代替医療のトリック・サイモン・シン、エツァート・エルンスト著/新潮社

2010-10-13 09:13:55 | 新刊・新譜情報
代替医療のトリック


サイモン・シン/著 エツァート・エルンスト/著 青木薫/訳

鍼からホメオパシー、ハーブまで……広がる代替医療に、いま科学の診断が下る。

ジョージ・ワシントンは、血を抜かれすぎて死んだ。当時の医師が瀉血は最高の医療だと信じていたために。では現代は? ハーブでガンは治るのか? ホメオパシーの効果とは? 『フェルマーの最終定理』『暗号解読』等、数々の傑作科学ノンフィクションで知られる著者が、代替医療研究の第一人者とともに医学を科学で解剖する!

頁数 : 462ページ
ISBN : 978-4-10-539305-2
C-CODE : 0047

発売日 : 2010/01/29

ホメオパシーに効果があることを示す実験的証拠はひとつもなく、効果があると思えるような理論的説明すら
ないというのに、なぜホメオパシーはこの十年ほどのあいだに急成長を遂げ、何十億ドル規模のグローバル産業
になったのだろうか?
率直に言って、科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らかだというのに、なぜ多くの人たちが、
この治療法には効果があると考えているのだろうか?
 ひとつには、ホメオパシーの信用を失わせる研究が膨大にあるのを、一般の人たちは知らないということだ。

目次
第1章 いかにして真実を突き止めるか
第2章 鍼の真実
第3章 ホメオパシーの真実
第4章 カイロプラクティックの真実
第5章 ハーブ療法の真実
第6章 真実は重要か?

サイモン・シン/著
Singh,Simon
1967年、イングランド、サマーセット州生まれ。祖父母はインドからの移民。ケンブリッジ大学大学院で素粒子物理学の博士号を取得し、ジュネーブの研究センターに勤務後、英テレビ局BBCに転職。1996年、TVドキュメンタリー『フェルマーの最終定理――ホライズン・シリーズ』で国内外の賞を数多く受賞し、1997年、同番組をもとに第1作『フェルマーの最終定理』を書き下ろし、世界的ベストセラーとなる。第2作『暗号解読』、第3作『ビッグバン宇宙論』(新潮文庫収録時に『宇宙創成』に改題)がいずれもベストセラーとなり、科学書執筆の分野で現在、世界トップクラスの高い評価を得ている。

エツァート・エルンスト/著
Ernst,Edzard
1948年、ドイツ、ヴィースバーデン生まれ。代替医療分野における世界初の大学教授。ドイツで物理学を学び、博士号を取得したのち、ミュンヘンのホメオパシー・クリニックを皮切りに、ウィーン大学などで広く代替医療の施療と研究に従事した。1993年、英エクセター大学に代替医療学部を創設。現在も旺盛に代替医療研究を続けている。著書論文多数。

http://www.shinchosha.co.jp/book/539305/

********************************
以下、市民社会フォーラムMLから
スピリチュアル系のヒーリングだとかホメオパシーを、(第三者的・中立的体裁であっても事実上)
擁護してきた人たちがほとんど毎回書き流してきたものは、「わら人形論法」と「論点のすり替え」としてみな
されるようなもので、
wikipediaが参考になりますので、引用しておきます。

「ストローマン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3=======================
ストローマン(英語:straw-man)は、議論において対抗する者の意見を正しく引用しなかったり、歪められた内
容に基づいて反論するという誤った論法、あるいはその歪められた架空の意見そのものを指す。藁人形論法とも
いう。語源は仕立て上げられた架空の存在を藁人形に見立てたことからである。

概説

相手の意見を誤解してみせたり、正しく引用することなく歪める、または誇大に解釈すれば、その意見に反論す
ることは容易になる。この場合、第三者からみれば一見すると反論が妥当であるように思われるため、人々を説
得する際に有効なテクニックとして用いられることがある。これは論法としては論点のすり替えにあたる誤謬で
あり、無意識でおこなっていれば論証上の誤り(非形式的誤謬)となるが、意図的におこなっていればそれは詭
弁である。しばしば、感情に訴える論法やチェリー・ピッキングのような他の誤りとともに用いられる。相手の
発言を元の文脈を無視して引用し、本来の意味とは異なる印象を与えるよう提示することをクオート・マイニン
グと呼ぶが、クオート・マイニングに基づいて批判すればこれもストローマンの一種である。

マスメディアにおいても、対抗意見を充分に取材せず、独自に解釈した反論を両論併記などの形で用いることは
故意でないにしろストローマンに繋がるものである。しかし実際には、こうした手法はしばしば報道に取り入れ
られている。

手順

1.相手の意見の歪めた説明を相手が提示したものとして引用する。
2.これに対する自らの反論を示し、論破されたものと扱う。
3.相手の意見に同調する不完全な擁護意見を持ち出し、充分な主張・再反論がされたようにみせかける。
4.批判されて当然である(本来無関係でも一見関係のありそうな)問題や考え方を創造し、さも相手側の意見は
これを象徴するものとして強く非難する。

簡単な例
A氏「私は子どもが道路で遊ぶのは危険だと思う。」
B氏「そうは思わない。なぜなら子どもが外で遊ぶのは良いことだからだ。A氏は子どもを一日中家に閉じ込めて
おけというが、果たしてそれは正しい子育てなのだろうか。」

---------------------------(以上)

「論点のすり替え」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%82%B9%E3%81%AE%E3%81%99%E3%82%8A%E6%9B%BF%E3%81%88=======================
論点のすり替え(ろんてんのすりかえ、英: Ignoratio elenchi)は、非形式的誤謬の一種であり、それ自体は
妥当な論証だが、本来の問題への答えにはなっていない論証を指す。"Ignoratio elenchi" とは ignorance of
refutation
(反駁とは何であるかを知らないこと)の意。"elenchi" はギリシア語の έλεγχος に由来し、
反駁の主張・論証を意味する[1]。論点相違の虚偽(ろんてんそういのきょぎ)、論点無視の虚偽(ろんてんむ
しのきょぎ)ともいう(広辞苑)。

アリストテレスは、論点のすり替えは相手の主張に反駁する際に犯してしまう間違いであると考えていた。その
ため彼は、その当人が反駁とはどういうものかについて無知なのだとした。アリストテレスにとって、論点のす
り替えは論理を知らないことに等しい。実際、アリストテレスは全ての論理的誤謬は論点のすり替えに還元され
るとまで言っている。

現代では、アリストテレスほど広い意味で使われているわけではない。

=======================
(以上)

 あと、下記ブログも参考になります。
http://d.hatena.ne.jp/D_Amon/20061019/p2<似非科学、歴史修正主義、差別主義といったダマシの多くに共通する特徴として「間違っている論理展開」と
「わら人形論法」が挙げられます。・・・・>


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30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (電灯)
2011-04-13 08:58:37
久しぶりにこのスレのことをおもいだしました。

ここでは、私の、

事実が独立して存在しているのではなく、事実は解釈と切り離せず、解釈は信念体系に依存する

という主張をめぐって、8890さんやunknownさんにコメントをいただいていたと記憶しています。8890さん、覚えていらっしゃいますか?

今頃このスレのことを思い出したのは、3.11以来のいろんな学者(いわゆる御用学者から小出先生まで)の言説を観察することで、まさに私の主張を裏付けることができる、とおもっているからです。

さらに、8890さんが教えてくださったkikulogでは、菊池先生ご自身にも、この主張があてはまることが、
「少ないものをどれほど減らしても多いものには影響しないわけで」のスレッドの123.りっぴさんの書き込みあたりからを見ると、想像できますよ(私はりっぴさんにかなり共感しているのです)。
返信する
Unknown (電灯)
2010-11-10 23:51:54
久先生は言うに及ばず、医科研の医者、あるいは、日本癌学会や日本がん免疫学会所属の医者のなかには、日本でも有力な医者がたくさんいます。

今回の事態は、そういう有力な医者と朝日新聞の記者(記事には名前が出てました)との突っ張りあいに発展したようで、今後どうなるか、下世話な興味も正直感じます。

国策捜査、という言葉がありますが、朝日の記事は、一種、「国策記事」(政策の方向に影響を与えようとして掲載する記事。その方向自体には一理あるが、ダシにされた医者の側は大迷惑)ともおもえます。
返信する
Unknown (電灯)
2010-11-10 23:18:57
8890さんとの議論のなかで、医科研の癌ワクチン臨床研究についての朝日新聞の批判記事の話題がでました。

それに関して、本日(11月10日)の朝日新聞に、朝日新聞記者の元記事についての弁明ととれる主張と、朝日新聞側の主張を代弁するような学者の主張が掲載されていますので、注意を喚起しておきます。一読の価値はあるとおもいます。

私自身は、ワクチンとこの件の消化管出血は無関係とおもっており、以前も書いたように、この件に関しては、朝日新聞の記事は、一般読者に誤解を与える書き方だったとおもっています。
ただ、朝日新聞側は、一般論として、「臨床試験の対象となる患者を保護するための法的な枠組みをきちんとつくれ」という趣旨の主張をしており、それには一理あります。

以上を踏まえた上で、8890さんにも、
私の主張をよく理解せずに
>>誰も科学を「印籠」のようにしては
>>いないので、わら人形を売っている文章ですね
と私を批判しっぱなしで返答のない
Unknown 2010-10-14 00:03:10
さんにも
考えていただきたいのが、

「この件で臨床試験をする側は、患者にわかりやすく情報を伝えているだろうか」
という問題です。

朝日側の学者の福島氏がインターフェロンとうつ病の例で示しているように、消化管出血と癌ワクチンとの関係も、あとあとになってみないと(あるいは、なっても)真実を断定することはなかなか難しいわけです。
医者側がいえるのは、「今回のこの消化管出血は、ワクチンの想定される作用機序や、膵癌の性質などから、ワクチンとは無関係と経験的に判断できる」ということですね。
だったらそう患者・国民に率直に説明すればいいとおもうのです。患者・国民がもっとも知りたいのはその点なのですから。

しかし、実際には、
2010-10-28 06:34:11
2010-10-28 06:56:42
で示したように、なかなか【苦心】がうかがわれる説明をしているわけですね。

もうひとつ、久先生の説明を掲載しておきます。
http://jams.med.or.jp/news/014.html
(ご存知かは知りませんが、久先生は色々とものすごく偉い先生で、ある意味、日本のすべての医者のなかで、一番偉い存在です)。
久先生の説明はざっと読むと「消化管出血とワクチンとは無関係」という印象が残ります。しかし、よく読むと、「無関係」とはひとことも書いてないんですね。よく練られた、ある意味政治的な文章だとおもいます。同時に久先生の【信念】もうかがえる文章でした。

臨床試験は、このように、医者や医者のなかでも権威の信念にしたがって、設計され、解釈され、説明されるのです。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-28 06:56:42
医科研側に【苦心】が必要なのは、つまりは、圧倒的に知識・経験が異なるものの間での、インフォームドコンセントの限界ということだとおもいます。

①消化管出血とペプチドワクチンとの因果関係が「ほぼないと判断」している
②計画を変更して便潜血が2回連続して陽性であった方を対象者には含めないことにした

をもしも、
①消化管出血がペプチドワクチンによる可能性は0ではないと判断している
②計画を変更して消化管出血の恐れのある患者を被験者から外した

と説明したら、被験者には多大な不安を与えかねません。しかし、この両者はほぼ同じことを言ってるわけですね。

そして、ごく大雑把な言い方ですが、前者の言い方になんらかの欺瞞を見出してしまうのが「朝日新聞流」で、それは、大衆の無知により拡大し、大衆を誘導できることもある。
そしてその流儀は、なにも今回の件に限られていないとおもいます。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-28 06:34:11
8890さん、おはようございます。



ええ、まさしく私が、【医科研側の態度もあわせて】要約したと取ってもらってかまわないのですが、
「全く」を取り去ってもかまわないんですよ。

事実は、
①医科研側は、消化管出血とペプチドワクチンとの因果関係が「ほぼないと判断」していることを声明している。
②そして、そこには、【対照実験の根拠は示されていない】。
ということです。
「ほぼないと判断」した根拠は、まさに専門家的な経験による判断なわけですね。

私がこのペプチドワクチンの例をひいたのは、
>>私が以前書いた(対照試験の場合でも様々なことが)「専門家集団の専門的な経験を経た総合的判断」を通じて、
>>あらたに決断されている」の一例証
とする意図であった(このペプチドワクチンの例は、対照試験ではないようですが)ことを思い出してください。




ところで、その出血症例の後、
「医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外した」
http://www.asahi.com/health/news/TKY201010140469.html
これについて、医科研側は、
前掲
http://www.h.ims.u-tokyo.ac.jp/news/Message20101019-4.pdf
では、
「当院の臨床試験では、被験者となる患者様のご体調に配慮して計画の変更を行い、
便潜血が2回連続して陽性であった方を対象者には含めないことにいたしました」
と説明しています。
医科研側は、「消化管出血」という言葉を使わず、「便潜血が2回連続して陽性」という言い方をしているのですね。
こういうところに、
「患者様へのご説明」についての医科研側の【苦心のあと】がみられると私はおもいました。
医科研側は、わかりにくい書き方をしていますが、端的に言えば、朝日新聞が書くように、
「医科研病院は消化管出血の恐れのある患者を被験者から外した」ことになります。
私が、「実はちょっと弱気なのか、つっこまれるのがイヤだったのか」と書いたのは、そこらも考慮してのことです。




なお、8890さんは、
>>可能性が0でない以上は「0ではない」というのが専門家としての務め
とお書きになりました。私もそのとおりだとおもいますが、
この件で、医科研側は、
「消化管出血がペプチドワクチンによる可能性は0ではない」
というわかりやすい「患者様へのご説明」はしていませんよね。
とくに、前掲
http://www.h.ims.u-tokyo.ac.jp/news/Message20101019-4.pdf
の2.がんペプチドワクチンと消化管出血の因果関係について、の章は、
「がんペプチドワクチンと消化管出血の因果関係について」との題で、まさに説明の中心になるべき章ですが、
書かれている内容は、ほぼ、「重篤な有害事象」が「副作用」とイコールではないことの説明(言葉の定義の説明)と、
医師団として手続きはつくしていることの弁明です。
そして、肝心の因果関係については、特に根拠を示さずに、
>>消化管出血と薬剤(ペプチド)との因果関係はほぼないと判断されている
としている、たったそれだけなんですよ(あと他機関の例が触れられている)。
このあたりの書き方も、医科研側の【苦心のあと】がみられると私にはおもえます。
返信する
Unknown (8890)
2010-10-27 23:08:28
電灯さん

すると、電灯さんのコメントの「全く」という部分は、電灯さんが「要約」した部分ということですね。
そして、その「要約」した部分を前提にして「対照実験では分からない」と仰っているわけですね。

しかし、「ほぼないと判断」と言ったことと、「全くない」ということは、同じではありませんよ。
科学では厳密さが特に要求されます。可能性が0でない以上は「0ではない」というのが専門家としての務めですから、「ほぼない」という言い方になっているのだと思います。弱気とかそういうものではありません。

ここの意味は、私が言うまでもなく電灯さんならばお分かりだと思います。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-27 21:58:17
8890さん、こんばんは。

次は、朝日の記事に関して、
8890さんの

>重篤な有害事象として報告される場合が
あるがワクチンによる重大な副作用とは
全く異なる
との主張は、今回の記事に対する
医療側の「反論」で出てきていますか?

というご質問にお答えします。



朝日の記事の患者の消化管出血について、

清木所長名の掲載文では、
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/jp/files/statement101020.pdf
>>この消化管出血は、すい臓がんの進行によるものと判断されており
と記されています。

清木所長、今井病院長連名の掲載文では、もう少しくわしく、
http://www.h.ims.u-tokyo.ac.jp/news/Message20101019-4.pdf
この出血が門脈閉塞による食道静脈瘤からの出血であったことが記されており、
2.がんペプチドワクチンと消化管出血の因果関係について、の章で、
消化管出血とペプチドワクチンとの因果関係が「ほぼないと判断」
されたことが、他の臨床試験機関に報告しなかった理由のひとつであることが記されて
います。また、同じ章で、他の機関からの報告で「腫瘍からの出血例」があったが、
すい臓がんの進行に伴って生じたものと判断され、臨床試験は中断されなかった
ことも記されています。



これらの意味するところですが、くだんの患者の消化管出血は、
①すい臓がんの進行による門脈閉塞がおきた
②それにより食道静脈瘤ができた
③食道静脈瘤が破綻して出血した
という機序でおき、
④この出血はペプチドワクチンとの因果関係がほぼないと判断される
ということを言っています。
また、他の機関の「腫瘍からの出血例」については、詳細が記されていませんが、
すい臓がんの進行に伴って生じたものと判断された(つまりペプチドワクチンによるものとは
判断されなかった)ということを言っています。



④で、医科研側は、実はちょっと弱気なのか、つっこまれるのがイヤだったのか、「ほぼない」と書いていますが、
医科研の実際の姿勢は、「(消化管出血は)ワクチンによる重大な副作用とは全く異なる」と言ってるのと同じです。
なお、他の機関の「腫瘍からの出血例」は、詳細不明ですが、詳細がわかれば、もしかしたら、微妙な判断だったのかもしれません。

医療側は、まさに専門家的な経験による判断として、「ペプチドワクチンによる出血ではない」と主張しているのです。
そのあたりに、朝日の記事がつけいっているわけですね。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-26 11:29:29
追加しておきます。

以上のように整理してみると、以前8890さんがお書きになった、

>>科学は方法論であり

という言葉が重要な意味を帯びてきます。

個人の認識・自由にとどまる限りは、何が正しいかは相対的でかまいません。
しかし、なんらかの管理者の立場にたつ場合は、管理の方法が必要であり、そのための一般に承認されている方法論(印籠)が、【いわゆる科学】なのです。
管理ですから、そこから落ちこぼれる人々、従わない人々が当然出てくるわけです。
それをどうするか、という問題がそこで出てくるわけですね。

「医療vsホメオパス」の論争を、まだよく読まないで言ってしまうのはためらわれるのですが、「正しさ」の問題と「管理」の問題とを整理すると、親ホメオパス側も反ホメオパス側も、両者にとって、多少は論争の見通しがよくなるのかもしれません。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-26 08:36:42
8890さん、おはようございます。

さて、問題がいくつかありますので、「医療vsホメオパス」の構図のほうからかたづけましょう。残りは、また後ほどということで。

「kikulog」の関連記事とそのコメント、については、いずれ時間があるときに読んで、「医療vsホメオパス」の構図について勉強してみようと思います。ですから、まだ読んでないのですが、8890さんのおっしゃる

>>ホメオパス側が「科学」について
>>定義問題にしようとしたり、・・・
>>医療従事者の中にもホメオパス側の
>>人間がいること

という【問題点】については、私も承知している、と言わせていただいても間違いではないとおもいます。

その上で、私が指摘したく、一部は指摘してきたとおもうのは、
【問題点】について、
①何が正しい科学であるかという論争
②何が正しい商売であるかという論争
③何が正しい医療であるかという論争
をくりかえしても、【正しさを求める限りは】、【原理的に】解決しないということです。

①については、(私がくりかえしてきた)【認識論】の問題が、②については、営業の自由・表現の自由の【自由】の問題が、③については、それを患者側からみれば、どのような医療でも試すことが出来るという【愚行権】すなわち、やはり【自由】の問題が、絡んでくるわけですね。そこには絶対的な正しさというものはなく、ただ、多数が正しいとおもうであろうもの、という基準があるだけで、しかも、その基準はしばしば曖昧です。

こういう議論の深みにはまるのが、一部のサヨクには親和的なのかなあ、とおもっていますが、上にも書いたように、【原理的に】【正しさについては】解決しない以上、私自身は、①②③のそれぞれについて、

自分が当座正しいと思う立場で当座やってゆくが、他の言うこともそれなりに参考にしよう、と考えています(まあ、平凡ですが、【そういう立場を意識的に選んでいる】というところが、いろいろ考えた成果です)。

また、もしも私がなんらかの【管理者】であった場合は、行使できる権限にあわせて、どこかで断固たる措置をとります。論争しても、【正しさ】についての結論は【原理的に】出ず、しかし【管理上は】なんらかの結論を出さねばならず、その観点からは、論争は、どこかで切り上げるしかないからです。

その「切り上げ」のサインとして示されるのが、「科学」「自由の濫用」といったキーワードで、それを、以前「水戸黄門の印籠」と称したのです。
それらキーワードが、何が正しいかについての結論を出しているのではなく、【管理上】「水戸黄門の印籠」の役割を果たしているし、そうするしか【原理的に】ないのだ、とわかっていればそれでいいのですが、誤解する人々は親ホメオパシー、反ホメオパシー両方の側でいるようですね。反ホメオパシーとして「印籠」を使っている側も、【自分は絶対に正しい】という誤解をしているのではないかという気もするのです。

私の立場からは、「代替医療のトリック」のような本も、一面では「印籠」的なはたらきをもち、一面ではそれ自体が「論争のタネ」になります。「論争のタネ」の部分を私は少し強調しすぎたかも知れません。
返信する
Unknown (8890)
2010-10-25 22:10:00
電灯さん

まず、前提として、今回の朝日新聞の記事は「酷い」の一言です。

ただ、その上で、電灯さんのコメントの中にあった、
>重篤な有害事象として報告される場合があるがワクチンによる重大な副作用とは全く異なる
との主張は、今回の記事に対する医療側の「反論」で出てきていますか?

今回の治験は末期がん患者に対するものですから(おそらくフェーズⅡ以降と考えられます)、ワクチンの効果として、延命効果、末期がんに伴う諸症状の緩和効果などが調べられると解されます。
そうすると、末期癌における諸症状の一つである、消化管出血の頻度や程度についても「対照実験」の範囲に含まれてくると考えられます。
それゆえ、今回の反論として「副作用とは全く異なる」という主張は、医療側からすれば出てこようはずがないと私は思うのです。
ですので、上記の「副作用ではない」という見解はどこで書かれていたのか、非常に気になります。
(なお、私もMRICやオンコセラピー社の反論文・抗議文には一応目を通していますが、見当たりませんでしたし、検索でもひっかかりませんでした。)

そして、対照実験における効果の判定に含まれる以上、消化管出血に対するワクチンの効果は対照実験で決着がつくと思います。

また、私が前に書いた
「【ある治療法が効果があるというときに満たさなければならない条件】としての対照実験」
と、
「対照試験でなにもかも決着するというわけではないということ」
との関係についてですが、
「必要条件と十分条件」のお話を考えていただければ「整合性」はとれていると思います。

それゆえ、電灯さんが今回の事件を「治療研究をやるならやるで画一的に処理できない面倒な問題もおこることがあると教えてくれ」る例として出したことに違和感を禁じえませんでした。



そして、「医療vsホメオパス」の構図についてですが、
このように書くのは非常に不親切で、不誠実だと自分でも承知の上で、やむをえず書くのですが、
「kikulog」の関連記事とそのコメントを読まれた方が、より正確で分かりやすいと思います。
この点については本当に申し訳ありません。

ただ、
ホメオパス側が「科学」について定義問題にしようとしたり、自分たちに都合のよいように「科学」の名を使ったりしていること、
一部のホメオパスは、スクールビジネス化しており、消費者問題も絡んでくること、
医師や看護師、助産師など医療従事者の中にもホメオパス側の人間がいること、
その結果、医療側の人間が問題視しているのは、ホメオパシーそのものであったり、その他のことであったり、その両方であったりと様々であること(+「足並み」が揃わないこと)、
だけはここで指摘しておきたいと思います。

そのような、場外乱闘を含めた「ごった煮」状態ですので、私には電灯さんの分析が、色々と大事なところまでも捨象し無理にレッテルを貼っているように映りました。
不躾なことを色々といいまして、お気を悪くされたと思います。本当に申し訳ありません。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-25 20:29:08
それから、これも以前書いたのですが、私は、

「現代医療vsホメオパス」論争(?)の構図を捉えよう、という大きな目標はもともとなく、なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのかを解明しようという軽い気持ちで、その一環として、現在通説的な認識論(そして、その認識論を自分も当座正しいとおもっている)を援用しながら、おもうところを書いているだけなんです。

ですから、

>>今回の事件の「構図」

について、私は確かに知らないことが多いとおもうし、むしろ、
8890さんがご存知なことを、できればここで書いていただければ、少なくとも私にはたいへん参考になりますので、8890さんのお考えを教えていただけないでしょうか。

(もともと人様のブログのコメント欄で延々と議論をするのは好みませんし、8890さんに2ch的な議論をふっかけようとかいう意図はまったくありません。疑問な点は質問させていただくかもしれませんが、基本的に、参考にさせていただきたい、という意図です)。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-25 20:16:41
8890さん、こんばんは

「治療研究をやるならやるで画一的に処理できない面倒な問題もおこることがあると教えてくれます」と書いたとき念頭に置いていたのは、被験者に起きた消化管出血のことです。

これは、一般的に「すい臓がんにおいては少なからず起こりうる」「重篤な有害事象として報告される場合があるがワクチンによる重大な副作用とは全く異なる」と解されており、私も同意見です。朝日新聞の記事は、有害事象という専門用語の意味を解さない一般読者に誤解を与える書き方だとおもっています。

それを確認していただきたいのですが、その上でしかし、このとき「ワクチンによる重大な副作用とは全く異なる」という点は、対照試験で白黒がついた話でしょうか?

つまり、「ワクチン投与のせいで、もともとあった出血の危険性がさらに増したんじゃないの?」と問われたとき、それを否定する根拠としては、ワクチンやすい臓がんについての専門家的な常識があるだけです。8890さんオススメの「対照試験で決着をつける」、という観点から言えば、ワクチン投与が消化管出血を増やすかどうかについての(大雑把な確認はおこなわれているでしょうが大規模で厳密な)対照試験はおこなわれていないわけですね。

今回のペプチドワクチンは、そもそもフェーズ Ⅰの治験のようですから、それでもちろんかまわないのですが、私が以前書いた(対照試験の場合でも様々なことが)「専門家集団の専門的な経験を経た総合的判断」を通じて、あらたに決断されている」の一例証となるかもとおもったしだいです。


ところで、8890さんは以前、

>>【ある治療法が効果があるというときに
>>満たさなければならない条件】
>>とは、対照実験によって統計(学)的に
>>有意差があることです

とお書きになったとおもうのですが、

>>対照試験でなにもかも決着するという
>>わけではないということは、
>>少しでも医療関連の話題をかじったことの
>>ある者には当然の前提であり、
>>改めて言う必要もないことだと思いますが

と今回お書きになったこととの整合性について、できればわかりやすく説明してください。
返信する
Unknown (8890)
2010-10-25 10:40:28
電灯さん

対照試験でなにもかも決着するというわけではないということは、少しでも医療関連の話題をかじったことのある者には当然の前提であり、改めて言う必要もないことだと思いますが。
それとも、電灯さんの中では「反ホメオパシー」陣営が、そのような硬直的な主張をしていることになっているのでしょうか?
仮にそうであれば、それは「事実誤認」であり、今回の事件の「構図」を読み違えていると思います。

ところで、その記事が
>治療研究をやるならやるで画一的に処理できない面倒な問題もおこることがあると教えてくれます
というのは、どのくだりでしょうか。
返信する
Unknown (電灯)
2010-10-25 08:39:06
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101022-OYT1T00991.htm

最近話題のこれ↑は、対照試験ではありませんが、治療研究をやるならやるで画一的に処理できない面倒な問題もおこることがあると教えてくれます。
(対照)試験でなにもかも決着する、というわけではないのです。
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サヨクとホメオパシー Q and A (電灯)
2010-10-20 06:05:34
今回は、親ホメオパシーの側ではなく、反ホメオパシーの側のサヨクな人の問題を、Q and A の形式で考えてみました。
問いの内容も含めて、すべて私の創作であることをおことわりしておきます。



問い)
私はあるMLの管理人をしておりますが、MLのなかで、怪しい水をはじめ、様々なものを
スピリチュアルの皮をかぶって売りつけようという人が跋扈して困っています。
私は、価値観と言論の多様性を重視した「市民社会」を創造したいだけなのですが、
なぜこんなふうになってしまうのでしょうか。


答え)
「市民社会」は多義的なことばですが、あなたもサヨクなのですから、近代市民革命の
担い手であった「市民社会」を踏まえてことばを使っていなければモグリです。

ところで、近代市民革命では、移動の自由や私的所有が重要な価値として
追求されました。これらは、「自由な商売」ということと密接な関係があります。
つまり、「市民社会」の中には「自由な商売」人が当然含まれ、「自由な商売」人のために
「市民社会」がさらに発展する、という関係があるのですね。思い出しましたか?

そして、そのように発展した「市民社会」のなかに生まれた矛盾を直視し、解決しようと
したのが、マルクスですね。彼の影響もあり、徐々に、「市民社会」は自由放任
ではなく、積極・適切な管理が必要だという考え方が合意されてゆきます。

もうわかったでしょう。あなたは、「市民社会」であればその中に自由に商売をしたい
商売人が【当然に】存在することを見逃し、さらに、「市民社会」の順当な発展のためには、
積極・適切な管理が【必要】だということも管理人のくせに忘れていたのではないでしょうか。

なぜ、そうなったのか。私の考えでは、あなたは、サヨクでありながら、
マルクスの勉強が足りないのではないでしょうか。マルクスをよく勉強し、「市民社会」について
よく理解していれば、あなたの苦境はなかった。すべてはあなたが自ら招いたのです。
これからは、マルクスをもっと読み、それを現代の自分の課題に生かす。
そういう視点をもって、さらにマルクスの勉強を重ねてくださいね。
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Unknown (電灯)
2010-10-17 23:43:39
今つらつら考えてみるに、

人間を不幸に陥れた最大の疑似科学は、

「科学」的社会主義

でしょうね。
ホメオパシーどころではないでしょう。
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Unknown (電灯)
2010-10-17 23:23:25
論点は、つねにすりかわり、拡散してゆきます。それが人間が議論するときの現実です。

「論点のすりかえ」等々と相手を非難しても、それで相手が納得して問題が解決することはほとんどなく、だいたいにおいて、「論点のすりかえ」を強調する側の狭量さや、現実処理能力のなさを露呈するだけで終わることがほとんどですね。


なお、繰り返しですが、私は、親ホメオパシーではまったく無く、ただ、「なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか」を解明するのに、現代の科学論の通説的見解を援用しているだけです。


ところで、いったん親ホメオパシーになってしまったサヨクは、相手(反ホメオパシー)の「わら人形論法」やら「論点のすり替え」やらを指摘したりして、反ホメオパシーにとっては、手ごわい相手になるんでしょうね。まあ、勝手にやってろ、とおもいます。
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Unknown (電灯)
2010-10-17 23:02:51
「質問」については、解説すれば色々あるんですが、要は、
医療は「専門家集団の専門的な経験を経た総合的判断」で動いていて、
(しかも専門家同士でも常に一致するとは限らず)、
「対照試験」は勿論重要ですが、それですべてが解決するというものでなく、
決断を下す時の根拠の(重要ですが)一角というべきものだ、
ということをわかって欲しかったのです。

「対照試験」をするなら具体的にどういう形でするのか、している最中に発生する具体的な
問題をどう処理するのか、結果をどう解釈しどう生かすのか。
すべて、「専門家集団の専門的な経験を経た総合的判断」を通じて、
あらたに決断されているわけです。unknownさんにも聞いて欲しいですが、
「対照試験」と唱えていれば、それですべて解決するというものではなく、
「対照試験」の前・最中・後を通じて、人間の決断がかかわっているわけです。
「科学」にしても「対照試験」と同様に考えられます。

親ホメオパシーのある人々は、
科学的原理から個別具体的な治療に至るまでの、
人間がかかわるそのどこかに不信感をいだいたのが最初のきっかけで、
その不信感の表現として、最終的には何か別の科学的原理を
想定するようになっているのかも知れないですし、
別のある人々は、
個別具体的な自分の経験として、本当にホメオパシー治療が効いたとしかおもえない、
という「科学」からは自分では演繹できない経験があって、やはり何か別の科学的原理を
想定するようになっているのかも知れません。

つまり、かれらが「科学」を簡単に受け入れないのは、それなりの体験的・現実的根拠が
否定できないほど強くあるかも知れないわけで、
逆にわれわれが「科学」を受け入れるのは、(読書も含めて)そう教わったし、
それに反する体験的・現実的根拠がなかったからだ、とも言えるわけです。


このことを「憲法9条」という原理の例で考えてみると、
「憲法9条」という原理を唱えたとしても、
いま問題になってる尖閣問題の処理の仕方やら普天間基地問題の処理の仕方が、
一義的に演繹的にでてくるわけではなく、そこには、人間の新たな具体的決断がつねに
かかわるわけです。
(たとえば、「中国は、こういう場合はこう出てくるにちがいない」、だとか)。
一方、「憲法9条」死守を唱えている人たちが、現実の問題の処理の仕方(の良策の提唱)に
失敗している(ように見える)場合や、8890さんにそれとは違う処理をするという確信が
ある場合、「憲法9条」という原理そのものがどうも現実の役に立たない、
と8890さんが思う場合もあるわけです。


「憲法9条」にしても、「科学」にしても、「対照試験」にしても、具体的問題を処理
しようとすると、個々の決断と独立してはいないということです。そして、個々の
決断の背景には、決断を下す人の信念体系があると考えられるわけで、
結局、「科学」は信念体系から独立してないわけです。
(独立しているかのように論じることはできます。
治療が効くか効かないか対照試験で判別できる、と論じるのは、
説明のためのおはなしとしてはわかりやすいです)。




「なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか」という問題についての、
8890さんのお考えは、かなり私の考えに近いとおもいます。
私なりにもう少し敷衍したいことがあるのですが、それは、機会があればまた今度書きます。
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Unknown (8890)
2010-10-16 02:03:58
電灯さん

様々なお話が聞けて、とても勉強になります。
特に哲学方面はこれまで意図的にスルーしてきたので、今回のお話は新鮮な感じがいたしました。

さて、
>なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか
とのことですが、
相当乱暴で、「レッテル貼り」かつ藁人形論法であることを承知で言うとすれば、
・何らかの「原理」から演繹的に考えるのが好きで、
・お気に入りの「原理」に固執し、他人の話(というか自分に都合の悪い話)を省みることはなく、
・その傲慢さゆえに自説の検証をすることなく、逆に「一般人」と違うことを主張することに優越感を覚えるから
…かなぁ、という気がします。
「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。」
の両方を地でいっている気がします。

ただ、考え方の傾向としては、彼らも「一般人」とはあまり変わりはなく、ただその「程度」なり「比重」が違うだけなのではなかろうか、と思います。
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Unknown (電灯)
2010-10-14 23:30:44
ホーリズムについて誤解されると嫌なので
追加しておきます。

怪しげな疑似科学を擁護するためにホーリズムが援用されることもありますが、
私はそうしたい目的でホーリズムを援用しているわけではまったくありません。

「現在の科学が絶対ではない」とまったく同じように、
「ホメオパシーが絶対ではない」と言えるわけで、親ホメオパシー論者の信念体系を崩すためにも使えるわけです。

その上で、何か真理があればそれに従おう、というハナシではなく、どういう実践に従おうと自分で決断するか、というハナシである、ということですね。
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Unknown (電灯)
2010-10-14 23:16:22
いま読み返しつつおもったのですが、

私は、

現在の「現代医療vsホメオパス」論争(?)の構図

を捉えよう、という大きな目標もありません。
あくまで、

なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのかを解明しよう

という軽い気持ちで、

その一環として、現在通説的な認識論(そして、その認識論を自分も当座正しいとおもっている)を援用しているわけですね。

ですから、ここで認識論や科学論の論争を8890さんとしたいわけではありません。
また、人様のブログのコメント欄で、あまり瑣末あるいは詳細にわたる論争をすることは、私自身が好みません。

というわけで、8890さんに質問めいたことを
書いてしまいましたが、それらに対する
答えよりも、
私は、では、8890さんが

なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか

についてご意見があれば、伺って、
参考にしたいとおもいます。
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Unknown (電灯)
2010-10-14 22:57:06
×それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではないというハナシ

○それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではない【か】というハナシ
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Unknown (電灯)
2010-10-14 22:52:11
>>【ある治療法が効果があるというときに
>>満たさなければならない条件】
>>とは、対照実験によって統計(学)的に
>>有意差があることです

なるほど。ではさらに質問があります。どれも、8890さんの「対照実験」についての知識を
問うものです。

①種痘はジェンナーが開発して以来、世界的に普及し、効果があると人々は受け入れましたが、対照実験によって統計(学)的に有意差がある、と証明されたので人々は受け入れたのですか?あるいは、腹腔鏡による胆嚢摘出術は、90年代に導入されて以来、あっというまに旧来の開腹による胆嚢摘出術を駆逐しましたが、これは、対照実験によってなんらかの点について統計(学)的に有意差があると認められたから普及したのですか?

②現在、臨床で現に使われている、抗ガン剤がすべて対照実験がされ済みであるとおもいますか?たとえば、日本人のstageⅡの大腸がんの治癒切除後に、抗ガン剤が処方されることは時にあるはずですが、再発抑制について、対照実験によって統計(学)的に有意差がある、と証明されたのですか?

③「対照実験」が、臨床の現場で、どのくらい厳密にやられてるとおもいますか?たとえば、「毎日内服する」という条件が付せられていたとき、一日でも内服を忘れたら、もう、試験から脱落するとおもいますか?あるいは、「7日目に点滴する」、という条件が付せられていたとき、点滴が8日目になった場合、試験から脱落するとおもいますか?

④有意差を認められた「効果」にも具体的に様々あることはご存知ですか?その中で、ある抗ガン剤の投与で、「ガンが治った」という効果とか「長く生存できた」という効果が認められなくても、「効果」ありと判断される場合が多い、ということはご存知ですよね?


まだまだありますが、長くなるのでやめます。なんか親ホメオパシーの人みたいにおもわれそうだ。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
ところで、

単に「ホメオパシーに強くはまっているから」といって、同じメンタリティや
認識論の下にあるとは言えない

まったくそのとおりで、まったく反論はありません。

ただ、私は、

「一部のサヨクな人たち」とホメオパスらの認識論を論じ、その共通点を…ということで「解明」しようとしている、

というのとはちょっと違って、

サヨクな人たちには、もともと、多くの人が受け入れている価値観を疑い、別の価値観を受け入れ、強固にそれが正しいという信念をもつヒトビトがいて、一方でそういうヒトビトを受け入れる価値観もサヨクにはある。それが、ホメオパシーに一部のサヨクな人たちが強くはまる理由のひとつではないというハナシをしようと計画していたのです。

あまり差はありませんかね?自信がなくなってきました。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
>>最初の書き込みからは、
>>方法論である「科学」を認識論のレベルに
>>落とし込み
というのは、正当な批判とは感じられません。
方法論と認識論とが、それぞれどう違うのか、
8890さんに提示していただき、その上で、
方法論である「科学」を認識論のレベルに落とし込んではならない理由を示してくださる
必要があるとおもいます。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
なお、私がホメオパスのいう「科学教」というレッテル貼りと同じ事をしようとしている、というご批判です

が、ここは、誤解を受けやすいとはおもうのですが、あたりません。

私は、「科学」が(いや「科学」だけじゃなく様々な信念体系すべてについて)それが相対的であるとまず考えます(そこまでは「科学教」というレッテル貼り、と同じですね)。
その上で、「科学」に向けられた現実の人間の実践活動や倫理性を、個々には批判をもちつつも、総体として支持し信用し、自分もできる範囲で参加する、という立場なのです。
そういう立場をとることには、もはや個人の選択という以上の根拠はありません。
ただ、そういう立場をとることは、オススメです。

その結果、現在主流の医学医療を支持し信用することになりますが、それは、現在主流の医学医療が永遠の真理であるから、という理由ではありません。

ホーリズム、について
>>やはりあれらの考え方で最も問題なのは、
>>その「妥当範囲」と「具体的な方法論」が
>>不明確な点だ
というご批判ですが、まさに、「妥当範囲」と「具体的な方法論」を
なにか真理のように求めることが、ホーリズムによって否定されているわけです。
その上で、当座正しいと自分におもわれる
「妥当範囲」と「具体的な方法論」をとることになります。

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△
失礼な言い方ですが、私に言わせれば、8890さんは、「素朴な立場」ということになります。
「素朴な立場」で普段とくに不都合はないとはおもいます。
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Unknown (8890)
2010-10-14 09:59:13
電灯さん

私は電灯さんが親ホメオパシー論者であるとは考えていません。
ただ、現在の「現代医療vsホメオパス」論争(?)の構図をとらえそこなっていると感じています。


まず、
【ある治療法が効果があるというときに
満たさなければならない条件】
とは、対照実験によって統計(学)的に有意差があることです。
(まぁおそらくは、電灯さんも本気で私にこれについて細かく論ずることを求められているわけではなく、むしろ私の立場を確認しようとする意図であると思うので、端的にいえば私の立場は「現代医療側である」と考えてくださって結構です。)

ホーリズムや反要素還元主義的な考え方には私も惹かれますし、一時期そこそこハマっていました。しかし、やはりあれらの考え方で最も問題なのは、その「妥当範囲」と「具体的な方法論」が不明確な点だと思います。


これは想像なのですが、電灯さんは「一部のサヨクな人たち」の認識論を論じた上、ホメオパスらの認識論を論じ、その共通点を…ということで「解明」なさろうとしているのではないでしょうか。
仮にそうだとすれば、それは無理筋の議論であり、藁人形論法を駆使することとなると考えられます。
なぜなら「ホメオパシーに強くはまる人」の中にもピンキリいまして、彼らを十把一絡げに論ずることは、認識論からもできないと思われます(思想体系に基づいてホメオパスとなった方もいれば、信仰に基づいてホメオパスとなった人もいます)。単に「ホメオパシーに強くはまっているから」といって、同じメンタリティや認識論の下にあるとは言えないと思います。
そして「ホメオパシーに強くはまる人」と「一部のサヨクな人たち」の認識論を比較・対照する作業でもいくつかの問題点があると思いますが、認識論を論じている電灯さんならばお気づきでしょう。

なお、上記が私の思いすごしであればご容赦ください。


私が(そしておそらくはUnknownさんも)最も問題だと思うのは、電灯さんの「科学」に対する思い込みです。
最初の書き込みからは、方法論である「科学」を認識論のレベルに落とし込み、いわば相対化させているように見受けられますが、それはホメオパスのいう「科学教」というレッテル貼りと同じ事だと思います。「科学」に対する無理解、誤解といってもいいと思います。
まぁ「科学」論争についてはエントリで紹介されている本の最初の方の章や、『疑似科学と科学の哲学』といった本に詳しいのでそちらに譲ります。
また、電灯さんが陥った誤謬も、疑似科学関連のブログのコメント欄ではよく見られます。ご参考まで。

たとえ「現代医療側」と同じ結論が出たとしても、電灯さんの考え方と「現代医療側」の考え方とが一緒だとは限りません。
その点を意識してお話をされるよう強く希望いたします。
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Unknown (電灯)
2010-10-14 02:20:15
もしかして、私は、
私が親ホメオパシー論者である
と8890さんたちにおもわれてるのでは?
と心配になってきました。

もちろん、そういうことはありません。

私は、
なぜ一部のサヨクな人たちがホメオパシーに強くはまるのか
を解明しようとおもってるだけです。
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Unknown (電灯)
2010-10-14 02:04:42
ありゃりゃ、反応がくるとは。



8890さん。私は、とくに自分の考えに「思い込み」があるとはおもってないのですが。

私は、病気治療について、現代医学は、人体の生理・病理・生化学などの基礎医学研究の上にたっているがゆえに、圧倒的に病気治療に役立つ。それでもまだ治らない病気もある。
そのような基礎の無いホメオパシーが効くとはおもえない。そんなものにカネを使う気が知れない。という信念体系をもっています。
大多数の人がおもってるのと同じであり、なにか大きな新事実でもおこれば、ホメオパシーについての考えも変わるかもしれませんが、まあ、そんなことはおこらないだろうな、とおもってます。
8890さんはどうですか?あまり違わないのではないでしょうか?


まあ、いろいろ書くのも面倒なので、
>>科学的根拠の条件は示せますし
とおっしゃるのですから、
【ある治療法が効果があるというときに、
満たさなければならない条件】
を示してみてください。

また、デュエム・クワインテーゼやホーリズムは、認識論の基本となる考え方です。それを理解なさってくだされば、私の言ってることの理解が容易だとおもいますので、できればどっかで探して読んでください。


Unknownさん。
>>誰も科学を「印籠」のようにしてはいないので
「印籠」は、私なりのたとえで、たとえ方が悪かったかもしれません。
たとえば赤旗が
>>「水が、かつて物質が存在したという記憶を
>>持っている」といいます。
>>「科学的な根拠がなく、荒唐無稽(むけい)
>>としか言いようがない」(談話)説明です
というとき、「科学」はそこで議論を終了させる働きをもっています。それを「印籠」と称したのです。が、「科学」を受け入れていないヒトビトにとっては、受け入れがたいでしょう。
なお、私は、この点では、赤旗に完全に賛同しています。
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追記 (8890)
2010-10-14 00:56:02
前のコメントの
>科学の分野をも「哲学」しようとすると
という部分は、科学哲学を否定するものではありません。念のため。
実証的研究という「科学」で答えが出るところを、無理に「哲学」で考えようとするとおかしなことになるという程度の意味です。
「科学」自体を「哲学」するということの重要性については私も一定程度認識しております。
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Unknown (8890)
2010-10-14 00:35:24
電灯さん

電灯さんには珍しく、「思い込み」での論調であるように思います。

科学は方法論であり、信念体系ではありません。「データの解釈について、公平な土俵の上で比べる方法」といえば判りやすいでしょうか。

なので、
>どのような条件がそろえば「科学的根拠」があることになるのでしょうか。
>こう問われると、答えに困る人が多いのではないでしょうか。
>答えを示せても、なんでそれが正しいのか、と問われると、
>要は「権威が言ってるから」以上のことを答えられないのではないでしょうか。

というのは、的外れです。
科学的根拠の条件は示せますし、答えに困ることはありません。またそれが正しい理由は「あらゆるバイアスを考慮しても効果があるといえるから」です。

その点、ホメオパスも一見、同じようなことを言っているようにも見えます。
しかし、彼らが主張しているのは、「実証データはないが体験談の蓄積がある、よって我々は科学的だ」という、おおよそお話にならない主張です(バイアスの完全無視)。

一方、「科学サイド」は、二重盲検など、電灯さんのおっしゃる
>試験が正しくデザインされたか、効果がバイアスなく解釈されているか、統計学的にめったにないことがおきてしまったのではないか、など
の「文句」を排除した形でのデータを根拠とします。


また、電灯さんがホメオパスと他の代替医療とを同一に論じている点も、僭越ながら不勉強だと思います。
他の代替医療には、ものによっては「それらしい根拠がなきにしもあらず」ですが、ホメオパシーには「なし」です。
それがホメオパシーの特殊性であり、有害性です。

まぁ、ホメオパス(とくに寅子系)はもはや宗教化しているといってもいい状況にあるようなので、
>説得しきることはできない
というのは、一面的には当を得ているとは思います(笑)


電灯さんにおかれましては、「哲学」的な思考体系と、科学的な方法論体系とを混同なされないよう、(議論の整理上も)お願いいたします。
科学の分野をも「哲学」しようとするとゲーテの「色彩論」よろしく、徒労の上、的外れとなってしまいますから…
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Unknown (Unknown)
2010-10-14 00:03:10
誰も科学を「印籠」のようにしてはいないので、わら人形を売っている文章ですね。まずはこの本を読んで勉強されることをお勧めしたいです。
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サヨクとホメオパシー その1 (電灯)
2010-10-13 20:13:55
無断転載を咎められたのか、他の理由があるのか。
「怪しい水売りシリーズ」と「無断転載シリーズ」とは、とても楽しみに
読んでいただけに、削除は残念でした。

さて、ホメオパシー問題をよく理解するには、
もう少し深く考察をしておく必要があると個人的にはおもいます。


①【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】なのだろうか。

お玉おばさんも、しんぶん赤旗も、「科学」を水戸黄門の印籠のようにふりかざします。
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】というわけです。
では、どのようなものが「科学」なのでしょうか。「科学」と「非科学」とを峻別する基準は
あるのでしょうか。どのような条件がそろえば「科学的根拠」があることになるのでしょうか。

こう問われると、答えに困る人が多いのではないでしょうか。答えを示せても、なんでそれが
正しいのか、と問われると、要は「権威が言ってるから」以上のことを答えられないのではないでしょうか。


あるいは、この問題を深く考えたことがなく、ゆえに、
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】みたいなことを
平気で言えるのではないでしょうか。

じつは、なにが「科学」かという問題は、20世紀の認識論上の重要な問題でした。
やがてデュエム・クワインテーゼやホーリズムやといった考え方が提出されるに至り、
事実が独立して存在しているのではなく、事実は解釈と切り離せず、
解釈は信念体系に依存するという、言われてみれば当然のことが、
強く意識されるようになりました。
それに従うなら、「科学的根拠」があると感じるかどうかは、結局のところ、その人の持つ
信念体系によるということになります。
なお、実際の科学の発展も、客観的な「科学的根拠」があるかないかという基準に従って
整然と発展したものではないことを、ファイヤーアーベントが、明らかにしています。

さて、「科学的根拠」があると感じるかどうかは、結局のところ、その人の持つ
信念体系による、ということであれば、
【ホメオパシーの信用を失わせる研究が膨大にある】のが示されていたとしても、
ある種のヒトビトには、ホメオパシーの信用を得させる研究もまた膨大にあると感じられるのです。

そういうヒトビトの信念体系の一端は、たとえば、
ジョージ・ワシントンは、血を抜かれすぎて死んだ。当時の医師が
瀉血は最高の医療だと信じていたために。
そして、現代のガン患者は、手術・抗ガン剤・放射線治療に殺されている。今の医師が、
それらがガンに対する最高の医療だと信じているために。
といった具合でしょう。

そういうヒトビトに対して、お玉おばさんや、しんぶん赤旗が、
「科学」を水戸黄門の印籠のようにふりかざしても、
そういうヒトビトは、そもそもそれを、水戸黄門の印籠のように感じられない、ということです。
そういうヒトビトにとっては、お玉おばさんや、しんぶん赤旗が、
【科学的根拠を見ればホメオパシーに効果がないのは明らか】
といっても、それは、
「私の基準に従え。なぜなら私は正しいからだ。正しいったら正しいのだ」
と言っているように聞こえることでしょう。

なお、代替医療の背景にあるリクツはともかく、
臨床試験をしてみて効果に統計学的有意差があるかどうかは、代替医療が効くかどうかの
大きな示唆になるんじゃないの?
という考え方は、すぐれているようにみえます。
手術・抗ガン剤・放射線治療の効果にしてからが、結局それで決めるしかありませんから、それと同じ方法を適用してみよう、というわけです。
しかし、それも、試験が正しくデザインされたか、効果がバイアスなく解釈されているか、
統計学的にめったにないことがおきてしまったのではないか、など、文句をつけようとおもえばつけることができます。
手術・抗ガン剤・放射線治療の効果判定にしても同じような事情の下にあります。
やはり、「その臨床試験だけ」で、(代替)医療の効果判定をすることはできないわけです。

結論として言えることは、科学論争をしても、相手の信念体系が変わらない限り、
説得しきることはできない、ということです。

(たぶんつづく(笑))
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