種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

めぐり逢わせのお弁当

2014年08月13日 | 世界
今シネスイッチ銀座で上映中のインド映画「めぐり逢わせのお弁当」を観に行きました。シネスイッチ銀座は数年ぶり。レディースデイが金曜なので、通常料金だったけど、並んでチケットを買って中に入りました。以前に行ったときは、自由席だった記憶がありますが、全席指定になっていました。そんなことはどうでもよい。

これから観に行く方にはネタバレになるけれども、物語はなんて切ない。でもこの切なさを味わうために、私はこの映画を観たかったのだと思いました。インドの雑踏、インドのお弁当、弁当配達人の労働歌、チャイ、冠婚葬祭において家族主義であることに、日本も含まれるアジアを感じました。アジアだけど、切なさは人であればこそ。

このインドのお弁当配達システムは本当に凄い。間違って配達しない仕組みがあって、配達人が誇りをもって仕事をしているのが伝わってきました。それは、この映画監督が表現したかったことのひとつのはずで、私は確かに受け取りました。

しばらく経ってから、映画「マディソン郡の橋」を思い出しました。あの映画も切ない映画でした。でも、男女に合意があった気がします。しかも選択権は女性にありました。

このインドの映画では、女性には選択権がありません。女性から行動するのだけど、一歩踏み出すことはできたけど、女性側の意思や希望は聞かれなかった。

これは男性の美意識やプライドや性格からなのか、インドだからなのか、それともアジアだからなのか、答えがない問が私に残されました。

疑問の答え

2014年08月02日 | 韓流
韓流時代劇と朝鮮史の真実 (扶桑社新書)
宮脇淳子
扶桑社


韓流にハマって以来の疑問のひとつに、なぜ韓国ドラマは、世界の名作の題名とドラマの題名に使うのかというのがあります。思いつくまま、「パリの恋人」「エデンの東」「シークレットガーデン(秘密の花園)」等々。もとのお話と似ても似つかないような韓国現代ドラマになっているようです。

この疑問について答えてくれる本にまだ出会っていないけど、韓国人のメンタリティーを知るにおよんで、おおよその見当はついていたりします。
疑問としては現象がニッチ過ぎて、評論されたりしないことなのだろうなあとも思います。

今回取り上げた本のテーマは時代劇。世界の名作のタイトルをつけるのは、主に現代ドラマなので、題名のつけ方については関係ないけれども、半島の歴史や韓国人のメンタリティーに触れているので、興味深く面白く読みました。

韓国の時代劇では、日本は倭寇ぐらいしか出てこなくて、扱いがかなりひどいと思っていました。この本によれば、日本だけでなく半島に関わった周辺国はほとんどが史実無視のようなドラマ制作らしいこともわかりました。

また、半島は貧しくて、衣服を染める高価な染料を入手することができなくて、庶民の衣服は、時代劇の衣装のようにカラフルだったことはなかったそうです。しかも、日本は室町時代から都の庶民は色付きの衣服を着ることができていたそうで、豊臣秀吉の朝鮮出兵で日本の衣服をみて、色付きの服を着るのは倭奴(日本人)だというように蔑まれるようなことだったとか。

そういえば、私は1978年公開の韓国映画「族譜」を観たことがあります。

第2次世界大戦終戦直前の半島が舞台の映画で、内容もさることながら、その映画で若い女性が着ているチマチョゴリに衝撃を受けました。地方有力者の家柄の娘が着ていたのは、丈がひざ上ぐらいの、色のない白のチマチョゴリでした。女優が長身で、丈が短かかったのかしら。韓国時代劇に出てくるドレスのようなチマチョゴリとは全然違います。

終戦から30年後ぐらいに映画は制作されました。まだ30数年前を知る人が多数生きていたでしょうから、有力者の娘であったとしても生成りの白のツンツルテンのようなチマチョゴリを着ていたのだと思います。華やかなドレスのようなチマチョゴリでは、当時を知る人から見れば、映画という虚構であったとしても、現実感が乏しくなってしまいます。

韓国ドラマを観ていて、はっきりと疑問にならなくても、あれ?と思っていたことのいくつかの答えがみつかるような本です。