあったが、割った頭蓋骨の上半分を鍋のかわりにするものもあった」

状況を踏まえれば、この食事がおぞましいかどうかの答えは出てきそうである。生存者たちは人肉嗜食をしたが、性器と顔だけは食べなかった。食べるのも人間であれば、食べられるのも人間であるという状況にありながら、最後にどこか人間的な振る舞い―死者への尊厳と生者の慎しみ?―をしてしまう。貪り食らう胃袋にも精神性というものが確かに存在する。こんなことをわたしはつくづく感じながら名著「最後の晩餐」の頁を閉じた。

今日のひと品:色合いから新緑の季節を連想させる刺身こんにゃく 冷蔵庫で冷やしたやつを短冊型に切って皿にきれいに並べ、酢味噌をつけて味わう。つるつる、ひんやりとしたこんにゃくの食感に、とろりとした酢味噌が絡まる。薩摩の芋焼酎に御相伴を願う。
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食聖を訪ねて4 佐藤初女

2015-05-11 | Weblog
大きな丸いちゃぶ台を女性スタッフとともに囲んでいるおばあちゃんがいる。食事を頂く際の合掌をする姿を写したカラー写真は、信仰の世界に生きる人たちのように見える。苦しみを抱え、救いを求めて訪れる人を受け入れ、ともに食事をし、寄り添う活動をしているという佐藤初女は、著書『「いのち」を養う食』の中で食がすべての基本だと諭す。料理について初女は語る。手ほどきしてくれる人を身近に見つけることと、こちらから求めていくことが大切なのではないでしょうか。

食が大切なことを唱え、みんなで食卓を囲むことを勧めるのはなぜなのか。そんな疑問にこう答えている。食事というのはさまざまな食材から「いのち」をいただくわけですから、必ず元気になるんです。理屈も何もなく、とてもストレートなことなんですね。ちゃんと食べれば頭も働くようになって、考え方も変わってきます。そして、みんなでいっしょに食べるということも大切です。現代は家族がバラバラに食事をする「個食」が増えていますが、子どもが1人で食事をするのは、やはりさびしいと思います。鍋のように1つのものを、みんなでいっしょに囲んで食べるのがいいんですね。

人の命を育むのは、いのちのある食材だ。初女は食べることの哲学を語っていく。冷凍食品には「いのち」は宿っていないんです。だから、「いのち」のある新鮮な食材から、料理を作ることが大切なんですね。レストランはプロが料理を作って、お客さんにお金を払ってもらう場所なので、それに見合う料理を出さなくてはなりません。品数も多く揃えて、凝った料理もたくさんあります。でも、家庭料理は品数がたくさんある必要はないし、凝った料理を作る必要もないんです。お母さんが家族のことを思いやりながら、「ていねいに作る」ということがいちばん大事なのです。品数は少なくとも、食材の「いのち」を大事にした料理は、子どもの体の中に入って元気にしてくれます。急いで作ったものや、「めんどうだなあ」と思って作ったものは、形だけの料理になってしまうんです。

初女は言う。料理は五感で作る。だから計量カップや計量スプーンも使ったことがなく、時計も計ったことがないという。何度も繰り返し同じ料理を作って、何度も味見をすれば、自然と上手に作ることができるようになるんです。まさに神の手、神の舌の持ち主であり、料理の試行錯誤によってそれらを会得したのだ。減塩が叫ばれる今日にあっても、泰然としてこう切り返す。自分でおいしく感じられる塩分が、「適塩」なんですよ。ただし、いい塩を使いなさいと注意をする。塩が固まらないように凝固防止剤を混ぜてあるような塩は、いい塩とは言えないとなる。

腹を満たす料理から、心をも満たすものに高めていく。そんな道筋を初女は示しているようだ。自分の感覚で料理をすると創造的になると指摘する。レシピの分量や時間にとらわれず、自分の感覚を信じて調理してみましょう。そうすればだんだん料理が楽しくなってきて、レシピにある材料が足りなくても、「今ある食材で、何か組み合わせることはできないかな?」と考えるようになるんですね。ふだんとは違う組み合わせが、思いがけず成功しておいしかったということになります。

初女の言葉の数々が乗り移ったかのように体内に沁み込んでいく。おむすび―ご飯の一粒一粒が呼吸できるように。だし―昆布が気持よくのびていればいい。まるで生き物に接しているような物言いなのだ。食材に丁寧に接し、気遣ってあげる。なぜなら、そこに「いのち」が宿っているから。こんな風に料理をしていたら、生活も丁寧なものになり、物を大切に扱い、人格だって磨かれるというものだ。常備菜こと、作り置きを何品か準備しておくことも、毎度の食事で料理づくりに全力疾走しないでいいような工夫もちゃんと指南している。

著書を読み終えて思う。目に見えるすべてのものが「いのち」の存在に置きかえられ、それらが実に愛おしいものとなっていく。つくり手が創造的な心持ちになったとき、料理もまた創造的なものになってくる。創造的な料理が生み出される日々を送っているのならば、その人の人生もまた創造的であるに違いない。

今日のひと品:ポークあらびきウインナと赤のヱビスビール ミディアムレアにウインナを電子レンジで焼き上げ、あらびきマスタードを付けて頬張る。ウインナの皮がパンとはじけ、肉汁があふれ、芥子の粒粒が混ざって、塩味が最高の味わいとなる。ジョエル・ロブションが認めたというヱビス赤缶が付け合わせとなる。ところで、ロブションは何を認めたのかな?

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食聖を訪ねて3 池波正太郎

2015-05-09 | Weblog
今日の夕飯は、実にゼイタクであった。

終戦翌年の昭和21(1946)年5月、23歳だった池波正太郎は備忘録のノートにこんな書き出しで夕食の献立を記録した。その中身とは?

代用粉の蒸しパン二個、ブリの照り焼、キャベツの塩もみ、サヤエンドウの味噌汁。

2004年出版の「池波正太郎のそうざい料理帖巻二」の中で著者である当人が語っていた。当時、正太郎は東京都の保健所職員として浮浪者らにDDTを散布する防疫業務に従事し、母と弟とともに焼け跡の小さな部屋を借りて暮らしていた。ゼイタクな夕飯は、母親が懸命に食べ物を集めてこしらえてくれた食事であった。功なり名を遂げ、長者となった正太郎はかつての日々を述懐する。「戦争が終わり、東京へ帰って暮らしている私の一日一日が悲惨な戦争に生き残れたよろこびにあふれていたことが、このノートを見ていると、はっきりおもい出されて来る。昼間ははたらき、夕暮から浅草へ出かけて映画を見たり、読書をしたりすることが、夢のように、ふしぎにさえおもわれたものだ」

文筆で盛運を得て正太郎の食道楽は極まっていく。その哲学は実に明快だ。人間、どうせ死ぬのだから、うまいものを食いたい。とりわけ、外出して1人で食事をするときには「家庭ではどうしてもうまくゆかぬものを食べる。強い火力を必要とするもの。専門店でなくては食べられぬもの。専門的な道具がそろっていなくては出来ぬもの、を食べる」。旨いものを食べるための口実を創り上げたような指針である。

正太郎の食べ物談義の随想は口当たりと後味がいい。実績を積んだ寿司職人が握る舎利の妙なる軽やかさとネタの旨さに通じる出来栄えとでも言おうか。少年時代から親しんだという銀座での旨い店通い、演劇・映画にのめり込んだ挙句に演劇の脚本書きと演出を手掛け、引いては時代小説を物すまでになった。こんな人生経験の積み重ねが、肥えた舌と文筆による表現力、金回りの良さをもたらして食道楽稼業を可能にした。

「池波正太郎指南 食道楽の作法」は正太郎の書生を務めた佐藤隆介による著作である。主人に仕える従者が舞台裏の話を敬意を込めて綴り、正太郎が語らない正太郎について語っている。主人直伝の言葉を伝えている。「今日という日が人生最後の日かもしれない。毎日、そう思って飯を食え、酒を飲め。それでこそ男の食卓というものだ」。末期を覚悟した者みたいな悲壮な思いを感じなくもないが、もしかしたら明日の命も知れない戦中派の発想なのかもしれない。人生、一期一会だと考えれば、毎度の食事を大事に考えるというのはよく理解できる。

「食道楽の作法」で書生は主人の素顔を描く。「池波正太郎はどんな贅沢でも思いのままの億万長者だったが、日常の食卓はむしろ質素で、われわれ庶民とあまり違いはなかった。食日記に登場するのも鯵の開きや鰯の味醂干し、それにカマスの一夜干しなどが多い。とにかく魚の干物に目がなかった」。池波語録を幾つか挙げてみよう。「飲むことによって己れを磨く、そういう心で酒を飲まなかったら、一生飲んだくれに終わってロクな人間にはならないぞ」「信長でも秀吉でも、あるいは加藤清正や伊達正宗でも、戦国時代の一流の男たちはみんな台所へ首を突っ込んでいる。おれもそうしている」「天ぷら屋へ行くなら腹を空かせて行って、揚げるそばから親の敵に会ったようにかぶりつけ」「シャンパンにはフライドポテトだよ。それが粋というものだ」

酒飯の作法について正太郎はこんな風に言い尽くす。「要するに通ぶらないことだよ」

今日のひと品:緑色の焼きソラマメに青のヱビスビール さやがついたままのソラマメをオーブントースターで焼く。あつあつのさやを切り開くと薄緑色したカイコみたいな豆が3,4個姿を現す。なにも付けずに旬そのものを味わう。引き立て役は5種の麦芽を使ったヱビスロイヤルセレクション350ml。地ビールっぽい味わいが、ソラマメの地の味によく合う。




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食聖を訪ねて2 白洲次郎・正子

2015-05-07 | Weblog
言わずと知れた、あの白洲次郎であり、あの白洲正子である。次郎は綿貿易で財をなした父を持ち、兵庫県立第一神戸中学校(現・兵庫県立神戸高校)を卒業後、イギリスのケンブリッジ大学クレア・カレッジに留学。正子は貴族院議員や枢密顧問を務めた父を持ち、学習院女子部初等科を修了後、アメリカ・ニュージャージー州のハートリッジスクールに留学、ともに1929(昭和4)年に帰国して結婚した。裕福な家庭に育った明治人であり、当時は夢のまた夢の海外留学経験者である。その後の2人の活動は幾多の書籍に譲るとする。さて、白洲夫妻の食卓にはどんな料理が載ったのだろうか。

「白洲次郎・正子の夕餉」が2人の食卓を再現し、食を通じた人となりを紹介している。著者は夫妻の長女牧山桂子。身近にいて2人のために料理づくりをしていた。著者によれば、夫妻はつくるよりは、食べる方に精通していた。料理をする醍醐味より、料理を頂くことを存分に味わった。再現された料理の数々は、盛りたて役となる食器とともにカラー写真で掲載されている。テーブルマットやクロスも料理が映えるように選ばれており、骨董など美意識の世界の人でもあった正子の審美眼を娘も引き継いでいるのが分かる。

高級なレストランやホテルで頂くような料理の写真が最初から最後まで頁を飾っている。次郎、正子の名を冠した著書とあって、正装した家庭料理ばかりが並んでいる。料理への思い出と献立、料理に使った器やテーブルクロスなどを説明した文章が添えられているが、写真を眺めるだけでも心地よく食欲を満たされるようだ。例えばフルーツ・マセドアン。フルーツポンチみたいなものだが、白洲家はひと味違う。イチゴ、バナナ、オレンジなどの果物をひと口大に切り、これに干しアンズなどの干した果物をある液体に漬けておいて混ぜ合わせる。その液体とは何か? それは呑み残しのシャンパーニュである。気の抜けたシャンパーニュの再利用策でもあるが、なんとも優雅な代物じゃないか。

オレンジソースのクレープ、ヤリイカと切り干し大根、アスパラサラダ、揚げワンタンなど眼福、口福が食欲をそそる。料理を楽しむ要素として、いかに色合いが大事なのかを改めて実感させられる。料理と器との関係は、人の肉体と服との関係と同じだ。季節に応じた器は、季節感を感じさせる服装となる。カジュアル、スタンダード、クラシックと時と場所に応じた装いは料理にも通じる。仕立てのいい、清潔感漂う服装は、「ああ、おいしそう」と感じさせる料理と器を目にした時の思いと同じである。衣食という生活の原点にして基本の中から日々の幸福が生まれてくる。

再現された料理の中でわたしのお気に入りはクラムチャウダーである。ベーコンを細かく切って鍋で炒め、タマネギ、ジャガイモ、トマトを角切りにして、そこに加える。別の鍋で小さなハマグリを水から茹で、身を外す。身と茹で汁をベーコンと野菜の鍋に入れて煮て、塩胡椒で味を整える。いわゆる、ごった煮である。クラムチャウダーフリークとしては、何杯でもいけるし、何日間続いても食することができる。最後の晩餐に入れておきたいメニューでもある。

著者はあとがきに代えてで著作が読者に誤解を与えないように注意を促している。すなわち、本にあるように毎日高カロリー食をしていた訳ではありません。「どちらのお宅にも御経験があることだと思いますが、買って来た棒寿司を竹の皮ごと食卓にのせて食べたり、パックに入ったままのお惣菜に箸をつけたり、前の日の残り物の皿のラップを半分開けて食べたりということもありました。何もない時は解凍したごはんに、瓶の底に僅かに残った佃煮や、梅干しに海苔などで食事を済ませることもありました。そのような時でも母は、何もないというのはそれなりに美味しく楽しいものだというふうに自分の気持ちをもっていく技には長けておりました」。家庭料理は肩ひじ張る必要はないというのは、白洲家でも同じという訳だ。

「わたしゃ、おいしいものしか食べない」と広言していた正子だが、笑えるエピソードが紹介されていた。著者が運転する車で出かけた際、助手席の正子が突然腹がへったと言い出し、子供のように言い続けたため苦肉の策としてコンビニに赴いた。おにぎりとお湯を注いだカップの味噌汁を食べさせたところ、おにぎりの海苔が湿気ない工夫やお湯を注ぐだけの味噌汁にいたく感激。食べ飽きるまでコンビニの食事をねだったという。こんな話を知ると、山登りの時の昼食はコンビニ弁当とカップみそ汁持参が常のわたしとしては、胸を張ってということもないが、的を得た選択だったのだと再認識した次第である。

今日のひと品:コンビニのおにぎり 確かに海苔は湿気てないし米も旨い。鮭、高菜、明太子。具もおいしい。とは言え、あくまでも端役止まり。主役はやはり食卓に載った家庭料理である。
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食聖を訪ねて1 北大路魯山人

2015-05-05 | Weblog
このところ食通、料理通と思われる人たちの本を読み込んでいる。家を出て市中、山中、海沿い、田園地帯などを歩き回るのが好きな外出愛好派の一方で、山籠りならぬ家籠りをするのも好きな性分である。幼児のときに隠れんぼで押し入れに潜んだ非日常的な体験から閉鎖空間嗜好症になっているのかもしれない。戸外に出る用がなければ何日間も籠り、世界と隔絶したような空間世界の中で過ごす。そんな引き籠り症候群が年に何回か不定期にやって来る。黄金週間などは引き籠るのに持って来いの時期である。引き籠りですることの定番の1つが本の大量読み込みとなる。今回の友は、食通や料理家たちの本である。生きることは食べること。そのことへの示唆に富む言葉や生き方が頁から伝わってくる。取り上げる食聖たちは、ただ読んでみたいなと思ったが故の選択で他意はない。

「魯山人料理控 作るこころ、食べるこころ」は、魯山人の秘書みたいな仕事をしていた平野雅章の著作である。まえがきで魯山人を人生の師とし、「先生は、書家、篆刻家であり、また、絵画や作陶にも独自の世界を開いた芸術家であった。その上、稀代の美食家で、美食倶楽部や星岡茶寮を創業し、美食を求める人々の要望に応えた」と絶賛している。今日、魯山人への評価は高いものがあるが、生前は唯我独尊、自信満々、他者への批判は毒舌と罵詈雑言を極め、人物評価は好悪相半ばするものだったらしい。著者の言を借りれば「魯山人は世の常の人間ではないことは確かで、その第一の特長は威張っているということだ。天下無敵という面構えをして、口を開けば人をあざけり、罵倒する。ちょっと気に入らないことがあると、たちまち怒った」

魯山人は自らの性分をこんな風に弁明している。「僕は学校教育というものを受けていない。その代わり僕は誰でも人にぶつかってメンタルテストをやるんだね、その人によって自分の学校をつくってきたんだよ」。負けん気と我がまま、徒手空拳の鼻もちならない人物が、日本料理を芸術と見なして完璧を追求していく。「料理は人である」として、「自分が本格に修養していないと、いくら職人的に熟達したところで本格のものはできないからであります。これは要するに、書でも絵でも陶器でも料理でも、結局そこに出現するものは、作者の姿であり、善かれ悪しかれ、自分というものが出るのであります」。こうして魯山人は、料理そのものをはじめ、器の意匠、絵付け、食事処、接待などに最上の在り様を追求し実現していく。

魯山人が自らの芸術観を語っている。「高い芸術は必ず一部の人たちによって拓かれ、進められている。その底辺で大衆と触れるかも知れぬが、ほんとうに秀れたところは、やはり専門的となり、その味わいは限られてくる。土台、芸術はそのようなものだろう」。芸術家魯山人の料理ともてなしにありつけるのは、大衆ではなく、富裕な層だった。まさに唯我独尊にして天下逸品の料理だったことだろうが、それは魯山人一代で消えてしまう。

「魯山人料理控」の醍醐味は、巻末に掲載された「魯山人 巴里食べあるき」である。1954(昭和29)年、ニューヨークでの陶芸作品展開催に伴ってパリに滞在し、西洋料理の雄フランス料理を食べ歩きするのだが、天下無敵の面構えで斬りまくる。「エスカルゴは可もなし、不可もなし」と軽くジャブでいなし、料理の良否を決める素材が不良として正面撃破する。牛肉は日本のような良質がなく悪質、工夫が稚拙、料理の美を知らない、行儀作法に欠けるボーイ、かろうじて料理はオリーブ油に助けられているとばっさり。後は連打である。

「料理に使っている食器もさすがにフランスだというものが見当たらない」「われわれがフランス料理から学びとるものはほとんどなかったと言い得る。(中略)根本は料理素材の貧困である。第一の気掛かりは良水の有無である。良水を欠く料理、それが何を生むかは何人にもうなずける事実である。その良水がパリにはない。稚拙な料理法によって煮殺している魚介ときては、品種が日本の百に対して、一、二であろう」。最後は、評判に惑わされず、自分の識見で物を観、自分の舌で味を知る大切さを説いている。魯山人の評はあくまでも当時のフランス料理についてである。今日のフランス料理のために、ここらでタオルをリング内に投げ込もう。

今日のひと品:沖縄産味付きもずく 米黒酢と昆布だしの「たれ」で仕上げてある。もずくのぬめり感と黒酢の酸味は、えも言われぬ喉越しとなる。この喉越し、コカ・コーラなんか目じゃないね。
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