正義のかたち:死刑・日米家族の選択/毎日新聞・連載

2009-02-17 08:42:36 | 社会
1 義母殺された女性、弟が殺人被告に
◇もう人が死ぬのは嫌

今年5月に始まる裁判員制度で、殺人など重大事件の裁判に国民が加わることへの不安が高まっている。死刑判決の言い渡しに直面するからだ。かけがえのない命を奪われた被害者遺族、極刑を言い渡された被告の家族ら当事者は、どう「死刑」と向き合ってきたのか。先進国で死刑を維持する日本と米国。家族たちの重い選択を通し、人の命を奪うことの意味を考えたい。

 ◇「許せない、でも戻らない」
 可愛がってくれた義母を強盗に殺害された女性(40)。殺人事件の被告である弟(33)の情状証人として、名古屋地裁の法廷に立ったことがある。00年11月のことだ。「最初は、弟が許せませんでした」。姉は語り始めた。

 父親は家に寄りつかず、母親は弟が13歳のころ家出した。大阪市内に残された子供ら5人は満足な食事も取れない。すさんだ家庭環境を静かに語った。だが、生い立ちで殺人が正当化されるわけはない。「被害者の方に申し訳なくて」。何度も言葉を詰まらせた。

 今の心境は、と弁護人が聞いた。「できれば、人生やり直すチャンスが弟にあれば」と訴えた。「犯人であっても、もう人が死ぬのが嫌なんです」

   ◇  ◇

 94年9月28日夜。大阪・ミナミの繁華街の雑居ビルで事件は起きた。4人の少年が、路上ですれ違った無職、林正英さん(当時26歳)を405号室に連れ込み、暴行して殺害した。少年らはその後10日間で3人の命を奪う。

 集団で恐喝を繰り返すうち、暴力に歯止めがきかなくなったとされる。名古屋高裁は05年10月、事件の中心とされる当時18~19歳の元少年3人に死刑を言い渡した。弟は、その一人。殺意を否認し、上告した3人に、最高裁は年内にも判断を示す可能性がある。

◇  ◇

 姉の人生を変えた二つの現場。ミナミのビルは15年前の過去を隠すように、4階だけはアルファベットで部屋が表示される。スナック店主だった義母(当時45歳)は88年5月、そこから北へ約5キロのビルで殺された。店があった1階はシャッターが閉まり、近所で事件を知る人も少ない。

 関西地方に住む姉を訪ねた。

 「人が死ぬのは嫌って法廷で言ったのは、夫がきっかけです」

 18歳の時に結婚。四つ年上の夫は、男ばかりの4人兄弟で、義母は「初めての娘や」と周囲に語り、喜んだ。事件の3カ月前、女児を出産。義母は初孫をうれしそうに抱いた。だが、遺体の顔は口元をゆがめ、目を開けたまま。ショックで生理が7カ月こなかった。

 あやめた男は、逮捕時39歳の元自衛官。女と付き合う金欲しさから、事件を引き起こした。奪った現金は1万2000円だった。

 事件直後は、男を殺してやりたいと思った。今も、許せない。ただ、夫の言葉が忘れられない。「死刑にしても戻って来るわけじゃない」。検察側の証人として大阪地裁に出廷した夫は、被告にどんな刑を望むかと問われた時のやり取りを、帰宅後にそっと打ち明けた。大阪地裁は89年3月、男に無期懲役を言い渡し、男は服役した。

 母親思いで、よく自宅から1時間かけて店まで送っていた夫。大切な人を殺されたつらさを知っているゆえに「もう一つの死」を望まないのだと理解した。ただ、法廷で弟の情状を訴えた時、背中に感じた遺族の視線の痛さも消えることはない。

   ◇  ◇

 弟に死刑判決が出た直後の05年11月。姉は買い込んだ衣類を持って、一度だけ名古屋拘置所を訪ねた。泣き虫で優しい印象しかない弟との面会は、涙で会話にならなかった。

 それからは一度も会っていない。「ご遺族のことを考えたら、弟は優しくされちゃだめなんです」。肩が、小さく震えた。拘置所生活で真っ白になった弟の肌が、今も目に焼きついている。【武本光政】

◇連続リンチ殺人事件
 大阪、愛知、岐阜の3府県で94年9~10月、少女を含む少年らのグループが男性4人に言いがかりをつけて暴行し、殺害したとされる事件。最高裁が死刑の判断基準を示した83年以後、複数の少年に死刑が言い渡された例は他にない。

----------------------------------

2 遺族と被告、拘置所で面会
◇別れ際に握手…なぜ

弁護人に付き添われ、面会室のドアを開けた。アクリル板の向こうに現れたのは、160センチに満たない丸刈りの男だった。06年4月、名古屋拘置所。満開だった桜も、葉が目立つようになっていた。

 大阪、愛知、岐阜3府県で94年、男性4人が殺害されたとされる連続リンチ事件。2人目の犠牲者となった建設作業員、岡田五輪和(さわと)さん(当時22歳)の母(71)は、兄弟で一番仲の良かった弟(35)と、息子の命を奪った男に向かい合った。名古屋高裁で05年10月に死刑を言い渡された3被告(事件当時18~19歳、いずれも上告中)のうち、大阪府松原市生まれの元少年(33)だった。

 元少年は1審の時から、10月7日の命日に合わせて毎年、手紙を送ってきた。

 <犯してしまった過ちが大き過ぎてどうしたら良いのか解(わか)らず苦悩するばかりです>

 拘置所の請願作業で蓄えた1万円余りの現金も届くようになった。もちろん、許せるわけはない。だが、謝罪の思いは伝わってきた。死刑判決後、元少年の弁護人から頼まれ、会ってみようと思った。

少年らのグループによる五輪和さんへの暴行は、6時間以上にわたった。愛知県一宮市の木曽川の河川敷に放置され、息絶えた。所持品の中に、べっとりと血がついた10円玉が2枚あった。瀕死(ひんし)の体で電話をかけようとする姿を思うと、母は涙が止まらなかった。

 面会室で、弟が事件の詳細を問い詰めた。元少年は記憶をたどり、小さく答えた。

 「殴ってる時、気持ち良かったか」「そんなことないです」。「何発殴った?」「10発ぐらいです」

 弟の口調はきつかった。ただ、自身も荒れていた時期があったといい、年を重ねての自分の変化も口にした。

 「頑張って出て来い。出て来たら10発殴ってやる。指切りして約束しろ」。アクリル板越しに小指を当てた。

 元少年をじっと見つめていた母も口を開いた。「頑張って償って。出て来たら線香の1本も上げて」。別れ際、母がふいに声をかけた。「握手をしよう」。アクリル板越しに、手のひらを重ねた。

    ◇

 事件から10年余りを経て、初めて言葉を交わした遺族と加害者。元少年は「直接謝りたかった。それで済むとは思ってない」と、言葉少なに記者に語る。

 一方、母の思いは複雑だ。「死刑になったら、それでおしまい。サワ(五輪和さん)の苦しみを(被告に)味わわせてほしい。そしたら人間の命はどういうもんか初めて分かる」。厳しい言葉を吐いた。

 あの時なぜ握手しようと思ったのか。元少年を見ていて五輪和さんの姿が浮かんだのだという。

 「けじめをつけた。いつまでも事件のことを思いよったら、自分が前に進まれん。もう(被告)3人の誰とも会いたくない」。線香を上げ、遺影に言葉をかける日々が続く。【武本光政】=つづく


 ■ことば

 ◇死刑制度
 「アムネスティ・インターナショナル日本」によると、死刑を維持する国・地域は59。廃止した国・地域は、10年以上執行を停止している「事実上廃止」を含め138。廃止が潮流になりつつある。主要先進国で維持するのは、日本と米国。欧州連合(EU)は、死刑廃止が加盟の条件。日本と同様、国民が裁判に参加し、量刑まで決めるフランスやドイツの国民が死刑を言い渡すことはない。

----------------------------------

3 遺族、少年の更生に参加
◇極刑求めて…揺らぐ

カップ酒一つとたばこ1箱、菊の花3本。昨年10月、岐阜県輪之内町の長良川河川敷に、供え物が並んだ。

 少年グループによる連続リンチ殺人事件で、江崎正史さん(当時19歳)と、友人の渡辺勝利さん(同20歳)は、94年10月8日、この河川敷で亡くなった。

 <正史さんをみな様から奪いとってしまいほんとうに本当に申し訳ありませんでした>

 昨年の命日の前日、江崎さんの父恭平さん(64)に手紙が届いた。死刑を宣告された3被告(いずれも上告中)のうち、愛知県一宮市生まれの元少年(33)からだった。供え物は、彼が知人に頼んで手向けた物だ。

 だが、恭平さんは「手紙を素直に受け入れることはできない」と言う。責任のなすり合い、傍聴席の知人に送る目配せ。殺意を否認する3人からは「反省」を見いだせなかった。

 「昔なら『死んでおわびを』と聞けたところであろう。貴様らの口からはそんな言葉はみじんもない」。05年3月、恭平さんは6枚の陳述書を読み上げた。3被告の弁護人の一人は「あの意見陳述で、裁判長の態度が明らかに変わった」と振り返る。05年10月に名古屋高裁が全員に死刑を言い渡すと、恭平さんは検事と握手を交わした。

    ◇

 「君たちが更生しようがしまいが知ったことじゃない。私みたいな人間を出さないために、ここに来ている」。06年9月から、恭平さんは愛知少年院(愛知県豊田市)で少年の更生のプログラムにかかわり、被害者遺族の置かれた状況を訴えている。その決意の背景には、少年院が更生の役割を果たしていない、という疑問があった。

 一宮市生まれの元少年は事件前の1年5カ月をここで過ごしている。事件は、仮退院した7カ月後だった。

 元少年の実母は、生後2カ月で他界。養母からたばこの火を手の甲に押し付けられた。小学3年の時、教師の万年筆が盗まれた。女児がやったのに犯人扱いされた。教師から謝罪はなく、大人への不信感を強めたという。

 拘置中の98年、死刑囚らで作る交流誌に「聖書を学びたい」と投稿。面会に訪れた名古屋市のクリスチャンの女性(58)が、汚れた服を引き取り洗ってくれた。面会を重ね、3年前から、女性を「おかん」と呼んでいる。

 「家族のつながりを奪い、許されないことをしてしまった」。拘置所で「家族」と出会い、奪った命の重さを知った。「生きたい、と言うのはずうずうしい。けど、自分が死ぬことで解決しないのかなとも……」。元少年は、面会した記者に揺れる思いを口にした。

    ◇

 恭平さんは、犯罪被害者の遺族として、命の尊さを訴える「生命のメッセージ展」の活動に5年前から参加している。死刑を求めることは、3人の命をくれ、と言っているのと一緒。サークルにおれがおってもいいのかな。そうつぶやいた恭平さん。

 「死刑を求める気持ちに変わりはない。ただ、ちょこっと揺らぐ部分がある」【武本光政】

==============

 裁判員制度と死刑についてのご意見や連載へのご感想をお寄せください。

 〒100-8051(住所不要)毎日新聞社会部「裁判員取材班」係。メールt.shakaibu@mbx.mainichi.co.jpまたは、ファクス03・3212・0635。

==============

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090217ddm041040129000c.html


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。