種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

KANO~1931海の向こうの甲子園~

2015年02月07日 | 世界
戦前の日本の夏の甲子園で準優勝した、台湾の高校の実話の元に制作された映画で、観に行くのを楽しみにしていました。

映画を観てびっくりしたのは、劇中で台湾の球児たちが日本語をしゃべっていたこと。日本人の俳優も出演していましたが、台湾の若手俳優が日本語で演じているのです。日本統治時代、複数の民族と言語のあった台湾では、日本語が共通語としてコミュニケーションされていたとか。時代考証的にも正しく制作されたようです。

字幕もほとんどないので、こうなると台湾ではなく、日本の映画を観てるみたい。現代の台湾の人たちは、字幕で観たのでしょうか。

ダムの完成はもっと早かったとか、試合の流れが違うとか、いくらか脚色があるようですがとても楽しめました。
1点、勝ち進んでいくのに、試合終了後の校歌を歌うシーンがないことが気になりました。私の中では、高校の甲子園野球は、勝ったチームが校歌を歌うのが象徴のような気がしますが、映像的にはなくてもよいのかなあ。

現代でも、夏の甲子園に台湾の高校野球部を記念招待するとか、そんなことが実現したら、国際交流になって素敵だなあなんて、妄想が膨らみました。

めぐり逢わせのお弁当

2014年08月13日 | 世界
今シネスイッチ銀座で上映中のインド映画「めぐり逢わせのお弁当」を観に行きました。シネスイッチ銀座は数年ぶり。レディースデイが金曜なので、通常料金だったけど、並んでチケットを買って中に入りました。以前に行ったときは、自由席だった記憶がありますが、全席指定になっていました。そんなことはどうでもよい。

これから観に行く方にはネタバレになるけれども、物語はなんて切ない。でもこの切なさを味わうために、私はこの映画を観たかったのだと思いました。インドの雑踏、インドのお弁当、弁当配達人の労働歌、チャイ、冠婚葬祭において家族主義であることに、日本も含まれるアジアを感じました。アジアだけど、切なさは人であればこそ。

このインドのお弁当配達システムは本当に凄い。間違って配達しない仕組みがあって、配達人が誇りをもって仕事をしているのが伝わってきました。それは、この映画監督が表現したかったことのひとつのはずで、私は確かに受け取りました。

しばらく経ってから、映画「マディソン郡の橋」を思い出しました。あの映画も切ない映画でした。でも、男女に合意があった気がします。しかも選択権は女性にありました。

このインドの映画では、女性には選択権がありません。女性から行動するのだけど、一歩踏み出すことはできたけど、女性側の意思や希望は聞かれなかった。

これは男性の美意識やプライドや性格からなのか、インドだからなのか、それともアジアだからなのか、答えがない問が私に残されました。

びっくりな常識

2013年06月24日 | 世界
あなたは常識に洗脳されている
苫米地英人
大和書房


脳機能学者の苫米地英人さんの本もよく読んでいます。

この本は、私にとってはびっくりすることばかりで、全部引用したいくらいです。それはできないので、本のなかではディテールなのだけれども、私が驚いたところをひとつ紹介します。

一部の病院では、夜になると飾られている花や木を病室の外に出すそうです。というのは、夜になると植物は酸素を算出する量よりも二酸化炭素を排出する量が増えるからだそうです。

なぜか。それは、植物が呼吸をするからだそうです。植物が光合成以外に、呼吸もしていたとは、私は知りませんでした。

病室の酸素濃度を正常に保つために、夜になると病室の外に出す配慮をしている病院があるのだそうです。

入院するなら、こういう病院がいいですね。

ペマ・ギャルポさんの本より

2013年04月06日 | 世界
ワンチュク国王から教わったこと
ペマ・ギャルポ
PHP研究所


最近、ペマ・ギャルポさんに注目して、著書を読んでいます。ペマ・ギャルポさんは、ダライ・ラマ14世のいらっしゃるチベットの国の人でしたが、日本に帰化されています。小林よしのりさんの「新日本人に訊け!」という、帰化された元外国人だった人との対談本で、対談者のひとりとして、興味を持ちました。

2011年11月、ブータン国王夫妻が来日されたときに、ペマ・ギャルポさんは通訳として随行されています。このときの国王夫妻の様子を詳しく紹介している本で、ペマ・ギャルポさん自身のことはあまり出てこないのですが、素敵な本だったので、このブログにアップしておかなくちゃと思いました。

ワンチュク国王の被災地の小学校を訪れた時の演説や、国会での演説が詳しく収められています。被災地の小学校では、心の中のドラゴン(龍)がいて、そのドラゴンが食べているのは経験を食べているというスピーチでした。自分のドラゴンを大切に養いなさい。鍛錬しなさいというお話です。国会では、誠実で謙虚な国王の人柄がよく現れた素晴らしいスピーチで、日本をとても励ましてくれています。

この本を読んで、ブータンの王様は、若くて穏やかな笑顔の素敵な方だと思いました。
また、ブータンは国民総幸福度(GNH)という概念で有名な国です。そのブータンという国を訪れてみたくなりました。

本質を見抜く力

2013年01月27日 | 世界
本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546)
養老孟司 竹村公太郎
PHP研究所


タイトルに呼ばれて手にしました。対談集です。
表紙に書かれていないけれども、途中から鼎談になり、神戸善久さんが加わります。

対談集(鼎談集)の良いところは、著書よりも会話された言葉が中心なので、平易でわかりやすいところです。編集も入り、書き言葉になっているわけで、どこまで会話が再現されているのかはわからないけれども、より著者の直截で単刀直入な思想が伝わってくる感じが大好きです。

全体の内容紹介に直接関係ないのですが、私がひっかかったところを、備忘録がわりに記しておきます。養老さんの会話の中で、ブログ炎上という現象について、言われた言葉です。


   言葉には「根っこ」があるということ、つまり表に現れている部分だけではなく、裏に隠れているものがあるということをみんなが忘れているからです。


ここに私が引っかかったのは、最近した友人との会話で、気になったことがあったからでした。なんて説明したらいいのだろうと、そのときは言葉にならなかったその部分がまさに説明されていたからでした。

私は読んだ本紹介が中心のこのブログでも、実は何回も何回も推敲します。自分の意図を、まさに自分の意図通りに伝えたいからで、大きな意味は変わんないよというようなほんの少しの言い回しでも変えたりしています。それはまさに隠れているものが、ニュアンスを変えてしまうことがあるからです。本の主題ではないけれども、共感した部分です。

違和感と直感

2012年08月21日 | 世界
●世界級キャリアのつくり方 黒川清 石倉洋子 東洋経済新報社

サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」という著書は、世界を八つの文明圏に分け、しかも日本は日本一国で成る孤立文明と位置づけているそうです。日本の文化をユニークで豊かなものであるという証明のごとく、引用された本を多数読んで、私は知りました。

そういう考え方もあるなあと思いつつ、あまり説明できないちょっとした違和感もあり、私自身はまだこの著書を読んでいません。そんな折、やはり勧められて読んだ黒川清さんと石倉洋子さんの共著である「世界級キャリアのつくり方」という著書で、こんな件りがありました。

アメリカ式の「結論先にありき」ではない、また、恥をかかせたりバカにするのではなく、相手にそこまでは考えていなかったと気づかせるような、洗練された表現方法・コミュニケーション方法があるという趣旨のなかで、取り上げられていたエピソードです。

1992年に北京で開催された「パシフィック・リム・フォーラム」で、サミュエル・ハンチントンが主役級の講演者として何らかのテーマで講演したときの話です。その講演に対してマレーシア人のノルディン・ソピー氏が、ハンチントン氏の講演内容がソピー氏の知るアジアの現状と即していないといくつかの質問を交えながらコメントしたそうです。ソピー氏の質問に、ハンチントン氏はまったく答えられなかったとか。

ソピー氏は、相手の文化を理解して、恥をかかせない配慮をしながら、自分の主張は曲げず、明快だったと石倉さんは著述しています。

ハンチントン氏の講演内容の詳細にはまったく触れられていませんが、ハンチントンが「文明の衝突」を書いて脚光を浴びていた時期であることや、ノルディン・ソピー氏はマレーシアのマハティール首相の右腕であったことなどが簡潔に触れられています。

優れた政治家には優れたブレーンがいるようです。

ノルディン・ソピー氏の著書を探してみたら、見当たりませんでした。ないというよりも、日本語に翻訳されていないのでしょうか。評論集に寄稿しているのがあったので、まずはそれから読もうと思います。マハティール首相は、日本語訳された本があり、それもいつかそのうちに。

この「世界級キャリアのつくり方」も私には読めない本でした。その読めないというか、読むのが進まない本でフォトリーディングしていたら、取り付くシマをみつけられました。こういうシマの部分から、全体の理解を進めていくのが、フォトリーディングで得たスキルです。

そして、違和感は、実は直感の姿を変えたものです。本との相性もあるのですが、相性の合わない本は読まなくてもいいのです。この本から、私の違和感が正しい直感であるというメッセージをもらった気がします。

キル公演 観てきました。ネタバレあり

2012年08月18日 | 世界
キルは、秋子という女子学生が主人公のお芝居です。

広島原爆投下の前日の暮らしから、物語は始まりました。

学徒勤労動員で働いていた工場で、秋子は目に何かゴミを入れてしまいます。
それまでも何かと助けてくれていた吉川さんという先輩の女性に、通院と休養を勧められ、秋子は8月6日の朝は休みをとり家で姉とゆっくり過ごしていました。

キル編では描写がありませんが、他の姉妹編や母親編では、姉も勤労動員されていた友人の朝子も原爆で死んでしまいます。家にいた秋子はかろうじて生き延びたので、休みを取ることを勧めてくれた吉川さんに感謝していました。

吉川さんも生きていました。

ある日、防空壕に避難すると、既に避難していた吉川さんとその家族を見つけます。あとから逃げて入ってきた人に場所を開けろと、朝鮮人は防空壕を出て行けと差別を受けている吉川さんとその家族に、秋子は、うつむいて声を出せません。

それから、別の日にチマチョゴリを着ている吉川さんを山で見かけます。朝鮮人は漢字1字の名前が多いのに、吉川さんはなぜ吉川さんなの?と秋子はつい尋ねます。

「うちゃ吉(キル)ゆうんよ。ほんまはね」
これが本編のお芝居のキーワードになっているセリフです。吉川さんは、キルという朝鮮名を創氏改名で日本名に変えていたのでした。

吉川さんは、日本を非難し、いずれ祖国に帰るつもりだと、秋子に告げます。
そのとき、敗戦で戻ってきた兵に吉川さんは追われて、二人は別れます。敗戦まで一つの国ということでしたが、朝鮮人への差別があったことをお芝居が伝えています。

このお芝居の一番のハイライトは、その後台風が来る場面です。広島は、原爆投下後に、黒い雨だけでなく、台風にも襲われているんですね。このお芝居は作者の実体験をもとに作られているのだから。

このとき、吉川さんは命の恩人だからと秋子が母に伝え、川辺に住む吉川さん一家を高台の家にいた秋子とその親族が迎え入れます。川辺の吉川さんの住まいは、洪水で流されてしまうのです。

今、日本と韓国、日本と香港・中国と穏やかならぬ動きがあり、行方を見守っています。このお芝居のように、いろいろあってもなお、隣人として助け合えることができるようになれたらと切に思います。











キル‐オフィス・サエ公演

2012年07月20日 | 世界
私の習っているボイストレーニングのスタジオで、お芝居の公演が開催されるので、ご案内します。
以前、別の公演を観に行きましたが、ボイストレーニングのスタジオらしく、声の響きがとても素敵でした。今回も期待できるでしょう。

テーマは、師匠のライフワークである、戦争民話です。原爆投下された広島を舞台に、人々がどう生きたかというお芝居のようです。今回は、キルという朝鮮人が出てくるそうです。

勉強していると、強制労働で日本本土に連れてこられた朝鮮人は、昭和19年9月から20年3月に来た人々を狭義では指すようで、それ以外の時期に日本に来た朝鮮人は自分の意思で来日したということを知りました。韓国は日本に併合されていたから、日本国内への行き来が簡単だったのでしょうか。ところで、強制労働で連行された人々は、戦後、韓国にほとんどが帰国できているそうです。

それから、必ずしも創氏改名も強制ではなかったということも知りました。台湾は許可制、朝鮮は届出制だったことも知りました。許可制とは、許可されて始めて、日本の姓名を名乗ることが認められるということで、届出制とは、届ければ日本の姓名を名乗れたということです。日本の姓名を名乗りたいという要望があって、創氏改名の制度が作られたという背景も知りました。

通称日韓基本条約という条約が日本と韓国との間で結ばれたのは、昭和40年(1965)だそうです。もう50年近く前になります。ただ終戦は昭和20年だから、戦後20年目にしてようやく締結されたというのは、なんだか不思議な気がします。締結に至るまで、それだけ時間がかかったのか、ほかの理由があるのか。

私の理解しているところでは、日本が韓国内に残した日本資産の返還を放棄した代わりに、韓国人個人への賠償は、韓国政府が行なうことになった。しかし、韓国政府は、補償の対象を韓国国内に在住している国民に限定した。

これが、在日朝鮮人に冷たい仕打ちになりました。在日朝鮮人は、終戦とともに選択の自由も無く、日本国籍を奪われ、母国からは見捨てられたということになります。これはとても気の毒だと私も思います。戦後の補償は、日本人においても、所属の差などにおいて、不平等や不公平があったそうだから、仮に国籍が日本のままだったとしても、在日の人たちに十分な補償が与えられたかは、わかりません。

実は、今回のお芝居は、もしかしたら私の今まで学んできたことと違う描かれ方をしているかもしれないと考えています。作家は、ご自身の体験や、生の声を集めて戦争民話として脚本を創作し、ボイストレーニングの師匠らはそれを再現されているのだから、そのお芝居をただ楽しめばよいとも思っています。

「歴史は現在と過去の対話である」E・H・カー



風と共に去りぬ

2012年06月01日 | 世界
●日本のナショナリズム 松本健一 著 ちくま文庫

この本の中に、映画「風と共に去りぬ」の表現に対して言及がありました。

唐突ですが、私はマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の大ファンなのです。

リバイバル上映のときに3回ぐらい映画館へ足を運びましたし、テレビ放映の日本語吹替え版も楽しく観ました。吹替え版のほうが、字幕を追いかけない分、俳優の熱演ぶりがよくわかって、新たな感動さえありました。

原作の日本語訳の本も何度となく読み返しました。今では、映画よりも原作そのものが素晴らしいと思っています。実力ある俳優による素晴らしい演技が魅力的ですが、映画は登場人物が少ないですし、原作の持つ深さまでは表現できていないと思うようになりました。

「風と共に去りぬ」では、南北戦争後に、スカーレットはタラの土地にかけられた税金を工面するため、母の形見のカーテンを引きずりおろしてドレスを仕立て上げ、レッド・バトラーに援助を頼みに行く場面があります。レットは、北軍兵士に半ば軟禁されています。自分の財産が北軍に没収される懸念があるため、お金を工面できません。それどころか、仕立てたドレスに不似合いなスカーレットの荒れた手を見て、困窮状態を隠していたスカーレットの性根を罵倒します。

スカーレットの父はアイルランド系移民で、その父が開いた農園は、タラと呼ばれていました。このタラというのは、アイルランドの聖地のことだそうです。この本を読んで、初めてそれを知りました。スカーレットは、映画登場時の白地に緑の花柄のドレスを着ています。記憶では、スカーレットは緑色の瞳という設定なのです。ヴィヴィアン・リーは青い瞳だったので、映画では瞳が緑に見えるように光線を当てて撮影したと、撮影秘話の本で読んだことがあります。この瞳の色に合わせて、緑のドレスを着ているのだと思っていました。緑というか、アイリッシュ・グリーンは、アイルランドのシンボルカラーだそうで、母の形見のカーテンもこの色でした。

映画「風と共に去りぬ」は、第2次世界大戦中に製作されました。日本ではまだなかった総カラーで。戦後この映画を観た日本では、戦争中にこんな映画を作れるような豊かな国なら、戦争に負けるのもやむなしみたいにいわれていたとか。

この映画は、戦争という非常時にアメリカ国内をまとめるために創られたという見解が、この本にありました。びっくり。そんな考え方があるんだ。ナショナリズムとは深い。まだまだ新たに知ることがたくさんあって、ずっと本を読み続けています。涙・涙・涙・・・。

うそ。楽しいです。

満州と、そしてインドと

2012年05月31日 | 世界
●渡部昇一、「女子会」に挑む! 渡部昇一 著 ワック

渡部昇一さんの本を続けて読むうちに、「渡部昇一、「女子会」に挑む!」の本で、救国の気概を持つ14人の女性との対談集で、宮脇淳子さんを知りました。他の女性陣の活動もそれぞれ面白く、著書があればそちらも次々に読破している最中です。

●世界史のなかの満洲帝国 宮脇 淳子 著 PHP新書

この本を読み進む中で、朝鮮の高句麗という時代が、現在の旧満洲を含んでいたため、朝鮮の歴史の記述部分があります。渡部昇一さんのいくつかの本には、古代の日本と朝鮮半島は行き来があり、言葉も方言程度ぐらいの違いしかなかったのではないかと予想されている箇所があります。日本語は古文書があり、かなり古くまで遡れるのに対し、朝鮮では漢字が正字とされたため、ハングルができるまで、朝鮮語で記述された書物がないそうです。だから、古代朝鮮語の姿が見えないらしいのです。

●太王四神記 上・下 安 秉道 著 晩聲社

ということは、ペ・ヨンジュンが広開土王タムドクを主演したスペクタクル時代劇ドラマ、太王四神記の時代は、日本語と朝鮮語の区別がゆるいということになります。にわかに気になり始めて、ドラマの原作の太王四神記も読みました。テレビドラマのノベライズではない、原作です。それには、倭である日本との交易や戦の記載がわずかですが、やはりありました。テレビドラマは、ファンタジーになっていますが、原作は、実際の歴史に基づいて書かれているようです。残念ながら、小説ですし、当時の言語についての記述はありませんでした。

私は、ドラマとまったくキャラクターの違う、原作版タムドクもかなり格好いいので、なぜ原作のままドラマ化されなかったのか不思議です。日本で言うと卑弥呼の時代ですから、神の化身や悪の権化などが出てくる、剣と魔法のスペクタクル・ファンタジーにしたほうがドラマとして創りやすかったのでしょう。

現在、中国の東北部である、旧満洲は、偶然ですが、中国出身の会社の同僚さんの出身地らしいのです。旧満州の地域も、宮脇さんの本を読んで訪ねてみたくなりました。

●日本語の起源 (岩波新書 新赤版) 新版 大野晋 岩波新書 1994年

大野晋さんは、「日本語の起源」というタイトルで1971年に出版されていますが、研究の集大成として、新赤版を1994年に出版されています。私が読んだのは、新赤版です。研究の経緯と結論に至る過程が、詳しく書かれています。この本では、南インドの古代タミル語と日本語の古語との比較研究だけでなく、言葉だけでなく、稲作などの農業分野や、遺跡や機織や金属器などの考古学的な視点などから、古代タミルと古代日本のつながりを証明しています。日本語の源流をさぐるというのは、いろいろな分野を含む壮大な研究なのですね。この本を読むと、南インドと古代日本(おそらく古代朝鮮も)は、海洋を通じてつながりがあったこと、日本語の源流のひとつとしての古代タミル語を認めざるを得ないと思います。

大野晋さんは、古語辞典の編纂を通じて、ひとつの言葉が広がっては廃れていくその流れ、つまり言葉の寿命という観点に詳しい方でした。日本語のタミル語起源説を発表し始めた当時、現代タミル語学者などから、相当な反発を受けていたそうですけれども、ものともせずに研究をまとめられました。大野晋さんは故人になりました。次の世代によって、研究がさらに進み、なお多くのことがわかってくるのを楽しみにしています。