種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

キャンディ世代の内容をお引越ししました

2016年11月20日 | キャンディ世代
小説キャンディ・キャンディFINALSTORYを読んで、書き散らしたものを、別のブログへお引越ししました。キャンディ世代というカテゴリーのものはすべてお引越し予定です。

YAHOOブログの制約により、全部のお引越しはこれからです。
キャンディに関しては、今後はYAHOOブログのほうで更新していこうと思います。

YAHOOブログアドレス
    ↓
http://blogs.yahoo.co.jp/hanahikari96

ファンブログ備忘録その2

2016年11月03日 | キャンディ世代
●ブログタイトル「月うさぎがはねる頃」

 最近のいちばん夢中なブログです。こちらのブログは4コマ漫画のキャンディが愉快なブログです。その他に、テリィ派であり、YAHOO会員ID保有のファン向けに、メキシコ人のファンが書かれたファンフィクストーリーを日本語に翻訳されています。これはFINALSTORYが出版される10年以上前に書かれたものらしいのですが、FINALSTORYにリンクするような、漫画のキャンディのその後が描かれているのです。第一次世界大戦で、キャンディはなんと従軍看護婦だし、テリィもスザナ亡きあとに志願兵となっています。二人が戦地で再会する、非常にドラマチックな物語です。

 FINALSTORY出版以前に書かれているので、他登場人物の細部がだいぶ違いますが、作者が書かれていない30代半ばを過ぎたキャンディの現在に続く物語の一つの可能性と言っていいと思います。

 ブログ主様は長い時間かけて、英語版から翻訳されたようで、現在、定期的にブログを更新されています。丁寧に訳されていて、素晴らしい物語世界です。原作はメキシコ人女性ということで、もともとはスペイン語のお話しらしく、スペイン語で検索したら、YouTubeでは、どうやらこの物語の音読したものが上がっているし、軍服を着た短髪のテリィ(もちろんファンが書いたもの)の画像もいくつも見かけました。ラテンの血を持つファンの熱さを感じました。

 こちらのブログで、日本の熱心なファン向けの限定公開になっているのは、原作者のメキシコ人女性ファンの方と連絡がとれていないからだそうです。ファンの原作者と連絡が取れるとよいですね。漫画では、エルロイ大おば様しか、体現していなかったキャンディの時代の欧米が階級社会であることや偏見など、社会の背景が詳しく描写されています。私にとってはそれもツボなのです。

 私が子供の頃は、まだ、月にうさぎがいて餅つきをしていると信じられていましたが、今はそうではないですね。貧しい人が現れたときに、森の動物たちはいろいろと親切にします。差し出すものが何もなかったうさぎは、自分を食べてくださいと火に身を投じます。貧しい人は、実は神様で、哀れに思って、月にうさぎを上げるという日本の神話ですけど、今はあまり語られなくなったのでしょうか。
 

コクリコ坂から

2016年10月21日 | キャンディ世代
コクリコ坂から [DVD]
宮崎吾朗
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社


この作品の元の漫画は、キャンディと似たような時代に月刊誌「なかよし」に連載されていました。
およそ30年経って、スタジオジブリの映画作品として、絵柄も新たによみがえりました。

日常の中にあるときめきや心の機微の表現が秀逸で、絵も可愛らしく大好きな漫画家でしたが、この作品は子供心によくわからない漫画でした。漫画家オリジナルではなくて、原作のある漫画だったのですね。

漫画家は、おそらく現代寄りに作品世界を描きました。スタジオジブリでは、戦後の昭和の中頃、まだ戦後の復興途中の時代を舞台として、つまりより古い時代寄りに描かれています。映画を観たとき、「冬のソナタ」のような作品だったのかと驚きました。少女の亡くなったお父さんが、少年を実子として出生届を届け出てしまう激しい事情が、子供だった私にはよく読み取れていませんでした。映画は、もともとの原作の持つ雰囲気をよく再現したのだと思います。

漫画の高校生だった風間さんは、かなり大人のイメージで、はるかに歳上になった今でも、つい風間さんと呼んでしまいます。漫画家は、高校生を成熟して完成した大人のように描いていました。その年ごろになったときに、あまりに子供っぽい自分にあ然としたものです。映画では、少年の風間さんも少女の海も、大人になり切れていない、幼さの残る高校生として描いています。私は漫画家の絵が好きでしたが、それはそれで、この映画もとても好感が持てます。スタジオジブリによって、物語の世界観を新しく世に送り出されてよかった作品です。

キャンディも、このような新しい可能性はないのだろうかとふと考えます。

はいからさんが通る

2016年10月15日 | キャンディ世代
大和和紀画業50周年記念画集~彩~
大和和紀
講談社


今年の初夏に、池袋東武で開催された大和和紀原画展に行ったとき、来年2017年に「はいからさんが通る」が新作映画として公開予定であることを知りました。30数年ぶり。
http://haikarasan.net/

はいからさんこと紅緒さんと少尉の恋の物語。大正時代、第1次世界大戦の頃というと、舞台は東洋と西洋の違いはあれど、キャンディ・キャンディの時代と被ることに気が付きました。少尉の行方を追って、中国北部へはいからさんは旅します。キャンディも冒険しているけれども、はいからさんもすごいなあ。

少尉は金髪碧眼という風情で、ドイツ人女性と日本人男性のハーフです。母である女性は、日本になじめず、故国に帰り、再婚します。その相手がロシア貴族で、男の子を産みます。人生は長さではないはずだけれども、少尉の異父弟と母の短命さ、薄幸さに私はあ然とします。

異母弟はロシア皇帝の忠実な僕として、ロシア革命で命を落とします。この時、かろうじて逃げ延びたのが、その妻のラリサです。ラリサの義母、つまり少尉の実母は逃げる途中ではぐれて息だえるのです。
ラリサが亡命途中で、偶然助けたのが、亡き夫そっくりの記憶喪失になった少尉というわけです。

はいからさんと少尉とラリサの関係は、なんだが、キャンディとテリィとスザナの関係に似ていますね。
主人公のはいからさんのほうが身をひくところも。

はいからさんは、冬星さんと結婚することになり、その日が関東大震災の9月1日でした。大地震が襲い、ラリサは少尉をかばって、がれきの下敷きになり、死にます。その死とともに、少尉を放して、紅緒さんの元に行くよう勧めるのです。

この漫画は、日本人が主人公というのもあって、当時年上だったはいからさんのことは、はるかに歳を取った今でも、はいからさんとか紅緒さんなどと、さんづけでしか呼べないのです。習慣とは面白いものですね。

はいからさんの漫画も大人気でアニメ化されて、夢中で読んだのも同じだけれど、キャンディのようなすっきりしない感じ、不完了さがありません。似たような要素がたくさんあるというのに。はいからさんの物語は、ファンの期待通りに完結しました。第2次世界大戦前の束の間の平和のなかで、はいからさんと少尉の幸せ姿も、本編番外で、ファンは確認しています。

なにがよいのか、ほんとうによくわからない。

私のなかであれれ考え続けるのは、不完了なキャンディしかない。大人になったキャンディが一緒に暮らす愛するあのひとの存在も、私は心揺さぶられています。あのひとは、手がかりから、ただひとりあのひとしかいないとファンはわかります。どんな長い物語があって二人が結ばれたのか、私は、一生あれこれ考え続けて楽しめそうです。

原作者と漫画家が別々だったキャンディと違い、一人の作家のものだったはいからさんは、来年、新作劇場アニメとしてよみがえります。最新の技術でとても美しいアニメになりそうです。私は来年の上映を楽しみにしています。漫画も小説も入手しづらいキャンディは、このような復活は望めなさそうなのが、ファンとしては無念さが募ります。

ひまわり

2016年10月12日 | キャンディ世代
ひまわり ブルーレイ [Blu-ray]
 
角川書店


往年の名作映画です。

イタリアの新婚の男女が主人公です。夫である男性は、召集され、ソ連の戦地へ赴任します。その後、戦死の報が届きますが、信じられない妻は、戦後数年経ってソ連に向かいます。そこで、女性と娘と暮らす男性を見かけてしまい、失意のうちにイタリアに帰ります。
男性は記憶喪失でしたが、妻だった女性に気づきます。数年経って、ソ連の妻の許しを得て、イタリアの女性の元へ向かいます。しかし、女性も別の男性と結婚し、赤ちゃんが生まれたばかりでした。男性はソ連の妻の元に帰っていきます。

男女は愛しあっていたことを確認しつつも、永遠に別れていく物語です。花畑のひまわりが、季節が巡ってくれば変わらず咲き続けるのに、戦争で変わってしまった男女の関係を象徴しているような映画です。子どもの頃に見た記憶のなかのあらすじで、実際は違うかもしれません。

キャンディ・キャンディFINALSTORYを読んでから、繰り返し、この映画を思い出しています。ソ連の妻は、夫は帰って来ないかもしれないのに、元の妻のいる祖国へ夫を送り出しています。ソ連の妻は、私にとって、スザナの象徴でしたが、FINALSTORYを読んでから、なぜか、キャンディもイメージが重なるようになりました。映画では、登場シーンは少なく、女優の顔も覚えていないのに。

永遠の別れをしたと思われていたキャンディとテリィでしたが、FINALSTORYで覆りました。テリィはスザナと婚約こそしたものの、結婚に至らず、まして子どももいなかった。キャンディも独身のままであったと想像されます。大きな障害であったスザナは病を得て死んでしまいました。ファンストーリーでも、テリィとスザナは婚約したものの、結婚に友情や尊敬や労りのある関係にはなりましたが、イノセントな関係であったという物語が大半です。私もテリィ派なので、それを信じています。

「ひまわり」の映画は、子どもの頃にテレビで母と見ました。地上波しかなく、DVDなども普及していない昭和の時代では、映画解説者の短い解説とともに、良質の映画がテレビで放送されていました。このときの解説者は誰だったかも全然覚えていませんが、淀川長治さんが不意によぎりました。

淀川長治さんは、太い独特の眉毛と「さよならさよならさよなら」の挨拶が有名な映画解説者でした。生涯独身を貫いた方です。ある本で、親への復讐のために、結婚せず子供をもうけなかったと話されていました。その本の題名も、著者が本人ではなかったことしか思い出せません。淀川さんが、親への復讐の人生だったと気づいたのは、おそらく人生の後半ではないでしょうか。人にそのことを話せるようになるくらいに、何かを赦すことがができたのだと思います。結婚の可能性も見えたことでしょう。しかし、そのときは歳をとりすぎて、時期を逸してしまったと思われたのでしょうか。

「事実は小説より奇なり」ということがたくさんありますね。

いろいろな生き方があるので、ファンが創作するファンストーリーのキャンディとテリィとスザナが、それぞれ選んだ人生があり得ると信じられます。

ファンブログ備忘録

2016年10月09日 | キャンディ世代
FINALSTORYを読んで、30代になったキャンディとイギリスのエイボン川近くで暮らしている、曖昧な「あのひと」は誰か。私なりの確信はあるものの、さらに確証を得たくて、ネット検索したときに、出会ったブログの数々。テリィ派、アルバートさん派、アンソニー派までたくさんありました。テリィが一番大好きな私は、どうやら、テリィ派というらしい。
皆さんが自由に各々、自論を発表されていますし、ファンフィクションや2次小説という、ファンによるその後のストーリーも多数ありました。すごい世界が広がっています。創作ストーリーはないけれども、私もその一翼に勝手に加わってしまいました。
お気に入りのファンブログを出会った順番に備忘録しておきます。もちろん、すべてテリィ派です。

●ブログタイトル「sweetキャンディキャンディ」
 「FINALSTORY」「あのひと考察」などのキーワードで検索すると出てきます。
 こちらのブログ主様の「あのひと」の考察は素晴らしく、全面的に賛成しています。
アメリカ人のJosephineさんという方のファンストーリー「水仙の咲く頃」を日本語訳して、紹介されています。Josephineさんは、英米の詩やファッションやダンスに造形が深く、引用されている詩も素敵ですし、詳しい描写があります。キャンディとテリィが再会し、結婚し、イギリスに渡ったその後まで。欧米の夫婦の物語で、私がちゃんと読んだのは、「風と共に去りぬ」だけですが、読んでいるうちに、キャンディとテリィというよりは、スカーレットとレットみたいと感じる箇所がありました。夫婦のあり方は、日本人のそれとはいくらか違うみたいです。そんなところも面白いです。

●ブログタイトル「水色のリボン」
 「水色のリボン」「キャンディ」「FINALSTORY」などのキーワードで出てきます。
 こちらのブログ主様の、優しい人柄がにじみ出ているような「長い物語のかけら」というファンストーリーを公開されています。絵本の造形が深く、記事ごとにアップされている花の写真も素敵です。テリィからもらった手紙へのキャンディからの返信が私のお気に入りです。イギリスに渡る前の新婚生活をエレノアママ宅にて始めるのも、大好きです。あと、この物語に出てくるアーチーが、私のイメージするアーチーに近いのもお気に入りです。
 FINALSTORYの本文で、ブログ主様が気になった言葉を解説してくれている記事があります。同じようなところで、私も引っかかっているので、読んでいて楽しいです。

●ブログタイトル「Secret room平常心を保つためのブログ」
 こちらは検索ではなく、何かの拍子に出会ってしまったブログです。現在「熱烈ファンの戯言で辿る不朽の名作」シリーズを連載されています。「キャンディ」とそのシリーズ名などで検索すると出てくると思います。
月刊誌「なかよし」にテリィ登場からのあらすじを、いまどきの言葉を混ぜながら、愉快な楽しい文章で紹介してくれています。今は漫画も小説も入手しにくい時代になり、差し込まれている画像が懐かしいです。「妄想劇場」というファンストーリーも素敵です。私のお気に入りは、「セントポール学院編」と「真実の愛」編です。漫画のストーリーの、もしも(IF)の物語です。人物の描写が素晴らしくて、キャラクターがおちゃめでとても活き活きしています。メルヘンというかファンタジーな物語が楽しいです。

●ブログタイトル「懐かしのキャンディ」
 こちらも検索ではなく、他ブログを見ているうちに、他の人はこちらも見ているよという感じで見つけました。ブログタイトルで検索するとよいでしょう。
「サイドSTORY(長い物語)」で、テリィ側から見た素敵なファンストーリーを公開されています。美しく豊富な語彙で綴られた品格のある文章で、完成度が高いと感じます。一つの可能性として、こういう物語があったかもしれないなあと思いながら、たびたび訪れています。大人になったキャンディは、そばかすが目立たなくなり、美しくなっていると描写されているのが、私のお気に入りです。ファンのツボを押さえており、イギリスに渡る前のアメリカ最後の公演に、テリィが「ロミオとジュリエット」を選ぶところが、ため息をつくほど素晴らしいアイデアだと思います。

●ブログタイトル「maryのブログ」
 こちらも偶然見つけました。検索キーワードは「ああ、FINALSTORY」が良いでしょう。
 ブログ主様は、スピリチュアル的な考え方に造形が深く、「ああ、FINALSTORY」で紹介されているファンストーリーも、他の記事も、とらえ方が私自身と似ている印象を受けました。というのは、私もスピリチュアル本の影響を受けているからです。随所に大いなる共感がありました。(私に共感されたからってどうなのよという話もありますが…)
私のお気に入りは、果たされた約束の証書である手紙は破ってしまってよいというところ。あっけにとられながら、爽やかになりました。


まだまだブログがたくさんあり、私のマイブームは続いております。

FINALSTORY 私の解釈

2016年10月06日 | キャンディ世代
ステアがくれたオルゴール「キャンディが幸せになり器」を、キャンディが聞いた最初のつらい時は、テリィと別れた直後でした。その後の漫画本編でも、テリィの新聞記事を見ては泣き、思い出しては泣いていたキャンディのそばに、オルゴールは常にありました。オルゴールの話題が出てくるときは、前後にテリィのエピソードが挟まれます。

FINALSTORYでは、鳴らし続けたオルゴールはある日、壊れてしまい、キャンディは打ちひしがれてしまいます。それを後日、「あのひと」がいとも簡単に修理したエピソードが伝えられます。「あのひと」がいつ直したか、どうしてオルゴールのような器機を直せる技術を持っていたのかは、何度かFINALSTORYを読み返すうちにどうでもよくなりました。

「あのひと」と暮らすキャンディは、せっかく修理されたオルゴールを大切にしまいこんでしまいます。この部分が重要です。オルゴールを鳴らすのは、テリィとの別れを嘆いていた時でした。キャンディは、オルゴールを鳴らす必要がなくなったのだと考えます。

Ⅲ章の最後で、スザナの訃報と、その1年半後に投函されたテリィの短い手紙が追加されました。スザナの死は、ファンの私もショックでした。ファンは悲しい別れをしたキャンディのためにも、スザナの幸せを願っていましたから。その後のテリィの手紙にも、衝撃がありました。ファンはこの物語を望んでいても書けない。

キャンディは、テリィからの手紙を受けとって、どうしたのでしょうか。残念ながら、Ⅲ章はここで唐突に終わり、エピローグへ向かいます。子供向け小説版では、漫画では語り切れなかったアルバートさんの秘密を伝えるキャンディとアルバートさんとの往復書簡でした。ここもFINALSTORYでは、内容が大きく改変されています。

この往復書簡は、やり取りが短い期間に行われているようですが、私はそうではないと思っています。キャンディとアルバートさんは、シカゴやポニーの家にお互いが行き来しているときは、直接お話ししたでしょう。やり取りの間に、長い時間の経過があったと考えます。アルバートさんは、最後の手紙の後、キャンディの幸せを見極めたいとセントポール学院の日記をキャンディへ返します。これは、いつかわからないけれども、スザナの死の直後だったと私は想像しています。

キャンディは、それを開かずにアルバートさんにまた託す意向と、今が幸せだと伝えます。テリィのことしか書いていない日記。その思い出とともに、もちろん幸せでしょう。母のようなポニー先生やレイン先生、キャンディを慕う孤児たちや診療所の医師や患者さんたちに囲まれて、古くからの友人との穏やかな交流が続いているのですから。

日記をキャンディに返すということは、キャンディが新しい一歩を踏み出すための、アルバートさんからの励ましとか、はなむけだったのではないでしょうか。きっと、アルバートさんなら、キャンディの心に誰がいるのか気づいていたでしょうから。そして、心のなかのひとか、さりげなく新しいひととの可能性も探ったかもしれません。新しいひとには、アルバートさん自身を含んでいたりしてね。

エピローグの最後の手紙は、キャンディからアンソニーへの手紙です。アンソニーへの手紙は、もともと別にあったけれども、まったく新しい内容になっています。そこには、アルバートさんから、姉であり、アンソニーの母であるローズマリーの生き方を語られたことが綴られます。人の幸せは、愛する人と生きていくことだと。そして、アンソニーはすべてを赦してくれているのを知っていますと、キャンディは書き添えています。

これは、アンソニーを失った後、キャンディがテリィに惹かれたことを指していると思われます。そして、死んだ人は、生きている人をすべて赦してくれていることになると考えます。つまり、死んだスザナも、テリィを、そしてキャンディを赦してくれていることにつながってくると思うのです。

キャンディは、誰かに理解してもらえなくても、何か他の証拠がなくても、スザナが赦してくれていることを感じているのではないかと、私は推測できるのです。

Ⅱ章のはじめで、イギリスに住むキャンディが求めているささやかなことは、愛するひとと生きていくことだと明らかになっています。また、夢に出てきたアンソニーに、愛するひとと暮らしているから笑顔でいられるとも伝えています。

そして、Ⅲ章の途中で、アンソニーが生きていたら、イギリス留学はなく、テリュースに会うことはなかったことが示唆されます。アンソニーがテリュースに会わせてくれたのかもしれない。だとしたら、あの苦しかった日々も何か意味があったのだ、とあります。苦しかった日々。これは、冬のニューヨークでの別れ以降のことを指していると思います。「あのひと」と生きている、大人になったキャンディだからこそ、ようやく言える言葉だと思うのです。

FINALSTORYを読んでいる途中では、読者の私たちもそれはわかりません。最後まで読み終えて、振り返って気づくところです。

ここにきて、作家は、すべて出し尽くして、FINALSTORYを世に送り出したと思い至りました。私はキャンディと「あのひと」が結ばれるまでの長い物語を、作家による文章で読みたいと切に願っています。しかし、作家は新しいエピソードともにイメージ世界を、すでに届けてくれているのです。

ただ、「あのひと」をテリィとすると、もう一方の候補であるアルバートさんのその後が不明になります。もう一方のそのひとは、どうしているのでしょうか。とても知りたい。でも、曖昧なままにするという、作家の意志により語られないでしょう。それが心残りです。

ファンレター

2016年10月03日 | キャンディ世代
先生へ

最近、偶然、「小説キャンディ・キャンディFINAL STORY上下」を図書館で見つけて読ませていただきました。
私は小学校のころに、「キャンディ・キャンディ」が連載された「なかよし」をリアルタイムで買っていた世代です。マンガは処分してしまいましたが、色あせて黄ばんだ最初の「小説キャンディ・キャンディ」3巻は今も断捨離せずに手元にあります。キャンディのその後がほんの少し描かれていたからです。

図書館でその復刻版かと手にしたところ、ポニー先生が病気から持ち直したとか、スージーがインドで看護婦として働いているとか、知らない物語がいくつも現れてきて、夢中になって読んでしまいました。

キャンディは、「あのひと」とイギリスで暮らしている。エイボン川の近くで、書斎にはシェイクスピア全集と、「あのひと」の家に代々伝わる象嵌細工の宝石箱を継承して、ポニーの丘から眺めたポニーの家の絵と。ロンドンから帰国時の冒険談をようやく話すことができて、お互いが離れがたく思っている。
「あのひと」は誰かは明かされないけれども、手がかりがたくさん散りばめられていて、幸せな気分で読み終えました。ありがとうございます。子供のころの夢がひとつかなった気分になりました。それをお伝えしたくて、手紙を書いています。

大人になってから、キャンディのマンガを読み返したら、遠く離れて連絡もとれず、まして約束すらないのに、キャンディとテリィは、まるで一緒に生きているような強い絆のある物語のように感じました。スザナの事故で二人の間は、途切れてしまいましたが、なお、場末の街で再会し、さらに絆を深めたようでした。それなのに、マンガの終わり方が不思議で仕方なかったのです。その答えをもらったように思いました。

また、人生は長さではないと思うようになった大人の今に、スザナが夭逝するその後を知ることができてよかったと思います。その短命さに驚いていますが、子供の頃ならもっと大きなショックを受けていたことでしょう。

気がかりなのは、キャンディには子供はいないのか、看護婦は辞めてしまったのか、アードレー家やアルバートさんはどうしているのか、ということです。描かれていない出来事は、読者の想像に任されているのだと楽しみます。

2010年から6年経って、今この本は古本でしか入手できません。図書館で借り続けるわけにもいかず、再版や文庫化を希望しています。

FINALSTORY (下)その3

2016年09月30日 | キャンディ世代
小説キャンディ・キャンディ FINALSTORY (下)
名木田恵子
祥伝社


キャンディが学院を出て、密航してアメリカに戻る冒険談を「あのひと」に話したときの様子が伝えられます。その冒険談を話しそびれた人は、テリィであることが明らかになります。漫画ではその場面はないけれども、アルバートさんには、共同生活をしていたときに、話している可能性があります。「あのひと」が誰かを探る手がかりのひとつです。

そして、新たに大きな展開を迎えるスザナの死。スザナの死亡記事を読んだキャンディは、息がつまり、涙が止まらなかったと書かれています。

テリィと別れを決意し、スザナにテリィを委ねたキャンディにとって、スザナは自分の代わりにテリィからの愛を受ける、いわば自分の分身になっていたのだと私は理解しています。だから、自分の分身の、もっと言えば自分自身の死に近い悲しみを感じたのだと思っています。

スピリチュアルの考え方では、病気は緩慢な自殺です。自分自身の選択として病気になるのです。FINALSTORYでは、スザナの手紙が弱々しい迷いに充ちた手紙でした。テリィがそばにいて、スザナの人生を支えてくれていることに感謝しつつも、キャンディと別れさせた責めを持って生きていたのでしょうか。そして、死に至る病になることを選択したのでしょうか。

FINALSTORYでは、キャンディが劇団宛てに出したテリィへの手紙を、スザナが隠して渡さなかったというエピソードが登場します。スザナってそんな女性なの?
1回の内容が原稿用紙40枚に及ぶ漫画原作では、漫画家による演出や漫画表現の違いからカットされる部分もたくさんあったとか。構想としてはもともとあったのかもしれませんね。しかし、スザナが手紙を隠したことをキャンディがどうやって知ったのかは、読者に知らされません。妄想が膨らみます。

また、漫画にはない、キャンディが、テリィともう、会わないとスザナに約束したエピソードも紹介されます。そんな約束いつしたの?
これも妄想が膨らみます。漫画の原作の小説でありながら、新しい物語が追加されているのです。

少女漫画という枠のなかで描かれた、漫画のキャンディはいつも明るくて前向きないい子でしたが、FINALSTORYのキャンディは生身の大人の女性という風情を感じます。清濁併せ持つというのか。大人になった私にはより共感しやすいキャラクターになりました。

FINALSTORY (下)その2

2016年09月27日 | キャンディ世代
小説キャンディ・キャンディ FINALSTORY (下)
名木田恵子
祥伝社


小説キャンディ・キャンディ FINALSTORYで回想するキャンディが30代後半と思われるのは、アンソニーの死後20年以上経っていると明かされるからです。学院を出てから出会った3歳だったスージーが看護婦になってインドに赴任していることも時間経過を伝えます。

それから、「あのひと」の家に代々伝わる小ぶりの宝石とマザーオブパールで装飾された象嵌細工の宝石箱を継承していることが手がかりとして登場します。キャンディの大切なものを入れているという、そこには、アルバートさんからのものはほとんどないのですね。
丘の上の王子さまのバッジくらい。キャンディの成長物語では、アルバートさんからの思い出の品物は少ないのです。

FINALSTORYでは、俳優となったテリィは芸名としてグレアム姓を名乗っています。漫画ではグランチェスター姓のままでした。子ども向けの小説版で初めてミドルネームが明らかになりました。作家は、アメリカではミドルネームを名乗らせるつもりだったのでしょうね。

子ども向けの小説版3巻とFINALSTORY3部は大きく変更されています。子ども向けでは、キャンディが出した手紙を元に構成されていましたが、FINALでは、キャンディに届いた他のひとが書いた手紙も多数散りばめられています。より物語に厚みや奥行きを出しています。

ステアの死については、空軍の上官であるボウフマン大尉から詳しい手紙が届きます。戦死は変わらないのですが、やはり漫画とは雰囲気が異なるようです。作家の中で、リベンジが果たされたのでしょうか。

そしてそして、子ども向けでは「出さなかった手紙」という章の部分が構成だけでなく、内容が変更されています。ステア、アンソニー、スザナ、テリィへ宛てた手紙がそこにありました。FINALではスザナ宛ての手紙はありません。スザナからもらった手紙も改変されています。子ども向けでは、スザナの手紙は短くて生きる意欲に満ちています。しかし、FINALでは、主な内容は同じでありながら、追加された部分に、スザナがこれでよいのだろうかと気持ちが揺れている様が伺えます。なんて弱々しい手紙。スザナからもらった最初で最後の手紙であることが読者には先に伝えられ、手紙をはさんだその次のページにスザナの死亡記事が伝えられます。どういうこと?

そして、その次のページに、スザナの死後、まさかのテリィから短い手紙がキャンディに届いたことが伝えられ、3部が唐突に終わります。どういうこと?

キャンディの物語は、漫画では、アルバートさんが丘の上の王子さまである謎解きを明かして完結します。この後、キャンディはどうなったかはファンには与えらえていないのです。それで、ファンが好きな人とキャンディが結ばれた妄想をするしかなかった。テリィが好きなファンであったとしても、スザナの早い死とテリィからの短い手紙が届くことは、あり得ない妄想だったと思います。

作家ならではの特権のような展開です。でも、ファンの長年の夢を壊さないためにも、「あのひと」はだれか明らかにしないと作家は宣言しています。そこに至る長い物語が必要だけれどもそれを書くことはないと。

私はその長い物語が読みたい。私が好きなひととキャンディは結ばれたと信じられる私には、それだけで充分幸せな気分になれたけれども。作家の言葉で紡がれた物語を読んでみたい。

そういえば、キャンディの身代わりとなり、学院を退学してアメリカに向かうテリィを追いかける場面で、キャンディが(わたしは、まだ、あのひとに---)あなたが好き、と打ち明けていないという文章をみつけました。もしかして答えがありましたか。