二条陣屋
江戸初期に建てられた特別な構造を持つ町家住宅。諸大名の宿舎として用いられ防火建築、陣屋建築、数奇屋建築として、昭和19年国宝に指定、現在国指定重要文化財として現在現存しています。小川様ご一家は今も此処で生活されています。
(入り口付近意外撮影禁止の為、館内で購入の絵葉書ならびにパンフレットの写真を使用させて戴きました。)
マウスオンして下さい。
当主、小川家の出身は、奈良県吉野郡小川郷、小川土佐守は、豊臣秀吉に仕え、数々の功績を残しその後長男の千橘が、町人として世に出て江戸時代初期寛文10年(1670)頃、米、両替商を営み、二条城に出入りを許されていた御用商人が建てた町家で、参勤交代のため京都に立ち寄る大名の宿舎として利用され「陣屋」と成った。(部屋数、一階に十一室、二階に十三室の邸宅)大名たちが宿泊する為に色々な警護も必要になりその為の邸内には色々なからくりが仕掛けられたのです。
大広間
大名達の宿泊する部屋、書院造りで、室内の戸、障子は、総て差し込み栓で戸締りが出来天井の一部の引き戸は採光のためと同時に階上の武士だまりに通じ何か起こると直ぐ其処から降りられる様に成っています、
お能の間
大広間に隣接する「お能の間」は、大広間の控えの間として、作られていますが、障子は、総て下ろすと全体が板戸になる「段襖」の手法が取られ防音効果を狙ってあり、床は、(普段は、畳敷きですが、)総桧張り床下には、音響効果を高める為に4つの甕が埋められているのです。
お能の間の向うに大広間が見えます
その他に、
春日の間・・昔春日神社の神官をしていた頃をしのび造られたそうです。
皆如庵・・・一畳台目の茶室、台目の処が、板敷きで其処に丸炉が作られ、茶室の水屋は廊下に抜けられる様になり此処にも防衛の策が講じられています。
釣階段
普段は、吊り上げて、棚のように見えますが、いざと言う時には之を降ろし階段とします。上がり切った所に引き戸が有り之を押すと二階に出れます、
マウスオンして下さい。写真が不鮮明で申し訳御座いません
苫船の間
入り口を一段下げ船に乗り込むように作られ屋形船に乗った様で明り取りの障子も防火用の
戸がはめ込まれていました。西側には、下の井戸から直接水がくみ上げられる様に滑車が備えて有りました。この清水をくみ上げお茶事に使用したそうです。
囲いの間
四畳半の茶室、天井は、網代張り釘を使わず竹竿で吊り上げると言う変わった造りで、此処の水屋の裏にも人が隠れられるようになっていました。
落とし階段
囲いの間の横の廊下に「落とし階段」がありこの階段には引き戸が付いていて最初の一段目を隠し廊下が、続いている様に見せかけ引き戸の終わりから階段の下までまっ逆さまに落ちる事に成ります。
廊下は、総て鳴り板で侵入者があれば直ぐに響く仕掛けに成り、幾つもの抜け穴があります
屋敷内は、完全防火で、外壁は、漆喰壁、屋根の先には、銅板が張りめぐらされ、ひさしの樋の所には、火災の時には、直ぐに水でぬらした筵を下げられるようにUピンの様な金具が取り付けられていました。
敷地内12箇所もある井戸は、総て地下で繋がり水の枯れる事は無いそうです。
天明の大火も幕末の争乱時にも焼失を免れ現在に至っています。
約1時間に渡り係りの人の説明を聞きながら迷路のような薄暗い細い廊下を行ったり来たり各部屋を訪れ夫々に工夫を凝らした色々なからくりを見ている内に良く此処まで綿密に計算された建物の内部が出来上がったものと感心するのみでした。
京都にお越しの節には、是非一度ご覧戴きたい場所の一つです。
但し、事前に見学申し込みが必要です
「二条陣屋」 所在地 京都市中京区大宮通り御池下がる137 telー075-841-0972
江戸初期に建てられた特別な構造を持つ町家住宅。諸大名の宿舎として用いられ防火建築、陣屋建築、数奇屋建築として、昭和19年国宝に指定、現在国指定重要文化財として現在現存しています。小川様ご一家は今も此処で生活されています。
(入り口付近意外撮影禁止の為、館内で購入の絵葉書ならびにパンフレットの写真を使用させて戴きました。)
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当主、小川家の出身は、奈良県吉野郡小川郷、小川土佐守は、豊臣秀吉に仕え、数々の功績を残しその後長男の千橘が、町人として世に出て江戸時代初期寛文10年(1670)頃、米、両替商を営み、二条城に出入りを許されていた御用商人が建てた町家で、参勤交代のため京都に立ち寄る大名の宿舎として利用され「陣屋」と成った。(部屋数、一階に十一室、二階に十三室の邸宅)大名たちが宿泊する為に色々な警護も必要になりその為の邸内には色々なからくりが仕掛けられたのです。
大広間
大名達の宿泊する部屋、書院造りで、室内の戸、障子は、総て差し込み栓で戸締りが出来天井の一部の引き戸は採光のためと同時に階上の武士だまりに通じ何か起こると直ぐ其処から降りられる様に成っています、
お能の間
大広間に隣接する「お能の間」は、大広間の控えの間として、作られていますが、障子は、総て下ろすと全体が板戸になる「段襖」の手法が取られ防音効果を狙ってあり、床は、(普段は、畳敷きですが、)総桧張り床下には、音響効果を高める為に4つの甕が埋められているのです。
その他に、
春日の間・・昔春日神社の神官をしていた頃をしのび造られたそうです。
皆如庵・・・一畳台目の茶室、台目の処が、板敷きで其処に丸炉が作られ、茶室の水屋は廊下に抜けられる様になり此処にも防衛の策が講じられています。
釣階段
普段は、吊り上げて、棚のように見えますが、いざと言う時には之を降ろし階段とします。上がり切った所に引き戸が有り之を押すと二階に出れます、
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苫船の間
入り口を一段下げ船に乗り込むように作られ屋形船に乗った様で明り取りの障子も防火用の
戸がはめ込まれていました。西側には、下の井戸から直接水がくみ上げられる様に滑車が備えて有りました。この清水をくみ上げお茶事に使用したそうです。
囲いの間
四畳半の茶室、天井は、網代張り釘を使わず竹竿で吊り上げると言う変わった造りで、此処の水屋の裏にも人が隠れられるようになっていました。
落とし階段
囲いの間の横の廊下に「落とし階段」がありこの階段には引き戸が付いていて最初の一段目を隠し廊下が、続いている様に見せかけ引き戸の終わりから階段の下までまっ逆さまに落ちる事に成ります。
廊下は、総て鳴り板で侵入者があれば直ぐに響く仕掛けに成り、幾つもの抜け穴があります
屋敷内は、完全防火で、外壁は、漆喰壁、屋根の先には、銅板が張りめぐらされ、ひさしの樋の所には、火災の時には、直ぐに水でぬらした筵を下げられるようにUピンの様な金具が取り付けられていました。
敷地内12箇所もある井戸は、総て地下で繋がり水の枯れる事は無いそうです。
天明の大火も幕末の争乱時にも焼失を免れ現在に至っています。
約1時間に渡り係りの人の説明を聞きながら迷路のような薄暗い細い廊下を行ったり来たり各部屋を訪れ夫々に工夫を凝らした色々なからくりを見ている内に良く此処まで綿密に計算された建物の内部が出来上がったものと感心するのみでした。
京都にお越しの節には、是非一度ご覧戴きたい場所の一つです。
但し、事前に見学申し込みが必要です
「二条陣屋」 所在地 京都市中京区大宮通り御池下がる137 telー075-841-0972