★☆救う会全国協議会ニュース★☆前北朝鮮統一戦線部要員の 11 年ぶりの暴露(2)

2008-12-09 18:31:10 | 北朝鮮
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2008.12.09-2)独占公開、前北朝鮮統一戦
線部要員の11年ぶりの暴露(つづき)

■列車は国境を越えて

35号室の工作ラインは、以降も呉益済氏に「妻と娘を中国に行かせるから一度
会って見なさい」と誘惑した。呉益済氏が代価のない誠意に対する疑問を提起す
る場合は、北朝鮮の天道教青友党委員長の柳美映との親密な関係を説明するよう
に予め指示されていた。それほどに、戦術案は緻密だった。いよいよ呉益済氏が
本妻と娘に会いたいというメッセージが伝えられると、安京浩は実務本部を直ち
に中国に移した。拉致の疑惑をかわし自発的「亡命」に偽装するためには彼が中国
まで来る過程が問題だった。

対外連絡部は、自らの工作ラインを露出されることがあっても、必ず呉益済の
工作を成功させなければならないという結論に至った。呉益済と中国の北京まで
同行した、アメリカLAにあるチョンクム観光旅行社の代表金充子(55)氏は、そ
れまで対外連絡部が管理してきたアメリカ在住の工作員だった。呉益済氏は、単
純に本妻と娘に会えるという夢に胸を膨ませていて、金充子の助言に忠実に従っ
た。実際に、彼はまったく「亡命」の準備もせず、若干のドルと、いつも持ってい
たスケジュール・メモ、電話番号が書かれた手帳のみを持って出た。後日、彼の
手帳は捜査過程で統戦部の主要資産として押収され、呉益済氏はそこで大きく傷
付けられた。

統戦部の呉益済拉致工作チームは、拉致を自発的亡命に偽装するため、北京に
来るまでの過程は勿論、呉益済氏の電話を利用して不必要な通話を何回もソウル
と交わすようにさせるなど、緻密さをみせた。本妻と娘との隠密な対面だとだけ
信じ、金充子の要求通り行動した呉益済氏は、北京に着いて一時的に心理的な葛
藤を経た。そこで自分を待っているはずの本妻と娘の姿が見られなかったからだっ
た。工作員たちは、北朝鮮の保衛部が越南者の家族だという理由で国外旅行を統
制したので、北京までは来られず中国・北朝鮮の国境線付近で妻と娘が待ってい
ると説明した。これに対し、当時中国にいた祖平統書記局長の安京浩が、秘密裏
に呉益済氏を接触し、これを確言した。

北朝鮮当局の重要職の人士が約束するという話に、どうせ始めた道だから行っ
てみると心を決めた呉益済氏は、統戦部から促された通り、偽装変身までしてつ
いて行った。丹東に着いた彼は、母と娘がパスポートの問題で列車から降りられ
ないという保衛部員の話だけを信じて迷った末、北朝鮮の列車に乗った。

呉益済氏が、列車の中で本妻と娘に会っているその感激的な瞬間に列車はすで
にゆっくり国境を越えていた。北朝鮮の土地を走るときも気づいてなかった呉益
済氏は、窓の外の見知らぬ風景に驚き、この列車が今どこへ向かっているのかと
叫んだ。安京浩は、「平壤に向かっており、呉益済先生は今から民族宗教の交流
や南北統一事業において責任のある役割を担当して頂く」と説明した。その言葉
に呉益済氏は激しく抗議したという。

安京浩は、すでに用意した「呉益済亡命」に関連する朝鮮中央通信社の報道資料
を見せ、呉益済氏は列車の中に外信記者はいないかと叫びながら探した。母と娘
は父に会って、二度と別れないように、このまま帰れば私たちは生き残れない、
と泣きながら哀願した。安京浩は、「将軍様が必ず先生をご案内して来るように
と信頼して下さった」といい、総理の待遇をしてやるとか、南・北宗教交流の第
一線で活躍できるようにすると繰り返して説得した。「呉益済先生が再びソウル
へ戻ることを希望される場合は、いつでも帰られるようにします」という約束も
した。

いつでも帰られるという約束に、呉益済氏は一時間の考える余裕を要求した。
その時間に母娘は彼に縋って涙で対話を交わした。呉益済氏は、半世紀を一人で
生きてきたという本妻と娘の純粋な願いに勝てず、遂に統戦部が作った脚本通り、
平壤駅で短い「亡命声明書」を発表することになる。工作が遂に成功する瞬間だっ
た。

■「総理級待遇」の実状

平壤駅で亡命声明を発表した後、呉益済氏はすぐに紋繍招待所に移された。平
壤市の大同江区域青流2洞の天道教青友党の後ろに位置した紋繍招待所は、亡命
者たちを収容して取り調べる目的で統戦部が管理する建物だ。当初は1989年の第
13回世界青年学生祭典に参加する全大協代表たちと韓国からの人々の宿舎として
使うために建てられた建物だが、亡命者の招待所として使用したいという統戦部
の提議書に金正日がサインしてから、「亡命者招待所」に変更された。

その紋繍招待所の最後の客がまさに呉益済氏だった。呉益済以降は亡命者たち
がいなかったため紋繍招待所は総連を担当する56課の専用の建物になった。韓国
のエイス・ベッドの家具などで飾られ、北朝鮮ではまったく見られない韓国のビー
ルや焼酎も提供されたりする。

呉益済氏は、この招待所を管理する武装警備に囲まれて1年間取り調べを受け
た。調査する間、「総理級待遇をしてやる」という約束を守るという名目で、毎月
呉益済氏に外貨兌換券で7000ウォンが支給された。外貨兌換券とは、ドルの代わ
りに使える交換貨幣だ。当時の公式為替レートは2対1で、7000ウォンだとおよ
そ3500ドルほどだが、無責任な発行により実際の為替価値は7000対100まで落ち
ていた。結局100ドルが、彼がもらった総理級月給の全てだった。

呉益済氏は、「北朝鮮が言っていた南北宗教交流や南北統一への寄与というの
がこのような犯罪者の扱いなのか」と最初の調査から強力に抗議した。しかし、
人権のない北朝鮮での抗議は許容できないもので、調査官は寝る時間まで彼を呼
び出すなど露骨的にいじめた。結局、呉益済氏は約束を守ることを強力に求め、
ソウルへ帰す様にと断食に入った。本妻と娘が作った食べ物も彼の決心を取り戻
すには力不足だった。

ある日、統戦部の第1副部長の林東玉が安京浩と一緒に「呉益済先生の怒りを
解いてあげろ」と言って金正日が送った食べ物だと木蘭館で作った料理を持って
きた。だが、彼が金正日の送った食べ物まで拒否するや、その瞬間から呉益済氏
は、死刑囚のような扱いをされた。武装した人間が寝室にまで立って監視し、本
妻や娘との面会も禁止された。朝の散歩も許されず、二日間誰も訪ねてくる人が
なく、その静寂がもっと耐えられなかったのか、呉益済氏は遂に観光を申請した。
北朝鮮のテレビに映った彼の顔はまさにこの時、撮影されたものなのだ。

■拘束されたのと同様の

観光が終わった後、同行した金容淳書記は、「観光用の乗用車は将軍様が直接
配慮された乗用車で、スケジュールや食べ物まですべて将軍様が選んでくださっ
たもの」だと言った。呉益済氏は、金剛山、妙香山などの名所や指定観光コース
を順次に廻った。それから、北朝鮮当局はベンツ500型の車や個人邸宅まで金正
日が下賜するなど演出劇を行った。

だが、呉益済氏は平壤市を観光したり本を読み人々と面談する過程で、社会主
義の不合理性をさらにはっきりと認識したようだ。外国人が多く訪ねるという名
所を観光中、ある案内員に外貨兌換券1万ウォンを渡し、自分は拉致されたと外
国人に知らせてほしいと頼んだりもした。勿論、そのようなことがなされること
はなく、そのことを届け出た案内員まで姿が消えた。

こんなこともあった。TVを通じて呉益済氏の観光のニュースを見ていた金正
日が、金容淳を呼び、「呉益済の表情がどうしてあのようなのか? あの顔を見
て誰が自らの亡命だと思うだろうか? 明日からTVに出すな!」と指示した。
翌日から呉益済氏は招待所の外へ出られなくなった。それから、呉益済氏は思想
攻勢を受けるようになり、今に至るまでも拘束されたのと同様の徹底した監視と
統制の中で自由を奪われたまま生きている。

北朝鮮に「自発的に亡命」したという人々の中で、「亡命(越北)声明書」を自ら
読まなかった人はいない。故・申相玉監督がそうだったし、彼の妻の崔銀姫氏も
同じだった。「呉益済亡命事件」は、実は黄長X脱北に対応する工作の次元で、金
正日の指示によって統戦部が行ったもっとも近い過去の韓国人の拉致だ。

呉益済工作で、安京浩は労力勲章と国家勲章1級、他の工作員ら2級勲章をも
らった。呉益済の本妻名義の手紙を書く任務を遂行した101連絡所の朴チョルは、
5局19部長から5局長に昇進した。だが、朴チョルは、以後、金容淳書記の腹心
になり、林東玉副部長攻撃の先頭に立ち、2001年の党組織指導部の指導検閲を受
け粛清された。現在朴チョルの代わりに作戦部長の婿チャン・ヘミョンが5局長
になっている。彼は2006年、朝鮮作家同盟中央委員会の副委員長という偽装職役
で南北作家会談の北朝鮮側の代表として参加したこともある。

■金大中はどのようなことを語るのか

いわゆる呉益済亡命が明らかになった後、韓国社会が大きな衝撃に包まれたと
いう消息が平壤まで届いた。黄長X書記の脱北ほどの波及力はなかったようだが、
統戦部は、呉益済の「暴風」を誇張して金正日に報告した。しかし、黄書記の脱北
による金正日の激昂は解消できなかった。金正日は、「金大中ならいざ知らず、
呉益済は黄長Xほどの人物でない」と相変わらず憤怒した。そう言って「呉益済の
拉致にとどまらずに韓国政局を継続的に揺さ振るようにせよ」と指示した。黄長
X脱北のショック以上に、呉益済亡命を誇示できる攻撃的な対南心理戦を展開せ
よ、という指示だった。

呉益済氏の名義の手紙をソウルへ発送する工作は、そのようにして行われた。
韓国では、大統領選挙を控えていた金大中総裁(当時)になぜ呉益済氏が手紙を公
開的に発送したかについて未だ疑問が多いようだ。李会昌氏が政権を取ったら北
朝鮮にもっと不利になるはずなのに、北朝鮮は金大中総裁を困らせた。

だが、当時の統戦部の手紙発送は、大統領選挙用ではなく、金正日の憤怒を和
らげるためのものだった。北朝鮮はすべての政策の上に、金正日の権威や決心が
置かれている独裁国家だ。北朝鮮がしばしば戦略的混同を自ら招くのは、国家と
しての大義よりは金正日の私見に忠実にしてこそ生存できる権力構造の属性のた
めで、それがまさに北朝鮮の社会秩序と体系の順理であるからだ。

当時、呉益済氏の名義の手紙を発送した目的は、大統領選挙ではなく、黄長X
書記の脱北に対応する工作の延長線上のことであり、金大中総裁に手紙を送って
呉益済氏の位相を人為的に誇示するためだった。当時の雰囲気を回想すると、も
し、1998年金大中氏が大統領になれなかったら、北朝鮮が彼に対する「亡命誘引
工作」を実行した可能性もあったと思われる。

北朝鮮は体制の広報や金正日の満足のため多くの南側の人々や日本人を拉致し
てきて、今もそのような国家的犯罪を隠蔽するため汲々としている。大統領在任
中、金正日政権に対して柔和策で一貫し、頂上会談までやった金大中氏は、自分
と親しくしていた人士がまさにその金正日政権によって拉致され現在も監禁と同
様の状態に置かれている事実の前で、どのようなことを語るのかいつも知りたい
と思っている。

以上



★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
●救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ふーん、こうやって救う会が韓国の内政に関わろうとするから (北の麻薬と日本ヤクザの伝統に触れる)
2008-12-10 16:16:37
腹を韓国紙も固めたのか知れないな。
ま、イイんじゃないんですか?
田母神作文から何から、自慰史観主義者の自虐癖は此処百年程の伝統だから。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。