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(今はFTISLAND、いろいろ)

キル‐オフィス・サエ公演

2012年07月20日 | 世界
私の習っているボイストレーニングのスタジオで、お芝居の公演が開催されるので、ご案内します。
以前、別の公演を観に行きましたが、ボイストレーニングのスタジオらしく、声の響きがとても素敵でした。今回も期待できるでしょう。

テーマは、師匠のライフワークである、戦争民話です。原爆投下された広島を舞台に、人々がどう生きたかというお芝居のようです。今回は、キルという朝鮮人が出てくるそうです。

勉強していると、強制労働で日本本土に連れてこられた朝鮮人は、昭和19年9月から20年3月に来た人々を狭義では指すようで、それ以外の時期に日本に来た朝鮮人は自分の意思で来日したということを知りました。韓国は日本に併合されていたから、日本国内への行き来が簡単だったのでしょうか。ところで、強制労働で連行された人々は、戦後、韓国にほとんどが帰国できているそうです。

それから、必ずしも創氏改名も強制ではなかったということも知りました。台湾は許可制、朝鮮は届出制だったことも知りました。許可制とは、許可されて始めて、日本の姓名を名乗ることが認められるということで、届出制とは、届ければ日本の姓名を名乗れたということです。日本の姓名を名乗りたいという要望があって、創氏改名の制度が作られたという背景も知りました。

通称日韓基本条約という条約が日本と韓国との間で結ばれたのは、昭和40年(1965)だそうです。もう50年近く前になります。ただ終戦は昭和20年だから、戦後20年目にしてようやく締結されたというのは、なんだか不思議な気がします。締結に至るまで、それだけ時間がかかったのか、ほかの理由があるのか。

私の理解しているところでは、日本が韓国内に残した日本資産の返還を放棄した代わりに、韓国人個人への賠償は、韓国政府が行なうことになった。しかし、韓国政府は、補償の対象を韓国国内に在住している国民に限定した。

これが、在日朝鮮人に冷たい仕打ちになりました。在日朝鮮人は、終戦とともに選択の自由も無く、日本国籍を奪われ、母国からは見捨てられたということになります。これはとても気の毒だと私も思います。戦後の補償は、日本人においても、所属の差などにおいて、不平等や不公平があったそうだから、仮に国籍が日本のままだったとしても、在日の人たちに十分な補償が与えられたかは、わかりません。

実は、今回のお芝居は、もしかしたら私の今まで学んできたことと違う描かれ方をしているかもしれないと考えています。作家は、ご自身の体験や、生の声を集めて戦争民話として脚本を創作し、ボイストレーニングの師匠らはそれを再現されているのだから、そのお芝居をただ楽しめばよいとも思っています。

「歴史は現在と過去の対話である」E・H・カー




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