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女性・女系天皇容認で議論呼ぶY染色体論とミトコンドリア①/立花隆

2005-11-30 17:24:25 | 社会
言っておくが、私「薔薇、または陽だまりの猫」は「天皇制廃止論者」であり、「女系」だろうが「男系」だろうが無理して残すほどの文化でも伝統でもないと考えている。天皇家に男の子が生まれないなら、この際、滅びていくに任せよう!といいたいのだが、いかんせん、圧倒的少数派なので・・・。立花隆の説は面白かった。ご一読を。
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皇室典範有識者会議の最終報告で、「女性天皇」ないし「女系天皇」を容認する方向がはっきり打ち出された。

世論調査の数字を見ると、国民の大半がそれに賛成しているようである。朝日新聞調査で女性天皇容認78%、女系天皇容認71%、男系維持すべし17%。しかし、一部に強く反対(ないし疑問視)する声があがっている。

反対者の主たる論拠は、「伝統」である。

女系容認は天皇制の根幹を変更することになるのか
天皇制は二千数百年にわたって男系相続によって維持されてきた。それをここにきて、女系容認に切りかえてしまうということは、天皇制の根幹を変更することを意味するが、それでよいのかという主張だ。

短兵急にそれほど大事なことを決めてしまう前に、もっとなすべきことがあるのではないか、ということで、いくつかの男系相続維持のための方策が提案がされている。

主な反対論者は、三笠宮寛仁、平沼赳夫前経産相、渡部昇一(上智大名誉教授)、小堀桂一郎(東大名誉教授)、八木秀次(高崎経済大学助教授)などの保守派論客たちだが、その見解は大同小異である。

要するに、ここまで男系がつづいてきた万世一系の天皇制を維持するために、男系の血の流れを拡大せよということなのだ。

具体的には、男系の血の流れを確保するために、歴史的に活用されてきたさまざまの方策を復活させたらどうかということで、その一つは側室制度を復活させること、もう一つは、戦後一挙に縮小(11宮家を廃絶)された皇族制度を復活させることだ。

前者は、社会的に拒否反応が強く出るにちがいないということで、最近、大声でとなえる人は少ないが、腹の中では、それを復活させるべきだと思っている人が少なくないはずだ。

多産系の側室によって守られてきた「万世一系」
一夫一婦制で男系優先の血統は、生物学的確率の問題として断絶しやすい。

そのため、天皇家にかぎらず、あらゆる権力者の家系で、洋の東西を問わず、側室制度がとられてきた。側室が沢山いれば、嫡子の系統が途絶えても、すぐに庶子の系統をもってそれに代えることができたからである。

実際、歴代の天皇家は実は嫡出子より、庶子のほうがずっと多い。

側室は以前から天皇制国家の公的制度になっており、現存する日本最初の基本法典である養老律令(718年)では、天皇は妃(ひ)を2人、夫人(ぶにん)を3人、嬪(ひん)を4人の、計9人の配偶者を持てることになっていた。

時代が下って、12世紀(平安末期)ころになると、天皇の配偶者は「三婦人、九嬪、二十七世婦、八十一女御」(保元物語)まで許されるようになったといわれる。

そういう時代には、天皇は血統を絶やさぬことが神聖な義務とばかりに多数の配偶者相手に子作りにはげみ、桓武天皇(在位781〜806)は16人の女性との間に36人の子供をもうけ、嵯峨天皇(在位809〜823)は28人の女性との間に58人の子供をもうけた。その他、10人単位の女性に10人単位の子供を産ませた天皇はゴロゴロいる。

そのような多産系の側室によって、万世一系といわれる天皇の血統は守られてきたのである。万世一系とはいっても、いたるところで、子供を産んだ配偶者の家系から遺伝子が天皇の血筋に流れこんできていたのである。

明治、大正時代も皇族が断絶する危機に
側室当たり前(庶子相続当たり前)が天皇家の伝統であったから、明治維新で、皇室が京都から東京に移るとき、女官の女性たちも東京に移転して(明治2年)、皇居にはすぐ「お局(つぼね)」が作られた。しかし、明治天皇は、このとき17歳だったので、まだ側室はいなかった。なにしろ、明治天皇はこのとき新婚ホヤホヤだったのである。

明治天皇は、16歳で即位するとすぐに18歳の美子(はるこ)を皇后に迎え、東京へ移転するに際しても、もちろん彼女をともなってきた。しかし、3年たっても美子皇后に子供ができなかったので、19歳の天皇に18歳と14歳の2人の側室が与えられることになった。

その選定に当たったのは、なんと皇后自身だった。2人の側室は、それからほどなくして、それぞれ男子と女子を産んだが、2人とも間もなく母子ともに亡くなった。

その後明治天皇には次々に側室が与えられ、最終的には合計9人の側室を持った。彼女らによって、計15人の子供を持ったが、多くが夭折し、成人するまで育ったのは、女子が4人、男子がただ1人であった。その一人残った男子が大正天皇になった。大正天皇の生母は、側室の柳原愛子だったから、大正天皇は庶出である。

9人の側室と15人の庶子まで枠を広げても、男系男子の相続にこだわると、成人するまでに育った男の子供はただ1人になってしまったわけである。明治天皇も、父孝明天皇の側室の子供で、庶出子だった(ちなみに、父の孝明天皇も庶出子だった)。明治天皇の場合も、生き残ったただ一人の直系男子だった。

側室がなかったら皇族が断絶する危機は明治天皇のときも、大正天皇のときもあったわけである。

天皇家は女系家族の典型
大正天皇は病弱だったが、妃の節子は健康で多産系であったため、次々に子供を産み、4人が壮健な男子として育った。それが昭和天皇、秩父宮、高松宮、三笠宮である。

天皇家の正室が産んだ子供によって、大正から昭和へ、天皇の位が相続されたわけだが、これは実に150年ぶりのことだった。嫡出子の男子のみに皇族を限定したら、どれほど皇族の維持が難しいかを、この「150年ぶり」という事実が、何よりもよく物語っている。

大正天皇が妃の節子と結婚したのは…

大正天皇が妃の節子と結婚したのは明治33年で、その2年前から、日本に一夫一婦制を確立した民法典が施行されていたため、大正天皇も一夫一婦主義を宣言し、側室を置かないことにした。置かなくても、妃が多産であったため、血統が途絶える心配があるとは誰も考えなかった。

昭和天皇もまた、香淳皇后との結婚(1924年)にあたって、一夫一婦で行くと宣言し、側室を置かなかった。ほどなくして、男子が2人生まれた(平成天皇と常陸宮)ため、このときも血統が絶えることを心配する人はいなかった。

このとき男子がすぐに生まれなくても、昭和天皇には弟宮が3人もおり、そのうちの三笠宮はすでに男の子供(寛仁親王)を作っていたから、将来、男系相続困難になるなどとは誰も考えていなかったのである。

しかし、それからこれだけの時間がたってみると、系図を見るとすぐにわかるが、天皇家は、男子がいかにも少なく、男子が生まれても、その子供の代までいくと女子ばかりという女系家族の典型で、男系男子にこだわっていては、皇統断絶の日が目の前に迫っていることは、一目で明らかである。

天皇制をやめてしまおうというなら話は別だが、天皇制をつづけるというなら、ここはどうしても、女性天皇、女系天皇の容認に踏み切らざるをえない、というのが、有識者会議の報告書のエッセンスである。それは事実問題としてその通りだと思う。

象徴天皇のあり方は国民の総意に基づくべき
天皇に関する議論は、すべて、日本国憲法第1条の、

「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の在する日本国民の総意に基く」

の規定に基づいて考えられるべきだと思う。

要するに、大事なのは、国民の総意であって、それ以外の要素に対する総意ではない。この世の中には、天皇制の廃絶をとなえる人もいることはいるが、いまだかつて、その意見が「国民の総意」に近づいたことは一度としてない。

女性天皇、女系天皇の容認もそれと同じだと思う。国民の大多数がそれを容認する立場にあることは動かないと思う。第一、人口の半分にあたる女性がほとんど全部それを支持するだろう。

そもそも天皇という存在は、歴史的にいって、政治における女性原理の側に立つものであって、男性原理の側に立つものではない。

何をいいたいのかというと、歴史において、明治天皇、後醍醐天皇、後鳥羽上皇、神武天皇など、自ら武人として軍を率いて闘ったマッチョな天皇もいるにはいたが、ほとんどの天皇は、戦場に出ることなど全くない宗教的、政治的、文化的天皇として終始した。

これからの時代、マッチョな武人天皇は全く必要とされない。憲法によって、天皇は政治に関与することが禁じられているから、政治的天皇も必要ではない。宗教的存在としても、天皇家の伝統を守る行為としての宗教的行いをとり行うことは許されているが、それ以上の宗教行為は、やはり憲法上許されていない。

結局、天皇の役目というのは…

結局、天皇の役目というのは、国家をシンボライズする国事行為と、国家と国民統合の象徴として、それにふさわしい存在の仕方で自らを国民の前に示しつづけることといってもいいかもしれない。要するにこれからの天皇は、文化的(民族カルチャー的といってもいい)天皇以上のものであってもらっては困るのである。

そうであってみれば、おそらく、女性天皇のほうが、男性天皇よりはるかにそれにふさわしい立ち居振る舞いを示せるのではないだろうか。

日本の歴史で女帝は「つなぎ」ではない
そもそも、天皇制成立以前から、日本は女性原理によって支配されてきた国なのである。

だいたい、天照大神は、女性であった。天皇家のもっとも遠い先祖と思われる邪馬台国の女王、卑弥呼もまた女性だった。日本国最古の天皇もまた女性だった。--これは推古天皇を意味するが、天皇を始めて名乗ったのは推古なのである。

いまでは天皇と呼ばれているそれ以前の日本国支配者達は、その当時、天皇とは呼ばれず、大王(おおきみ)と呼ばれていた。

最近、男系天皇論者がさかんにいい立てていることは、歴史上これまで8人の女帝がいるにはいたが、それはいずれも男系の後継者がいないなど特殊な事情があるときに、たまたま一時の「つなぎ」としてたてられた女帝であって、本格天皇が登場してくるまでの一時しのぎでしかなかったという主張である。

しかし、これは事実に反する。

女帝が特に多かった、飛鳥時代から奈良時代にかけての時期(7、8世紀)、178年間に16代の天皇がいたが、そのうち、実に半数にあたる8人までが女帝で、そのうちの何人かは(推古、斉明、持統、天明、元正など)、男性顔まけの立派な帝王ぶりを発揮し、日本国の繁栄ぶりを内外に示した名帝王だった。「つなぎ」などでは全くなく、日本が国力あふれる繁栄国家となり、文化的に最も栄えた時代を作りだしたのである。

男系維持論者が喧伝するY染色体論とは何か
最近男系維持論者がさかんにいいだしていることは、男系の天皇がみな神武天皇と同一のY染色体を伝えてきたというところに、万世一系の天皇の本質があるという主張だ。

Y染色体は女性にはなく、男性にしかないから、女性天皇を間にはさんだりしたら、このなにより大切な、神武天皇のY染色体が失われてしまい、万世一系の皇統の最大価値が失われてしまうという主張である。

Y染色体は男性だけに伝えられていくから、男系の直系の天皇なら、神武天皇と同じY染色体が伝えられているはずという主張は半分は正しく、半分は正しくない。







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2 コメント

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女性が天皇になれないのは憲法違反だ (行き止まり)
2009-12-16 13:56:47
 長いから全文読んでませんが、男女同権の憲法があるのに天皇になれるのは男性優先というのはおかしいと思います。
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てか、手っ取り早い話が! (欲呆けほど男系天皇を主張する!)
2009-12-16 16:08:16
簡単じゃん。
「側室の父」になりたいんだよ。
「外戚の権力」って奴を揮える機会が増えるんだってば。
男系を強く主張してる奴等の面が、ソレを物語ってる。
結局、手前ぇの欲望の為だよ。
ま、早い話が、天皇を玩具にしたいんだな!
右翼って何時もソウだから。
「天皇を傀儡に出来る俺様(将来)像」にウットリ!ってキング・オブ自己中。
女系も可な一夫一婦制は、欲呆けが絡む機会を絶対的に減らしちゃって、許せない!から嫌ってだけだ。
神武もY染色体も実は単なるネタ。
アイツ等右翼はソンナ。
何時もソウ。
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