城南宮
平安遷都にあたり、都の南の国の守護神として創建されました。
平安時代の末、応徳3年(1086)に白河上皇が壮大な鳥羽殿を造営した時、鎮守杜として崇めたと言われています。
祭神は、国常立尊、大国主命、息長帯姫命・・・
熊野詣に先立ち道中の安全を祈って城南宮で身を清め出発すると言う慣わしと成り古くから方除けや度の安全を願う神として現在も信仰を深めています。
承久3年(1221)に、後鳥羽上皇が城南宮離宮の流鏑馬揃えと称し武士を集め承久の乱を起し、慶応4年(1868)正月城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が鳴り響き鳥羽、伏見の戦いが始りました。
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マウスオンの後クリックして下さい。本殿は、平安時代後期の様式、流れ造りの本殿です
曲水の宴
狩衣や小袿と言った平安貴族の装束を身に付け歌人がせせらぎの辺に座り川上から童子が流す盃を歌人は流れて来るまでに和歌を短冊にしたた、盃を飲み干します。
歌会や宴、船遊びや競馬がしばしば行なわれ王朝文化が、繰り広げられ今も王朝風俗を再現する「曲水の宴」などが行なわれています。(今年も4月29日に行なわれたのですが残念ながら当日行く事が出来ませんでした。宴の様子は、屏風の絵をご覧に成って下さい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ba/9cbcb996ff2c5409217baee8dd88b4a8.jpg)
神苑、楽水苑のお庭
春の山、築山の一つで春の草木が咲きます。平安の庭、室町の庭、桃山の庭、離宮の庭と、五つのお庭に別れ夫々趣が異なりました。
サムネイルにマウスを当ててください。タグは、non_nonさまにお借り致しました。(id,aa9,bb9)
平安遷都にあたり、都の南の国の守護神として創建されました。
平安時代の末、応徳3年(1086)に白河上皇が壮大な鳥羽殿を造営した時、鎮守杜として崇めたと言われています。
祭神は、国常立尊、大国主命、息長帯姫命・・・
熊野詣に先立ち道中の安全を祈って城南宮で身を清め出発すると言う慣わしと成り古くから方除けや度の安全を願う神として現在も信仰を深めています。
承久3年(1221)に、後鳥羽上皇が城南宮離宮の流鏑馬揃えと称し武士を集め承久の乱を起し、慶応4年(1868)正月城南宮に陣を構えた薩摩藩の大砲が鳴り響き鳥羽、伏見の戦いが始りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/34/47f5c6450d749557983e7881ef01937a.jpg)
曲水の宴
狩衣や小袿と言った平安貴族の装束を身に付け歌人がせせらぎの辺に座り川上から童子が流す盃を歌人は流れて来るまでに和歌を短冊にしたた、盃を飲み干します。
歌会や宴、船遊びや競馬がしばしば行なわれ王朝文化が、繰り広げられ今も王朝風俗を再現する「曲水の宴」などが行なわれています。(今年も4月29日に行なわれたのですが残念ながら当日行く事が出来ませんでした。宴の様子は、屏風の絵をご覧に成って下さい。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/61/ba/9cbcb996ff2c5409217baee8dd88b4a8.jpg)
神苑、楽水苑のお庭
春の山、築山の一つで春の草木が咲きます。平安の庭、室町の庭、桃山の庭、離宮の庭と、五つのお庭に別れ夫々趣が異なりました。
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平安の庭の様子・・ | ||||
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