おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

Good job

2011-09-04 | Weblog
スーパーで福島産の桃を特売していた。大人の拳をふた周り大きくしたぐらいで1個158円なり。2個所望する。食べる前に冷蔵庫でしばらく冷やしてから頂く。皮をむいてひとかじり。おいしいじゃないか。桃は葡萄と同じくらいの好物だ。メロンやライチとは異なった分野のおいしさだ。中学校の卒業文集で生徒1人1人が好きな言葉を列挙するページがあり、そこに「白桃大好き!」と書き残したほどに桃への嗜好は強い。白桃、黄桃(缶詰)なんでもござれだ。皮がつるーりと剥けていく心地よさは、ほかの果物の追随を許さない。品良くナイフを入れて小分けして食すのもいいが、果汁で手や口元を濡らしながら丸かじりするときの醍醐味は何回味わっても飽きがこない。米を追い払って主食にしていい果物は桃しかない。


朝方の雨が上がり、陽が差してきた。運転中の車のフロントガラスの向こうに虹が見えた。大地にしっかりと架け橋をつくっている。道路は虹の方へ延びている。こんなとき、運転者はどんな気持ちになるだろうかと自問する。「虹のわっかを通り抜けよう」。人間の本能的な行動心理が頭をもたげる。穴があれば覗いてみよう。洞窟があれば入ってみよう。インターネットが使えればネットサーフィンをしてみよう。冷蔵庫にビールがあれば呑んでみよう。本が置いてあれば開いてみよう。財布が落ちていれば拾ってみよう。目の前から美人が歩いてくれば視線を交わそう。虹の架け橋が目の前にあれば通り抜けよう。安全運転しながら虹に近づいていく。だんだん大きくなっていくように感じる。道路の両側に建物が連なる街中に入る。前方の空に虹の架け橋の一部が見える。街中の道路は左右に曲がっている。多分、通り抜けるにはこっちの方向だと感じながら走行する。虹の架け橋の下を多分通り抜けたはず。そう思って車を止めて上空や走ってきた道を振り返るが、虹の姿はない。砂に書いたラブレターよろしく、空に描かれた希望は消えてしまっていた。


夕方、居酒屋でイカの活きづくりを食しながらアートとはなんぞやという話を同伴者とする。大将は北海道の出身で以前は遠洋漁業の漁師だった。南米の沖合まで出向いて漁をしたこともあるという。大将の話の中で1つだけ覚えていることがある。「魚がたくさん獲れる海域には海底油田が必ずと言っていいほどあるんだな」。真偽のほどは分からないのだが、大将は「絶対に事実なんだよ」とだめ押しをする。同伴者と談論風発で幾時間が過ぎていく。腹ごしらえが終わりに近づき、普段家では食べないものを食べようとなり山芋のステーキを注文する。平底の鉄の器に山芋をすりおろしてオーブンで焼き上げてある。表面はこんがり狐色でとろけるチーズを焼いたような感じだ。表面に箸を入れてプリンのようなとろとろの塊をすくって口元へ。焼いてもやはり山芋の味である。すこし醤油を垂らすと旨いだろうが、あえて山芋そのものを味わう。家でもつくれそうだ。最後の締めはお茶漬けにする。鮭とか梅とかいろいろあるが、塩辛を選ぶ。あったかご飯に塩辛がたっぷり乗せてある。箸で口中に運ぶ。途端に歓喜が広がる。言葉は不要。食卓に頭突きの1つもやればいい。同伴者は驚くだろうが、それくらいの表現をしないと収まらないぐらいの旨さだ。同伴者は言うだろう。「どうしたんですか。頭大丈夫ですか」。にっこり笑って応じよう。「分からないかな。アートだよ、これは」
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