福島の労働者、それから我々(ポールジョバン)/レイバーネットML

2011-04-07 18:32:15 | 社会
フランスの新聞に以下のインタビューを受けました(先日でのルモンドと似た内容だがもっと長い)。
普段もそうですが、今回も、我々の快適な生活のため(冬は暖房、夏はクーラー)自分の健康を犠牲に
している原発労働者は忘れていかないよう、頑張りましょうね。

ところで、原発労働者の健康は、一般我々市民の健康と直接に繋がっていると私
の懸念だが、ノルウェーの研究所が、福島放射線の詳しいマッピングを実施して
ます:

http://transport.nilu.no/browser/fpv_fuku?fpp=conccol_I-131_;region=Japan

ご参考まで。日本ほどじゃないが、台湾や韓国等までも結構広がってます。恐ろ
しい。

labornetjapan の皆さんに伝えていただけますか。

心を込めて。

ポール


「今日福島に働きに行くのは、死を覚悟しなければならない」(その1)
4月5日火曜日、L'humanité紙の記事より

社会学者ポール・ジョバン氏は日本の原発労働者たちの労働条件について、調査
を進めてきた。地震によってダメージを受けた福島原発において、なんとか事態
を収めようと努力する彼らについての彼の分析である。

床に眠り、食事は一日二回、水も制限されている・・東京電力とその下請け会社
は3月11日の地震と津波から危機に瀕している福島原発で先頭にたって作業員
たちについて、わずかの情報しかもらさない。社会学者であり、日本についての
専門家であるポール・ジョバン氏は現場を知っている。
2002年に、原発産業における下請け会社についての研究をした際に、彼はこ
の福島原発の幹部たちと代行の作業員たちについて調査した。この経験の物差し
を用いてジョバン氏は現状を分析する。


インタビュアー(以下イ)私たちは福島原発において今働いている作業員たちに
ついて、何を知っているのでしょうか?


ポール・ジョバン(以下ポ)
逆説的な状況にあると言えます。私たちは今までこんなにも日本の原発について
話題にしたことはありませんでした。しかし福島の原発の、肝心の火山の中心部
についての情報は少ないままです。
10日ほど前までは、海水を散布したヘリコプターのパイロットと自衛隊とライ
トを用いた消防団員の他は誰も見なかったのです。
25日の金曜日になって初めて、全身保護服を着た作業員たちの写真と原発内部
の写真が表に出たのです。そこには制御室のわずかに照らされた様子やコンピュー
ターの部屋までもが壊れきった様子が確認出来ました。この日に三人の作業員は
多大な被曝をし、病院に担ぎ込まれました。この日に初めて我々は下請け作業員
について公式に話すのを耳にしたのです。
しかし原発というものが通常時にどのように作動しているかを知るものは、彼ら
作業員の存在を容易く想像できます。
90%がメンテナンス作業に携わる人員であり、たくさんの被曝をする人々、こ
れは公式発表の数字です。下請け作業員にもいろいろあり、ピラミッドの一番下
には雑巾で原子炉の掃除をする人、使われた保護服を扱う人、この人たちは一番
多くの放射線を浴びます。そして電気工事人や配管工事人などの設置や配管やポ
ンプを確認にくる技術者たちがいます。一番上に東京電力の技術者や管理者やエ
ンジニアたちがいて、よりよい給料と社会保障を享受しています。
彼らのうちの何人かはその場にいなければならないはずですが、今のところ、誰
が何をしているのかは定かではありません。確かなのは、今日までそこで働いて
いたものは例外なく、かなりの量の放射線を浴びているに違いないということです。


イ 作業員が短いゴム靴を履いて作業をして放射能を浴びたと言われています。
この原発では、作業員たちはどのような格好で身を守っているのでしょう?



はい、本当に、ばかげたことに見えますが、このことは同時に東電がその作業員
たちが被るリスクについて、いかに軽んじているかを雄弁に物語るものでもあり
ます。通常の時であっても、原子炉のその部分で作業をするにあたっては、非常
に早く行動してなるべく放射能を浴びないようにすることが大事ですし、それに
は鉛の底のついた靴を履くことが不可欠です。防護服と顔全体を覆うマスクという
ものがありますが、彼らが行わなければならない仕事に対して、これらはよく出
来ているとは言えず、原始的ですらあります。というわけで、必要な防御という
ものがなされていない代わりに、放射線管理と呼ばれているものに頼るわけで
す。これは正しく文字通りのもの、作業員たちが受ける放射線の量を決めたもの
です。放射線管理は原発の安全管理と相反する関係にあります。何故なら、原発
が古くなればなるほど清掃を行う必要があり、人員を修理と維持に介入させる必
要があるからです。
ここに大量の下請け作業員という人たちの必要性が出てくるわけです。日本の特
異性はここにあります。原子力が工業化されたのは1970年代ですが、その黎
明期から下請けに頼るシステムがありました。
これについてはジャーナリストの堀江邦夫氏が1979年に出した「原発ジプシー」
という本、また樋口健二氏が広島と長崎の犠牲者になぞらえた「原発被爆者」という
写真集に証言されています。フランスでも下請け作業員たちに頼ることはこの頃
から行なわれ出しましたが、それが顕著になったのは1988年からです。
この点では日本はフランスの先を行っていると言えますし、このシステムは作業員
たちの健康と原発の安全に多大な影響があり、地震の危険が問題になる前からあった
「異常」や「事故」の繰り返しは、まさにここから来ているのです。


イ 今現在、何人が現場にいるのでしょう?チェルノブイリの処理には85万人
が動員されましたが・・


ポ 10日ほど前には50人からなる4つのチームがあると言っていましたか
ら、200人ほど、最新の情報では600人となっていますね。一週間で数字は
200から600に増えたわけです。さらに一週間後には何人になるのでしょう?
しかしこの数字は消防団員や自衛隊員も含まれるのでしょうから、実際のところ
ははっきりしません。何人いるにせよ、作業員に関しては東電はその下請け会社
の人脈を総動員して地域から、さらにもっと遠くから人を集めざるをえませんでした。
SMSでの募集や、そしてそれがTwitterに中継されたのを見ると、日当一万円ほど
が提示されているようですが、これは一般の若い派遣社員の日当のおよそ2倍に
なるにせよ特別に高額とは言えず、このことは、了承して原発に赴くであろう
労働者の自己犠牲にもかかわらず、東電が給料に関して相変わらず屁理屈をこね
ていることを意味します。

先週、東京新聞は原発で働くよう求められて断った人々の証言を記事にしまし
た。27歳のある男性はかなりいい給料の提示されたSMSをもらいました。しか
し彼には3歳の男の子と26歳の奥さんもいますし、全てを捨てて若死にする
危険に身を晒す気にはならなかったのです。また、原発から40kmのところに
住む58歳の男性は「我々は50歳以上の原子炉内に入ることの出来る人を探
している。
給料は通常よりずっと良い。来たくないか?」という電話をもらったそうです。
この50歳以上というフレーズは、要するに原発で働くのは死を覚悟して来な
ければならないというのを意味しているのでしょう。
私が新聞から読み取ったのは、彼らは地元の人たち、地元が第二のチェルノブ
イリのように、今後30年、1000年と失われてしまうのを何としても避け
たいと思っている人たちだということです。そしてそれは部分的にはもうそう
なっていると言えます。

4月2日、毎日新聞が記事にした東電の社員で作業に携わった人のインタビュー
では、上司と一緒に3月半ばに緊急で呼び出され、困難極まりない作業状況の
様子や、防護服がない為にやむを得ず自分でビニール袋でくるんだり、応急の
防護服を作った様子などが語られています。管理者だけがガイガーカウンターを
身につけていたのです。また別の作業員、彼は下請け作業員ですが、3月11日
にその場にいて、現場をおそったパニックと、殆どの作業員がそのガイガーカ
ウンターを身につけたまま帰ってしまったと言っています。東電は津波によって
多くのガイガーカウンターが使えなくなり、5000ほどあったものが320
しかなくなっていると発表しました。製造元はもうストックがないと言ってお
り、東芝は50個ほどを送ったと言っています。とにかく、悽愴な状況に陥って
いると言えるでしょう。
ある意味、津波の激しさによって理解し得るところもありますが、東電の幹部
や原子力安全・保安院の非常時における備えのなさは、今までの会見での安心さ
せようとするその口調とは裏腹で、特筆すべきところです。今後、フランスの
同業者が呼ぶところの、「実験段階への逆戻り」状態がどうなっていくかを見
守ることになるでしょう。
今のところ、悪夢は福島県全域で続いており、明日は多分東京へ、もしかした
らさらに遠くへと広がるかもしれません。消防団員と自衛隊は漏れる原子炉を水
で満たそうと努力し、汚染された水は海へと流れ込み、チェルノブイリの原発事
故より、さらなる大規模な被害となるであろうことを約束する新たな水素爆発を
避けるために尽力しています。何故なら4つの原子炉の状態は悪化しつつあり、
今の状態はすでに悲劇的なのですから。


イ 原発での労働によって病気になったと認められた被害者はいるのでしょうか?



2002年に私は1991年以降に認められた8つの例を数えました。それ以降
いくつかの例はありますが、あまり知られておらず、それはこの機構の不透明性
によるものです。長尾さんの例を考えてみましょう。彼は福島第一と第二原発
で、1977年から1982年の間働いて、70ミリシーベルトの被曝をしまし
た。1986年から彼はいろいろな症状を感じ始め、歯も抜け出しました。
1998年に医師たちは多発性骨髄腫との診断を下しました。2002年に彼は
多くの支援者に支えられ、労災認定を求め、さらに東電を相手に裁判を起こしま
したが、彼の提訴は2009年あっという間に却下されました。裁判官は提訴に
あたって提出された医師たちの診断書を見ることすらしなかったのです。


イ あなたはチッソが水俣市沿岸に流した水銀汚染についても調べていらっしゃ
いますね。この公害の被害者たちはどのように扱われたのでしょうか?



この二つの災害には大きな違いがあります。水俣では爆発はなく、住民たちは危
険を感じることはありませんでした。恐怖は後からやってきたのです。1920
年代から漁に影響は現れ、魚が減ってきました(これは水銀ではなく、他の公害
物質を捨てたことによるものです)。1940年代から、猫や鳥の死骸を見るよ
うになり、50年代、ついに人間にも被害が及びました。よって危険性の認知に
は長くかかったのです。最初の裁判は69年から73年に行なわれて、チッソは
損害賠償を命じられました。続いてたくさんの裁判が行なわれ、被害を受けた人
々の数は40000に上ると推定されています。2009年7月に損害賠償につ
いての法が通り、被害者の多くはだんだんとそれを受け入れました。1956年
にチッソに対し、被害者たちの最初の動きがあってから2010年まで、完全で
はなくともまあ全体をカバーする賠償を手にするまで、50年以上に渉って企業
や国を相手取った戦いが行なわれたのです。水俣の公害に対する賠償が日本が好
景気だった頃に行なわれたことを考えると、私たちは今の災害状況について、悲
観的な予測をせざるを得ません。一体誰が、このような災害の後に日本がどうな
るかを予測することが出来るでしょう?世界第三位の経済力を持っていた日本は
その地位を維持出来るでしょうか?総理大臣菅直人氏が言ったように、これはま
さに国家的な災害、第二次世界大戦以来、日本が未だかつて経験してこなかった
規模の災害なのです。この場合、賠償の獲得はさらに難しくなることでしょう。


L’humanité紙、4月5日の記事より

インタビュイー Paul Jobin

インタビュアー Anne Roy


拙訳 岡村安純

原文: "Pour travailler à Fukushima, il faut être prêt à mourir" |
Humanite
http://www.humanite.fr/05_04_2011-pour-travailler-%C3%A0-fukushima-il-faut-%C3%AAtre-pr%C3%AAt-%C3%A0-mourir-469314

www.humanite.fr

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 松原 明 mgg01231@nifty.ne.jp
 http://vpress.la.coocan.jp ビデオプレス
 http://www.labornetjp.org レイバーネット
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