特定非営利活動法人白河花里倶楽部れぽーと

東北の南端福島県白河市で活動するNPO法人。2017年10月より、動物関連はアメブロ「花里れぽーと」で更新致します。

白河発「街角(まちかど)自給族」

2010-05-17 13:48:02 | 白河ガーデン自給族


自給自足の生活に憧れる人が増えています。また、都会でもベランダや庭の一角で野菜栽培を始めたり、市民農園で野菜栽培を始める人が増えているそうです。白河のホームセンターでも例年よりたくさんの野菜の苗が販売されています。日本中が野菜栽培ブームでしょうか。

さて、自給自足と言えば数千坪の土地が必要だと考えてしまうと思います。少なくとも500坪は必要?と思って当然でしょう。しかし、自給自足に挑戦した思想家のソローは違った考えを持っていました。30坪位あれば自分一人分の野菜を栽培できると著書「森の生活」に書かれています。30坪なら!と考えました。街角で自給できるかもしれない。これが街角自給族です。

家の庭は単純に計算すると約100坪あることになりますが、物置やら何やらがあり、実際に野菜を栽培するのは、20坪~30坪です。その上、日当たりも悪い。この条件で最大限の努力をしてみようと考えています。私の祖父母は開拓農家で、母は北海道生まれでした。現在も北海道に親類がいるそうです。その後、県南地区に戻りましたが、祖父に先だたれた後、女手ひとつで4人の子どもを育てあげました。女性が一人で農家をして子どもを育てるということは大変なことだったそうです。祖母には「母子家庭」という言葉が似合わない。本当に強い女性でした。その祖母の口癖は「土を遊ばせるな」だったと記憶します。梅の木を植える、大根の種をまく・・・それが人を生かすことを知っている人でした。現在、土を耕しながら私は2人の祖母を思い出します。2人とも農家出身で、土を耕し家族を養いました。強い女性でした。

現在、消費社会の中で、消費するために働く人たちがいます。しかし、お金が入らなくなった途端に絶望し自殺する人もいる。昔の人は、お金はなくても生きた。食べるために働くことは昔も今も同じ。現在は「食品を買うお金を稼ぐ」ことが働くことなら、昔は「食べるものを栽培する」ことが働くことだった・・・と思うのです。現在も貧しい国では、生きるために水を運ぶことが一日の重要な仕事になっています。時々テレビで見る貧しい国に生きる人たちの笑顔は、日本の若者の笑顔より輝いて見えるから不思議です。豊かな国に育った人の中には、「そんなつまらない生活」と切り捨てる人もいるでしょう。でも、自然は日々変化し、人を包んでくれます。これが人を癒し活かすのだと実感しています。

さて、私の街角自給のアイディアを時々紹介したいと思います。

写真は「イチゴ」です。イチゴは増えるんですよね。困るほどに。そのため、プランター栽培にしています。また、真夏は半日陰の方が居心地が良いようですので、邪魔にならない場所に置いています。その他、鉢植えの根元もイチゴです。収穫した後は、「イチゴジャム」「イチゴ酒」に利用します。もちろん、生で食べても美味しいです。



現在、裏庭の花木を移動させ、空いたスペースにポタジェを造っています。ポタジェはフランス語で家庭菜園を意味するそうですが、畑的な菜園ではなく装飾的な菜園という意味合いもあるそうですね。古レンガで小道を造りました。これは雨の日でも雪駄履きで野菜を収穫しに行けるようにです。まずは「里芋」を植えました。

自給するには、計画栽培が必要です。トウモロコシ・キュウリ・トマトは多めに栽培する予定ですが、これは加工・貯蔵のためです。キュウリは古漬けにして冬に食べる。トウモロコシとトマトは冷凍保存。また、じゃが芋、里芋、カボチャなどは日持ちするので、たくさん作って冬に食べます。冬の食糧、来春の食糧を考えて栽培するのが「自給族」です。



庭のバラにアブラムシがついています。家の庭は、バラも野菜も無農薬栽培。何があっても薬剤散布はしません。アブラムシがついて数日後、テントウムシが現れました(写真の奥にいます)。次に何が起こるのか・・・これを見守るのも庭仕事の愉しみとなっています。

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