Happy-sanになろう!

Happy-sanな日々をご紹介するブログ。旅のお話もいっぱい♪

北京 故宮散歩

2007年11月11日 | せずにはいられない・・旅の話
北京 故宮散歩







北京での仕事は午後から。

午前中はゆっくり寝坊しようと決めていたのに
なんとも律儀なカラダは

いつもの起床時間6時ぴったりに
目を覚ます。


部屋ですこしゆっくり朝食を
とった後、

”行ってみようか
故宮の中まで、散歩しに。”





北京といえば・・・このショット





私の今回の宿泊先は
王府井の入り口にある新しいショッピングモール
<東方新天地>の一角にある

<北京 東方君悦大酒店>

これが、
グランド・ハイアット・北京の漢字バージョン。


地図の上では、”お隣り”のような
近距離でも、
ここは中国。 

ワンブロックがとてつもなく広く、
一つの建物がどかん、どかんと大きい。





故宮までの広い広い、散歩道




すこん、と晴れ上がった空は
ニュースで報道されるような排気ガスに覆われたようには
到底思えず、

広い大地の、乾いた土地の、
ひたすらに続く、青い空だった。


”北京のルイ・ヴィトンには長蛇の列が
出来ている。”


”一家に車が3台はある。”

と日本にいる中国人から聞いていた。

それほどまでに経済発展がすごいのかと
思っていたけれど、

6月に上海に行った時同様、
今回も私の感想は

”そんなでも、ない。”

つまり、ベンツも走っていれば
ティファニーやら、コーチやら、
ダンヒルやら、すべてのブランドの店は
確かにいっぱいあるけれど


お化粧もせず、真っ赤に頬が日焼けした
親子やら、おじいちゃん、おばあちゃんやらが
それこそ
街中、いっぱい、いっぱいあふれていて

天安門広場にも、故宮にも

数十年前の日本の”農協ツアー”と
言われたのと同じような、同じ色の帽子をかぶった
農村からの観光客がごったがえしていた。




天安門広場は人で埋まっていた



20年前、北京に来た時は
確か6月頃で気温は40度あった。

今のように一般の観光客がいない
静かな故宮、
紫禁城は本当に神秘的で

行けども行けども、同じ建物が続き
赤い壁の迷宮に
時を忘れて、たたずんだ記憶があった。








ラッシュアワーの山手線のような
人並みに押されて、
やっとの思いで故宮の中に入る。


静かで、誰もいなく
ただひたすらに清王朝の抜け殻となっていた
以前の故宮を散歩したいと思っていた私は

ここでまた改めて
中国の人民の多さに圧倒される。


正月の新年一般参賀以外の皇居や
たとえば京都の御所に

日本人がこれだけ詰め掛けることは、ないだろう。







幾重にも幾重にも屋根が連なる。
歩いても歩いてもあの静かな回廊に
たどり着くことができない。


”ちょっと朝の散歩”

どころか
ホテルを出発してから、歩いて、歩いて
既に2時間半がたっていた。


・・・やがて、団体の観光客の
ざわめきが聞こえなくなり、
人もまばらになってきた。










ずいぶん、城の奥のほうまで来たのだろうか。

やっと、静かな赤い回廊が
めぐらされた場所にたどり着く。


ここは本当に迷路のようになっていて
入り込んだら、帰ってこられないような気さえ、する。

どこかからか
胡弓の音が聞こえてくる。

のんびり、煙草をふかすおじいちゃんや

ただ青い空をぼんやりながめているおじさん、

椅子に座ってなにやらおしゃべりに夢中な
女の子たち・・・



ぽつりぽつりと見える人影をみつけては
少し安心しながら、静かでひたすら続く
同じような建物の裏道を潜り抜けていく。




・・・ああ、私はここに来たかったんだ・・・











20年前の北京で一番好きだった場所に
再び来ることが出来て、

そこで、私は不思議なパワーを頂く。



そして、くるりと向きを変え、
来た道を戻る。

時計は既に正午を過ぎていた。












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北京へ

2007年11月07日 | せずにはいられない・・旅の話
北京へ





明日の朝一番の飛行機で、北京へ。

20年ぶりの、北京。

そういうと、20年前に北京に行ったのは
スゴイ  、と言われる。


そうあの頃は、

超一流のホテルでもお湯が出なかったり

ビールは冷やして飲むという理解がなく
どこに行ってもぬるいビールが出てきたり

もちろん、お手洗いは×××・・・。

みんな自転車で移動していたのに
今はきっとみんな自動車







中国は、”赤”のエネルギーが強い国。

国旗も”赤”だけれど

エネルギッシュという意味でも
そして
サバイバルの問題という意味でも。


それは、6月の上海で感じたこと。


オーラ・ソーマ的にいうと

マジェンダ色(~愛と配慮~)の日本人である
私達のエネルギーと

同じアジア人でありながら、とても違いを感じる。


それが、おもしろいの、かな








数ヶ月前に、私が北京行きを決めた頃。

息子のナーサリー(保育園)時代の
ママ・フレンド、イサコさんから突然
連絡が来た。


イサコさんは、外務省はじめ
国際交流関係の諸団体向けの雑誌の編集長だ。

イサコさんから、私のインタビュー記事を
載せたいとの取材依頼があり、

イサコさんはお友達だし、
快く引き受けて、インタビューというより
”おしゃべり”をした取材だった。

モチロン、関係者向けのものなので
私のまわりで読んだ人もいなければ
”出たのよ”というほどのこともないので
誰にも見せずにいた。


・・・ところが、突然、ある人からメールが届いた


”こんにちは。覚えていますか?”と。



なんと、高校時代の1学年先輩の
ヒロユキ先輩からだった。

ヒロユキ先輩は、超秀才で
ストレートで、東大、その後外務省に
入ったことまでは知っていた。


”僕は今、北京の日本大使館で
参事官をしています。

貴女の記事を雑誌で読んで懐かしくて
メールしました。”


・・・・・・・・



ほらほら、きたきた


外務省の方向けの雑誌の中に私の
記事を見つけて、読んで下さったのだ。



今回、私が携わっている中国関係の仕事は
とにかく、

”人がつながる”。


色んな出会いがある上に、その出会った人同士が
どこかでみんなつながっている、という

不思議現象だらけなのだ。

そして、

20年ぶりに北京に行こうと決意した矢先に

20数年ぶりに連絡があった
高校時代の先輩が、北京にいるという。


”実は、11月8日に北京に行きます。”

と返信すると、

先輩も驚いたように、でも忙しい公務の中

”お会いしましょう”

ということに。 



ヒロユキ先輩は、あまりに優秀だったので
恐れ多い方だったし、
穏やかで、おとなしい先輩だった・・・


ヒロユキ先輩の知っている私は・・・
ガキ大将で、演劇部でおかしなことばかり
やっている・・・
きっとそんな後輩。




 Red Dragon



ひとりで北京へ行くなんて
あいかわらずチャレンジャーだなあと

自分で改めて感心する。


疲労気味の体を何とか

”レッド”の国のエネルギーに負けないように

気持ちから、持ち上げて、


行ってきます









よいかげん

2007年11月04日 | work
よいかげん





11月は例年とても忙しい。

”忙しい”とは

ココロを亡くすことだ、というから

なるべく使わないようにしている言葉なのだけれど。




クリスマスの準備、お正月の準備、

お歳暮の準備、冬のメニューの準備、

七五三、ボジョレーヌーボーの解禁・・・



やってもやっても降り積もるように
仕事が重なるのを知っていながら

今年はまた<二足のわらじ>を履いていて

それがまた11月に重なった。


ひとつは、お店のオープン。

そしてもうひとつは

中国での演劇公演の実行委員。



・・・ここまで読んでくれた
友人のナナちゃんはきっと心配しはじめる。

”・・・そろそろ、気をつけないと。”と。


昔から、私が一見、丈夫そうに
強健そうに見えるので

結構色々引き受けてやっているのを見ていて

そろそろいわゆる”限界”に達しそうな兆しをとらえて
気遣ってくれたのを、思い出す。









今日は不思議な空洞のBOXに入ったような、
気がした。


週末の休みがとれなくなって3週目に
突入して
今週いっぱいはどうしても倒れるわけには
いかないので、
すれすれのところで、精一杯・・・という
微妙な体力調整の中、
明日オープンの店の準備に向かった。


そこで突然、

自分が空洞のBOXの中に存在しているような
錯覚に、陥った。


そう、こんな、感じ・・・


”私は、何をやっているんだろう・・・。”


自分ではギリギリの時間の中で
やっているような”つもり”なのだけれど

実際、私がいなくても

すべてのことはきちんと運ばれているような・・・。










ふっ、 と


そのBOXから抜け出した感覚の後
思い直す。

”よいかげん”でいいのだと。




何でも自分でやらなくてはいけないと思って

出来ない自分に自己嫌悪を感じたり
あれもこれもこなさなくては
一人前ではないのではないか、と
自分をせきたててみたり、焦ってみたり・・・




みんなそれぞれが、自分に出来ることの場を
求めて集まってきてくれていて

それがひとつの形になっていく。


私は、それを全体として、捉える。

それが、私の役目。


”いいかげん

いえいえ、それが、

私の”よいかげん”で良いのだと。












山羊座で、A型人間の私にとって

この”よいかげん”を自分で感じることは

とても大切だ。



”いいかげんな人。”
”いいかげんにしなさいっ!”

といった時に使われる

”いいかげん”とは、”よいかげん”のこと。






*”いいかげんで適当な人になる”というのは

”よいかげんで自分の能力に見合った
 自分の生き方をする”

という意味になるという。


いつも背伸びをして、

自分の限度ぎりぎりの生き方をして

もっと、もっと
まだまだ・・・と言っていると

つま先が傷ついて立っていられなくなる。


だから、足を地につけてつま先立ちしないで
生きていく。

それが”よいかげん”なのだいう。






さあ、今日のおしゃべりは
このへんが

”よいかげん”なので、


そろそろ眠ることにしようっと










*小林正観さんの
<宇宙を味方にする方程式>を
参考にしました*



























オープニングあれこれ

2007年11月03日 | work
オープニングあれこれ




5日に新しいお店がオープンする。


このお店をつくるにあたって、

ビルのオーナー(社長)様から

”おじさんとおばさんが来ないような店にしてほしい”との

要望が出された。


つまり、ターゲットを20代後半から30代までの
女性にしぼった店づくり、という条件。


そこで、30代の感度の高い女性3人に
今回のお店に限って、全面的に携わってもらうことになり

可愛いヨーロッパの別荘のような
お店が出来上がった。


ここ数日は、スタッフ研修。

ロールプレイングではお互いに”気づき”を
与えるプログラムで、
緊張して泣いちゃう人もいれば
言われたことを瞬時にマスターしてしまう
すご腕の人までさまざま。

でも、みんなとっても、真剣










試作・試食も数度繰り返されてきた。

うんとお腹をすかせて挑むのだけれど

全メニューを一度に試食していくのは

さすがに・・・




女性のちょっとした”わがまま”や

女性のちょっとした”よくばり”を

男性陣の調理場スタッフに伝える。


今回のお店の立ち上げはその連続。




今日はスタッフ全員で、全てのメニューの
試食と盛り付けの確認をする

<Food Show 







だいぶオープンの準備が整ったレストラン・フロア



韓国料理の店、 上海の点心の店、

かまど飯の店、 イタリアン、

うどん屋さん、 豚肉料理の店、


うなぎ屋さん、 お寿司屋さん、

そして私達の、<洋食屋さん>。



かつてのレストラン・フロアのような

何でもござれ、の

ファミレスタイプのものはなく

それぞれの店は <食文化>を

売っているように、思える。








今回のお店に携わってくださった
女性3人は

きれいで、パワフルで、

さしずめ、”チャーリーズ・エンジェル”

というところ。

その中に一人、美大卒の女性がいる。

彼女の選んだ食器やコスチュームは

”女の子が大好きなお店”にぴったり



私は前の会社でも

同じ部署の女性の先輩は”美大卒”ばかり。


何か企画を考えている時でもすぐに

手元はその内容のイラストを書いていたり、

色彩のセンスはもちろんいいし、

発想が面白いし、堅苦しくないし・・・

いわゆる”OL”とは一線を画した装いもまた特徴的だし。


とにかく、私は女の子だったら
美大に進むのをオススメしたいくらい、

美大卒の女性たちとの仕事は楽しいし
勉強になることが、多い。

もちろん、美大卒のママもとっても活躍する。

子供達の似顔絵や、動物のお面づくりなど
ささっと出来てしまうので、
PTA活動にはかかせない存在感を発揮する。









一つのお店をたちあげるのには

たくさんのエネルギーが必要。

それは、

お金だったり、知恵だったり、協力だったり・・・。



今日の研修でも

みんなが真剣に仕事を覚えようと
集まってくれた

その姿に、

なんだか胸がいっぱいになった



そんな時、

私は、ただただ、目の前のすべてのことに

<感謝>なので、ある。


















ココロ震える音

2007年11月01日 | 映画・コンサート・演劇
ココロ震える音







貴方は最近、ココロ震える音楽

何か聴きましたか?


私は、上妻宏光さんの津軽三味線。


私が、津軽三味線って
思った方もいらっしゃるかもしれないけれど

私は、結構 JAPANESE。




炊き立てのご飯と梅干が大好きで

列車に乗って、神社と温泉めぐりが大好きで

将来は、一日中、

墨を磨って、書をたしなむ暮らしをするんだ















上妻宏光さんの、アルバム~蒼風~の中に
入っている

<風林火山~月冴ゆ夜~>


ひんやりとして

すこし寂しげな

この秋の日には、ひときわココロに響いてくる。




<風林火山>は今年のNHKの大河ドラマで
千住 明さんの作曲したテーマ曲の
素晴らしさを以前、ブログでも書いたけれど

その千住 明さんの曲を津軽三味線で
奏でたものだ。

以前、大河ドラマ終了時の
史跡紹介のコーナーで流れていたので
ご記憶の方もいらっしゃるかもしれない。

とにかく、最初に聴いたときに

ドラマそのものよりも、
この津軽三味線の音で、
ココロが震え、そして

なぜか、

遠い記憶の哀しみや憂いや想いや・・・

そういうものが語りかけてきているように感じた。



私は、

何度も、日本人として、生まれてきているのだそうだ。


だから、その頃のことが
この切ない津軽三味線の音に共鳴してしまうのかも、

しれない。














この津軽三味線の上妻さんにしても

書の武田双雲さんにしても

日本文化に深く根ざしていながらも

今の時代の光をとりいれて

自由な表現と世界に通じるスピリットを感じる。




<日本文化>

私達が、日本人である誇りを持って

世界と会話するツール。





秋の夜長に、

おすすめの、上妻宏光さんの

津軽三味線