10月5日、かつて籍を置いていた(1993年~96年)早稲田大学空手道糸東会の創部55周年記念式典に参加してきました。コロナ禍その他の事情により50周年は行われず、今回の55周年は50周年も兼ねた大規模なものとなり、レセプションには現役、OBOG総勢100名を超える関係者が出席しました。今や僕もその歴史から見て前半の部類に属するOBになりました。
*早稲田大学空手道糸東会45周年
*早稲田大学空手道糸東会40周年
第1部の合同練習は、江東区辰巳にある日本空手道会館で行われました。2011年にできた施設だそうで、訪れるのは初めてです。
初めに、教育武道拳心館、早稲田大学空手道糸東会名誉会員の岡村康秀先生による空手セミナーが行われました。前半は講義形式の「礼法」について。座礼、立礼ともに武道にあっては当然その作法に武的意味があるわけですが、それでも明治の近代化と共に入ってきた西洋式礼法(例えば、結び立ちや「気を付け」の姿勢)が大日本武徳会によって取り入れられていたりして変質しているということを学びました。驚いたのは、今日「正座」とされる座法が太平の江戸時代になり、むしろ武的要素を取り去る「恭順」の座法として茶の湯から取り入れられ、それが明治になって「正座」とされたということです。確かに正座は、武的に見れば不合理極まりない座法ではあります。しかしながら、座礼の作法については手のつき方や呼吸法(これまで思っていたのと真逆でした)など、武的意味を保ったものが受け継がれています。尤も、僕のように今日に至るまで礼法をきちんと学んできていない人たちが恐らく大勢いるわけですが…。文化的礼法としては、煎茶を多少齧ったことがあるのですが、それとの明確な違いも興味深いものでした。
後半は型(形)について。まず、那覇手系の流派に見られる、三戦、転掌といったいわゆる「鍛錬型」と呼ばれる方ですが、実はあのガチガチに力を入れて文字通り「鍛錬」するイメージは、体幹を鍛え、身体各部を連動させるためのもので、最終的にはどんどんと脱力する方向に向かうそうです。脱力とは、ただ力を抜くというのではなく、丹田を起点として身体を連動させ動けるようになった結果のことです。したがって、三戦、転掌にせよ、十八や征遠鎮といったその他那覇手の型にせよ、それらに含まれる技はすべて脱力した運用になります。しかし、実際に技の威力を目の当たりにし仰天。自分でも少しやってみましたが、力んだのでは却ってできないということが身をもって分かりました。
つづいて、合同稽古。ちなみに「稽古」という言葉も、「古を稽(かんがえる)」が語源で、先人の教えを工夫・研究をすることを意味するそうです。基本の移動稽古の他、平安二段、抜塞大の型、打ち込み稽古を行いました。
一応、「真面目に稽古参加していました」といった感じの写真が撮られていたので、載せておきます。なお、当日は「意外と身体動くじゃん」と思っていたのですが、左足の中指は内出血で腫れ上がっているし、翌日は筋肉痛で、やはり鈍った身体は誤魔化せませんね。
現役諸君による型演武。今回は全日本空手道連盟第一指定型である、慈恩(松濤館)と抜塞大(糸東流)でした。
最後は、現役とOB・OGによる組手対抗戦。現役諸君の多大な配慮のおかげで、OB・OGは30代の比較的若手から、上は糸東会黎明期を担われた70歳を超える先輩方までが楽しく参加することができました。
30年前とはルールも大きく変わり、戸惑うところもありましたが、本当にいい交流でした。現役の皆さん、ありがとうございます。
第2部は、早稲田のリーガロイヤルホテルに場所を移し、レセプションが行われました。
以下のご来賓の皆様よりご祝辞を頂戴しました。
・糸東会理事長 北原三造様
・創誠会師範 中山雅一様
・東京都糸東会会長 新井敏仁様
・株式会社チャンプ 井出将周様
また、長年ご指導いただいた中山師範とご子息の純先生には、サプライズで感謝状と記念品の帯が贈呈されました。僕も学生の頃はご指導いただき、稽古の後はいつも美味しい大ジョッキをご馳走になっていました。
5年後、60周年の時には今の現役生の皆さんにぜひOB・OGとして大勢ご参加いただきたいと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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