種から芽が出て花が咲き

はまっているあれこれ
(今はFTISLAND、いろいろ)

あまりの凄まじさに

2012年11月28日 | フォトリーディング(未整理)
ある明治人の記録―会津人柴五郎の遺書 (中公新書 (252))
中央公論新社


この本は、秘書をされている友人から紹介された本です。友人もその上司から、紹介されたそうです。その時もいつか読みたいと思いましたが、そのときは手が出ず。

別のところでまたこの本に触れることがあり、2度も目にしたからには読まねばとようやく手に取りました。

この本、文語体なのです。現代文であれば、行間からにじみ出る文章の著者の息吹を感じられると自負していますが、文語体だとてんでさっぱり。

もっと古文に親しんでいれば良かったと思います。

それでもなお、勢いのある強い文章だと感じました。
触りの、あまりに凄まじい体験のところだけ、ようやく読みました。

江戸時代や、サムライジャパンなどと言って、武士を見直す風潮があると感じていますが、平和ボケしている私のような現代人とは思いもよらない、強い精神力があったのではないかとつくづく思います。その力強さを作っていた何かを感じられるような本と言えます。

柴五郎という人は、会津藩士の子として生まれます。会津若松城落城した時に、退去を拒んだ祖母、母、兄嫁、姉妹の全てを失います。それも自刃によって。

男子は家名を雪げと、戦に役に立たぬ女子は兵糧無駄にするなかれと自ら死ぬというのは、どういう世界観でしょう。

明治元年は1868年なのですね。150年前までは、武士であれば当たり前な世界観の中で、その一族の女性達の死を背負って生きた人の記録の本、読み応えがあります。

日本文明論への視点

2012年11月19日 | 韓流
日本文明論への視点―われら何処より来たり、何処へ往くか
古田博司 他
展転社


筑波大学教授である古田博司さんの名前があったので、図書館で借りた本です。
コリアンウォッチャーのサイトで古田博司さんを知りました。

公開講義の講義録で、質疑応答の模様があり、私にとって興味深い内容でした。
いくつかの本を読んで不思議だなあと思っていたことが氷解したというか。

もともとの中国では、人は死ぬと、魂(こん)と魄(はく)に分かれるとか。魂は上に上がり位牌につく。この位牌についた魂が、飯を食うのだそうです。

魂が飯を食うためには、男の子孫をつくらなければならないという発想となって、現在の韓国の宗族なる男系の一族をつくるようになったそうです。

こういう話がすごくわかりやすく、私にとっては目から鱗みたいなお話もありました。ただそれを書くと本の紹介ブログの意図からずれてくるかもなので抑えておきます。

銅版画展開催中(11月24日まで)

2012年11月19日 | 
http://www5.ocn.ne.jp/~gyanagis/

浦和の柳沢画廊にて、銅版画展開催中です。

今年、5回目の参加になります。
毎年、自分の成長が誇らしく友人が多数見に来てくださいます。

今年は銅版画においては、ブレークダウンしてアイデアが浮かばず、苦労しました。でも、版画展開催直前に吹っ切れて、絵のアイデアが浮かび、新しい技術も駆使して、私自身にとっては進化した作品を出品できました。

そして、もう絵のアイデアが出ないことはない、と思います。





あるひとつの時代の終わり

2012年11月06日 | フォトリーディング(未整理)
裸のサイババ―ぼくたちの外側に「神」をみる時代は終わった。
パンタ笛吹
ヴォイス


サイババを私が知ったのは、青山圭秀さんの著書でした。その著書を読んで、会いに行ってみたくもあり、その準備ができていないなどと思ったりしていました。著書を読んだ全体の印象は、ああ日々大切にして一生懸命に生きていこうと励まされたのを思い出しています。

最近読んだ「裸のサイババ」は、それに比べ衝撃的な本でした。しかし、腑に落ちたことがありました。どの本か手元にないので、確かめようがないけれど青山さんの著書で無意識に変だと思ったことがあったのでした。例えば、青山さんがサイババに会ったときに、「結婚するまで女性に触れてはならない」と助言された件とか、サイババの最も側近である信者がサイババを暗殺未遂する事件の記述があったりとか。神の戯れなどという言葉も覚えています。そういうものなのだろうかと不審に思っていたのが、「裸のサイババ」を読んで、そういうことかと非常に納得したというか。

「裸のサイババ」には、サイババに帰依したり信奉している人々にとっては、目を覆うような残念という言葉では表せない呆れた内容が描写されています。この本がもたらしてくれた情報をどのように取るかは読者の自由だとして、私自身は読んでよかったと思いました。

「ぼくたちの外側に「神」をみる時代は終わった」というサブタイトルにも共感があります。