おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

鍼千本 東洋医学に射抜かれる

2009-09-28 | Weblog
思うことがあって鍼を打ってもらうことにした。

整体、整骨、マッサージ、鍼灸に詳しい知人にお薦めの鍼師を紹介してもらう。

「予約は入れておいた。全盲の名人だ。全身に打ってもらいなさい」
 
土曜日の夕、知人に教えられた道順を辿り名人の元へ赴く。平屋の小じんまりとした民家に小さな看板が掛けてある。「頼もう!」と力むことなく、静かな声でおとないを入れる。

ドアを開けると小柄な年配の女性が立っていた。目が合った。盲目だった。「どうぞ」。手招きされて廊下奥の施術室へ。

8畳ほどの洋室にベッドが2つ置いてある。名人は奥にいた。椅子に半身で腰かけていた。白衣を着た年配の男性だ。

「全身に打ってもらおうと思って」

「そうですか。それじゃ服を脱いで」

「下着も脱ぐのでしょうか」

「つけたままでいいです」

ベッドにうつ伏せになる。鍼はステンレス製で髪の毛よりは大きい。ふにゃふにゃと柔らかく、体に刺し込むにはコツが要りそうだ。

「どこか悪いところがありますか」

「特にはありませんが、右肩と左膝がすこし痛いかなという程度ですが」

「分かりました。鍼は初めてですか」

「初めてです。痛いですか」

「痛くありませんよ。普通は」

シャツをめくって手で触診をしながら鍼を打っているらしい。らしいというのは、鍼を打たれているという感触がないからだ。

「鍼を打たれているという感じがしませんね。ミシン針みたいなので刺されるという思いがあったものですから」

名人はカカと笑った。打つ場所を手で探しながら首筋から肩、背骨の脇へと打っていく。

「ツボを探して打ってるんですか」

「ツボというよりは筋肉が凝っている場所に打ってるんです」

背中が終わり腰の部分に手が移る。両手がパンツの縁に掛かった。ぐいと勢いよく引き下げられた。

全身に打ってくれとの注文だから、丸出しの臀部にも鍼が打たれていく。

これが妙齢の女鍼師だったら良かったかな、といった邪念が起こりようもないほどに、手際よく打っていく。

臀部から太腿、膝、ふくら脛まで進むと、今度は仰向けになり頭に打っていく。

頂門の一針なんて言葉があったなと思いながら、もろもろ聞いていく。

「精力を高めるツボもあるんですか」

「ありますよ」

「それはあそこに打つんですか」(※実際は直接的な表現だったが、公開ブログの関係で表現を改めた)

「あそこには打ちません」

「どこに打つんですか」

「まあ、根元の部分というか、恥骨ですね」

「効果はありますか」

「効果? ありますよ」

「それじゃ、女性の場合も同じ部分に打つんですか」

滑らかな口調で応じていた名人の答えが止まった。初対面にして鍼は初体験のこの男、いきなり全身に打ってくれとか、頭も尻もお願いしますとか言った揚げ句に男女の精力絶倫のツボの教えを乞うとは。返事に窮しているのは、名人がこんな思案をしていたからかもしれない。

還暦を迎えた名人は老若男女に鍼を打ち続けて40年ほどになるという。この間、精力絶倫のために鍼を打ってもらいにきた女性は皆無だったようだ。

「女性に効くかどうかは分からんなあ」。名人は笑うしかなかった。

身の下の質問に触発されたのか、名人は男の性について持論を語りだした。

鍼の打ち始めから打ち止めまでおよそ2時間半が経っていた。日はとっぷりと暮れている。帰りには盲導犬が玄関でお見送りをしてくれた。

「顔の色艶がいいねえ」。最近、会う人ごとに言われる。

名人の鍼打ちと性談義のお蔭だとは誰も知らない。












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Twitter的座談 白洲次郎・カムイ外伝・太宰治

2009-09-21 | Weblog
出席者はアーモンドとピーナッツをつまみに赤ワインをちびりながら座談に入る。


Twitter → → → 1


NHKのドラマスペシャル白洲次郎が今夜から3話連続放送されるね。

1話、2話は再放送で3話が完結編だ。

19日にNHKBSハイビジョン放送で3話連続して一挙放送したのを見たよ。

3話は「ラスプーチンの涙」って題だった。占領下で新憲法作成にかかわった部分が圧巻だった。堂々たる日本人を貫いていた。

どういう意味だい。

自らの主張を貫こうと努力した点だ。GHQの意向を踏まえ短時日で新憲法を作成することを強要される。作成者の1人がつぶやく。「こんな形で憲法をつくっていいんだろうか」。白洲次郎が応じる。「いいわけがないじゃないか」。こんなふうな会話だったと思うけど、印象に残った。

戦前は近衛首相、戦後は吉田首相の側近の位置にいた人物だ。「日本で最初にジーパンをはいた男」という言い草にも面白そうな男じゃないかと感じさせる。新聞記者が白洲次郎の金づるに迫る場面も裏面が分かって、よくできていた。見ごたえのあるテレビドラマだった。


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カムイ外伝が映画化されたみたいだね。

それ、見てきたよ。

どうだった。

はっきり言って駄作だな。喜劇としての馬鹿馬鹿しさであれば許容できるけど、
真面目に馬鹿馬鹿しくやってくれると見る方は耐えられないよ。

CG多用の時代劇にして、ちゃんちゃらおかしい剣さばきで退屈してしまった。早く終わらないかなという思いで見ていた。日本刀を手にしたことがない人がつくる時代劇は軽いな。人を斬り殺すというのは唯物的にも観念的にもとっても大変なことなんだ。刀の重さと斬殺の悲惨が分かっとらん。

剣道の経験者ならではのご指摘だね。白土三平の原作漫画は面白かったけどな。

原作と映画化されたものは別作品だけど、映画化されたものが原作と比べ駄作という例はけっこうあるということだよね。

お金を払ってまで見に行く作品じゃないね。いや、ただでも見なくていい。

強烈な物言いだな。ラストサムライに出た小雪も出演していたよね。

向こうの方がはるかに良かった。俳優ならば作品を選ばなくちゃ。だめじゃないか、小雪。こんなのに出ちゃ。

小雪のためのシナリオでも書いてみたら。
 
検討してみようか。


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テレビドラマ、映画と行ったから、次は本にしよう。1冊だけ俎上に上げてよ。早い者勝ちだ。

太田治子の「明るい方へ 父・太宰治と母・太田静子」(朝日新聞出版)でどうだ。

はい、落札!

太田静子は太宰のベストセラー「斜陽」のモデルとなった人だよね。

モデルと言うより、作品の元となる日記を提供した女性だよ。太宰の愛人でもあったが。

この本を読むと、娘の治子は太宰をけちょんけちょんに叩いているね。母親の無念を晴らしているみたいだ。

父親は治子が生後まもないころに入水自殺している。母親の静子から聞いた父親としての太宰像しかないよね。

母親の苦労を見て育ったから無責任な父親への恨み、つらみ、怒りを向けている。「斜陽」なんか、母親の日記をまる写しだとまで言い切っている。日記を目当てに太宰は母親に近付いたとも指摘している。

静子は太宰との赤ちゃんを宿し、その後の生活などを相談しようと上京したものの、太宰が2人きりになるのを上手にさけていく描写がある。つらさが伝わってくる。

それは太宰のかい、それとも太田静子のかい。

静子だよ。上京の折、静子の相手をして一緒にうどんを食べたのがもう1人の愛人山崎富栄だった。入水自殺の相手だ。

本妻に愛人2人か。当時の男の甲斐性と流行作家だからさもありなんで済む話なんだろうか。

深く考えるなよ。それが事実だったということだろう。

太宰本人もどつぼに嵌ったことを分かっていたはずだ。未完となった絶筆「グッド・バイ」は、雑誌編集者が愛人たちとの関係を清算しようとしてちんちろ舞いする話だよ。

治子にとって嫌になるほど調子のいい父親太宰だけど、母親静子が惚れた男だし、「赤ちゃんが欲しい」という思いで産んだ娘が、治子自身とあれば、思いは複雑なものになってくるよね。

ものすごく嫌いだけど、どこかでものすごく好きという感情かな。

理解できそうだけれども説明しにくいよね。

感覚的に分かってもらうしかない。

本妻の娘、津島佑子は毅然とした風貌の写真が多いけど、太田治子はなんとも言い知れぬ目の表情をしている。

言葉にし難いものがある。

あえて言えば憂愁か。

母親静子の哀しみがこんこんと湧いてくる目かもしれないね。








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晩夏残日録 海上篇

2009-09-10 | Weblog
モービー・ディックをさがせ!

堂々とし威厳に満ちた船長像とは180度異なった風貌・風体にして、変声期まで遥か手前にある声の主が叫んだ。

こども船長エイハブ・ミニ。保育園児だけに頭に浮かんだことが即座に言動となって現れる。大人の乗組員たちの本音はいつも陰の声だ。

モービー・ディックは目の前に勢ぞろいしてるぜ。あんたはパルキーだけど、俺たちゃボンレス、ボロナだよ。へっへっへっ。

こども船長に大人の艶笑ジョークや卑猥な笑いは通じない。大人の一発芸は不発だ。

ディックをさがせ~。こども船長が獅子吼する。獅子と言っても子猫程度だが。

乗組員たちは陰の声でこたえる。アイ、アイ、チャー(イルド)!  いざ、出航。

               
                    船団は沖合を目指して進んでいく。

                    海の醍醐味は船に乗らないと分からない。

               

               

                   見つけたぞー! それ、囲い込めー!



               

                  鮫じゃないですかね? 迫力のない物言いだ。やり直せ。

                  了解。鮫じゃねーべっか! それでいいべな。


 向かってきたぞー。

 鮫じゃないみたいよ。



                    

                           イルカの大群だー!


長崎県島原半島と熊本県天草に挟まれた早崎海峡にはバンドウイルカの群れが定住している。その数300匹とも言われ、四季を通じてイルカウオッチングができる貴重な海域だ。観光船の前後左右を群れで泳ぎ遊んでいるようにも見える。潜っては浮上し、浮上しては潜って海中、海上で戯れている。生物に満ち満ちたわれらが星、地球は実に魅力的だ。次はホエイルウオッチングだ。ハワイにでも行く?




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晩夏残日録 山麓篇

2009-09-09 | Weblog
夏の終わりの或る朝、九州のとある山麓にある村落を訪れた。

背筋をすっきりと伸ばし凛とした村娘こと水稲たちが出迎えてくれた。

収穫祭にはまだまだだが、頭を垂れた豊穣を思い描く。



緑の葉の群れの中に青い朝顔がいくつか咲いている。

清々しい色だ。まさにモーニンググローリーそのもの。

         

有機栽培の殺し文句が効いている。なんだ? なんだ? なんだ? 



アダムとイヴのいちじく! 葉をとっぱらうと玉太り良しが2、3個鎮座。





紙屑が空中浮遊しているのは超能力にあらず。ぶどうの覆いだわね。




秋が近付くといろんな味覚がお目見えする。これは青1歳のみかん。




こちらは青2歳の渋ちん。




あちらには青3歳のくりくり坊主。

    
      赤いコーンのそばになにかある。はてな?




ナイロン製網に掛かったカブトムシがもがいている。20匹以上はいる。ほとんどが立派な図体をしたオスだ。息絶えたのもいる。動けば動くほど網が体や足に絡まって動きを止めてしまう。このまま立ち去ることができないな。生きているのを確認して持参のカッターナイフで絡まった網を切り取っていく。カブトムシは捕獲されると勘違いして逃れようとする。「違うんだよ。助けようとしてるんだから暴れないでくれよ」。ナイロン糸を切り取って解放すると指にしがみついてくる。生きているのを1匹、1匹網から解き放つ。網はぶどうの実をカラスから守るためのものだった。カブトムシは果実の香りに引かれて網に突っ込み地獄を味わった。網の主には悪いが、昔からわたしはカブトムシとは親友でね。網は支障がないようにごくごく最低限の範囲で切り取りましたから。
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