代替医療のトリック・サイモン・シン、エツァート・エルンスト著/新潮社

2010-10-13 09:13:55 | 新刊・新譜情報
代替医療のトリック


サイモン・シン/著 エツァート・エルンスト/著 青木薫/訳

鍼からホメオパシー、ハーブまで……広がる代替医療に、いま科学の診断が下る。

ジョージ・ワシントンは、血を抜かれすぎて死んだ。当時の医師が瀉血は最高の医療だと信じていたために。では現代は? ハーブでガンは治るのか? ホメオパシーの効果とは? 『フェルマーの最終定理』『暗号解読』等、数々の傑作科学ノンフィクションで知られる著者が、代替医療研究の第一人者とともに医学を科学で解剖する!

頁数 : 462ページ
ISBN : 978-4-10-539305-2
C-CODE : 0047

発売日 : 2010/01/29

ホメオパシーに効果があることを示す実験的証拠はひとつもなく、効果があると思えるような理論的説明すら
ないというのに、なぜホメオパシーはこの十年ほどのあいだに急成長を遂げ、何十億ドル規模のグローバル産業
になったのだろうか?
率直に言って、科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らかだというのに、なぜ多くの人たちが、
この治療法には効果があると考えているのだろうか?
 ひとつには、ホメオパシーの信用を失わせる研究が膨大にあるのを、一般の人たちは知らないということだ。

目次
第1章 いかにして真実を突き止めるか
第2章 鍼の真実
第3章 ホメオパシーの真実
第4章 カイロプラクティックの真実
第5章 ハーブ療法の真実
第6章 真実は重要か?

サイモン・シン/著
Singh,Simon
1967年、イングランド、サマーセット州生まれ。祖父母はインドからの移民。ケンブリッジ大学大学院で素粒子物理学の博士号を取得し、ジュネーブの研究センターに勤務後、英テレビ局BBCに転職。1996年、TVドキュメンタリー『フェルマーの最終定理――ホライズン・シリーズ』で国内外の賞を数多く受賞し、1997年、同番組をもとに第1作『フェルマーの最終定理』を書き下ろし、世界的ベストセラーとなる。第2作『暗号解読』、第3作『ビッグバン宇宙論』(新潮文庫収録時に『宇宙創成』に改題)がいずれもベストセラーとなり、科学書執筆の分野で現在、世界トップクラスの高い評価を得ている。

エツァート・エルンスト/著
Ernst,Edzard
1948年、ドイツ、ヴィースバーデン生まれ。代替医療分野における世界初の大学教授。ドイツで物理学を学び、博士号を取得したのち、ミュンヘンのホメオパシー・クリニックを皮切りに、ウィーン大学などで広く代替医療の施療と研究に従事した。1993年、英エクセター大学に代替医療学部を創設。現在も旺盛に代替医療研究を続けている。著書論文多数。

http://www.shinchosha.co.jp/book/539305/

********************************
以下、市民社会フォーラムMLから
スピリチュアル系のヒーリングだとかホメオパシーを、(第三者的・中立的体裁であっても事実上)
擁護してきた人たちがほとんど毎回書き流してきたものは、「わら人形論法」と「論点のすり替え」としてみな
されるようなもので、
wikipediaが参考になりますので、引用しておきます。

「ストローマン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3=======================
ストローマン(英語:straw-man)は、議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、歪められた内
容に基づいて反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。藁人形論法とも
いう。語源は仕立て上げられた架空の存在を藁人形に見立てたことからである。

概説

相手の意見を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または誇大に解釈すれば、その意見に反論す
ることは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説
得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬で
あり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭
弁である。しばしば、感情に訴える論法やチェリー・ピッキングのような他の誤りとともに用いられる。相手の
発言を元の文脈を無視して引用し、本来の意味とは異なる印象を与えるよう提示することをクオート・マイニン
グと呼ぶが、クオート・マイニングに基づいて批判すればこれもストローマンの一種である。

マスメディアにおいても、対抗意見を充分に取材せず、独自に解釈した反論を両論併記などの形で用いることは
故意でないにしろストローマンに繋がるものである。しかし実際には、こうした手法はしばしば報道に取り入れ
られている。

手順

1.相手の意見の歪めた説明を相手が提示したものとして引用する。
2.これに対する自らの反論を示し、論破されたものと扱う。
3.相手の意見に同調する不完全な擁護意見を持ち出し、充分な主張・再反論がされたようにみせかける。
4.批判されて当然である(本来無関係でも一見関係のありそうな)問題や考え方を創造し、さも相手側の意見は
これを象徴するものとして強く非難する。

簡単な例
A氏「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」
B氏「そうは思わない。なぜなら子どもが外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めて
おけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」

---------------------------(以上)

「論点のすり替え」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%82%B9%E3%81%AE%E3%81%99%E3%82%8A%E6%9B%BF%E3%81%88=======================
論点のすり替え(ろんてんのすりかえ、英: Ignoratio elenchi)は、非形式的誤謬の一種であり、それ自体は
妥当な論証だが、本来の問題への答えにはなっていない論証を指す。"Ignoratio elenchi" とは ignorance of
refutation
(反駁とは何であるかを知らないこと)の意。"elenchi" はギリシア語の έλεγχος に由来し、
反駁の主張・論証を意味する[1]。論点相違の虚偽(ろんてんそういのきょぎ)、論点無視の虚偽(ろんてんむ
しのきょぎ)ともいう(広辞苑)。

アリストテレスは、論点のすり替えは相手の主張に反駁する際に犯してしまう間違いであると考えていた。その
ため彼は、その当人が反駁とはどういうものかについて無知なのだとした。アリストテレスにとって、論点のす
り替えは論理を知らないことに等しい。実際、アリストテレスは全ての論理的誤謬は論点のすり替えに還元され
るとまで言っている。

現代では、アリストテレスほど広い意味で使われているわけではない。

=======================
(以上)

 あと、下記ブログも参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20061019/p2<似非科学、歴史修正主義、差別主義といったダマシの多くに共通する特徴として「間違っている論理展開」と
「わら人形論法」が挙げられます。・・・・>


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30 コメント

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サヨクとホメオパシー その1 (電灯)
2010-10-13 20:13:55
無断転載を咎められたのか、他の理由があるのか。
「怪しい水売りシリーズ」と「無断転載シリーズ」とは、とても楽しみに
読んでいただけに、削除は残念でした。

さて、ホメオパシー問題をよく理解するには、
もう少し深く考察をしておく必要があると個人的にはおもいます。


①【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】なのだろうか。

お玉おばさんも、しんぶん赤旗も、「科学」を水戸黄門の印籠のようにふりかざします。
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】というわけです。
では、どのようなものが「科学」なのでしょうか。「科学」と「非科学」とを峻別する基準は
あるのでしょうか。どのような条件がそろえば「科学的根拠」があることになるのでしょうか。

こう問われると、答えに困る人が多いのではないでしょうか。答えを示せても、なんでそれが
正しいのか、と問われると、要は「権威が言ってるから」以上のことを答えられないのではないでしょうか。


あるいは、この問題を深く考えたことがなく、ゆえに、
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】みたいなことを
平気で言えるのではないでしょうか。

じつは、なにが「科学」かという問題は、20世紀の認識論上の重要な問題でした。
やがてデュエム・クワインテーゼやホーリズムやといった考え方が提出されるに至り、
事実が独立して存在しているのではなく、事実は解釈と切り離せず、
解釈は信念体系に依存するという、言われてみれば当然のことが、
強く意識されるようになりました。
それに従うなら、「科学的根拠」があると感じるかどうかは、結局のところ、その人の持つ
信念体系によるということになります。
なお、実際の科学の発展も、客観的な「科学的根拠」があるかないかという基準に従って
整然と発展したものではないことを、ファイヤーアーベントが、明らかにしています。

さて、「科学的根拠」があると感じるかどうかは、結局のところ、その人の持つ
信念体系による、ということであれば、
【ホメオパシーの信用を失わせる研究が膨大にある】のが示されていたとしても、
ある種のヒトビトには、ホメオパシーの信用を得させる研究もまた膨大にあると感じられるのです。

そういうヒトビトの信念体系の一端は、たとえば、
ジョージ・ワシントンは、血を抜かれすぎて死んだ。当時の医師が
瀉血は最高の医療だと信じていたために。
そして、現代のガン患者は、手術・抗ガン剤・放射線治療に殺されている。今の医師が、
それらがガンに対する最高の医療だと信じているために。
といった具合でしょう。

そういうヒトビトに対して、お玉おばさんや、しんぶん赤旗が、
「科学」を水戸黄門の印籠のようにふりかざしても、
そういうヒトビトは、そもそもそれを、水戸黄門の印籠のように感じられない、ということです。
そういうヒトビトにとっては、お玉おばさんや、しんぶん赤旗が、
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】
といっても、それは、
「私の基準に従え。なぜなら私は正しいからだ。正しいったら正しいのだ」
と言っているように聞こえることでしょう。

なお、代替医療の背景にあるリクツはともかく、
臨床試験をしてみて効果に統計学的有意差があるかどうかは、代替医療が効くかどうかの
大きな示唆になるんじゃないの?
という考え方は、すぐれているようにみえます。
手術・抗ガン剤・放射線治療の効果にしてからが、結局それで決めるしかありませんから、それと同じ方法を適用してみよう、というわけです。
しかし、それも、試験が正しくデザインされたか、効果がバイアスなく解釈されているか、
統計学的にめったにないことがおきてしまったのではないか、など、文句をつけようとおもえばつけることができます。
手術・抗ガン剤・放射線治療の効果判定にしても同じような事情の下にあります。
やはり、「その臨床試験だけ」で、(代替)医療の効果判定をすることはできないわけです。

結論として言えることは、科学論争をしても、相手の信念体系が変わらない限り、
説得しきることはできない、ということです。

(たぶんつづく(笑))
返信する
Unknown (Unknown)
2010-10-14 00:03:10
誰も科学を「印籠」のようにしてはいないので、わら人形を売っている文章ですね。まずはこの本を読んで勉強されることをお勧めしたいです。
返信する
Unknown (8890)
2010-10-14 00:35:24
電灯さん

電灯さんには珍しく、「思い込み」での論調であるように思います。

科学は方法論であり、信念体系ではありません。「データの解釈について、公平な土俵の上で比べる方法」といえば判りやすいでしょうか。

なので、
>どのような条件がそろえば「科学的根拠」があることになるのでしょうか。
>こう問われると、答えに困る人が多いのではないでしょうか。
>答えを示せても、なんでそれが正しいのか、と問われると、
>要は「権威が言ってるから」以上のことを答えられないのではないでしょうか。

というのは、的外れです。
科学的根拠の条件は示せますし、答えに困ることはありません。またそれが正しい理由は「あらゆるバイアスを考慮しても効果があるといえるから」です。

その点、ホメオパスも一見、同じようなことを言っているようにも見えます。
しかし、彼らが主張しているのは、「実証データはないが体験談の蓄積がある、よって我々は科学的だ」という、おおよそお話にならない主張です(バイアスの完全無視)。

一方、「科学サイド」は、二重盲検など、電灯さんのおっしゃる
>試験が正しくデザインされたか、効果がバイアスなく解釈されているか、統計学的にめったにないことがおきてしまったのではないか、など
の「文句」を排除した形でのデータを根拠とします。


また、電灯さんがホメオパスと他の代替医療とを同一に論じている点も、僭越ながら不勉強だと思います。
他の代替医療には、ものによっては「それらしい根拠がなきにしもあらず」ですが、ホメオパシーには「なし」です。
それがホメオパシーの特殊性であり、有害性です。

まぁ、ホメオパス(とくに寅子系)はもはや宗教化しているといってもいい状況にあるようなので、
>説得しきることはできない
というのは、一面的には当を得ているとは思います(笑)


電灯さんにおかれましては、「哲学」的な思考体系と、科学的な方法論体系とを混同なされないよう、(議論の整理上も)お願いいたします。
科学の分野をも「哲学」しようとするとゲーテの「色彩論」よろしく、徒労の上、的外れとなってしまいますから…
返信する
追記 (8890)
2010-10-14 00:56:02
前のコメントの
>科学の分野をも「哲学」しようとすると
という部分は、科学哲学を否定するものではありません。念のため。
実証的研究という「科学」で答えが出るところを、無理に「哲学」で考えようとするとおかしなことになるという程度の意味です。
「科学」自体を「哲学」するということの重要性については私も一定程度認識しております。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-14 02:04:42
ありゃりゃ、反応がくるとは。



8890さん。私は、とくに自分の考えに「思い込み」があるとはおもってないのですが。

私は、病気治療について、現代医学は、人体の生理・病理・生化学などの基礎医学研究の上にたっているがゆえに、圧倒的に病気治療に役立つ。それでもまだ治らない病気もある。
そのような基礎の無いホメオパシーが効くとはおもえない。そんなものにカネを使う気が知れない。という信念体系をもっています。
大多数の人がおもってるのと同じであり、なにか大きな新事実でもおこれば、ホメオパシーについての考えも変わるかもしれませんが、まあ、そんなことはおこらないだろうな、とおもってます。
8890さんはどうですか?あまり違わないのではないでしょうか?


まあ、いろいろ書くのも面倒なので、
>>科学的根拠の条件は示せますし
とおっしゃるのですから、
【ある治療法が効果があるというときに、
満たさなければならない条件】
を示してみてください。

また、デュエム・クワインテーゼやホーリズムは、認識論の基本となる考え方です。それを理解なさってくだされば、私の言ってることの理解が容易だとおもいますので、できればどっかで探して読んでください。


Unknownさん。
>>誰も科学を「印籠」のようにしてはいないので
「印籠」は、私なりのたとえで、たとえ方が悪かったかもしれません。
たとえば赤旗が
>>「水が、かつて物質が存在したという記憶を
>>持っている」といいます。
>>「科学的な根拠がなく、荒唐無稽(むけい)
>>としか言いようがない」(談話)説明です
というとき、「科学」はそこで議論を終了させる働きをもっています。それを「印籠」と称したのです。が、「科学」を受け入れていないヒトビトにとっては、受け入れがたいでしょう。
なお、私は、この点では、赤旗に完全に賛同しています。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-14 02:20:15
もしかして、私は、
私が親ホメオパシー論者である
と8890さんたちにおもわれてるのでは?
と心配になってきました。

もちろん、そういうことはありません。

私は、
なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか
を解明しようとおもってるだけです。
返信する
Unknown (8890)
2010-10-14 09:59:13
電灯さん

私は電灯さんが親ホメオパシー論者であるとは考えていません。
ただ、現在の「現代医療vsホメオパス」論争(?)の構図をとらえそこなっていると感じています。


まず、
【ある治療法が効果があるというときに
満たさなければならない条件】
とは、対照実験によって統計(学)的に有意差があることです。
(まぁおそらくは、電灯さんも本気で私にこれについて細かく論ずることを求められているわけではなく、むしろ私の立場を確認しようとする意図であると思うので、端的にいえば私の立場は「現代医療側である」と考えてくださって結構です。)

ホーリズムや反要素還元主義的な考え方には私も惹かれますし、一時期そこそこハマっていました。しかし、やはりあれらの考え方で最も問題なのは、その「妥当範囲」と「具体的な方法論」が不明確な点だと思います。


これは想像なのですが、電灯さんは「一部のサヨクな人たち」の認識論を論じた上、ホメオパスらの認識論を論じ、その共通点を…ということで「解明」なさろうとしているのではないでしょうか。
仮にそうだとすれば、それは無理筋の議論であり、藁人形論法を駆使することとなると考えられます。
なぜなら「ホメオパシーに強くはまる人」の中にもピンキリいまして、彼らを十把一絡げに論ずることは、認識論からもできないと思われます(思想体系に基づいてホメオパスとなった方もいれば、信仰に基づいてホメオパスとなった人もいます)。単に「ホメオパシーに強くはまっているから」といって、同じメンタリティや認識論の下にあるとは言えないと思います。
そして「ホメオパシーに強くはまる人」と「一部のサヨクな人たち」の認識論を比較・対照する作業でもいくつかの問題点があると思いますが、認識論を論じている電灯さんならばお気づきでしょう。

なお、上記が私の思いすごしであればご容赦ください。


私が(そしておそらくはUnknownさんも)最も問題だと思うのは、電灯さんの「科学」に対する思い込みです。
最初の書き込みからは、方法論である「科学」を認識論のレベルに落とし込み、いわば相対化させているように見受けられますが、それはホメオパスのいう「科学教」というレッテル貼りと同じ事だと思います。「科学」に対する無理解、誤解といってもいいと思います。
まぁ「科学」論争についてはエントリで紹介されている本の最初の方の章や、『疑似科学と科学の哲学』といった本に詳しいのでそちらに譲ります。
また、電灯さんが陥った誤謬も、疑似科学関連のブログのコメント欄ではよく見られます。ご参考まで。

たとえ「現代医療側」と同じ結論が出たとしても、電灯さんの考え方と「現代医療側」の考え方とが一緒だとは限りません。
その点を意識してお話をされるよう強く希望いたします。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-14 22:52:11
>>【ある治療法が効果があるというときに
>>満たさなければならない条件】
>>とは、対照実験によって統計(学)的に
>>有意差があることです

なるほど。ではさらに質問があります。どれも、8890さんの「対照実験」についての知識を
問うものです。

①種痘はジェンナーが開発して以来、世界的に普及し、効果があると人々は受け入れましたが、対照実験によって統計(学)的に有意差がある、と証明されたので人々は受け入れたのですか?あるいは、腹腔鏡による胆嚢摘出術は、90年代に導入されて以来、あっというまに旧来の開腹による胆嚢摘出術を駆逐しましたが、これは、対照実験によってなんらかの点について統計(学)的に有意差があると認められたから普及したのですか?

②現在、臨床で現に使われている、抗ガン剤がすべて対照実験がされ済みであるとおもいますか?たとえば、日本人のstageⅡの大腸がんの治癒切除後に、抗ガン剤が処方されることは時にあるはずですが、再発抑制について、対照実験によって統計(学)的に有意差がある、と証明されたのですか?

③「対照実験」が、臨床の現場で、どのくらい厳密にやられてるとおもいますか?たとえば、「毎日内服する」という条件が付せられていたとき、一日でも内服を忘れたら、もう、試験から脱落するとおもいますか?あるいは、「7日目に点滴する」、という条件が付せられていたとき、点滴が8日目になった場合、試験から脱落するとおもいますか?

④有意差を認められた「効果」にも具体的に様々あることはご存知ですか?その中で、ある抗ガン剤の投与で、「ガンが治った」という効果とか「長く生存できた」という効果が認められなくても、「効果」ありと判断される場合が多い、ということはご存知ですよね?


まだまだありますが、長くなるのでやめます。なんか親ホメオパシーの人みたいにおもわれそうだ。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
ところで、

単に「ホメオパシーに強くはまっているから」といって、同じメンタリティや
認識論の下にあるとは言えない

まったくそのとおりで、まったく反論はありません。

ただ、私は、

「一部のサヨクな人たち」とホメオパスらの認識論を論じ、その共通点を…ということで「解明」しようとしている、

というのとはちょっと違って、

サヨクな人たちには、もともと、多くの人が受け入れている価値観を疑い、別の価値観を受け入れ、強固にそれが正しいという信念をもつヒトビトがいて、一方でそういうヒトビトを受け入れる価値観もサヨクにはある。それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではないというハナシをしようと計画していたのです。

あまり差はありませんかね?自信がなくなってきました。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
>>最初の書き込みからは、
>>方法論である「科学」を認識論のレベルに
>>落とし込み
というのは、正当な批判とは感じられません。
方法論と認識論とが、それぞれどう違うのか、
8890さんに提示していただき、その上で、
方法論である「科学」を認識論のレベルに落とし込んではならない理由を示してくださる
必要があるとおもいます。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
なお、私がホメオパスのいう「科学教」というレッテル貼りと同じ事をしようとしている、というご批判です

が、ここは、誤解を受けやすいとはおもうのですが、あたりません。

私は、「科学」が(いや「科学」だけじゃなく様々な信念体系すべてについて)それが相対的であるとまず考えます(そこまでは「科学教」というレッテル貼り、と同じですね)。
その上で、「科学」に向けられた現実の人間の実践活動や倫理性を、個々には批判をもちつつも、総体として支持し信用し、自分もできる範囲で参加する、という立場なのです。
そういう立場をとることには、もはや個人の選択という以上の根拠はありません。
ただ、そういう立場をとることは、オススメです。

その結果、現在主流の医学医療を支持し信用することになりますが、それは、現在主流の医学医療が永遠の真理であるから、という理由ではありません。

ホーリズム、について
>>やはりあれらの考え方で最も問題なのは、
>>その「妥当範囲」と「具体的な方法論」が
>>不明確な点だ
というご批判ですが、まさに、「妥当範囲」と「具体的な方法論」を
なにか真理のように求めることが、ホーリズムによって否定されているわけです。
その上で、当座正しいと自分におもわれる
「妥当範囲」と「具体的な方法論」をとることになります。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
失礼な言い方ですが、私に言わせれば、8890さんは、「素朴な立場」ということになります。
「素朴な立場」で普段とくに不都合はないとはおもいます。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-14 22:57:06
×それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではないというハナシ

○それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではない【か】というハナシ
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-14 23:16:22
いま読み返しつつおもったのですが、

私は、

現在の「現代医療vsホメオパス」論争(?)の構図

を捉えよう、という大きな目標もありません。
あくまで、

なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのかを解明しよう

という軽い気持ちで、

その一環として、現在通説的な認識論(そして、その認識論を自分も当座正しいとおもっている)を援用しているわけですね。

ですから、ここで認識論や科学論の論争を8890さんとしたいわけではありません。
また、人様のブログのコメント欄で、あまり瑣末あるいは詳細にわたる論争をすることは、私自身が好みません。

というわけで、8890さんに質問めいたことを
書いてしまいましたが、それらに対する
答えよりも、
私は、では、8890さんが

なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか

についてご意見があれば、伺って、
参考にしたいとおもいます。
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