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(今はFTISLAND、いろいろ)

風と共に去りぬ

2012年06月01日 | 世界
●日本のナショナリズム 松本健一 著 ちくま文庫

この本の中に、映画「風と共に去りぬ」の表現に対して言及がありました。

唐突ですが、私はマーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」の大ファンなのです。

リバイバル上映のときに3回ぐらい映画館へ足を運びましたし、テレビ放映の日本語吹替え版も楽しく観ました。吹替え版のほうが、字幕を追いかけない分、俳優の熱演ぶりがよくわかって、新たな感動さえありました。

原作の日本語訳の本も何度となく読み返しました。今では、映画よりも原作そのものが素晴らしいと思っています。実力ある俳優による素晴らしい演技が魅力的ですが、映画は登場人物が少ないですし、原作の持つ深さまでは表現できていないと思うようになりました。

「風と共に去りぬ」では、南北戦争後に、スカーレットはタラの土地にかけられた税金を工面するため、母の形見のカーテンを引きずりおろしてドレスを仕立て上げ、レッド・バトラーに援助を頼みに行く場面があります。レットは、北軍兵士に半ば軟禁されています。自分の財産が北軍に没収される懸念があるため、お金を工面できません。それどころか、仕立てたドレスに不似合いなスカーレットの荒れた手を見て、困窮状態を隠していたスカーレットの性根を罵倒します。

スカーレットの父はアイルランド系移民で、その父が開いた農園は、タラと呼ばれていました。このタラというのは、アイルランドの聖地のことだそうです。この本を読んで、初めてそれを知りました。スカーレットは、映画登場時の白地に緑の花柄のドレスを着ています。記憶では、スカーレットは緑色の瞳という設定なのです。ヴィヴィアン・リーは青い瞳だったので、映画では瞳が緑に見えるように光線を当てて撮影したと、撮影秘話の本で読んだことがあります。この瞳の色に合わせて、緑のドレスを着ているのだと思っていました。緑というか、アイリッシュ・グリーンは、アイルランドのシンボルカラーだそうで、母の形見のカーテンもこの色でした。

映画「風と共に去りぬ」は、第2次世界大戦中に製作されました。日本ではまだなかった総カラーで。戦後この映画を観た日本では、戦争中にこんな映画を作れるような豊かな国なら、戦争に負けるのもやむなしみたいにいわれていたとか。

この映画は、戦争という非常時にアメリカ国内をまとめるために創られたという見解が、この本にありました。びっくり。そんな考え方があるんだ。ナショナリズムとは深い。まだまだ新たに知ることがたくさんあって、ずっと本を読み続けています。涙・涙・涙・・・。

うそ。楽しいです。

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