おはようヘミングウェイ

インターネット時代の暗夜行路。一灯の前に道はない。足音の後に道ができる。

緑陰の午後 盂蘭盆会

2011-08-15 | Weblog
縁戚となり、初盆を迎えたお宅に御仏前とビールセットのお供えを持参する。農家の庭先に車を乗り入れると、遊んでいた子供たちが寄って来た。車を取り囲んだ途端、1人が助手席のドアを勢いよく開けて叫んだ。「イルカのおじさんだあ!」。数年前の夏、観光船でイルカ見物に連れて行ったのをちゃんと覚えているらしい。玄関先で涼んでいた縁戚の1人と挨拶していると、わたしを取り巻いていたチビッ子イルカたちは群れをなして離れ、戯れながら追いかけっこを始めた。ついこの間まで赤ん坊や幼児だったのが、今では幼稚園児や小学生に成長している。子供はすくすくと育ち、大人にはじわりと年齢がのしかかってくる。

家人から仏壇のある広間に通される。線香や蝋燭台が載った経机の周辺にはお供えの酒類が山と積まれている。天井からは家紋入りの提灯がいくつも下がっている。蝋燭に火を点して線香に火をつける。鈴(りん)を鳴らして合掌し故人の冥福を祈る。鴨居の上には4枚の遺影が飾られている。初盆となる故人とその夫、夫の両親だ。和服姿の白黒写真を残された者たちは仰ぐ形となる。訪れたお宅は夫の実家だ。夫は元近衛兵の一員だったという話を聞いていたから、老いた風貌の遺影から若き日の姿を連想した。一挙一動が儀式めいた、作法に則ったものだったろうか。終戦をどんな気持ちで迎え、故郷の九州に戻ってきたのだろうか。端正な顔立ちの遺影を眺めながら、伺いたいことがいくつも湧いてくる。されど故人は語らずだ。不在の深さに感じ入る。

親類が集まってくる農家の法事では、実家の嫁や娘ら女たちが会食のための料理づくりや準備、配膳などをかいがいしく行う。男たちは手伝いをしない代わりに墓地に出向いて清掃したり迎え提灯を掲げたりしている。もっとも女たちは男たちに手伝いをさせないのだが。わたしも別室に案内されて冷たい麦茶を出され、男たちと高校野球を中継しているテレビに目をやりながら暑い日々の他愛ない出来事を話題に上げたりしている。墓地で手を合わせたいとの思いを告げると男たちの1人が車で案内してくれた。

丘陵地の一角に墓地群が見えた。西陽で竿石に刻まれた南無阿弥陀仏の金文字が照り輝いている。大理石づくりの立派な墓が3つ並んでいる。「これが本家のもの。その後ろが分家のもんですが、まだ誰も納骨してありません。これがうちのです。手前の空き地は分家の1つが造る予定だったのですが、他で造ったものだから土のままなんですよ。以前はここに石を積み上げて墓石の代わりにしていました」。初盆を迎えた故人は生前、粗末な石積みの墓に入りたくないと言って、生前のうちに大理石づくりの墓を息子らに造ってもらっていた。死後に納まるべき場所ができて安堵したのか、建立して数年後に旅立つこととなった。

墓地から戻ると会食の準備は整っていた。仏壇がある広間に再び案内され他の縁戚たちと席を囲む。ビール瓶の栓が抜かれ、コップに注がれる。会食前においとまするつもりだったのだが、「ぜひとも一緒に」「送りますから」と言われて同じ時間を過ごすことになった。鯨が並ぶ。甘海老もある。手作りの豆腐も出た。これはチーズのような味わいだった。どんどん呑んで、じゃんじゃん食べて。酒杯は常につぎ注がれて空くことがなく、箸は常に口元と取り皿の間を往復する。口も回るが酔いも進む。宵も進んで酔いも回る。鴨居の遺影を見上げることなく、呑み食いすることで生者たちは存在することに興じる。乾杯だ、乾杯だ、軽やかなる盂蘭盆会よ。わたしはまだ酔ってない、はずだ、が……。
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