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大徳寺・(・臨済宗大徳寺派の大本山)・・その1

2007-05-20 12:52:30 | 神社、仏閣、名所、
大徳寺

大徳寺・・臨済宗大徳寺派の大本山。山号、龍宝山、本尊、釈迦如来、
元応元年(1319)大燈国師が開き、後醍醐天皇の勅願所と成り庇護を受けたが、対立した室町幕府足利義満に格下げされ、応仁の乱で。荒廃し、その後一休禅師が再興、豊臣秀吉が織田信長の葬儀を盛大に挙行し、その菩提寺として、総見院を建立、それ以後武将による塔頭建立が相次ぎました。千利休の帰依を受けて以来、茶道との関わりが深く千家の菩提寺が有り殆どの塔頭に茶室が有り「大徳寺の茶面」と称されています。

伽藍
勅使門、三門。仏殿、法堂がほぼ一直線に並び中心伽藍の北、南、西に20ヵ所以上の塔頭寺院が建ち並んでいます。(残念なことにこの伽藍は、非公開の為外から見える範囲にしかご案内することが出来ません)

勅使門・・重要文化財
慶長年間(1596年~1614年)建立の御所の門を下賜され寛永17年(1640年)に移築されました。

三門・・重要文化財
2階建ての門、連歌氏宗長の寄進、享禄2年(1529)下層のみが竣工天正17(1589)千利休が上層(2階)を完成。利久は、上層に自身の木像を安置しました(門をくぐるものは、利久の下をくぐる事になり)これが豊臣秀吉の怒りを買い、秀吉はこの事を楯に利久に自決を迫ったと言います。



仏殿、法堂、ともに・・重要文化財
唐門・・国宝・・秀吉の聚楽第の遺構と伝えられ加齢な装飾彫刻と色彩を持つ桃山建築ですが伽藍奥深く目にすることは出来ませんでした・
仏殿の前に大徳寺が創建されたと同時期から植えられていたと言う「大イブキ」が今も勇壮な姿を見せていました。クリックの後、茂みの中にかいま見える法堂です
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伽藍の中の様子・・法堂から本坊へと続く渡り廊下と中庭の様子と・・伽藍横の参道です
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今回、見学することの出来なかった伽藍内の様子本当に残念でした。でも、千利休と大徳寺少しずつですが勉強することが出来良かったです。
次回は、大徳寺塔頭寺院の様子を少しずつご案内できればと思って居ります。