おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

緑陰の午後 パール・バック「大地」

2011-08-18 | Weblog
文庫本で4分冊、細かな活字がびっしりと紙面を埋め尽くす作品「大地」は、パール・バックの最高傑作である。1930年代に発表された作品はノーベル文学賞という栄誉をもたらした。ページを繰っても繰っても絶えることがない細かい文字群にはリーディンググラス(日本語訳では老眼鏡)が必需品となった。中国の大地を舞台にした長篇を読み尽くすには休日や平日夜という時間を費やす必要があった。根気と体力が求められるマラソンみたいな読書となった。

大地は3部作から成る。1部大地、2部息子たち、3部分裂せる家。貧農の主人公が奴隷の女を身受けして働き続けた後、地主となる。子供は男3人、女1人に恵まれる。長男は地主を引き継ぎ、二男は商人、三男は軍人となり家運を盛り上げていく。長女は知的障害者としてひっそりと暮らす。そして孫たちの時代へと移り変わっていく。3代にわたる大河小説、いやいや文字通り大地小説だ。大地に生きる農民たちを悩ませるのは、天災と人災である。洪水と日照りであり、政府とは別に私兵を率いて地域を支配する軍閥である。軍閥は領土と権益の拡大、それに略奪のために戦争を仕掛けることを繰り返す。兵隊たちの最大の歓びは勝利した後の略奪だ。強欲、陰謀、漁色、守銭奴、権勢欲など悪徳の栄えを、パール・バックは冒険活劇風な場面を織り込みながら抑えた筆致で丹念に描いている。

中国の天災と人災を題材としたパール・バックは日本の津波を題材とした作品も著わしている。「THE BIG WAVE」(大津波)だ。中国での戦乱を避けて長崎県の雲仙地方に避難した際に地元で津波の話を聞いたのだろう。雲仙地方は戦前、長崎市に居住する外国人の避暑地として有名で、中国からも宣教師らが避暑などで訪れていた。津波の話は多分、寛政4(1792)年の島原大変肥後迷惑が元になっていると思われる。雲仙普賢岳が噴火し、近くの眉山の山体が崩壊し土砂が有明海に流れ込んで津波が発生、対岸の熊本県などに被害をもたらした災害だ。死者は噴火災害で約5千人、津波で約1万人と大惨事だったことが分かる。

中国で半生を過ごし、日本にも戦前、戦後の計2回訪れたパール・バック。雲仙での滞在先を調査していた大学教授とともに、わたしも現地を訪れたことがある。15年以上も前のことだ。当時の建物は既に無く、多分ここら辺りではないのかと教授が指摘した林の中を探索した。足跡を追った数時間の思いは記憶の底に沈み、時の流れの中で消え失せたと思われた。しかしながら、どこかに種と言うか、根っこが生き続けていたのだろう。盛夏に入る前のある日、内なる声が響いた。「パール・バックの大地を読んでみたい」。読む理由が浮かんでこなかったのだが、読むべき作品だとは感じた。

わたしは図書館に出向き、文庫本4分冊の大地を手にし、家に帰って読み始める。一気に読み終えるつもりだったが、現実にはそうはいかず、再貸し出しを何回も繰り返しながら延べ日数で1カ月ほどかけて読了となった。中国の大地を舞台にした3代の物語は確かに面白かった。読み終えた後の高揚した余韻はその後、何日も続いた。それは内容の壮大な展開によるものではなかった。読書マラソンをするうちにランナーズ・ハイみたいになっていたようだ。リーディング・ハイ。読み進めるという行為そのものを愉しみ、それ自体に酔いしれ、高揚していたようだ。わたしは大地を通じて読書の2つの世界を知った。作品自体の中に入っていくことと、作品を読んでいる自分自身の中に入っていくこと。今回、初めて知覚することができたリーディング・ハイは、今夏の成果の1つである。
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