BUZ LIFE

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妹飲み

2006年04月11日 | Weblog
ソファーでいつの間にか意識を失い、気づいてみると2:30。テーブルの上にはコップが二つ。そういえば、妹とチューハイを飲むとか飲まないとか言っていたような気がする。

冷蔵庫に白桃の氷結があったのでそれを飲むことに。一本を二人で分ける。何度か一緒に飲んだことがあるが、相変わらず相手は眠そうだ。しゃべるのはほとんど自分。

「恵まれているよね」というと怪訝そうな顔をした。二人で公立ではなく”私立”の中高に通い、4年制の大学にも入ることができた。住んでいる所も申し分ない。このような状況が経済的に「恵まれているね」と言ったのだが、そのようには感じていないようだ。「当然のこと」のように思っているようで、どれだけここまでの学歴をつみ、今の生活ができるのにお金がかかるのかまったく知らない妹に、正直びっくりした。

「うちはかなり恵まれているよ」の言葉にやはり釈然としない様子。私立の中学に子供一人入れるために、母親は働きに出、保険を解約したり、自動車を売り払い、「決死の覚悟」をする家庭もあるというのに。うちは普通じゃない、ということにまったく気づいていなかったようだ。そしてこれからも実感として持つことはなさそうな感じ。そういう家庭との関わりはないし、周りの友人も同じように恵まれている人が多い。普通に生活し、普通に勉強し、普通に遊んできただけだ。自分を含め、いまある状況について、相対的に眺めるのはなかなかできることはできない。「たまたま」親の稼ぎが少しよかったに過ぎない。

「格差社会」。確かに実感としてはなかなかもてないが、現実に経済的な格差は存在し、それはひいては教育の機会の格差にもつながっている。妹のように自分の立場を正しく把握できていないような人はより多く、恵まれている方に所属しているのかもしれないが、日本の全体の状況を把握し、果たして今ある状態が最善なのか、見直してみることは必要であろう。少なくても格差がある社会は全体の幸せが実現されているとは言いがたい。

難しいのはそれに気づいたからといって、はたしていったい自分に何ができるんだ、ということだが・・・。